水脈はいくつも枝分かれしているが、中心が一つだけあるという。
 二人で並んで通りを歩きながら、綱吉はヒバリをよくわからない人と再評価していた。買い与えられた淡ピンクのシャツもそうだし帽子も。毛先から、ポトりと汗が落ちる。暑い一日になりそうだ。
「ホントに、これで見つかるもんなんですか……?!」
「失礼だな。古来から伝わる方法だ」
 綱吉の両手には、金属の棒が握ってあった。
 L字に折れ曲がったそれを握って、地下水脈を探る。イラストにセリフをつけた軽本で、冗談の一環としてダウジングを行っていたのを思いだしてしまう。
(マジボケ? マジでボケなんですかヒバリさんっ!)
 半眼になってしまうが、ヒバリがこちらをふり向くと綱吉は目を反らした。
「しかし暑いな。ミズの都が暑さで茹だってるなんて、信じられない話なんだよ」
「あ……。昔は」言いかけて、綱吉は声が震えないように細心の注意を払わねばならなくなった。
「魔王が統治したという大昔は、この都は季節に関係なく涼しかったらしいですね」
「いかに現在の首都が穢れているかという話だね。でも、神話を持ち出すんだ?」
 頓着もなく言い返されて、今度こそ動揺した。
 ヒバリが足を止める。自分が顔を赤くしてしまったせいかと思って綱吉は声を失うが、しかし、黒尽くめの彼は呆れたため息をついた。
「サイフ、なくしたんだっけ?」
「は、はいっ」
 後から確認すれば、ナップザックの中身が意外と減っていたのだ。綱吉は無一文だった。帰りにはリボーンを呼ぶ気でいる、今のところ。
 肩を竦めたあとで、少年はポケットから小銭を出した。
「何を飲むの」
「い、いいんですか。すいません」
「何が飲みたいの」
「ココナッツの生搾りで……」
「珍妙なものを飲むね」
 屋台の主人からジュースカップを受け取って、綱吉は一口目を唇につけた。冷たい。甘ったるさが口に残るが、緊張で強張った体には、甘味も冷たさも気持ちよかった。
 ジュースの喉越しに首元をぞわぞわさせながら飲乾して、顔をあげる。
 ヒバリが綱吉を眺めていた。パイナップルの生搾りジュースを手にしている。
「今度はアメリカ通りに行ってみようか」
 と、綱吉は歩きだした一歩目を空中で静止させていた。
「!」「な、なんでだろう」
 黒い瞳と薄茶の瞳が、神妙にダウジングの金属棒を見守った。
 ぐ、ぐ、っと小刻みに揺れている。
 磁石のS極とN極のような動きだ。突然、平行に並んでいた二本の金属が反発して外側に開いた。
 大聖堂の真前にして、小さな商店が並ぶ界隈だ。ヒバリが飲みかけのジュースカップをダストシュートに叩き込んだ。
「そこか!」
「いや。でもなんか――」
(胸騒ぎが)
 ぽん。ぽん! 心臓を何かに無遠慮に叩かれている、そんな不可思議な不快感が綱吉を襲った。
 空を――、見上げる。
 ヒバリが厳めしい顔つきになった。綱吉の瞳は、蒼に抜けた空に釘付けになる。
(……オレに、話しかけてる……の?)
 雲が、一箇所に固まっているのが妙に気になった。とぐろを巻いて生き物に見える。脳裏で何かが明滅する。
 白と黒の点滅だった。ほとんど無意識に呟きを漏らしていた。
「ヘビ。ミミズ、細くて長いいきもの」
「沢田! そこをどいて。地脈を読んでみるから」
 ヒバリが肩に手を置くが、感覚はない。
「きみは……、ウロコもあるの?」
「君は巫女かなんかかい? 交信できてるの? 悪いけど後にして」
 強く揺さぶられて、正気に戻った。
 綱吉は青くなって自分の口元を手で触れていた。がらんとダウジングの金属棒が落ちて跳ねる。
(何をいってたんだ、おれ)
 理解しかねるが、ヒバリはいつまでもどかない綱吉にイライラしていた。ついに突き飛ばす。
 袖から仕込みトンファーを引き抜くと同時に、懐から出した赤い小袋の中身もバラ撒きにかかった。見る間に砂がヒトガタに変わる――綱吉は、先程とは別の意味で唖然として高いところに目をやった。
 大聖堂の向かいに面したカフェテラスの屋上だ。
 悲鳴が交錯した。全身をフードに包んだ彼らが余計に異質なものとして際立った。
「なっ……。だあああ?!」
 綱吉は、ひとまずは衣服の下のホルダーに手をやった。
 彼らは十人ほどの団体だ。足並みを揃えて地表へと降りて立つ。怒号が響いた。
「沢田を守れ」
 フード男の一人が、鉄球を振りかざした。スローモーションのようにして、綱吉は影の差した視界を見上げていた。
 鉄の塊が飛んでくる。汗が――、でてくる、心臓が痛くなってくるのを耐えて路地に身を投げた。
 どおんっと、衝撃で石畳がめくれあがる。綱吉は硬直して五秒は確実に動けなくなった。両脇に、ヒバリのヒトガタが駆けつけた。しかし一人はあっさりと鉄球の下敷きになるので、いよいよボケッとしている場合ではないと危機感を持てた。
「ひ、ひいっ?!」
 襲撃者の大多数もヒトガタだ。鉄球をぐるぐると空中で回しながら、そのヒトガタが猛進してくる。
「どーしてこんなんばっかなんだよ、オレの人生はぁ!!」
 大通りは逃げ惑う人々でごった返しているので、仕方なく大聖堂の扉に体当たりをかました。
 参拝客が数人。しかし、綱吉に続いて駆けこんだ大男を見て叫んで逃げていく。
 ついつい自分も悲鳴をあげかけて、転倒した。傍らのヒトガタが綱吉を突き飛ばしたのだ。
 目の前で代わりにプレスされたヒトガタに、綱吉は感情で囁いてしまっていた。
「あ……、あ、りが」
 簡易的に作られたそれは、さらさら、砂になって溶けた。
 口角が引き攣る。わずかな感傷に浸る余裕もなく綱吉は身を翻さざるを得なかった。
「も、もうオレ一人か! 全滅してるじゃないですかヒバリさあああん?!」
 奥に走っていって、ふり向きざまに踏んばった。鞭を握りしめる。バチバチと電流を最初から流しておいた。
(できるかっ?! オレに! いや、ていうかやらないと殺される――)
 跳ね回る鉄球に目の焦点を向けながら、後退する。汗が体の内側にまで噴き出すのがわかる。誰の助けも借りられない状況での窮地は、その事実だけで混乱できた。
(一人で何ができるんだろホントにやるのかなできるのかよ死んだらそれまでなのにっ当たったら痛そうだ死ぬだろうなどうしよう足が震える。逃げられないのかホントに)
「う、っづ!」
 鉄球が目の前で落ちて、眼球スレスレのところを木片がすっ飛んだ。
 それでも、目瞼は閉ざさない。
(そ、……そこ!!)
 渾身の思いで、右上を振りあげた!
 鉄球の鎖へ、狙い通りに鞭を絡みついた。バリバリバリッ! 激しい通電音がこだまして、超音波の悲鳴が、大聖堂の石壁を揺るがした。
 片耳を抑えてしまいながらも、綱吉はさらに踏み込んで二撃目を覚悟した。やるしかなかった。
(やるしかないんだっ!!)
 後は無音が頭の中にきて、綱吉は夢中で鞭を手繰った。脳天目掛けてふり下ろせば、ギャッ、と、最後に人間らしい悲鳴が聞こえた。ヒトガタが砂へと戻って消える。
 残されたのは、黒いフードだ。綱吉は着地に失敗したみたいになって膝をついた。
(き、金の散弾を使わずに勝った。すごいオレ! 一発は撃った――からあと五発! 節約できた――)
「君は、ボンゴレですか」
「ああ、そう! 貴重なのに骸なんかに使うんじゃなかった!」
 思わず頭を抱える。――三秒後には、慌てて跳び上がって鞭を構えた。
「なんでお前がいるんだよ?!」
 主を失ってただ広がるフードの上に、骸が立っていた。黒よりほんの少しだけ薄い墨色のフード。彼は不服げに眉間をシワ寄せていた。
「どーゆー意味だか聞いてみたいもんですね。僕、なんかに?」
 冗談めかした口調と表情だ、が、ポーズに過ぎないと証明するかのようにすぐに嫌悪に成り代わった。
「ヒバリは君の正体を知らないのか?」
「ボ、ボンゴレだってことを? ……ヒバリさんが知らないのが関係あるんですか」
 もし、あの人が魔王でないなら。
 胸中でプラスして、綱吉は慎重に骸を観察しようとした。
 骸は思慮深げな目つきで綱吉を観察し返す。両手は手ぶらだが、彼の全身が砂っぽいもので汚れている。どれだけヒバリのヒトガタを殺したあとか、綱吉には検討もつかない。
「……ふん。いいでしょう。千種、犬。引揚げです!」
「骸さん。ヒバリさんとどんな関係なんですか!」
 背中を向けられて、彼は肩越しに叫んだ。
「君と遊ぶのは今度です。Arrivederci!」
「あ、あり……?!」
(何語ですかそれは?!)
 大聖堂を飛びだしていく彼からやや遅れて――迷ったのだ――、綱吉も駆けだした。
 戦闘は続いている。ヒバリはたった一人で通りの真ん中に立っていた。カフェテラスの壁は潰れ、出店が並べていたオレンジの山は石畳に向かって倒壊しており、ちょっとした絨毯を作っている。
「クソ……。後始末、誰がやると思ってるんだ」
 忌々しげに、ヒバリ。
 足元の砂に目をやっていたが、綱吉に気付くと恨み節は捨て置いた様子だった。すぐさま手首を掴んでくる。
「水脈の中心地は? どこだか覚えてる? 案内して」
「こ、ここです」
 ヒバリが立っているところを、指差した。
 黒い瞳はしなやかに奥へとくぼんだ。優美ですらある仕草で、ストンと膝を折る。地面に両手をついて何事かを唱えた。
「――――」やがてニヤリと口角を吊り上げる。懐からナイフを引き抜いた。
(?!)綱吉は、よく似たものを知っていた。
 先日。六道骸に殺されかけた。そのとき、彼は石畳を割るのにナイフを使った。あれと似たデザインだ。
(む、骸とヒバリさんって、どんな関係が――)
 迷いもなくナイフが石畳に突きたてられた。ガツッとすごい音がする。
 骸のときと同様に、黒い波紋が広がった。
「君はココにいて」
 波紋が引き起こしたヒビ割れを見守りながら、ヒバリ。亀裂は彼の足元でいよいよ大きくなって、音をたてた。
「ヒバリさん?!」
 崩落に進んで巻き込まれていく彼の横顔は嬉しげだった。
 ゾッ……と、きたのは彼を疑う気持ちもあるからだ。綱吉が手を伸ばしたときには、彼は望んで水中へとダイブしていた。
「ヒバリさ、――――!」
 穴を覗いて、固まった。
 ヒバリは緩やかに両腕を広げる。その、全身。全身が黒くなっていた。本当に清らかなモノは、火でも水でも、魔であろうが聖であろうが、そのものの真実の姿を炙り出すと話に聞いたことはある。
 震えが、内臓から起因して全身に広がった。
(こっ……、この人!)
 まっ黒い少年の背中には翼がある。
 彼の体など小さかった。体積の五十倍はある、巨大な黒の翼を背中から生やしてヒバリは水中を降りていった。
「……自前の羽根とか、そんな生易しい次元じゃない」
 コウモリ羽を見据えて綱吉は立ちあがっていた。ピンクのシャツを――一応は男性用の服だが何でこんなカワイイものを渡されたのか綱吉にはまだナゾだ――ひんむいて、ホルダーから拳銃を抜き放つ。
 ダァンッ! 銃声に、水中での動きが止まった。撃ち抜かれた左の羽根を見つめてから、彼は上側に眼球を向ける。
 怒りを露わにした黒い瞳に、怒鳴り返した。
(これで終わり! ボンゴレとしての最後の仕事だこれがっ!!)自分にも怒鳴りながら、宣告を果たす。
「動くなっ。魔王! その命、悪いけどもらったァっっ!」

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