(また今回も言い出せなかったな……)
 軽く失望しながら首都行きの馬車に乗りこんだのが三日前だった。
 安い馬車なのですこし臭かったし、席は砂を被っていた。綱吉はナップザックを懸命に叩きながら入都審査の順番待ちをやった。太陽の高さを何度も確認したが、不安通りに首都の石畳を歩くときにはもう夕方になっていた。
「この仕事が終わったら、だな。終わったら絶対にやめるっていうんだ。うん」
 独り言をしきりに繰り返し、オーストラリア通りを抜けた。
 大通りは、夕暮れの中でも賑わっていた。色とりどりの旗が屋上から垂らされ、空を覆うように橋をかけられ、赤と白のストライプ柄が二枚に一枚の割合で特に多い。当たり前だった。
 赤と白のストライプに星を散りばめたデザインは、アメリカ通りのトレードマークにして首都のシンボルだ。
「いつみてもスゴイなぁ。うちのあたりじゃ考えられない」
 どこを向いても何らかの旗がある。
 正体不明のエネルギーと活気に溢れた大通りである。一人で首都にくるのは初めてなので、綱吉は圧倒されてしばらくは旗の群下を無駄に歩きまわった。
 やがて疲労感から地図の存在を思いだす。目的の宿屋は――、マレーシア通りの途中にある。青いハウス。
(前にきたときは、おじいちゃんが一緒だったんだよな。ボンゴレの金の散弾の使い方を教えてくれ……た、はず。たしか)
 祖父のやり口にビビッたことしか覚えていないと言ったら、きっと、怒られるだろう……。
 自然と、自らの腰元を撫でていた。
 右側だ。服の下で、サイフと一緒に下着の上につけるホルダーに押込めてある。ボンゴレファミリーの使う伝統的な散弾銃だ。
 但し、サイズも性能も特別製で、人智を超える武器……である。
 ボンゴレのトレードマークでもある。黄金のボディに恐れを抱かぬ化け物はいない、と、祖父は豪語した。
(オレが撃つのかなぁ。撃たないと、殺せないよなぁ……)
 人の波をすり抜けて、アメリカ旗の大群を抜けていく。噴水に辿り着いた。噴水というか、綱吉にはちょっとした池に見えた。
(イングランドプールは水脈から枝分かれしたミズを使ってる。でも、遊泳禁止、と……)
 観光地図の隣、枠で囲まれている注釈を読み上げる綱吉である。
 日差しは、夕暮れどきでも強かった。
 綱吉の、襟の立ったクリーム色のワイシャツに俄な汗ジミが浮かぶ。広場を右折した先で青い屋根を見かけた。
 薄茶の瞳がまんまると広がった。入り口にひとりの少年が立っているのだ。
(あれって……!)
 少年は、黒――いや、黒よりもほんの少しだけ淡い色のマントで全身をくるんでいた。フード付きだ。フードで目を隠しているが、ちらりと見えただけで綱吉は驚愕した。
 無意識に、背中にかけているナップザックを右手で手繰り寄せる。この中に仕舞ってある写真の男に違いない!
(う、運がいいんだか悪いんだか!)
 眺めていたせいか、彼はこちらに気が付いた。
 体をよけて扉への道を開ける。
 ボソボソと内緒話をしていた男が宿屋の主人だった。スキンヘッドで、頭のてっぺんにかぎ爪で抉られた疵痕がある。さすが首都で最安値の宿を選んだもんだと綱吉は内心で自嘲していた。
 二人がかりで奇妙そうに見下ろされ、自分が二人の間で立ち止まっていると気が付いた。
「あっ……。あ。あ、あの。オレ、ポーランド通りの教会に行きたいんですけど……」
「ウチの宿泊客か?」
「ハイ。チェックインは、お昼の三時って使い魔をだして……」声が小さくなってしまう。観光地図はと聞かれた。
「持ってるんですけど、でも道が入り組んでいてわからなくなっちゃいました」
 これは、本当だ。行こうとして失敗した。
 フードの少年が面白そうに扉に寄りかかった。腕を組む。
「君んとこに客? しかもこんな子供が? クフフ、物好きですね」
「や、安いのがいちばんだと思ったんですけど……」
 綱吉は口の中でうめく。
 これは、本当には別の理由もある。ボンゴレが相手にする輩は穢れた場所を好むのだ。祖父が伝授したテクニックでもあった――治安が悪いところに立っている建物は、集まる人間もろくなものじゃない。しかし我々には有益な情報や人材が集まるものだよ、綱吉。
(こ、この人がホントにオレの探し人なら大当たりだなぁ)
「……とにかく、首都にきたくて」
 肩を落とす。半分は涙声になった。
(ホントはイヤだ。ボンゴレ十代目になんてなりたくないっつの。なんでこう当たりっぽいのがくるんだ?!)
 望みを裏切るように――ある意味では正統たる期待通りに、フードの彼は口角を吊り上げてみせた。
 綱吉の肩に、馴れ馴れしくも手が置かれた。主人へ弾んだ声がかかる。
「いいですよ。この子の案内、引き受けました」
「そうか? 悪いな、六道。あっちの件は任せておけ」
「ハイハイ。間違いのないように」
 主人がニヤリとする。扉が閉まると、気がついたように少年が目を瞬かせた。
「荷物、置いてきた方がよかったですか?」
「いえ。いいです」
(うまく引っかかったってゆーのかなコレ。意外と人はよさそうだけど……。この人が魔王候補ねえ?)
 脳裏で、自分の評判が思い当たった。
 綱吉はやたらとクジ運が良い。大当たりを引っぱりだしてくる。綱吉の傍にいる者ならば強運を知っていた。リボーンと祖父と、その二名しか傍にはいない現実を置いておくとして綱吉は拳を握る。今回もそのケースかもしれない。
(この人が魔王なら、ナップザックの中身は必要だ)
「汗掻いちゃうかもしれませんよ。重いでしょう」
「それなら、あなただってそのフード」
「ああ。これは、別に。ひざし避けですよ」
 そう言うと少年はフードを脱いだ。
 蒼。黒? 決めかねるほどに複雑な色合いをしている髪の色だった。藍に近い黒に青味をかけた感じだろうか。フードがなくなると左右で色の違う瞳がより印象強くなった。
 肩に未だ置かれた手に、力がこめられてくる。
「この目が珍しいですか。オッドアイっていうんですよ。覗いてみますか」
(オッドアイ。魔王ってヤツはオッドアイだったのかな?)
「よろしく。僕は六道骸です」
 綱吉がボウっとしている間に、向こうはやたらと顔を近づける。
 気が付いて後退ろうとすると、肩が抑えられていて出来なくなっていた。
 骸はイタズラっぽく両目を細める。
 つくづく――色んなクジを引いてしまう。内心で青くなったが、しかし綱吉は眩暈をこらえて名乗りあげた。
「沢田綱吉です。十五歳になります」
 魔物の類は人間の何十倍もトシを取れるものだったが、骸は堂々として応じた。肘の内側に首を抱き込むようにして、さらに綱吉をたぐりよせ、白い歯を光らせる。
「おや。僕も十五です。どうですか? 一緒にジュースでも。ディナーの時間もこれからですが」
(仕事を思うと願ってもないんだけどな!!)
 ぶんぶん。勢いよく首をふった。イヤな汗が背中から噴き出してくる。
(仕事より我が身が大事だよオレは!)
「オレは男だってわかってますか? 口説かないでください!」
「あ、わかりますー?」
「そらわかるわー!」
 壁側に逃げつつ、綱吉は両手で頭を庇う。
 骸は、くふふふふと楽しげに見守った。
 彼が魔王であろうとなかろうと、これは絶対にトラブルの種になる! 心中で嘆く綱吉とは裏腹に、青褪めて仰け反る様子に骸はご満悦らしかった。

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