「……? わかんないです」
「胎児の遺体だ」
「ぶっ!」噴き出した綱吉に、ぎょろんと青い瞳が向いた。
「魔王は自らの死後に何も残すまいとした。五十人もの妻も我が子も道連れに殺してから死んでいった。だが、女がひとり、双子を身ごもっているとは気が付かなかった」
(双子)ヒバリと骸を思い浮かべてみて、不思議に感じる。
「彼らではない。遙か昔に、双子の片割れは死んでいる」
 先回りして龍が答えた。
「双子は魔王と女が死んでも生きていた。魔王は氷山の割れ目を死に場所として選んだ。胎児は彼らの死後も胎動を行ったがやがて片方が凍えて死んだ。あとの片方は姿を変えてしまった。魔王と女たちの遺体を喰らい、カスミとなって氷山を包んだ」
「……それでも生きてるんですか?」
 化け物の生命力は想像を絶するというが、綱吉には実感が沸かない。ぐんぐんと尾を上下に蛇行させて龍が空へあがる。
「生きている。そして、十五年前、ひとりの女が氷山を訪れた」
 二千年の歳月は氷を溶かしたが、カスミが永らくヒトを寄せつけなかったと龍は語る。
(……不死山のことかな?)
 あそこは、化け物が多いし、今でも人間が立ち入れる場所でもない。
「女は身籠っていた。身投げをした」
「その女の人の子どもが……、ヒバリさん? 骸さんですか」
 龍の青い眼が、戦火に光る地表を見下ろした。そうして頷いた。
「それが遺児だ」
 鋭い刃を綱吉に思わせる言い方だ。
「カスミは女の胎児を引き裂いて我が身に取り込んだ。ヒトの子供、死んだ双子の片割れ、カスミとなった双子の片割れ、彼ら三体の遺体は混じり合って溶けた。そこから二人の遺児が産み落とされた」
「三人から、二人が?」
 言ってから、カスミと呼ばれるものが喉に頭に引っかかった。
「ヒバリさんと骸が背負ってる黒いモヤって、もしかして――?!」
 カスミ。彼らの背中にあるのは、黒い粒子のモヤで成り立って、霧のような、それ自体が自立して動いている不思議な羽根だった。
 血の気が遠のく音を聞きつつも、尋ねた。
「背中の? あれが三人目の遺体だっていうんですか?」
(――いや――、一人じゃないんだ。今の話が本当ならあの羽根の黒い粒は)
 龍は明確に答えてくれた。
「そうだ。彼らの半身でもある双子のなれの果てであり、二千年の間に殺された無数の犠牲者の塊でもあり、女であって魔王でもあると言えるものだ。哀れな二つ子だ……。死の苗床から生まれ育ち、死のカスミを常に身にまとい、その他には何も懇意にするものがない」
 彼らは生まれたときから二人であって三人で、何百人でもあって、そして本当はたった一人きりだ。
 綱吉は、知らずに首をぶんぶんと振っていた。途方もない話に聞こえた。
(わけわかんないし……! 化け物じゃないか)
「けれども、皮肉なものだ。死のカスミこそが彼らを魔王の遺児であると証明する」
(おじいちゃんはオレを殺す気か? そんなものと戦わせようとするなんて!! ムリ!!)
 青い眼で睨め上げられると、綱吉は動きをピタリと停止させてしまう。都に入ってから感じた――例の、何かに呼ばれる感覚がまたやってきた。
 真珠の瞳と、真っ直ぐに見つめ合う。
「わしを助けるんだったな。ツナヨシは二つ子を殺しにきたんだろう?」
「ど、どして、それを」
「最初から見ていた。知っている」
 光が螺旋を描いた。
 まったく熱くはない。水みたいに清々した光だ。螺旋のまま――落ちていく。街に。
 争いが止まった。
 首都上空に停留する精霊を誰もが見上げているんだと思った。綱吉は、耳を澄ませばどよめきが聞こえる気がした。
「あ、わわわ。なんか」
(えらいところにいるなコレは!)
 龍は伝説で語られるような存在だ。
 騒ぎが大きくなるのも、白龍がどんどんと発光量を跳ね上げていくのも綱吉には怖くなった。
「ど、どうするんですかっ?!」
「わしは遺児を殺すべきか生かすべきかを決めかねる」
「え。ええ?」
 呼吸もまともにできなくなる。
 青い瞳が、ぐんと伸びて、綱吉の顔の真ん前にやってきた。龍は軟体動物のように首を反る。
(……――オレが決めろって?)
 無言のアイコンタクトは数秒だ。
 綱吉は、タテガミを強く握りながら下を覗きこんだ。ヒバリと骸が低空で龍に驚いている。
 背中から生やしているバカでかい羽根の粒子は、密集したところでぶつかりあって混じり合い、ヴヴヴヴンと細かく動いた。
(これが、魔王と、女の人たちの遺体と……胎児のなれの果て)
 遺骸だと思うとおぞましさで息がつまる。耐えるために、思いつくことは何でもいいから口に出した。
「あの。精霊さんは、なんであの人たちを知っているんですか?」
「うん? 魔王の時代からわしは居る。ミズに棲みつづけてきた」
「幼馴染みみたいなものですか」
「…………それは違う」
 青い真珠が呆れている気もしたが、綱吉はボンゴレの散弾銃を手に取りだしていた。鈍く金に光るボディを視線でなぞる。
「オレ……。はっきり言っちゃうと自分より年上のヒトの考えなんてよくわからないし、ちゃんと気に入ってもらえるような言動ができてるか自信がないんですけど」
 リボーンと祖父の顔が、立てつづけに浮かんで、消えた。
(おじいちゃん。……本当はオレに死んでもらうつもり……じゃないよね?)
 魔王がどれほど偉大か。人々に信仰されているのか。綱吉も知っている。その息子を殺せだなんて、バカげた命令だ。
(――リボーン!)縋るようにして、唯一、心を許せる相手の名を呼んだ。しかしここにはいない。
 目を閉じる。綱吉は冷たい拳銃に祈った。もしかしたら、今、この精霊は時間を止めているのかもしれないと思えた。
「あの人たち……。まだ十五歳なんですよね」
「そうだ。生まれて十五年目だな」
「オレも、十五歳です。おれ……、見ての通りにダメダメだし、誰かに助けてもらえないと何もできない。そんなオレがヒバリさんと骸のことを決められません」
 思い返してみれば二人とも妙に人間臭いところがあった。ジュースもおごってくれたし助けてくれた。
 ずっと下にいる二人に、目を凝らせば、黒い瞳とオッドアイは揺れていると感じられた。彼らを揺らしているのは不安だ。
 眉間にシワが縦に寄る。
 おじいちゃん。ごめん。オレ、もう二人を殺す理由がわからない。
 綱吉が呟いたのとほぼ同時だ。
 暖かい。龍の体からこぼれた光が、綱吉の体をくるむ。そうなってみて気付いたが、これは光ではなく、すべてが、光るミズだった。
 綱吉の目と鼻の先で、青い真珠が――爬虫類の目玉のように、虹彩を外淵に広げる。
「なるほど。しかし、わしは振りあげたこぶしは降ろしたくないのだが?」
「…………あ」
 体に触れてくる暖かいミズは、殺気も熱波も打ち消している。綱吉は白龍の伝えたいことを肌で感じた。
 にこりとして、両腕を空に広げた。
「浄化してください! アナタならできる! ヒバリさんも骸も、この街も住んでる人もみんなっ、アナタのミズで清めてください!」
 ふ、と、龍が笑った。黄色い牙が覗いた。
 空気が裏返ったように感じを変えて水滴を産み落とした。生まれたばかりの雨が綱吉と龍をゆるやかに濡らしていく。
 鳥と狼を合成して、さらに、もっと猛々しく神々しい生き物にした何かの咆哮が、綱吉に応えた。
 ――了解した!

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