一満の桜がごとく!
第10
話:桜と夢、再会と真実 

 



「君はオレの部下だ。信頼しているよ」
 拳銃に口づけ、ボンゴレは獄寺へと歩み寄った。
 呆然と見上げる二つ目に、うっそうと微笑みをかけて、グリップを握らせる。
「だから、それを殺して?」甘く、睦言のように。微笑みが崩れることもなく。
 腰を折り、獄寺の首筋へと吐息をかけ言葉をかける。少年が指先まで真っ赤になるのを、綱吉が呆然と見守った。
「隼人。かわいい隼人。できるね。君ができないならオレがやる。……部下が、非道だと躊躇うことでも、実行してみせるのがボスってものだからさ」
「ごく、でら……、くん!」
 振り返った瞳に、はっきりした迷いを見つけてギクリとした。
「タイムパラドックスってわかる?」ボンゴレの言葉は軽やかだ。
「同じものはね、一緒に存在するとどっちかが淘汰されちゃうの。隼人、これはせめてもの情けなんだ。十年前のダメなオレとはいえ、君に殺された方が気持ちいいだろ?」
「気持ちいい……?」感情もなく反復して、獄寺。
 ボンゴレが硬く頷いた。十年の歳月で背丈が伸びたために、ボンゴレの唇と獄寺の額とが真正面からぶつかる位置にある。ち、と、青年が浅く額へ口づけた。口づけながら、グリップを握る獄寺の両手を、さらに上から握りしめる。
「迷う必要があるのかい? ……隼人ならできるよ」
「……オレなら?」
「そう。血の雨を見せて!」
 にっと微笑み、ボンゴレが獄寺の背を突き飛ばす!
 尻餅をついたままで、綱吉は獄寺を見上げた。銀髪の少年は、だらりと両腕を下げて俯き、顔をあげようとしない。綱吉の喉が震えた。喉の、細い咽喉の内側が凍りついたようで、声がでない。
「……っ、――――」
 銃口が上向く。綱吉を捉える。
「そう。そうだね。隼人」愛しげに囁き、ボンゴレが両腕を組んだ。が。愉悦にきしんだ瞳は、数瞬後には苦痛にゆがんだ。
「?」素っ頓狂な眼をして、ボンゴレが右腕を抑える。貫かれて、鮮血が糸を垂らしていた。
「なんの……っ、つもり。かな? 隼人!」
「見たまんまだぜ。ちくしょお!」少年は、ボンゴレ十代目へと右腕を伸ばしていた。カタカタと小刻みに揺れながらも、銃口は紫煙をけぶらせる。
「テメーなんざ知らねえ……っ」
 ゆるゆる頭を振って、獄寺が叫ぶ。
「オレがお慕いしてんのは沢田さんだ!!」
 銃口が、再び意思をもってボンゴレへと牙を剥いた!
「果てろォオ――ッ!!」
「ほんっっと!」ばあんっ。破裂音と同時にボンゴレが駆けだした!
「君はかわいーよ隼人くん! バカすぎてね!」
「バカ言うんじゃねーよっ。さっきのダメ発言も撤回しやがれこのニセモノ野郎っ」
「ご、獄寺くん」目尻にうっすら涙を浮かべたまま、綱吉は肩で呼吸をしていた。十年後の自らの姿と言動と。殺害予告とで、心臓が破裂しそうなほどに浮き上がっていた。
 獄寺が大きく頷く。瞳だけが、綱吉を振り返った。
「正直、沢田さんを頼りなく思うときもありますっ」
「ぶっ! な、なにを?!」
「でも違うんス。オレはいつだって沢田さんを見てる。そのせいで見失いかけてることも、見失わずに済んでることもいっぱいあるンだと思う」眉と眉のあいだには深く大きなシワができていた。
「マフィア? ああ、沢田さんは十代目候補でオレはその右腕候補だ! だがなぁニセモノ! オレは、それだけで」はっとして見返すのは綱吉だ。
 素早くゆらいだ瞳は影をおいかけた。ダダダッと銃弾を地平線へと叩き込む!
「それだけで、沢田さんについてるワケじゃねーんだよ!!」「ごくでらくん」
(あそこに格好イイほうのオレがいるのに、そういってくれるの?)かぁっと脳天に熱が昇った。以前、十年後の十代目がすてきだと騒ぎ立てて、感激していたのは誰だったろう。
「ま、負けないで!」夢中で綱吉が叫ぶ。しかし銃弾のほうは、全てかわされていた。
 地を這う蛇のように、蛇行してボンゴレが迫る!
「さっきの一瞬が許せねーッス」さらなる銃弾を浴びせつつも少年は独白を続けた。
「一瞬でも、どんな短くても沢田さんに銃口を向けるなんて」
「そんなことない。うれしかった。獄寺くんは撃たなかった! ありがとう!」
「沢田さん。そんな顔しないでくださ――って、ぜんぶテメーのせいだってわかってんのかオラァッ!!」ぶんっ。弾切れした拳銃を投げつけた。
 ボンゴレは後ろへのワンステップで避ける。
「感動してるとこ悪いね」ニヤリとして目前に迫る青年。
「危ない!」綱吉が叫ぶが、しかし獄寺はニヤリと笑み返した。
「テメーなんざちっとも十代目じゃねえ!」
「はははは! ぶっ殺す!」
 茶色い瞳をひん剥いて、ボンゴレが拳を固める。
「獄寺くんっっ!! ナイフ!!」
 銀色の光があった。足をほつれさせながらも立ち上がるが、間に合わない!
「――助太刀は一回までだ」
 ひゅっと声が割り込んだ。
 同時に銀が吹っ飛ぶ。ボンゴレが、弾かれた自らの右手を驚いて見下ろす――その足元を、丸っこい影が駆け抜けた。憎らしげに目を細めて、顔をあげる。後頭部が視界いっぱいに広がっていた。獄寺が、渾身の頭突きをボンゴレの顔面へと叩き込んだ!
「うぐっ?!」「――っづ!」
 衝撃は、二人を別々の方角へと吹き飛ばした。
「だいじょうぶっ?!」すぐさま駆けより、抱き起こすのは綱吉だ。額を真っ赤に腫らせ、目を潤ませつつも獄寺が頷いた。
「い、石頭です……か。十代目は」
 が。綱吉の全身から血の気が引いた。
 何気なく腹においた指が濡れた。そろりそろり、引き出して眺めると、真っ赤に染まっている。
「刺されてる」
「仕事がはえーな」
 綱吉の後ろに、リボーンが顔をだした。
「おまっ……。来るの遅いよ!」ぽろりと目尻から雫をこぼして、綱吉が叫んだ。視界の端で昏倒している人影がある。ボンゴレは、顔の下半分を赤く腫らせていた。
「どういうことだよ。あのヒトは一体?」
「ホンモノじゃない。あのなぁ。夢だって言っただろ、これは」
「でも襲ってきた! 獄寺くんが刺された!」
「ぜんぶヒバリのイメージだ。十年後のボンゴレをよっぽど悪く感じてたんだろ。……それより、獄寺は起きたほうがいいな」
 か細い呼吸が、腕の中で繰り返されていた。
「ゆ。夢の中なんだろ? 実際の獄寺くんは――」
「バカ。今のオレらは意識体だ。……メンタル。心がかたちになったもの」
 赤子は、帽子の上から自らの頭を指差した。
「ここを怪我したとほとんど同じだ。集中的に療養させねーといけねえ。……まぁ、治療法さえ間違えなけりゃオーケィだ。心の怪我は心ん中で治す。獄寺の夢の中で、獄寺自身の治療をさせちまう」
「誰が?」リボーンは、惑うように綱吉を見返した。
 にじむ視界の隅では、横たわったままのボンゴレが散り散りになって消えていった。
 ひとつの夢が、悪夢が、終わったのだ。その一言を告げるのは、ダメといわれ続けの綱吉でも辛かった。
「……オレじゃ出来ないよ。どうしたらいいのか、わかんない。リボーン」
「だろーな。てことは、ま、オレしかいねーと」
 喉を浅くしゃくりあげつつも、綱吉がうめく。
 リボーンは帽子のツバを下げた。獄寺は、喉を反らせてゼエゼエと荒く息を継いでいる。その指先が白く光り始めていた。
「ツナはヒバリの過去を探してからでてこいよ。――って、骸はどうした」
 ハッとして、リボーンが綱吉を見上げる。
「知らない。はぐれたままだよ」
「なに?」鋭く唸ったときには、目尻が釣りあがった。
「バカか。あの男を一人にしたのか!」
「えっ?」「ダメツナ。何するかわからねーだろーが」腹立たしげにうめいて、赤子が腕組みをした。ぶつぶつと口中でうめく。――獄寺は今すぐに治療しなきゃなんねーが骸は放っておけない、と。
 かすかに聞き取り、綱吉は慌てて喉を震わせた。
「だ、大丈夫だよ。骸は悪いことしない!」
「ああん? ざけてるのか」
「ざけてない。オレは骸を信用する」
 言っていて、ヒヤリとする言葉だった。
(……信用する!)胸中で繰り返し、リボーンを見下ろす。
 小さな二つ目は、不審を露わにして綱吉を覗き込んだ。ウンと、浅く頷く。
「ヒバリさんとの過去を見るためオレは残る。それで、骸と一緒にここをでる。だから、リボーンは獄寺くんを助けて!」
 まんじりともしない沈黙だった。
 本当にできるのか? その沈黙は、そんな言葉を語っているようにも思えて、綱吉が奥歯を噛む。
「それでいいのか?」
 数分の後に、リボーンが問いかけた。
 綱吉の返答は短かった。
「獄寺くんをお願い」
「ヘタをうつなよ。ヒバリの精神世界のど真ん中にいるんだ」
 丸っこい五指が獄寺の襟首を掴む。
 ほとんど同時に、赤子の輪郭が白くなった。
「リボーン!」「健闘を祈る」――ざあっと赤ん坊の体が闇に解ける。獄寺も掻き消えた。綱吉の目尻だけが、独りでに、神経質にわなないた。
 しんとしていた。黒い、ただっ広いだけの世界に、一人きりで蹲っている。獄寺の血は、彼が消えると同時に拭われていた。
「…………」ポトンと膝に両手を落として、綱吉は天上を見上げる。つい先ほどまで瞳から雫がこぼれるくらいだったというのに、もう、酷く乾いていて瞬きすらも痛かった。
(祈る。……いや、ダメだ。そうじゃないんだ)
(ポーズなんかいらない。ヒバリさん。聞こえてますか)
(沢田綱吉です。ここにいるんです。ずっとあなたを追いかけてた)
 暗闇からの応答はない。ぎゅううと目を閉じた。
(……おねがい。会いたい。会わせて、ヒバリさん)
 だらりと肩を下げて両手を下げて蹲ったままで。
 眉間だけを強く軋ませて、綱吉は、黒いだけの頂上へ向けて顎を上向けていた。……視界のふちが白くなる。
 やがて、開けた世界は、これまでのどれとも違っていた。
 桜が吹雪いていた。枝葉が揺れるのと一緒になって、一面をピンクが背負い込む。
 その公園は桜で囲まれていた。団地を公園を隔てる歩道、総合病院と公園を隔てる歩道。ともに無数の桜が植えてある。
「だいじょうぶ。安心してよ」
 公園の真ん中には子供がいた。二人。
 片方は四、五歳。もう片方は六、七歳。背の高い方には風紀委員長の面影があった。あったが、黒いパジャマ姿の上、その頬も両手両足も傷だらけだ。
「――――!」 綱吉は、子供を目の前にして立っていた。
 視線はヒバリではない方へと注がれたまま動かない。
 そこにいるのは、……ただの、黒い、ヒト型のシルエットだった。
「ま、まさかもしかして」
(ヒバリさん、相手をちゃんと覚えてないの?!)
 後退る綱吉を追いて、二人は指切りを解いた。
 ヒバリが目を細めた。荒い呼吸を抑え込んで、精一杯の。綱吉にもわかるほど、無理をした笑顔をみせて後退りした。
「忘れないで!」
 子供の五指は、自らの心臓を抑えていた。
「今日のこと絶対に忘れないで。僕はダメだろうけど、でもきみは覚えておいて!」
 ハッ、ハァッと呼吸が荒くなりにつれて丸い汗の玉が浮かぶが、それでもヒバリは宣言をした。
「きみは、僕が守る」
 理解しきっているのかどうか。
 それすらも怪しげにシルエットの子供が首を傾げる。苦笑しつつも、ぜえっと器官を唸らせた。
「もう手術の時間なんだ。行かないと」
 苦しげな呻き声でもあった。
(……昔は、ものすごい病弱だったのかな)
 そういえば。病院のベッドで寝込むヒバリを見たこともあるのだと、綱吉が記憶を辿る。子供は公園の外へ向けて駆けていく。その背を見送りに従い、綱吉は、愕然として頭を抱えた。
「こ、これって。何もわかんないってオチかよ――っ?!」
 軽快な足音が、真後ろから聞こえた。
「つぅーちゃん! またここにいたの!」
『!!』ハッとして振り返れば、――見覚えのある女性がいた。ロングスカートに肩の上で切りそろえたショートカット。奈々は、シルエットの足元から頭の頂上までを見て、ニコリとしてみせる。
「最近、前みたいに怪我しなくなったね。えらい〜〜」
「…………母さん?」
 言葉を失う綱吉だが、公園の外からの視線に気が付いた。ヒバリだ。ぜえぜえ、と、大きく息をしながら親子の再会を見守る――。そして、再び、駆けだした。途端にグラリと景色が揺れて、親子が遠ざかっていった。
(ヒバリさんの夢だから、視点もヒバリさんにあるんだ……)
「あのねえ。でも、もう心配はないのよ」
 あ。くぐもった声と共に綱吉が硬直する。そうなのだ。
「新しい家が決まったの。並盛町では友達ができるわよ!」
(――オレ、引越してるんだった。並盛にきたのは、ほとんど小学校にあがる直前……)
 海面が波立つように、桜がさざめいた。
 奈々の姿が掻き消える。人気のない公園に一人でたっていた。空は黒くない。夢は、主を失ったままでも緩慢に続いているらしかった。
(……んん?)
 骸を探す、と、いうのを忘れたわけではない。
 けれども綱吉は動けなかった。冷たい汗が、背中を伝う。
(なんだか。今までのことを集めててみると。まるでヒバリさんの言っていた運命の相手って――)
「つう?」「えっ」声が、肩の上から聞こえた。
「君なの? ほんとうに、きみが、あの時の子供なの?」
 後退れば、先ほどの子供と同じく、黒いパジャマに身を包んだヒバリが至近距離に立っていた。
 彼は迷子のような瞳をしていた。迷いながらも、唇をふるわせる。
「つう。ずっと見てた。病院の窓から」目を上向れば、すぐそこに顎がある。
 呆然とする綱吉の背中へと腕を回して、ヒバリが静かに囁いた。
「女の子が公園のすみで泣くのを見てた。僕さえ、僕の体さえ元気なら、君も泣かないで済むんじゃないかって思ってた。でも、君はあれから僕の前に現れなかった」
 縛めがことさらに強くなる。ゲホ、と、薄い堰が少年の唇をついたが、ヒバリは気にした様子もなくギリギリと両腕を締めあわせた。
「手術が成功したけど意味はあるの? この体と、腕を磨いてきたけれど意味はあるの? ――ずっと、ずっとずっと自分にきいてた。意味なんかないんだよ。君がいなかったら何ひとつとして」
「ひ、ヒバリさんっ。くるしいっ」
「愛してる」
「へっ!」
 ふっと腕の力が抜けると同時に。
 ヒバリが、一文字一句を噛みしめるようにして囁いた。
「ごめん、これだけは疑わないで欲しいんだ。愛してる」
「あ。あの」もはや青褪めているのか驚いているのか、綱吉自身にもわからなかった。体が小刻みに揺れたが、ヒバリの腕に抑えられて、綱吉にはそうとわからなかった。
「でも、その。ヒバリさんの好きな『つう』ってヤツがオレでもその、実は、〜〜ってゆーか当たり前ですけどオレは男ですよ……?」
 ヒバリが、目を閉じた。眉間をシワ寄せる。
「ズボン履いてても、毎日のよーにメソメソしてるチビが男だとは思えなかったんだ」
 つう。沢田綱吉。言葉を並べて呟いてみて、ヒバリは、頷いた。そして目を開ける。
「ごめん。気付いてる。君も気付いてよ。本当は、君でも男でも構わなかった」
「また、会えるだけで」腕が両側の肩におかれた。
 まっすぐに見下ろす瞳の奥が、ゆらゆら、波のように揺れていた。
「……約束を破っていてごめん。僕がいなかった、僕が見つけられなかった十年の間、誰かにいじめられたりしなかった? ごめんね」
「ひばりさん……」
(むしろ苛めてたとしたら)
 ヒバリさんじゃないですか。
 胸中だけでうめいて、綱吉はダラダラと汗を掻いていた。ただの冷や汗ではない。夢か現実かがわからなくなりそうだ。ヒバリもそんな眼をして、綱吉の頭を抱いた。
 ごめんと囁きながらの抱擁は優しかった。綱吉の鼻腔をくすぐるのは、桜の匂いに始まる春の香り。蜜にまじって、ヒバリの体臭がした。動物のように。尖っていながらも透明感があって。
(……覚えてる、かも、しれない。ずっと昔。何度も、この香りに助けてもらってた)
 ぼうっとボケた頭で、しかし、確信していた。これがヒバリとのあいだにあった過去なのだ。
「本当に君なら守る。今度こそ。僕のすべてをかけて」
 どこかの少女漫画のようなことを。思いつつ、ぼんやりと見上げる。衝撃が去ったあとには、腹の底から震えるような不思議な衝動があった。(なんか、泣きたいかも)
「もう泣かせないから」
 ヒバリが、言った。

  *****

 ふうん、と、喉を鳴らしたのも少年だった。
 暗闇に佇んでいた。すらりとした手足。左手だけを天上に伸ばし、立っていた。
 足元では桜が吹雪いている。そして公園で抱擁をかわす二人の子供。
「あそこで君の一部があんなことを言ってますが? 雲雀恭弥くん」
 その腕は深々と刺さっていた。
 全てが黒い空間の中で、天上を。漆黒がビクビクと波打ってひとりの少年を吐き出す。制服姿の風紀委員長はボトリと骸の足元に崩れおちた。
「ようやくお出ましですか……」
 闇から腕を引き抜いて、骸。
(精神世界だというなら十八番だ)パキと、指の間接が音をたてた。
(ココにきた時から可能だと思っていた。この場合の触媒は僕の体ってとこか)
 横たわったヒバリは白い顔をしていた。生気はない。彼は正確にはヒトではないのだ。雲雀恭弥の本体とでもいうべき――こころの核、である。
 それを探し、引き摺りだすのには骸もいささか手間取った。
 が、彼は満足していた。
「君を生かすも殺すもまさに僕次第。どうしましょうか?」
 するりと頬に指を滑らす。ヒバリは、半分に唇を開けたままで全身を弛緩させていた。
「……極めて私見だが、君さえなければボンゴレはすでに支配下におけていたのでは?」
(最も油断していたあのときを逃したのは惜しい)桜並木での洗脳さえ成功していれば。
 唇と胸中とでひとり囁きつつ、骸は、声の根元を凍らせていった。
「君は嫌いです。今ここで、殺してあげてもいい」桜の香りは彼まで届かない。
 遥か下方で、桃色のなかで抱き合う子供たちがいる。骸はぐにゃりと眉根をゆがめた。
「ただ、君には、それよりも辛いことがあるかもしれない……」右手がヒバリの胸におかれる。
 ビクリと全身が戦慄いた。死人が追い縋るように、ゆるゆるとヒバリが腕をあげる。そして、骸の右腕に縋りついた。彼の腕は、ヒバリへと埋没していた。
「くく。クハハ、ハハハハッ……」
 ずぶずぶと腕を沈め、骸は高く笑った。
「われながら面白い考えだ。そう思うでしょ? 綱吉くん!」
「ぐうっ」にわかにヒバリが戦慄く。浅く痙攣しつつも、少年は両腕に力をこめた。浸入する骸の腕を食い止めるように、ツメをたて力をこめて腕を掴むが、骸は目尻を笑わせるだけで深く埋めていった。一点でピタリと止め、指をうごめかし、さぐる。
「……っ、ぐ、あぁっあ」ヒバリは、青褪めたままで苦しげに背を仰け反らせた。
「――――あった」色の違う二つ目を細め、一息で腕を引き抜く。
 刹那、黒い空間、ヒバリの夢そのものが大きく痙攣した。乱暴すぎたか、と、鬱蒼とうめく言葉は、存外にどうでもよさそうな響きを持っていた。眼差しが笑い、桜で埋め尽くされた空間を見下ろす。綱吉の姿だけがある。ヒバリが、掻き消えていた。
『どうしたんですかっ?! ヒバリさん――』「クフフ、ふ、はは」
 骸の五指は光る球体を握りしめる。「ここです。君が探す男の、記憶の一部ですよ……」
 誰に語るでもなく囁き、ニィッとさらに口角をつりあげる。
 音色を聞くかのように耳を預けた。そして。そのまま、握りつぶした。
 パキンッ、と、ガラスが悲鳴が木霊した……。


 


 

つづく!


 

 


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