(――最初から魔王として振る舞っていたんだ、ヒバリさんは!)
穴から飛びだしてきた大翼の少年は、濡れた前髪を手で掻き上げた。
「そのゴールドは、ボンゴレ……?」
ヒバリの背中に生えた翼は、羽ばたく前からヴヴ…と音を鳴らしていた。
黒い粒子が集まって創った羽根だった。金の弾によって大きな穴が穿たれてあるが、粒子はぐるぐると回ったり跳ねたりして補修と思われる胎動を続けている。
「と、いうことは」
ヒバリは驚きながら言った。
「綱吉? リボーンの弟の」
「?」そういえば名乗っていなかったことを今更に思いだした。
「……リボーンは、オレの兄ですけど?」
「へーえ」
興をそそられたように目を細める。
彼の指先は、前髪から流れ落ちるミズで遊ぶようにして小さく動く。
「僕を殺すの?」
「魔王の息子を殺すこと、それが今回の仕事です」
(あと四発。一発でも胴体に撃ち込めれば致命傷)
呪文のように、自分に語る。ボンゴレの散弾は特別製だ。散弾がありえない技術力で小型化されていることは、もちろんだが、魔に属するものの体に触れたときこそ真価がわかる。
そこで初めて散弾銃の威力を発揮して、数千もの鉛玉が弾けるのだ。聖水で清めた特別製の玉である。
ヒバリの額に向かって、綱吉は問答無用でトリガーを引いた。
「ごめんなさいジュースごちそうさまでした!」
「君みたいな軟弱そうなのがアレの弟とは信じがたいなっ!」
羽根の粒子が霧散して、ヒバリ本人も身を捻って弾道を交わした。そうしながら右手で大きく虚空を掻く。
唇は、何事かを呻いたが、綱吉には聞き取りも困難だった。
「――今のが僕の本名だよ」
無知をからかうようにして、ヒバリが嗤った。
たたらを踏みながら、綱吉はヒバリの両翼が巨大化するのを見上げた。ヒバリをもはや包みこむレベルだ。元を知らないで見たら、くろい、巨大な霧を背負っていると思うだろう。
ヒバリの背後には、今や何十体ものヒトガタが立っていた。彼らも翼が生えている。それに生気のある眼差し。
「な、んですか、それぇ?!」
「昨日、会っただろ。僕のヒトガタ。但し、自ら人と合成した元純正の魔物どもだけどね」
(ヒバリさんは、そうやって手下を連れ歩いてたのか!)
ふつう、気付ける筈がないと思った。ヒバリが笑みながら地表へと降りたつ。
「リボーンの弟ねえ……。綱吉、ね。敬意を表して全力でやってあげるよ」
「やっ、そんな、死んでさえくれればそれでオレはいいんですけどっ」
「ああ。そんなこと言われると、僕も嬲り殺してあげたくなるな。リボーンにはできなかったからね。アイツの分までの恨み、受け止めてくれる?!」
「うだぁっ?!」
ヒバリが右腕をあげると、十体のヒトガタが下降した。
一列に並んだ彼らは針の雨を発射する。
鞭で払い落とそうにも間に合わない。ヒバリの少し甲高い哄笑が聞こえた。
「ハハハハハッ。チョウチョみたいに標本にしてあげる!」
(あ、あくま――っっ!!)
いやホントは魔王だけど!
胸中でツッコミしたが、気がそれたのが不味かった。あっけなく肩に灼熱がめりこんできて、くぐもった呻き声が搾り出される。
「っづ、い、いぃっ!」
肩に刺さった一本の衝撃で、たたらを踏む。
ヒバリは楽しげに黒目を細める。そして、自らの人差し指の腹を舐めた。その指で一直線に指差したのは、綱吉の両脚、左右の両手。手下の一匹は、今度は、一メートルもある巨大な針を振りかぶった。
「磔のボンゴレ、磔のリボーンの弟――」
うっとりと囁いて、ヒバリはまた自分の指先を舐めた。
「僕はね、十倍返しが鉄則なんだけど。ボンゴレには今まで色んな部下どもを殺されてきてるからね。その分までたっぷり、骨の髄まで陵辱してあげるよ。百万倍だ、綱吉」
「り、理不尽じゃないですか……?!」
やっとの思いで針を引き抜けた。
けれど針を抜いても刺された痛みは軽減されなかった。血が出てきて余計に狼狽える。
「ぐぅ……っ」長い針の先端から尾っぽまで、真っ赤な血が、付着している。
この激痛はヒバリの本気だ。
綱吉は、悪寒に足元を掬われながらもボンゴレの伝統拳銃を握りしめた。
(リボーン。こいつ、知り合い? なんか恨んでるじゃないかお前のこと!)
駆け出すと、綱吉を針が追いかけた。足を狙ってくる。
(助けて。たすけてよ! リボーン、おじいちゃん!!)
地面に縫い付けられて嬲り殺しにされていく。そんな自分がリアルに想像できて目頭が痛くなった。
見かけた穴に目掛けて、石畳を蹴った。
先ほどヒバリが開けたやつだ。以前、骸に落とされたときは棺桶に叩き込まれたように感じられたが――、今は最大の逃げ道だ。あのときと同じように転移できれば!
ばしゃーんっ!
「っっ! ぐ」
ミズは、冷たかった。
(……え? スミ?)
綱吉はぎくりとくる。
一面、澄み切って透明色だったはずの水が、濁っていた。汚らわしい何かを混ぜ込まれたように。
考えるより早く、背後に気配を感じた。
薄笑いを浮かべたヒバリが、小さな気泡を身にまといながら腕を伸ばす。
「もう遅い。この都は僕がもらう」
「――――!!」
後ろ、左右から出てきた腕から、黒いモヤがにじみでている。綱吉は捕獲されながら合点を得た。
(これ、は。魔物の体液か!)
「転移するつもりだった? 逃さないよ。君の亡骸はリボーンへの手土産だ。それとも、素っ裸にしてとことんまで辱めて、生きたまま晒し者にしてあげようか?」
口に貯めた空気を吐いてしまうが、綱吉は首を締めてくる硬い右腕にしがみついた。ビクともしない。
羽根が胎動する。ざばんっと水中から引き出された。
(い、いや――っっ!!)
「ぐっ!」
「げほっ。だ、だあああ、誰か助けてーっ!!」
(――って?!)
異変は、頭上で起きていた。
地表に投げ出された綱吉に、膝立ちしているヒバリが覆いかぶさる。うな垂れる、その喉を、後ろから鋭いもんが貫通していた。
「ぎゃっ……。ぎゃあああ?!」
「む゛っ。む゛ぐろ゛……」
喉を貫かれたまま、少年魔王が呻く。
憤怒に煮え立った黒目の先を綱吉も追った。先ほどと同じ。倒壊しかけのカフェテラスの上で、白のブラウスに黒のボトムスを来た少年が腕組みして立っていた。
ニヒルな笑みを、いやらしく歪めている。
「どうも。ヒバリの軍勢を削ぐ絶好の機会でした」
「ろ、六道骸」
綱吉が渇いた声で呼んだ。
ヒバリは忌々しげに喉で唸って拳を握る。綱吉にも、ヒバリと骸のやり取りの意味がわかった。――あたりを埋めつくしていたはずのヒバリの部下達が、今は、屍か砂塵の山かに変わり果てている。
「ほんの一瞬、ヒバリが目を離せばそれで充分でしたから」
指先についた紫の血液を舐め取り、骸は妖艶に嗤う。彼は勝ち誇っていた。
胸中で綱吉は絶叫を噛んでいた。目と鼻のさきで、黒髪の美少年が聞いているだけで怖気が立つほどの憎悪を――掘り出したばかりの原石のように荒々しく輝くそれを、あたりに叩きつける。
「お゛ま゛え゛ば……っ、どごまでぼぐの゛も゛の゛を゛ごわ゛ぜば気がずむ゛……っっ」
「ああああ?! せめて抜いて! 喉から針を抜いてっっ!!」
「…………、っ」
カクカクした痙攣で指先を踊らせながら、ヒバリは――綱吉の両手首を掴んだ。
力の入らない自分の手に代わり、ぐいと、貫通した針の先を握らせる。
「ひぃ?!」
ずるずるした感触が、細長い金属の棒から伝わってくる。
体中が寒い嫌悪感で沸きたつが、夢中で針を握って綱吉は彼のこぼした血の滴りを受けた。彼は背筋を反り返らせた。自ら、喉首を反らせて、まるで綱吉にすべてを晒すような格好を受け入れる。
ずるんっ。恐れのあまりに涙が浮いたが、綱吉は針を捨てた。喉の真ん中に黒穴を穿ったまま、ヒバリが咳き込む。
ボトボトと落ちる血は、綱吉の顔と襟とを汚した。
(……!!)赤によく似ているが違う。紫がかっている! 茫然自失に陥る綱吉を残して、ヒバリは身を起こした。
羽根が、痙攣しながら蠢いて、耳鳴りの羽音を産み落とす。
「あとは、君を八つ裂きにすれば僕の勝ちです」
骸が吐き捨てる。
歯を剥き出しにしてヒバリが吼えた。喉に空いた穴がヒュッと縮み、次には補修されて皮が貼りつき、噛み合わせた奥歯からヒバリの呪詛を届けてくる。獣の雄叫びに言葉を与えたようだった。
「舐めるなよ」
綱吉は、爪の先の体温までも瞬時に奪われた。胸が捩れそうな憎しみが伝わってくる。
たった今、彼の胸の下でしゃがみこんでいるのは自殺行為だと思えた。この人は危険だ。魂ごと持って行かれる予感がする。
ヒバリが、綱吉をなかば蹴るようにして前に出た。跳躍する。
羽根が伸びると、触れた建物全てをなぎ払った!
――彼が支配しようがすまいが、もう、都に人の居場所はなくなるんじゃ……。ちょっとした現実逃避だった。綱吉は胸中での衝撃からまだ立ち直れない。
ヒバリに蹴られた反動になすがままでいたら、水脈に転げ落ちていた。
「ぎゃっ。――あ?」
水を潜った末に目を開けて、昨晩に見たのと同じ光景に包まれていた。
大聖堂前とは匂いすら違う。
広場。アメリカ通りの先にある、イングランドプール。水脈の枝先――、水に落ちると同時に転移されたのだ。広場に人気はない。武器を持った兵士達が、声を荒げて通りの向こうを走っていく。
「……た、助かった……?」
既に膝の水位にしゃがみこんでいたが、綱吉は、ヘナヘナして両手をコンクリートの底に押付けた。
(冗談じゃない……っ。間違いなく殺されるところだった。もう……っ、このまま逃げちゃおうかな。家出だ、家出!)
金の散弾は――、ボンゴレの証だ。でも郵送で送り返せばそれでいいかもしれない。
腰のベルトに挿しているホルダーに、手をやって、そこがカラなのに呆気に取られた。拳銃は、綱吉の後ろで浮いていた。
二つの銃口を持っている。片方は一般の弾丸のため、もう片方はボンゴレの特別弾を発射するためのものだ。金色のボディに黒い幾何学紋様を描いた一風変わったデザイン。
金の散弾。ピストル本体も含めてこう呼ばれる。
(金――、禁の、拳銃……)
綱吉は仕組みのわからないそれを握った。あと三発。
当てる自信なんて、持てなかった。
と、ここにきて自分の浸かる噴水の異変に気が付いた。ミズが濁っている。
仰ぎ見れば、濁っているのは空気もそうだった。街がまるごと濁る。薄い霧が張って、建物には大きなカビがこびりつく。
「……水脈が穢れたせいで?」
よくよく気をつければ、イングランドプールの表面に粘膜が張っているとわかる。
(まただ。何かが胸を叩く)
視線を、感じた。
五歳くらいの女の子が親に手を取られて通りを走ってくる。考えてみれば大通りだ。しかし、綱吉の奇行など誰も気にかけず、避難に夢中だった。
女の子の親が、兵士を呼び止めた。
「逃げたほうがいいんですか。この都はどうなるんですか」
「家にいろ!」
泣き叫んで兵士をなじる母親の手を強く握りながら、女の子は、綱吉をふり返った。
(……泣いてる)他人事のように感じる自分に、チクッとした嫌悪を覚えた。
兵士は、質問を振りきるようにして、通りの先に行ってしまう。ヒステリックな悲鳴は爆発音に掻き消された。
綱吉は、はるか北西に目をやった。
大聖堂が傾いていく。塔の先で、羽根が羽ばたいている。ヒバリの翼だろう。地鳴りが響いてきて、大聖堂の倒壊を予感させる。
視線を戻せば、もう親子はいなかった。けれど逃げ惑った別の人々が右往左往しているのであたりは煩い。
ゆるゆると、手元を見下ろした。
金に光るボディが眩しい。なんで今日は厄日なのにこれほど天気がよくて青空なのだろう。地表は霧に覆われているのに、空の蒼さは透けるだなんて、雷雨の雲が街に降りてきたかのようだと思えた。
肩の痛みはまだ強い。痛みが心臓まで焼こうとする。もう、両手では拳銃を持てない。命中率はさらに下がる。
「……いきたくないのになァ」
口に反して頭の中で教えられた言葉が蘇った。ボンゴレは世と人のためにある。
「ヒバリさんを殺す。魔王を殺す。それで水脈を守って……、そしたらぜんぶ終わりだ!」
水を蹴って立ちあがって、そこで初めて綱吉は自分が不可視の存在と化していたのだと悟った。
「きゃあっ?!」
「どうしたっ――」
(あ。そっか。転移させてくれたものの力が噴水から出なければ働いているのか。ってことはあの夜も)ヒバリは、綱吉が噴水の内にいるときから、綱吉を見ていた。彼は人間ではないのだ。
「オレは大丈夫です。逃げてくださいっ」
近寄ってこようとした民間人には軽く会釈をして、綱吉はびしょ濡れで通りを走った。
役人も兵士も一般家庭のお父さんも、武器を片手に右往左往している。ヒバリのものか骸のものか、町中にはヒトガタとモンスターが徘徊している。無法地帯だ。
大騒ぎする自警団の横をすり抜け、ときには制止も振り切って、綱吉は大聖堂前まで辿り着いた。
ヒバリがトンファーを使っている。骸は、見たことのない三つ叉の槍を右手にしていた。
武者震いと恐怖が混じり合って拳銃の持ち手が震える。
ボンゴレになれと言われて三年が経った。リボーンが引退してしまってから三年だ。逃げだしたいと願いつづけてまだ三年。
その三年間で、こんな気持ちは初めてだった。
綱吉は凛とした自分の声を初めて聞いた。
「覚悟しろ、魔王!!」
なりふり構っていられないので、不意打ちを狙った――ヒバリの羽根を掠めた。
(まだだ。残りは二発っ!!)
撃鉄を親指で押しあげて弾倉を回す。次弾をセットしたが、しかし綱吉は呆然とした。頭の中が白くなる。
呼びかけにふり向いたのが、一人ではなかったからだ。
「え……?」
ヒバリも骸も、自分が呼ばれたかのように二人同時に綱吉をふり向いた。
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