「この都で何をしてるの?」
「あ、や。その」
銀に光るトンファーを見つめつつ、綱吉はほぼ反射神経だけでぺこぺこと頭を下げていた。
「変態。不審極まりないな」
畳みかけるように向こうが何か言っているが、混乱して、声を走らせる。
「じ、事故です。やむを得ない事件が連続してなぜかこうなったっていいますか! 自警団の方ですか?!」
後退ると、水が跳ねる。少年は声のトーンを落として慎重なそぶりになった。外灯の届かない暗がりに置かれた体が、一歩を滑って進む。
「おまえ。今、転移したね」
「――オレの力じゃないですよ!」
「当たり前だ。人間にはできない芸当だよ」
考えながら喋っているのか、くぐもった響きがある。
「水脈の枝から出てきたということは、本体と接触したうえで何らかの意思疎通を行った……何をしたの? 相手の姿は見られた?」
大きく、首を左右にふった。見たも何も意思の疎通も身に覚えはなかった。
「ぐ、偶然っ……です!」
少年は構わずに呻き続ける。
一歩、一歩と、闇から進み出る。彼がまとう衣服は総じて真っ黒で、足の爪先から首元までが一続きのツナギのようにすら見えた。
寸でのところで綱吉は悲鳴をあげそうになった。
月明かりに晒された白い肌、星も月もない夜空のような黒髪、鋭い切れ長の瞳。この少年は見たことがある。
(写真! もうひとりの息子候補!)
「ちょっとムシャクシャしてたけど、ま、思わぬ拾いモノかな」
散歩してみるもんだね。
言い聞かせるように唇の中で言って、少年は嘗める目つきで綱吉を観察した。
綱吉は、心臓がこれでもかこれでもかと飛び跳ねる痛みで頭がいっぱいだった。脂汗が握ったこぶしに溢れてくる。
(ツイてる! 運がいいよ、オレ……。ツイてる)
歓びではなく絶望の只中から呻く自分自身には気が付いている。綱吉には最悪のカードなのだった。
水中に――戻らせて――別のところに転移させてくれないかなぁ。祈りかけたのを見透かしたように、少年は噴水のへりに足をかけて、綱吉の手首を捻り上げた。
「っつ――!」
「僕はヒバリ。雲雀恭弥。君は?」
「さ……。さわ、だぁあ?!」
黒い少年の背中で、ワイシャツが破けた。
現れたのは一対の羽根だ。色は黒い。全身が黒い中で、その羽根は艶やかにみっちり敷き詰められている羽毛を光らせた。獣の毛並みが美しいのと同じ原理だ。
背中に生えた翼は片翼一メートルほど。すぐさま音をたてて上下を始めた。
「水脈の情報が欲しかったんだ。沢田。一緒にきてもらうよ」
「ぎゃあああーっ?! ツイてなーいっっ!」
浮いた相手に引き摺られて、連れて行かれたのは大聖堂と隣接した七階建てのお屋敷だった。富裕層向けの宿泊所。
屋上に降りたつとヒバリは両翼を畳んだ。
風に溶けて失われるその様子に、綱吉は青い顔を顰める。自前のものか魔術で付加したものか、見分けがつかない。
(ま……、魔物とは縁が深そうな人だけど。さっきの骸はともかく、こっちは人間じゃないとは……言い切れない?)
行き先が、宿屋というのも意外だ。
幸いなことにナップザックはあの混乱の中でも持ってこれた。
「君、僕に従う?」
さりげない質問だ。綱吉は固唾を呑んだ。
暗い瞳は静かにこちらを向くが、首を横にふれば即座に喰らってきそうな危うげな熱をも孕んでいるのだ。
引き攣りつつ、綱吉は連続して五回以上も首を縦にする。
「よし。沢田」
ヒバリは綱吉の胸を指差した。
「その変態じみた格好じゃ宿の人間に迷惑だよ」
指差した手で、自らの襟をゆるめ、上着を脱ぐ。
トランクス一丁よりはマシなので綱吉は黒シャツの袖を通した。かたや上半身裸、かたはシャツにトランクスの子供。
六道骸を思いだしてしまい、綱吉の思考がいかがわしい方向性を帯びる。
(い、いやいやいやいやいやいや。っていうかナンなのこの状況!)
二階に降りる。すれ違うメイドや他の宿泊客は総じて身なりがよくて、綱吉はみじめな羞恥心を噛みしめるハメになった。
(……本当にツイてないっ)
肩まで茹であがって赤くなる綱吉に、ヒバリが眉を顰めている。
ヒバリは、奥の部屋の扉を開けた。
「?!」綱吉が顔を顰める番だ。無意識のうちに、鼻と口を手で覆う。
赤い絨毯にミニシャンデリア。ビップ用の豪勢な造りだが、不釣り合いな得体の知れない何かが――空気を乱している。
「う、っぐ」
「僕の配下のもの」
ウロコが生えていたり肌が緑だったり、人間とよく似ているが違うものが壁際にズラリと並んでいた。男、女、子供に老人に赤ん坊まで。
人形のようでもあるが、瞳はぎょろりと動いて客人である綱吉を追いかけた。
「着替えを」
返事は、超音波の塊だった。
事態が把握できなくて綱吉は扉のところから動けない。と、テーブルに置かれたエンブレムに目を留めた。
「ライセンス? ヒバリさんって、ハンター……、や、違う。召還協会のひと?」
「肩書きは一応は召還魔術師だよ。それでご飯を食べてる」
ヒバリが手に取ったエンブレムは、ライオンの頭と鷲の下半身を持ったキメラが遠吠えをしている。
綱吉は、ようやく扉から離れて彼の手元を覗きこんだ。星の数は魔術師のランクの高さだという。
三つもあれば上出来だ、が、赤い皮生地には五つもの星刻が刻まれてある。
(こ……。こんな実力の人なら、そりゃ羽根も生やせるだろうけど……!)
これで部屋の人形も説明がつく。これらはヒトガタと呼ばれる。
綱吉はなけなしの知識を総動員させた。思わず痛みをこらえるためにコメカミを人差し指で抑える。
「えーと。うーんと。粘土に――生き物の魂を閉じ込めてホムンクルスを作る。召還術のひとつ、ですよね?」
「バトルスタイルを選択した魔術師の基本だね。で、さっきも言ったけど僕の専門は召還。もっと詳しくいうと魔物の取扱いが専門。こいつらに入れてあるのは僕が殺した魔物の魂だよ」
新しいシャツを羽織り、綱吉用にか、別の服もタンスから引っぱりだしている。
「ひ、ヒバリさんは、一体……?」
ヒトガタを目で数え、綱吉は戦慄で震える。
「ちょっとね。首都に本部をおいてる個人経営のハンター」
(ハンター。……骸はハンターってだけでオレを襲ってたな)
お尻のあたりがムズムズとしてきて、綱吉は言いようのない怖気に襲われた。あいつには二度と会いたくない。
(アネモネを呼んでたから、魔王の息子でなければ魔術師だ)
召還系の、と、付け足しはしたがこの世の魔術師は九割以上が召還魔術師だ。需要が化け物退治であるからだ。
綱吉は、ヒバリの横顔を見つめつつ仄暗い気分に駆り立てられた。
魔術師は召還の劇毒を服用する……。魔術師の命運を暗示することわざだった。
化け物には召還を駆使して魔術師が立ち向かうが、化け物の力を借りて倒すしか方法がない。大抵の魔術師は、この因果関係に呪われて――手下にしたはずの魔物に寝首を掻かれたとかで――命を落とすのだ。
人間同士、あるいは魔術師同士の戦争になると、配下の魔物からコントロールを奪って主人を殺害させる方法もセオリーだ。
ボンゴレ一家が名門と誉れ高いのにもこうした血生臭い背景に支えられている。ボンゴレは、特別だ。召還を使わずに化け物達を殺して今日まで栄えている。ナップザックにいれてある伝統の武器を思うと、普段は考えないようにしている一族の重みが綱吉の肩にググッとのしかかった。
(っていうか……)
無理やり、頭に二人の少年を思い描いた。
(どっちが人間でどっちが魔王でも、ろくでもなさは同じくらいなんじゃ)
拉致監禁されてるんだよな、今は。
限りなく事実に近い憶測を胸中に抱き、綱吉は扉を背にして立ったヒトガタを見つめた。
ヒバリは、綱吉にローブを着せて一定の満足を得た様子だ。
「君、なんでパンツでウロウロしてたの?」
「……ちょっと……。変質者のような化け物のような変態に襲われそうになって……」
「? ふうん」
要領を得ないと思ったのか、ヒバリはもう質問しなかった。代わりに命令した。
「金は払う。水脈探しに協力しろ。聞きたいことがあるならば、今だけ受付けよう」
(ヒバリさんって魔王の息子さんですか?)
正直な質問が喉までくるが、首を左右にさせた。
正解しても間違っても、この少年は襲いかかってくる。そんな気がした。ヒバリは、納得して頷いて、奥の扉に歩き始める。
「明日でいいよ。僕は寝る」
「……うえ?!」
取り残されると、綱吉はハッとした。
ヒトガタが総じて背中を見つめているのだ。動揺はしたが――、必死に、コミュニケーションを試みた。
「あ、と……。コンニチハ?」
こんにちは。音波の返事は機械的だ。
足首まで黒髪を垂らした老婆のヒトガタが、綱吉に毛布を差し出した。ソファーも指差す。
お腹も空いたし、お風呂にも入りたいが、綱吉に何事かを言いつける度胸はなかった。頭を下げて受け取って、すぐさまソファーに横になった。
(……水脈?)
毛布を頭から被りながら、目をしばたかせる。
(魔王の息子なら、水脈にどんな用事があるんだ? でもオレの仕事には関係ないな。魔王の、息子を、殺すこと……。これが終わったらボンゴレをやめるって言う……)
今から、二千年以上も昔の話――、魔王は、陶器のような美しい肌をして黒髪だったという。本で読んだ。
魔王は寿命で死んだ。人間の妻、五十人を胸に抱えて死に至ったと伝承される。
(二千年前は魔王がこのジャッポーネを統治してたって話だから……、息子さんは、ジャッポーネの覇権を取り戻すつもりなのかな。だから、ボンゴレは殺そうとして……。あれ、そういえば何で殺すのか知らないな)
依頼があるなら、手紙に依頼主くらい書いてあってもよさそうだったが。
(覇権を取り戻す……。ヒバリさんも、骸も、そんな激しいタイプなのかな)
少年二人を思い返してみる。共に、黒が似合った。夜も闇も似合った。どちらも同じくらいに魔王らしくて、綱吉にはまだ断定はできない。
目を瞑ると、見えない重石でも乗せられたかのように、体が中身から沈むのがわかった。
(あー……。つかれた。帰りたい。リボーンいまなにしてんだろ)今回は、本当に助けてくれないのかな。つらつらと悩みが浮かんでは消える。
(オレ、誰かに助けてもらわないと……)
眠りについていく自分を感じながら、短く、鼻から息を吸った。
(何だってできない気が……、するんだけど……)
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