「ま、魔王がふたり?」
 膝から力が抜けて、その場に跪いていた。
 ヒバリがうざったそうに眉根を寄せる。その右手は虚宙を凪いだ。
 綱吉の頭部をもぎ取ろうとしたその動きを阻んだのは三叉の槍だった。骸が、綱吉の首根っこを掴んで背面にジャンプしてくる。
「あ」綱吉は、尻餅を石畳に引き摺った。
「気付いてなかったんですか。一応、彼と僕は兄弟ですよ」
「……聞いてない。そんなのアリかよ」
 視界が滲んでくるのを感じて、綱吉は奥歯を噛んだ。
 金のボディを握りしめる。魔王は二人、あと二発。確実に当てられるのか?
「どうして庇った?」
「これは僕がツバつけてるんです。死なすのは遊んでからで」
「あれ。かわいそうに。こんな変態に気に入られてるんだ?」
 淡々とした声で呆れて、ヒバリは肩を竦めてみせる。
 両肩から伸びる羽根が、蠢いて、どうにか建っていた大聖堂をはたいた。ミシミシと轟音をあげて歪んでいく巨大建築に、綱吉は生唾を呑んだ。戻ってきたのを後悔しても遅かった。
「骸が好きなものは、嫌いだよ。好みが似てるからさらにムカつく」
「その論理でいくとちょっとイヤな結論にいきますね」
 右手の槍を前に突き出しつつ、骸。
 ヒバリは羽根をヴヴヴヴと動かしつづけて散弾で穿たれた穴を直していった。そうして綱吉を睨む。
「僕に何度も発砲したね。人間如きが!」
「綱吉くん、捕まって!」
「うわああああぁーんっっ!!」
 悦んで差し出された腕に両手で抱きつきながら、綱吉は心底から泣いていた。
(来るんじゃなかった!! やっぱオレが一人で太刀打ちできる相手じゃないぃ――ッッ!!)
 羽音が高まるのと同時に骸は石畳を蹴りあげた。あちこち隆起していて既に石畳というより石の裂け目だが、綱吉は骸の背中に生えた翼にハッとした。
 ヒバリのとまったく同じものに見える。
 黒い粒子の塊は、人の体の何十倍を超えたサイズに広がって大気を汚染した。
 二人で立っていたところが大きく抉られた。
 中心地にいるのはヒバリだった。
 突き刺した二本のトンファーを引き抜いて、忌々しげにこちらを睨んでくる。
「…………っ?!」
 横抱きにされた体を強張らせながらも、綱吉は骸の胸を押しのけようとした。彼は不服げに――嘲笑う。
「あれの直撃を受けたかったのですか? 僕は君を助けてあげてるんですよ?」
「下心が……っ。下心がミエミエで、っていうかオレを殺す気でいますよね?!」
「やだなぁ。そりゃ、殺すことは殺しますけど、でもその前にたっぷり楽しみましょうよ。噎せ返るような快楽のなかで死ねるなんて天寿を果たすよりスバラシー体験ではありませんか!」
「ひぃいいいいい?! やめろ! おまえ喋るな想像しそうだろ?!」
 力差が圧倒的すぎて、綱吉が一人で骸に敵う可能性がゼロを下回るため、やたらと現実味を帯びて聞こえる。恐ろしすぎる。
 抱かれながら藻掻くエモノにご満悦らしく、骸はクフりと目と口で笑った。
「とりあえずは放してあげますが。肝に銘じておくんですね。僕は狙った相手は逃しませんよ」
 建物の屋上に降ろしてもらったが、綱吉の気分としては死地に送られた憲兵に似ている。
「ちょっ……。えっ……」
「無駄ですよ?」
 にっこりとして、骸が頬を染めた。
 無駄、の、主語は。尋ねられなくて首を横に動かす。嬉しそうにして、骸が人差し指で綱吉の下顎を触った。
 と、陥没の中心地に立っているヒバリが厳めしく苦言を呈した。
「おまえは欲望に弱いのが難点だよ」
「忠実といってもらいたいですね」
 悪びれもせずに、骸が答える。ヒバリもやはり淡々と答える。
「人間なんかすぐに死ぬ。僕が、どうして今まで人間に紛れて生活していたと思うの。あのままうまくやれたら、穏便にこの都もジャッポーネも手に入れられたのに!」
 ヒバリの周囲で砂が舞いあがった。ヒトガタのなれの果てだ。
 あたりに転がる死体に吸い寄せられていく。魔物の亡骸を身代として、再び、虚ろな生を取り戻した。
 どういう手品だろうと綱吉は思ったが、そこにいるのは魔物を再利用したヒトガタだ。一斉に針を向けられたのは骸だが、彼は笑ったままでブラウンの袖口から黒い水晶球を取りだした。
 ふたつ。それらの呼び名を――ちくさ、けん、そう聞こえた――呟いて、投げる。玉は正確に針を一本ずつ迎え撃った。
「君のやり方なんて知ったこっちゃないですね」猛スピードで駆け抜ける水晶球の奥から、骸がしゃべる。
「ヒバリ。人なんて脆いんですよ。僕はですねー、君のやり方はだいっきらいなんです」
(兄弟喧嘩かい)下がったところで、ひっそり呻く綱吉である。
「恐怖と報酬と快楽、これだけあれば彼らは僕に従う!!」
「……ッ、え?」
 したがう。悪寒を刺激された。人の見えなかった通りが、いつの間にか騒々しい喧噪に包まれようとしている。
 悲鳴、と、魔物。人間かモンスターか何を叫んでいるのかすらわからず、綱吉はただ坩堝のパワーに圧倒されて絶句した。恐ろしくなった。
(な、なにしてるんだ!)
 同じ制服を着た自警団の青年が、互いに武器を向けていた。横入りするモンスターにも派閥があって大乱闘と化している。
「ヒバリさまの敵を殺せ!」
「魔王の器は骸にあるッ。統率された王国になんか住みたくないんだよ!」
 と、知った顔だ。青いハウスの、宿屋の主人が骸の名をしきりに叫んでいる。少年二人の名があちこちでこだまする。
「こ、これは……」
 すっかり困惑して綱吉はあたりを見回した。
 どこを見ても争いが起きている。どうやら第三勢力もでてきたようで、鎧はきていないが鍋を頭に被って肉切り包丁を振りまわす人々がいた。
「あたしたちの街からでてけ!」
「魔王なんざいまさらいるかーっ!!」
「新しい秩序が必要だっ」「神話の復活に立ちあう――」魔王様を――いらない――欲しい――、どかん。まとめて爆破されて吹っ飛んでいく。爆風を浴びつつ、ようやく綱吉は一つの結論を弾き出した。
(な……、内紛が……、起きて……)
 悲鳴と怒号と、なにかよくわからないが圧倒的なエネルギーが思考力を奪いそうになった。怖い、を超越した怖気が、心胆をどくんどくんと震わせる。
(なにこれ……)
 今になって勉強させられた知識が蘇った。首都は――、犯罪件数も多いし治安も悪い。でも人口はいちばん多い。二千年前には首都は魔王が統治していた。魔王信仰と呼ばれるものが、この地には特に強く残っている。
 遠目で見るに、ヒバリ派と骸派と現状維持派の三軍だ。
「……………………」
 ――くらっ。眩暈がして、膝をついていた。
 頭上から落ちてくる影が綱吉を包む。
 見なくても、少年二人がドンパチをやらかしているとわかる。
 武器はトンファーと槍のはず。
 なのに、接触の度に通常では考えられない轟音と閃光が沸いた。攻撃の余波でモノが壊れていくが綱吉には熱波が届かない。骸が手を加えているのだ。
 感謝の念など抱けなかった。
 腕が飛んだり腹が不自然によじれているのがわかる。本性が魔王な彼らなのでさしたるダメージはなく、腕などすぐにまた生える。
 目の前で、大聖堂が左に傾いて崩れていった。
 白煙と霧とが混じって、まるで真っ白い雲に街が飲まれたようになる。
 砂塵が目に入りかけたし、息もつまった。
 聞こえるはずのない呼び声がしてきて綱吉はさらに混乱を深める。
 死んだ両親が何かを。
 リボーンも。祖父もだ。
 数日前に受け取った手紙も内容まで押し寄せる。綱吉はまごうことなく走馬燈を体験していた。
 下を見れば、地獄絵図の戦場がある。
 唖然とうめいた。ご高齢の老人みたいに喉がしゃがれた。
「え……? この状況でオレにどうしろと……?」

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