雪崩れかかって扉を押し破った。
ずるずる、ずるっずるっ、引き摺りながら玄関をよぎる。
リビングでは兄が新聞を広げている。クツを履いた両脚をテーブルのど真ん中に乗っけて足を組んでいた。黒い瞳だけが、綱吉を追いかける。
「――――」
肩で息をしながら、綱吉は気力を振り絞ろうとした。リボーンは椅子を立って窓辺に歩く。
背中に……のしかかってる二人を、せめてベッドまでは。そうは思うが気力ごと体が潰れた。ヘナヘナして膝が折れると、両脇の二人がベシャッと落ちた。
「つ、つかれたーっ!!」
その場に蹲る綱吉の後ろで、リボーンは窓の上方を見やっている。
小さく朧に光る生き物は、すぐに、見えなくなった。
「龍。大物だな」
「み、水っ……。もお汗だくだくっ。最後まで運んでくれてもいいのに!」
タクシーじゃねえだろ。ボヤいて、リボーンはフローリングに倒れている二人の少年を順に覗きこんだ。
試しているのか、黒髪の少年のほっぺたを指でつつく。反応はない。
「ふん。全身抉るって話はどーなったんだ、ヲイ」
「あ。リボーン。変なことしないでよ」
台所から牛乳パックを片手に、綱吉が戻ってくる。顔の汗をシャツの袖で拭いながら説明を試みた。
「なんていうか……。都の人たちの邪気を払ってもらったんだけどさ、そしたら、今度はみんなでヒバリさんと骸に襲いかかったんだ。街を守るとかいいだして……。つい、連れてきちゃったんだけど」
「つい、ねえ」
リボーンは、呆れて肩を竦める。
失神している二人は、うつ伏せになって浅い呼吸を繰り返している。服はボロボロだが外傷もない。
「……。ま、好きにしろ。空き部屋でも渡しといてやれ」
「うん。あ、物置、新しいのを庭に作らないとまずいかも。だしていいの?」
「ひとまずツナの部屋にいれとけ」
「え、えええ……」
不満げに呻いたが、綱吉は自分の寝室に引っこんですぐ服を着替えて出てきた。タンクトップに膝丈の短パンだ。
リボーンは、髪を整えて、帽子を頭に乗せた。姿見で角度を確認する。
綱吉がライトブラウンの瞳を丸くするが、何か言う前に兄はウキウキしながら手を振った。
「ちょっと出かけてくるぜ。今夜はウマいもんでもパーッと喰おーや」
「へ? そ、そんなお金は――」
ちっち、と、人差し指が左右に揺れる。
「あてが出来たからおごってやる。歓迎会もかねりゃいいだろ? 魔王さま御一行だ」
水槽に手をいれて、ペット兼友人のカメレオンを帽子のフチに同行させる。黒のスーツにハットを合わせた、リボーンのいつものスタイルに似合っている。
口角を引き攣らせつつ、綱吉は暗い声で尋ねた。
「まさか……。賭博か?」
「問題ナシ。勝ったんだからな!」
しょせんはリボーン、他人の忠言はろくに聞かない。わかっているので、綱吉は出かけていく背中に「いってらっしゃい」としか言わなかった。
機嫌が悪く聞こえるように唇を窄めたが、効いているかは、ナゾだ。
ごくごく。ひとしきり、水分を補給したあとで、綱吉はお尻をつけるくらいに屈み込んだ。二人とも、寝ているとあどけない顔をするもんだと思った。
(……リボーンに運んでもらおうと思ったんだけど。な。あ)
仕方ないから自分でやるしかない。
左右の手で、二人の上着をがしりと掴み、ずるずると引き摺った。綱吉の脳裏に浮かぶのは真珠の瞳だった。
最後に、ニコリと、笑ってくれた。
「答えは宿題としよう。また首都の水脈を泳ぎにくると良い」
(――答える前に家についちゃったもんな――)
精霊の時間潰しかもしれないが、綱吉には魔王の息子を殺せに次ぐ難題だ。
わからないものだ。龍は言った。少年二人を抱えて帰路についた綱吉を、家まで送る道中でのことだ。
――殺すつもりできたくせに手のひらを返す。騙すのに救うこともする。そういう風にできているのかね。アトランティス以来の大水没がやってきたとき、ツナヨシたちの祖先は生き延びた。他は見捨てられた。しかし、この首都のそこらじゅうに亡国の名が記されている。
――狡賢くて卑小な生き物なのに、後悔は多い。その性質――苦しくないか? 実に苦しくないか?
「アトランティス……」
初めてきく単語だ。口の中で響きを転がしてみても何もわからない。
(……オレに!)綱吉の寝室は、カーテンが仕舞っているから薄暗い。
(難しいことは聞かないで欲しいな。八割方わっかんない自信が満々なんだからさァ)
げふ。そこで妙な堰が出る。
血走った――黒い瞳が、せりあがってきた。リボーンのパジャマは彼には大きかったようだ。手の甲まで袖に隠れてしまっている。さすがに着替えさせるのは無謀だったかと綱吉はさっそく後悔した。
ヒバリは、綱吉の首を強く締めたまま、前後にがくがくと揺さぶった。
「で? 言えないの? これは一体どういうこと?」
「……なっ、なりゆぎ……?」
「君が反則したのはわかってるんだよ。なりゆき? どこが? 水脈は? 龍は? きちんと喋りなよ、ほら!」
「えっぐ。じま、じま……!!」
(絞まってます!! 手ぇはなしてっっ)
ベッドから後退ろうとするが、許されないのでヒバリの腕にツメをたてた。彼はいきなり手を放した。
「うだぁっ!」
咽せながら、綱吉は尻餅をついた。
ヒバリが完全に体を起こして、キングサイズベッドの端で仰向けになっている骸を睨んだ。リボーンのパジャマは彼にも大きくてブカッとしていた。
「あ、あの。あのっ! なんか都の人たちと魔物の気配がおかしくなってきて――。危なかった……、あ、ちょっとです。ちょっとヤバそうだったから、とりあえず、いっしょに……」
「洗脳しといたヤツもいたからね。それよりも水脈は」
頬杖して、不機嫌な帝王と化している少年に、綱吉はつい膝をただして正座を作る。
「す、水脈は――。しばらく……。閉じておくって、精霊さんが……」
「へえ……」
「い、一時的ですよ、きっと!」
保証はないが言わずにはおれなかった。
「幻界にひっこむワケね。へーえ。へえー。へえ? ふーん。へー」
「い、いいじゃないですか?! 世界征服なんて面倒臭いですよ?!」
「きみ、何かきいたの? 僕らの悲願をなんだと――」
ヒバリが黒目を奥にすぼめる。
のそ。と、持ち上がったものは、骸の細い右腕だった。
気だるげに自分の前髪を掻き上げて、耳に引っかけると、骸は肘をつかって上半身を起こした。
「……僕『ら』? ら、は、いりません」
「いつから起きてた? 変態が」
「誤解ですよ」
その会話で、パジャマに着替えさせたときには骸が狸寝入りしていたと綱吉も気付く。骸もヒバリも二人で会話を進めていった。
「誰が君っていったの? 僕は背中の子らに向けてるの」
「ほー? マザコン。ブラコン。ファザコン」
「色情魔。ゲス。死ね」
「死んでください」
淡々と敵意を叩きつけ合う姿に――、もうひとつ、思いだした。
これで兄弟仲がよければまだマシだったと龍がボヤく一幕があったのだ。街に墜落した二人の息子を、龍の背に回収したときだ。
綱吉は、おずおずと、声で割って入った。
「ふたりとも。あの、迷惑だったらすみませんでした……。でももう少しで二人ともリンチされてましたよ」
「……」「……」
徐々に……、魔王兄弟は互いの視線を外した。
骸がまたごろりとする。頭の後ろで腕組みして、あくびをかいた。
ヒバリは、部屋の隅までスリッパを拾いに行く。
「ま、水脈が閉じても、また別の魔力配給源を見つけるだけです」
「僕が征服しといてやるから、骸はそのまま永眠すれば? 平和になるね」
「くははは。つっまんないジョークですね」
「かなり面白いよ」
「ふ、ふたりとも……」
めげずにまた口を挟んでみると、二人は示し合わせたかのように真剣に呟いた。まおうになるのはぼくだ。ぼくです。
骸が、鼻を鳴らす。ヒバリは背中を向けた。
「上等です」
「ふん」
「あ。ヒバリさん、どこに――」
「水」ぺったぺったとスリッパを鳴らし、勝手にリビングに行ってしまう。骸はベッドをごろごろしている。
「ここに連れてこられた経緯はわかりましたけどー。ねね、これって綱吉くんの枕ですか? 君の匂いが」
「アッ?! ちょ、ちょおお、頬ずりすんな!!」
綱吉が仰天している間に、台所からドカドカした破壊音が聞こえてきた。綱吉は図らずも呻いてしまう。
「も、もしかしてオレ、とんでもないものを連れこんだんじゃ――」
「ミネラルウォーターないの? このボロい家は」
「ひ、ひばりさんっ?! 蛇口の水がイヤなら湯冷まし呑んどいてくださいっ」
慌てて身を翻す、と、ベッド周りのものを勝手に手にとりまくる骸も気になった。台所で何かが割れる音がする。
(り、リボーンはやく帰ってきて)
やめてくださいと二人に交互に叫びながら、綱吉は、まだ明るい窓の外に困った眼差しを送った。
(……そんでもってオレを助けてよ!!)
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