一満の桜がごとく!
第8話:トラのおしごとと人命 

 



「今……。なんつった?」
 四十度ほどに傾いた屋根に登るまで、三度ほど転がり落ちた。コンクリートに叩き付けられることは二回。ボサボサに広がった頭髪のままで、綱吉は両腕を広げていた。
「見逃して下さい。コイツはこっちで引き取りますから」
「んー……?」ニコリと金目が細められる。
 いつになく尖った響きがあった。空を覆っていた雲が裾野を徐々に徐々に狭めていく。一条の夕焼けが、ディーノの瞳に被さり獣の色を与えて、消えた。
「なんつった? わかんねーんだけど」
「……ディーノさん」
 ひゅうと喉が鳴る。握ってもいない手のひらで汗が滲みだしていた。
「自分が何をいってるかわかってンのか。ツナ。ボンゴレだろ?」
 青年はかぶりを振った。鞭が屋根をなで、叩く。
 鋭くしなったそれの尖端は赤く濡れていた。屋根をつくる木板の上でも赤線が散らばっている。すべて、元を正せば一人の少年から流れでたものである。綱吉はギュウと両目を強くあわせた。穏やかでやわらかだった青年が、瞳を怒らせて声を荒げるなどと想像したこともなかったからだ。正面から見据えるには覚悟を必要とした。
「オメルタは絶対だ。許されねーんだよ!」
「そこをなんとか! 見逃してあげてください……っっ!!」
「おいおい。オレに処刑人どもを裏切れっていうのか?」
 ハッと目を開け、慌てて首をふる。
「そんなつもりないです! ただっ、今すぐに差しだす必要はないんじゃないですか。――殺されるってわかってるのに!」
「…………」背後で、微小な囁きがあった。
 チラリと振り返れば、六道骸は、屈んだままで頬に走った蚓腫れを拭っていた。手の甲で、まだらに延びる血の線を確認してから、綱吉を見返す。赤と青の瞳は、ぎらぎらとしていたが――。
「――――」
 唇を半分まで開けたところで、骸は語るのをやめたらしかった。
 静観を決め込むがごとく、目を細めたまま沈黙する。蛇が査定を行うかのような、肌の内側からぞくりとくるような沈黙だった。鋭く、ディーノがうめく。
「歓迎してるようには思えないぜ」
 視線を戻し、綱吉が目を伏せる。
「……ちゃんと面倒みるから。おねがい」
「あのなぁ。ネコじゃねーんだぞ!」
「わかってますよ! お願いします、ディーノさん……!」
 憮然とした眼差しを向けること二十秒、ディーノはわしゃわしゃと金髪をかき回した。
「〜〜〜〜っっ、本気かよ?」仕草とは裏腹に、尋ねたその声色は真剣そのものだ。掻き混ぜたために金糸がながれ、青年の瞳を隠す。が、一直線に、射抜かれているのだと直感していた。
 湿った手のひらを隠すために拳を握った。ところで、青年が矢継ぎ早に言い捨てた。
「覚悟は。生半可ならオレが今ここで骸を殺す」
「えっ?!」金目はさらに上下を狭めた。
「ツナがオメルタに触れるっつーんなら、その原因になる男を殺す。わりーが、おまえが処刑人に目をつけられるくらいなら安い代償だよ。オレにはな」
 鞭の代わりに――。握ったのものは、拳銃だった。
 口径は四十五。一発でも食い込めば致命傷だ。ジャンパーの内ポケットに銃口を引っかけたままで、ディーノは質問を重ねた。
「最後だ。どうする? 骸を庇うならオレが敵に回るぜ。それでも庇うっていうのか?」
 やや間を置いて付け足す。こちらが本題だった。
「それほどの覚悟がある言葉なのか?」
 もはや二つ目は金糸に覆われてはいなかった。
 ディーノは真正面から綱吉を睨んだ。
 敵意や殺意はない、が、全身から放たれる異様なほどの存在感で綱吉は後退りしていた。それはプレッシャーと呼べるものだ。背後の骸は沈黙していた。瞳の奥を奇妙に淀ませて、綱吉とディーノとの間にほころびがあるかのように、中間の虚空を厳しく睨みつけていた。
「オレか骸か。骸かオレか。どっちだ」
 ちゃ。静かな音をたてて、ディーノが銃口を向ける。
 真正面から鉄の穴を見据えていた。
 やはり後門は沈黙。前門には虎がいる。
「――、選びません」心臓がひどく静まっていた。
 どくりどくりと脈打つ音が遠く感じて、それどころか体温すらも遠く感じる。ディーノが放つ威圧感と、突きつけられたものの重みとで。油断すればすぐにも気を失いそうだ。
「選ばない? ……放棄するのか」
 ディーノが安堵した。溜め息には、にわかな落胆が混じる。
 綱吉は、左右に大きく首を振った。
「ちがう。オレはそんな選び方をしたくないんです。骸は面倒見るし、ディーノさんは説得する」
「はぁ?!」ディーノが目を剥いた。
「おまっ……! オレの話をどー聞いたらそうなンだよ!」
「何でもしますから!」バシッ。両手をあわせて高く掲げる。ディーノが「ジャッポーネの拝み倒しか!」と苦々しくうめいた。
「だから、だからっ、コイツを見逃してあげてください……!!」
「ツナぁ〜〜っ。オレだって、お前がいうならそーしてやりてーくらいなんだぜ! でも仕事っつーのはだなぁー。オレはガキじゃねーしプロだし立場ってものが」
「そこを何とか!」言葉を遮り、ひたすらに頭を下げる。
 ディーノは、困り果てた面持ちで塀の下を見つめた。
 くつくつと肩を揺らす黒服サングラス。ロマーリオは、楽しげにしながらも眉をよせた。
「ボスはボンゴレ十代目のこととなると甘チャンですからね。好きにしたらいいんじゃねえっスか」
「……オレの両手にゃ、テメーら全員の命があるんだぜ?」
「ディーノさん」密かに囁いた声は硬い。ロマーリオが首をふった。
 青年は、キツく眉間を寄せた上で、銃口を自らのこめかみにあてた。ひえっと綱吉がうめく。
「しょーもねえな。ツナ、案外おまえってマフィア向きなのかもしれねーぞ」
 ――銃口をさげる。と、綱吉はへたりこんだ。
「オレはマフィアにはなりませんよ……って、だぁ!」
 油断のあまりに斜面をずり落ちていた。慌てて這い上がる背中に軽快な笑い声がふる。
「天下のキャバッローネを何だと思ってんだか。さすが十代目候補だ」
「? ディーノさん?」
「ん。いや、いーんだけどな。それでこそおめーだよ」
 神妙な響きがあった。うらやんだように聞こえたために綱吉は首を傾げたのだが。改めて見上げたディーノは、それよりも嬉しがっているように見えた。視線が交差すること数秒。
 青年は、ニヤッと人の悪い笑顔を浮かべた。
 あまり見た事のない種類のものだ。綱吉が、にわかに口角を引き攣らせる。
「どうせだから大人の対応でいくか」
「お、おとな」「アダルトだぜ」
 にやにやとしたまま言い加えて、人差し指をたてる。
「ギブアンドテイク。商談の仕上げだ」すいと指が顎をくすぐった。
「へ……?」 後退るが、許されなかった。
「ツナ。顔あげな」
 すぐ近くにディーノがある。ニカリと白い歯をみせて……数秒後に、少年は小さく跳ね上がり、後退っていた。背筋がわなないた。触れてみれば濡れている。
 離れるまぎわ、掠めるように舐められたのだ。
「ディ、ディーノさ?!」
「こいつでチャラだ。ボンゴレ十代目候補との取引き成立」
「いやっ。だ、だからって何でキス……?!」
「いいじゃねーか。骸ともしてただろ?」
 ぺろりと自らの口角を舐めて、ディーノが首を傾げる。
「それとも、もしかしてオレってツナの好みじゃなかったり?」
 間を置いて付け加えられた質問に、綱吉は大きく首をふった。そうかー、嬉しげに溜め息をつくディーノだが。そもそも好みは女の子なんですと宣言するはずの声は、
「あ、あああああ……」と、奇妙な呻き声になった。
 へたり。綱吉は呆然と空を見上げた。雲が完全に空を覆っていた。
(なんか……、なんか――――っっ!!)
 盛大に。せいっっだいに道を踏み外している。
 胸中で言葉にならない叫び声を投げる綱吉をおいて、ディーノは骸へと白んだ眼差しを向けた。
「っつっても、テメーがツナに危害加えるなら取引きはナシになるぜ。三人の取引きでもあるんだ」
「ハ……」疲れたような溜め息の後で、少年は顔をあげる。
「お好きにどうぞ。何なら、僕もキスしてあげましょうか? 取引きの証に」
「冗談。テメーとのキスなんざごめんだ」
「まっったく同感ですね」
 吐くように言い捨てる骸に、ディーノが肩を竦める。
 へたり込んだままの綱吉の頭をポンポンと、二度、叩いた。
「オレはまだ日本にいる。近い内に、メシでも食いに行こうぜ」
「……は、はあ……」
(何かされたりしないよな……?!)
 笑顔に薄ら寒いものを覚えつつも、青褪めつつも頷く。
「約束な。コレだけで本国に帰ったなんてしれたら部下どもに笑われそーだぜ」
 鮮やかに別れを告げて、ディーノは屋根を飛び降りた。重心を少しも揺らすことなく、真っ直ぐに車道に降りたつ。彼とロマーリオとが去ったあとで、うめいたのは、骸だった。
「偽善者」ぼそりと。聞かせる気もないような早口だったが。
「……そういうこと、考えてるんじゃないかと思ったよ」
 綱吉の目尻が嘲笑でゆがむ。自らに向けたものだと自覚しながら屋根をおりた。ディーノと同じく滑らかに飛び降りたのは骸だったが、足を踏み外し、屋根から転げ落ちる綱吉に手をだすこともなく、ただ、眺めていた。
『…………』
 ちょっと傷だらけになりつつも、綱吉は骸の前にたった。
 骸も傷だらけだった。鞭による裂傷が多数。目立つのは右の頬に走った一本の赤線である。加えて、右腕の包帯。
「……とりあえず、ウチに来ますか」
 返事はない。骸は軽く顎をひいた。頷いたように見えなくもない。そのまま五分ほど膠着した末に、綱吉は自らを納得させて道を引き返した。目指すは我が家だ。骸はのそのそと後ろをついてきた。ゆるく、溜め息が口をついた。
(なりゆきっておそろしい。リボーンに何ていえばいいかな……)
(新しいボンゴレファミリーを手に入れたよ! て、あー、だめだ。どこぞのロープレかっての。ていうかそもそもボンゴレならないし!)
「あの写真」沢田家を前にしたところで、少年がうめいた。
「えっ?」
「ボンゴレでしょう?」
「写真……って、前、ヒバリさんがやぶいたヤツ? 骸さんにはオレだってわかったんですか」
 骸が肩を竦める。オッドアイの奥が呆れた色で瞬いた。
「ふつう、わかると思いますよ。ほとんど今と変わらない外見じゃないですか」
(……それは、破られた時に思わないでもなかった)
 本当に、出会った過去があるならば。ヒバリが全く気がつかないことなど有り得るのだろうか。
(――――)鍵を回す。カチリとした音で顔をあげた。
 不思議と、その音がどこから聞こえたのかがわからなかった。
 ノブを握り、押し出しながら、綱吉は目を見開かせた。
(まさか。本当はオレだって気付いてる?)
(君じゃない、って、ヒバリさんはずっと言ってる)
(ウラを返せば、――オレかもしれないって認めてる)
 どきどきとする考えだった。台所から顔をだした奈々が、骸を見て目を丸くした。
「お友達? ……ケンカでもしたの?」
「そんなところです」
「ツッ君。救急箱あげなさいよ」
「ああ。後でね! リボーン!!」
 階段を駆け上がり、自室に飛び込んだ。
「もうちょっとだよ。ヒバリさん、きっともうすぐオレのことを――っ、てギャアアア――!!」
「よっ。遅かったな」
「ひ、ひばりさん――っっ?!!」
 青褪めたガクガクと震える綱吉の真前で、ヒバリが横たわっていた。
 風紀委員の腕章もつけ、ベスト姿だ。書類の張り付いたクリップポードを持ったままで昏倒していた。ご丁寧にベッドのうえで、頭部を枕に乗せている。
「な、なに……?! 今日は見つかんないと思ったら!」
「捕獲しておいた。で、ヒバリがもうすぐ何だって?」
 リボーンはハンモックにいた。拳銃をくるくると回して、弄んでいる。
「それどころじゃないよ! なにこれ! 誘拐?!」
「ビアンキが手伝ってくれたんだぞ」
「そこはどうでもいい! なにこれ!」
 答えた声は、後ろからだ。獄寺が、骸をウンザリと睨みつけていた。
「リボーンさんは準備してくれたんス」
「何を?」「見届けてやるっつっただろ」
 引鉄に指をひっかけ、くるり。銃口をヒバリに向けて、リボーンがニヤリと口角を吊り上げた。
「テメーとヒバリの過去。直接、見てくるのが手っ取り早いと思わねーか?」
「ボ。ボンゴレの技術ってそんなことまで……?!」
「できる。死ぬ気弾を右のこめかみから左のこめかみへ、まっすぐに撃ち込めば夢の中に入り込めるんだぜ。開いた穴に指をふれれば、オレらの意識だけが吸い込まれてく」
「部外者が一人いる場合はどーすんですか」
 ぼそっとうめくのはやはり獄寺だ。一同の視線が、入り口に立ったまま室内を眺めていた骸に注がれる。
 彼は、包帯の巻きついた右腕を掲げて見せた。
「なんだか綱吉くんに保護されたようなんですけどね。この通り、大したことはできませんよ」
 ハァッ?! 素っ頓狂にうめくのは獄寺だ。包帯ではなく、驚愕の眼差しで綱吉を振り返る。
 最大限、できうる限り目をあわさないように天上を見上げながら、綱吉は遠い目をした。リボーンが二度ほど頷く。もってまわった言い方での言葉は、まるきり真実のように綱吉には聞こえた。
「ダメなくせに抱え込むからテメーはダメなんだぜ」
「はいはい。ごめんよ。こうなっちゃったよ」
「この場面じゃ戦力もいらねーっつーのにな。ま、部下の不始末はボスの不始末だかんな。せいぜい二匹の首にナワでもつけとけ」
「置いて行けばいいじゃないですか――って、何でオレを勘定にいれるンすか?!」
 涙声になる獄寺をおいて、リボーンは帽子のツバを下げた。
(いやー。骸を一人でおいておく方が怖いよ!)
 銃口がヒバリを見据える。振り返れば、骸と目があった。彼は何かを考えるかのように眉を寄せていたが、眼差しが出会った瞬間にニコリとした。獄寺は、やはり納得がいかないといように顔を顰めて骸を睨んでいる――。
「行くぜ。ヒバリんなかだ!」
 ――銃声。小さな、小さなブラックホールがヒバリのこめかみに浮きでた。
 綱吉が手を伸ばす。獄寺が手を伸ばす。やや間を置いた末に骸が手を伸ばす。最後に手を伸ばしたのはリボーンだった。
「うっ?」触れた途端に、ジェットコースターのように加速した。
「わああああ!!」
「ぎゃあ!」「っ!」
「入るぜ。はぐれるんじゃねーぞ!」
 根元から引き抜かれた感覚。リボーンの声が何度も鼓膜を震わせた。ふしぎと、声が反響していた。引きずり込まれながら、綱吉が叫んだ。
「で、どうやってヒバリさんにオレとのことを夢にみてもらうのっ?」
「あ」うめいた声が、暗闇に反響した……。

 

 

つづく!


 

 

 


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