頻繁にごろごろと寝返りした末に彼はベッドを降りた。
素足にジーンズを履いて、他には身に付けていない。筋張った胸板を晒した姿で居間へと抜けると、外開きの大窓を両腕で開け放った。
一軒家は、黒々とした膜に包まれていた。
腕を伸ばす。突き破れば、鼓膜を刺しにかかるほど鋭く悲鳴が轟いた。
「ヒバリ……。仕返しか?」
「違うよ。でも、君が僕に手をだすなんて思ってなかったからさ。挨拶にこなきゃと思って」
「テメーの挨拶ってのは家臣に自宅ごとオレを喰わすことか?」
伸ばした右手で拳を作る。
膜の外からあがる悲鳴は、か細くなっていって、やがて消えた。ドロドロした黒いものが滴り落ちる。果てに現れたのは、緑のグラウンドに、背の低い木柵に……、変哲のない中庭である。水撒きも芝刈りも弟の綱吉がやっている。
漆黒を纏ったような少年は、家の正面で仁王立ちになっていた。
「まっさか」気さくに肩を竦める。
「君には、どうせ効かないってわかってるもの」
少年の足元には長髪の女が倒れていた。わかめ状の髪の毛が足元まで伸びている。黒いドレスだが、スカートは裾から風化して全身を風に溶かしていった。
リボーンは、手中のものを見下ろした。どくどくどく。脈打っている。女の、心臓だ。
「フン」
握り潰してから、手のひらを開ければ、黒い湯気が昇ってきた。
鼻の奥にツンとくる腐敗臭だった。
「リボーン。不可侵の約束を破る気かな。対応を考えるよ」
「オレが決めたことじゃねえ。じじいだ。ヒバリ、それよりオレも訊きたいことがあるんだぜ」
ヒバリと呼ばれた少年は目を細める。リボーンのそれよりも底の深い暗闇色の瞳だった。
まなじりは一切緩めずに口角に嘲りを浮かべる、怒りによく似た仕草だが、リボーンは怯まなかった。
「……魔王の息子だったのか? ただの人間じゃねーとは思ってたが」
晴天の下を生ぬるい風が通る。
「テメーが言ってた父親も母親もこの世にゃいなかったし、それどころか出身地の村すら存在していなかった。これでどうしてテメーを庇えるんだ」
「答える義理はあるかな。ないだろ?」
「綱吉が首都に向かったぜ」
「君の弟さんが? あ、」
思いだしたのかヒバリは小首を傾げる。
「そういえばボンゴレの跡継ぎになったらしいね。まだ会ったこともないけど」
「じじいが見出した。あいつには超直感があるとな」
「へえ」
淡泊に返したが、ヒバリの黒目は用心深くリボーンの右目を見つめた。
「リボーン。九代目に捨てられちゃったの?」
「はん。オレは情報収集と手下の統率が専門だ。右目が見えなくなったときから、オレはボンゴレにならねえって決まったんだ」
「情報収集……ねえ」
ヒバリが、後ろに下がった。
用件は完了したとばかりに両の平手をリボーンに向ける。白シャツの肩にかけているジャケットがはためいた。
「僕は手を引くよ。自分を裏切ったヤツに、おめおめと情報なんか渡せないね」
「そうか? 残念だな」
「君の、そういうズバスバしたとこは気に入ってたんだけどね」
「オレもおまえは気に入ってたぜ。次に会うときは、殺し合いか?」
お互いに両目を細めて睨みあう。
それから少年が踵を返した。もとから親しく飲み交わす仲ではなかったし、緊張感を間にして育てた友情だった。
リボーンは、ゆっくりと、窓を閉めようとした。
「左目も抉ってから殺してあげるよ」
「オレが使えるのは銀弾になるが、蜂の巣にしてやるよ」
「ばいばい」
「じゃな」
硬くガタンと鳴って、窓が閉まる。
鍵をかけながらリボーンは微かに呻いた。
「二千年前の伝説の魔王だぜ。その実の息子なんて、実在してたらどんだけ強力だ?」
(まさかヒバリがその候補になるとは。スラム街で会った頃はストリートボーイって感じだったのにな。世の中はわかんねえぜ)
黒い眼球は、窓の下へと流れる。インテリアラック。立てかけられた白い額縁には、リボーンと綱吉が肩を並べた写真が入っていた。
(……ヒバリと会わせとかなくて、正解だったな)
掬い上げて、笑っている綱吉の額へキスを落とした。
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