「ヤダなー……」
 骸は先を行く。日は落ちて石積みの民家には二人分の影が投じられた。
(こうして泥沼にはまってくって話かな)
 銀に光る窓を覗けば、ぱっちりした両目の子どもが見返してくる。
 女の子みたいな容姿だと綱吉も思った。
 ツンツンと逆立っているブラウンカラーの癖毛がどうにかなって顔つきもちょっと愛らしくなれば、なかなかの美少女ではないか。今までに指摘されたことはあるが、しかし綱吉はその評価は嫌いだった。貧相な体がどうにかなればとその度に思う。
 原因は、やっぱりこの見た目なのかな。重いながらも声をかけた。
「あの……。骸さん、本当にこっちでいいんですか」
「ええ。もちろん」
 自信たっぷりだ。骸の足取りに迷いはない。
 地図を見てもわからないといった主旨の発言は既にしているため、骸の前で道を確認するのは気が引けた。それに骸は候補者のひとりだ。交流は繋げておかないと。でもこのままワケのわからない夜間散歩に付きあうのも懸命ではない。
(本当に魔王なら、オレだって準備を整えてからじゃないと……。っていうか、なんか、妙にゾクゾクするんですけど?!)
 いやな予感が外からも体の内側からも押し寄せてくる。
 この通りには人気がない。いかなる都市名を冠したところかすら、わからない。通りの入り口には必ずはためいている筈の国旗も、闇にまぎれて目視できなかった。
(ヤダな! 骸か? それとも別のもの? 何かでてきそうだ)
 ――この直感には間違いがない。
 経験からして自信があったので、綱吉は強めにまた声をかけた。
「あの! 明日、また改めて案内をお願いしていいですか? 日が沈んじゃいましたし」
 彼は、細路地の中央で立ち止まった。
 全身をすっぽりと墨色のマントで包んだ彼だが、襟のすきまから地肌が覗いていた。どこか具合でも悪いのかと危ぶむほど白い肌が、月明かりにきらめく。
「…………」
 わずかに両眼を下向かせて、骸は硬直していた。
「あの? ――骸さん?」
 奇妙な沈黙だった。オッドアイは徐々に見開いていく。
 まさか。魔王?! 引き攣り、綱吉が後方に飛び跳ねると同時に、骸は自らの襟首に手をかけた。マントを握るように破いて、懐から銀糸に飾られたナイフを引き抜く!
「ちょ、ちょっとォ――っ?!」
「アネモネですね」
「えっ?!」
 ぬらぬらしたものが、マントの下の全身に絡んでいた。
 白色の粘液で覆われた一本が胴を締めあげ、地面へと縫い付ける。ナイフで分断されると、それは弾け飛んで石畳の上をもんどり打った。
「い、イソギンチャクもどき!」
 綱吉は、呼び慣れた俗名の方を口にしていた。
 すばやくナイフは上から下へとふり下ろされる。表面に付着した粘液が月明かりを写しながら飛び散った。
 ゾッとしながら綱吉がふり返れば、十数本もの触手がこちらに矛先を向けて蠢いていた。
「わっ……、うわああああ?! どーしてこんなトコにこいつらがいるんだよ?!」
 触手の先端がふたつに割れる。
 噴き出たのは透明な液状の何かだ。雫の垂れた石板が、足元で煙をあげながらぐしゃぐしゃに蕩けていった。
 アネモネの本体は直径一メートルほどの植物根だ。硫酸を内部にためて、エモノを溶かして吸収してしまう。消化されかけたところを、リボーンに助けられた過去の事件が綱吉の脳裏に蘇る。
「ひ、ひいッ。勘弁してっ。リボーンは今日はいないんだぞ?!」
 間合いを取ろうとしたが、先に足首を取られた。
「わ……っ、だああああああ?!」
 空目掛けて、触手がバウンドした。
 逆さまでの宙吊りに驚き、バタバタと四肢を暴れさせる綱吉だったが触手はぐるりと周りを囲んだ。首をもたげている。いつ、口を開けて硫酸を撒布してくるかわからない。
 肩からずり落ちかけたナップザックを必死の思いで抱きしめながら、――めくれたシャツで視界を阻まれつつ、綱吉は喉の奥を搾った。
「っづ。わ。骸さんっ!!」
 先程の様子を見るに、六道骸は戦える人間だ。
(いやもしかしたら魔王の息子だけど! でも助けて――っっ!!)
 しかし、反応は冷めたものだった。
 骸の躰はなかば暗闇に沈む。同じく四肢を触手に搦め捕られて、綱吉を見上げていたが。呆然として動けないのか、恐怖で動けないのか、視界が悪いためには綱吉には判別ができかねたが、オッドアイの瞳は存外に冷静で静かに焦点を綱吉に合わせていた。
「ぐっ……!」ぬるっ。粘液を擦りつけるかのように、触手が首筋をなぞる。
(?! どっ……、どうしよう。骸は演技してるのか?! ……あれ、オレって疑われてる?)
 いささか、強引な出会い方ではあった。
 ヘマはなかったはず。むしろ強引だったのは骸ではないか。
「あぐっ」と、骸が声をあげた。
「骸さん!」
 硫酸が、彼のすぐ足元をどろどろにしていた。
(で、でももし本当に人間ならっ!)
 この先にあるのは確実な死だ。理性がいなす前に綱吉は叫んでいた。
「さ、触っちゃダメ! それすっごい強力な酸ですからねぇって、ぎゃ、ぎゃああ?!」
 ドビュんっといやな噴出音がこだました。
 露わになった脇腹を意味ありげに撫でていた触手が、先端をシャツに引っかけて擦りつけながら、そのまま硫酸を噴出したのだ。しかもどこか淫猥なその様子を綱吉の鼻先で行った。
「ヒッ……、やっ。なななな何すんだ!」
 じゅうう。焦げつく音色とともに、旅行用の厚手シャツが溶けていく。
 酸の強さをコントロールしているのだろう。人体を溶かすまでの強力さではないが、服にはポッカリした穴が次々と与えられ、見る間に上半身をひん剥かれていた。そこまでくると綱吉は顔面を真っ赤にしてブルブルと震えはじめていた。
「あにすんだよっ……」
 ショックのあまり声がしわがれている。まだ頭を下にした宙吊りのままだ。
「こ、のっ……、ど、どこ触ってんだよ?! ちょっ――、どこ撫でてんだぁあああってアンタも見てるなよ?!」
「いや、つい……」
 相変わらず拘束されている骸が、反省のない声をだす。
 微酸の悪戯は下肢にまで伸びてくる。ズボンがとろとろに汚されていった。……ぼろ切れになったところから、ふくらはぎや大腿にまとわりついて滑り落ちる。その感触が綱吉を鳥肌で刺した。
 ベルトはまだ健在だ。背中側に隠してあるホルダーも繋がっている。
 しかし綱吉はナップザックを振りかざす。
「うがー!!」
 引ったくって取りだしたのは鞭である。
「おまえらにはコッチだ。このセクハラ植物がぁ――ッッ!」
 ば、ば、ば、と通電音が轟いた。日本の触手が黒コゲを経て灰に代わる。
 スイッチで電流の入切を操れる特別製だ。宙吊りの体勢であっても、綱吉はどうにか足首を掴んでいる一本も焼き払った。石畳への着地は――、身を捻って、足でできたがしかし骨に悪かった。
 ジーンと痺れる痛みに脂汗を掻きつつ、一斉に口を開ける触手の群れを睨め上げた。
「頼むから当たれよーっ」
 トランクス一丁ですっかり情けない姿にされていたが、綱吉はボンゴレ十代目としての仕事に集中した。
 電流が、夜空を駆ける。
 小さな火花が咲いて触手を燃やす。未だに動かないでいる骸にたかったものも全て焼き払った末、綱吉は膝をついた。
 ぜえぜえ。肩は弾んだ。隆起している石畳がちょっとだけ霞んで見える。
「おかしくないか。首都って魔物の検挙率そのものが低いはずですよね」
「わー。綱吉くんってカッコカワイイんですね!」
 横で、両手を結んで目をきらきらさせるのは六道骸だ。
 顔立ちそのものは精悍さと野性味のある少年である。乙女なポーズに眩暈を覚えつつ、綱吉は首を左右にした。
 たいしたことないよ。と、言いかけて、けれど言葉にならなかった。
 骸はスッと両瞳を細くしならせる。冷気が点っていた。
「――でも、残念ながらバカですね」

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