一満の桜がごとく!
第9
話:だから夢でであえ 

 



 わずかな、細い、白光が浮かんでいた。一人の少年が大股で歩む。付き従うのはリーゼントの大男。少年は、肩にひっかけたガクランをはためかした。
「今後、こういう取次ぎは一切禁止。興味がない」
 つんけんと言って、応接室のノブを回す。
「僕には決めてる人がいる」
「えっ。委員長、もうお相手がいたのですか」
「・……そうじゃない。でも僕には約束してる子がいるから」
 大男は、眉を寄せて応接室の中ほどまで進んだ。少年に向き直り、ピシリと頭を下げる。リーゼントが大きく上下に振れた。
「それはとんだ失礼しやした。その人は、並盛にいるんスか?」
 机の真前にたったヒバリは腕を組んだ。
 慌てて発言を撤回した彼には溜め息をみせて、首をふった。
「知らないよ。ずっと、焦がれてるんだけどね」
 ぼそりとしていた。草壁にすら聞こえない。
デスクの上に書類を放り投げると、風紀委員長はソファーに体を横たえた。
「一時間で起きる。それまで、決算すませておいて」
「ヘイ!」草壁は携帯電話を取りだした。雑務は部下の仕事である。携帯のコール音が響く中で、ヒバリは目を閉じる……。……綱吉は、引き攣りながらリボーンへと視線を移した。
「ヒバリさん、ぜんっぜん違う夢を見ちゃってるじゃん!」
「過去の出来事みてーだな。……何年か前ってところか」
 眉根をよせ、じぃーとヒバリを見つめつつ、リボーン。黒髪が今より短いことに気がついたのだ。
 物珍しげに首を巡らすのは獄寺で、無言で白光を見つめるのは骸だ。一同は、黒く塗りつぶされた世界で、透明の地平線の上に立っていた。
 白光は徐々に細くなる。完全に消えると、綱吉が頭を抱えた。
「これって夢を見てないってことぉ?!」
「そうだな。まぁ……。オレらはヒバリの中にいるんだ。こいつの夢もコントロールできるはずだぜ」
 どういう意味だよ。綱吉が低くうめくのとほとんど同時に骸が呟いた。人差し指のなかごろを顎にあてて、思案しながら囁く。
「つまり。夢を自由に再現できる――……、祈れば実現する世界であると?」
「最終決定権はヒバリにあるぞ。ヒバリの夢だからな」
 ほう。喉をならすと、骸は平手を合わせた。
「ヒバリサンの許容する範囲で祈れば良いのでしょう」
「そ、そうすればいいの?」
 綱吉が真似る。獄寺も真似た。
 物音ひとつしなかった。目を閉じてもあけても真っ暗で現実感が酷く遠い。深呼吸の後で、囁いた。神社に祈るみたいな格好だとうめいた綱吉であるが、
「……よし」
 そのために、却って集中ができるのだ。
(ヒバリさん。オレです。聞こえますか)
(思い出してください。オレと初めて会った時のこと)
(あなたが疑ってる人とヒバリさんとが、どんな出来事を持ってどんな関係を持ったのか知らない。でも、きっと、それは)
(――本当にオレなんだと思うんです)
 これもひとつの直感なのだろうか。
頭の片隅で思う。……やがて、視界が、白く縁取られた。
(やった?!)平手を握りこんで、バッと視界をあける! が。
「ぎゃっ、ぎゃああっ?!」
 骸の顔面が鼻先にあって、少年は仰け反った。
 彼は指の中ごろを人差し指に当てたポーズを再びやっていた。考えるように、感心したように、綱吉を眺め回す。
「ほんっとうに深層での願いを聞き入れるようだ」
「は、はあ……?! ってリボーン?! 獄寺くん!」
「残念。二人きりですよ」
 二人の影は跡形もなく消えていた。透明の地平線に立つのは、骸と綱吉だけだ。
「お、まえ。この後に及んでまだオレを」
 少年は、肩を竦めた。「骸さんの思い通りにはならないよ!」
まんじりとした瞳で綱吉を見、手を伸ばす。同じ分だけ後退るので、届かなかったが。足が歩み寄っていた。綱吉の後頭部から伸びた毛筋が、骸の顎をくすぐった。
「――っ?!」
 唇を指で摘まれて、目が白黒とした。
「イタリア人にはゲイが多いってウワサ、本当だったみたいですね」
「は、はにふぉ……っ?」
 冷えた輝きを瞳に灯して、骸が言った。
「へんたい。君は僕のパートナーにする。僕だってイヤですけど。これは――、いわば運命なのだから了承してもらわないといけません」
 摘んだまま、擦らせただけの口づけをすると一歩を下がった。
 必死に拳を固める綱吉を――以前のように拳銃を握らされるのではないかと警戒しているのだ――嘲笑うと、両手を肩まで引き上げる。
「冗談ですよ。どうも、今の僕らは意識体のようだ。手ぶらです」
「えっ? あ。け、携帯がない」
 ポケットを探り、愕然とする綱吉に骸が頷く。
「フゥ太くんのことを覚えてますか。僕のマインドコントロールは、触媒になるものがなければ成立しないんです」
(……何を考えてるんだ?)いささか訝しく感じるのは、骸が自ら進んで能力を暴いたからだ。辺りを探ったが、黒いばかりで人らしきものは見えなかった。
「リボーンと獄寺くんは、どこかに飛ばされたのかな」
「さぁ。しかし、よっぽど真剣に祈らないと効き目はないようですね。ずいぶん正確に人の深層を読み込んでくる」
 半ばゾクリとして、綱吉は瞳だけを動かして骸を見遣った。この細身の少年は、黒曜中の制服を着込んだ彼は、それだけ真剣に機会を窺いつづけていたということだ。
「ヒバリサン個人の性格も多少関連しているのですかね……」
 考えながら囁き、骸が再び手をあわせる。
「……骸さん、協力してくれるんですか?」
 少なからず驚きつつ、綱吉。同じく、両手をあわせた。骸は唇だけニヤリとした。
「まさか。やれることがないなら、僕は、楽しむだけですよ」
 その意味を図りかねた。綱吉が動きをとめる。
「はい?」聞き返したときには、すでに視界の縁が白くなっていた。あけるのが恐ろしい! 胸中での叫びもなんのその。腕をグイと捕まれて、開けざるを得なかった!
「せっかくの逢瀬だって言うのに、もう寝てしまうの?」
「ひ、ひばりさん?」
 上に圧し掛かる影があった。
 まっすぐに伸びた長髪に戸惑ったが、その顔は確かに雲雀恭弥その人である。ヒバリは鞠の散りばめられた赤い着物で全身を彩っていた。
「お、おんなもの……?」
 ひやりと背筋が寒くなる。綱吉は白を基調にした和服だ。世界は薄暗かったが、それでも綱吉は、自分が布団に横になっていることがわかった。和室の真中で、ヒバリに乗りかかられているのだ。
「それとも将軍さまは他の女どもに構うのが忙しくてぼくの相手なんかしていられない? ねえ」
「な、何を言ってんですか。ヒバリさん。ちょ、っと、どいてくだ、さい!」
 渾身の力を腕に込める! ……ヒバリは、あっけなく突き飛ばされて、畳に倒れこんだ。
 ヒエエエと喉を凍らせる綱吉だが。黒目が潤むのを見てもはや真っ白になる以外の道がない。ヒバリは両手を目にあてて、背中を丸くした。
「こ、これも夢……?! ああ、ヒバリさん泣かないで! っつーかヒバリさんじゃないんだろうけど?! っあ、でもその顔で泣かれると夢でもめちゃ怖!!」
 しかし彼は泣いてはいなかった!
 綱吉が慌てて近寄るのとほぼ同時、
「ぎゃっ?!」布団に突き倒されていた。
 着物をわずかに乱していた。短刀が喉に突きつけられた!
「ぎゃああああ!!!」
「綱吉さま。ぼくの愛がわからないっていうの? 君はぼくに愛されるのが一番しあわせだって、毎晩、教えてあげたつもりなのに――!」
「な、なに言ってんです、かあああああ!!」
 指をピクピクさせつつも、綱吉はハッとした。フスマに影が映っている。
「骸――っっ!! テメー、どんだけ豊かな想像力してんですか!!」
「テメエはないんじゃないですかァ」
 にこにことしながら、彼はふすまを開けた。月明かりを背にする姿は、七、八頃の子供ほどに縮んでいた。ヒバリが喉を鳴らす。
「むくろ。お父さんの様子を見にきたの?」
「ぶっ!!」「そんなところです」
「ダメだよ。母さんと今から遊ぶから」
「ま、マジで頭ンなかどうなってんだよ……」
 戦慄とともにうめく綱吉に、あっけらかんと笑顔をみせる。骸は物珍しげに袖口を摘んでいた。
「僕の祈り、君のよりも競り勝ったみたいですね」
「どーゆー思考回路でこんなのが祈りの対象になるってんですか!」
「この前、再放送を見たんですよ。江戸時代のオオオクっていうんでしょう? ジャッポーネの文化」
「……実は、オレが思ってるより数倍は楽しく逃亡生活してたりする?」
「かもしれませんね。君の想像など知ったことじゃないですが金ならあります」
 得意げに胸を張る子供。コメカミがピクピクするのを感じつつ、さりげなく短刀を押し込めてくるヒバリへと向き直った。
「離してください! この夢は終わりです!」
 ぼひゅん! 煙を噴き上げ、ヒバリが消えた。
 愛してる、なんて囁きがほのかに聞こえた気がしたが無視である。
(なんなんだ!)綱吉は、真っ赤な頬を両手で隠した。
(本当のヒバリさんじゃないんだし! なんなんだよ!)
「本気で祈りましたね」
 なぜだか残念そうに聞こえたが、綱吉は気にしないことにして起き上がった。ヒバリが消えると同時に和室も消えていた。元の、透明な地平線。綱吉も骸も元通りの学校指定の制服姿である。
 骸は、すぐさま祈りの体勢に入った。
 ぜえぜえと肩で息しつつ、綱吉も慌てて祈りを始める。骸がニヤとするのが垣間見れた!
「あのですね。妨害やめてくださいよ?!」
「気を散らしていいんですか? また負けますよ」
「困るっていうか張り合う意味がないですよ」
「いいえ。ありますね。君が負けるのを見るとスッとする。自慢じゃないですが、意思の強さならば人一倍あります」
「自慢だろーがそれは――っっ!! ていうか何その理由っ?!」
 絶叫と同時に、三度、視界の縁が白くなる!
(ヒバリさん! ヒバリさんヒバリさんヒバリさんヒバリさんヒバリさんっっ!! 思い出して!!!)
「今度こそオレとヒバリさんの過去だっっ!」
 意気込んで目を開け、綱吉!
 だが! 視界の一面を桜が囲んでいた。
「へっ?!」手には四角く細長い筒。隣の骸が、顎を引いた。
「勝った」と呟き拳を握るその姿は。大正時代の学生そのものだ。袴を着込み、学帽を深く乗せている。
「これも再放送でみたんですよ。なんだか、壮大そうなドラマでしたが」
「どこの大河ドラマみてるんですか……って、なんで女物!」
 巨大な桜の下で男子学生と女学生が肩を並べているのだ。ドラマのワンシーンである。女学生は、肩を完全に怒らせて卒業証書を丘の上に叩きつけた!
「あ。そういうことすると、第二ボタンあげませんよ」
「も、もお本気で付き合いきれないですよ。勘弁しろよ!!」
 頭を抱える綱吉をニコニコとして覗きつつ、彼は、人差し指が左右に振った。綱吉は夢を終わらせるべく祈りかけたところだ。
「待ってください。ちゃんと実現できてるのか、確かめないと」
 ニコニコを崩さず、ぺたん。
「…………っ?!!」
 ざざっと血の気が引いた。
 胸に両手をついたまま、骸は指先をうごめかした。
「すっごいもんですね。さっきのヒバリサンもそうでしたが。胸がありますよ」
 背筋が震える。鳥肌どころではない。この世の終わりであるかのよーに、大絶叫をした!
「ぎゃあああああ――――っっ!!!」
「見たトコ、ずんどうですね。Aカップってところですか。でも肌はスベスベと。このさじ加減はヒバリの趣味ですかね」
「いっ、言いながら揉むな――っ!」
 後退ろうにも背後にあるのは桜の幹だ。
 ひらひらとピンクの花弁が舞い散るなかで骸が朗らかに歯を見せた。
「このまま犯してみたら妊娠できるんですかね?」発言自体は朗らかではない。
「あああああほですかぁああああ!! 大正時代の学生らしく少しは恥らってくださいよ!」
「冗談ですよ」
「冗談が多すぎだ!!」
 ぼひゅっ。煙が噴出し、桜が消える。
骸が揉み解していた胸も消えて、彼はいささかつまらなさそうに口を曲げた。「夢とは時に残酷ですね……」
「いっそのこと、本当に女ならいいんじゃないですか? 君は」
「う、うわあああっかっぎゃあ!!」
(ダメだ。本気で目眩がしてきた!)
 グラグラとした視界を必死で支えるあまりに叫び声も意味不明だ。
 だがそれでも、骸が、存外にマジメな顔で言葉を繋ぐのは聞こえた。
「ヒバリにとってもそうであると思いますけどね」
「……は?」くっと喉を鳴らし、骸は、背後から両手を伸ばした。
 綱吉の胴体を抱えこむ。耳の裏側から声がとどいた。
「ほら。こんな体を抱いてもつまらないでしょう?」
「ひいっ。や――め――ろ――!!」
 明らかな意思をもって腹を弄られて、慌てて綱吉がダッシュする! 囁く声だけが少年を追った。
「この世界だとどこまでも行っても僕と二人きりだと思いますけど」
「あああっ?! もー骸と二人きりイヤ――っっ!!」
 ――ふっと全てが暗くなる。黒い上に、さらに。
(えっ?!)次には白くなって、唐突な変化に足元が揺らいだ。数秒間、どこにいるのかわからずに浮遊感に全身を預けた綱吉だが。
 届いたのは、獄寺の嬉しげな叫び声だった。
「どこに行ってたんスか、十代目!!」
「ご、獄寺くんっ?!」
 ふいに、現実感が蘇った。
 背後に骸はいない。元の、黒い世界だ。
「何もされてないですか? 今、リボーンさんと手分けして探してたとこですよ!」
「そ、そうか。さっきのが」
(本気の、心からの祈りだったんだ)
『骸と二人きりがイヤだ』。その願いを、ヒバリが聞き入れたのだ。綱吉はにわかな感動を抱いたまま、真っ黒い天上を見上げた。
「……さっきみたいな感じを、もう一度やれば……」
「十代目?」獄寺が、俯く綱吉へと気忙しげな瞳を向ける。
「ううん。大丈夫。えらい目にあったけど、今度こそオレとヒバリさんの思い出をみよう。できそうな気がする」
 目をパチパチとさせたが。その言葉を受けて、すぐに口角を引き締めた。ハイッと威勢よく返事をして、注意深く辺りを見回す。
 綱吉は両手を合わせた。今度こそ、だ。
 先ほどのゴタゴタでいくらか精神的なダメージは受けたが、まだ諦めたわけではない。
 気を取り直すのに五分ほどかけて、綱吉は心身を静粛に鎮めさせることに成功した。額がツンと痛くなるほど、全身が緊張していた。
(ヒバリさん。思い出して。オレのこと。オレとの記憶!)
 もはや何度目の感覚が。視界が白く明るくなった。
 綱吉はそろりと目を開ける。足音がしたのだ。それはゆっくりと歩み寄る。世界は、黒に包まれたままだった。隣で、獄寺が困惑のうめき声をあげた。
「十代目……?」
「――――」影から現れたのは、長身の青年だった。
 藍色のスーツ。尻尾のように、後れ毛だけを伸ばしたスタイル。歩くたびに左右に揺れて、視界になだらかな軌跡を植え付けた。
 彼は、綱吉と獄寺を見比べると、ニコリとブラウンの瞳を笑わせた。
「これが……オレ?」
「そういう君もオレみたいだね」
 十年後の綱吉は、楽しげに笑いながら辺りを見回した。
「どこ、ここ? 状況がよくわからないな」
(た、たしかにオレとの記憶かもしんないけど……?!)
 引き攣る綱吉だが、瞳は興味深げに自らを眺める。十年後の――ボンゴレは、童顔ながらも均整のとれた体つきをしていて、見事な美丈夫だった。
「うわ。やっぱすっげーカッコいい」
 思わぬ再会に歓喜したのは獄寺だった。
 ボンゴレはにこりと特上の微笑みを与える。瞬時に顔を真っ赤にさせた彼をどこか複雑そうに見遣る綱吉である、が。
「……ねえ、隼人。君もこう思うだろう?」
 発せられた声音は存外に冷えていて、ギクリとした。
 貫くような眼差しが、……あるのだ。
「ボンゴレにニセモノはいらない」
「えっっ」獄寺が目を見開いた。
 瞳は微笑みの形を保っているが。
 懐へ伸びる片腕。引き出されたときには、拳銃のグリップが拳におさまる。照準は迷いもなく綱吉を中央に置いた。瞳の奥を凍らせて、ボンゴレが言った。
「二人もいらない。どちらが死ぬべきだ。そうだろ?」


 


 

つづく!


 

 




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