一満の桜がごとく!
第7話:混戦混乱、大決戦 

 



 爆音と同時に白っぽい爆煙がグラウンドを舐める。
 ゲホゲホと咳き込みつつ、綱吉は、砂でかすむ視界に絶叫した。
「何するンだよ! 変態っ。変質者――っっ」
 ごしごしと唇を拭う。幸い、ディープなものではなかった。同じくケホケホと喉を張り、腰を屈めつつも骸が尖った返事をした。
「ひどいな。ちょっとしたデモンストレーションなのに。劇的でよい舞台でしょう?」
「は、白昼堂々と男にキスしといてそれで済ませていいの?! ホモな趣味ないんですけどっっ」
「僕もですよ。しかし目的のためには手段など選んでいられません」
「選べよ、頼むからっ。お、男の恋人とかっ。オレじゃなくて骸さんも迷惑するだろ! 少しは自分を大事にしろ!」ゆるく頭を振って、骸はきっぱりはっきりと言い捨てる。
「マフィアに復讐する代償と思えば安い!」
「ぎゃあああ――――っっ!」
(この人の説得なんてオレにゃー無理――っっ)
 頭を抱える綱吉だが。風向きが変わり、校舎がすっぽりと煙を被ると我に返った。ちょうど、野次馬をして顔をだしていた生徒たちを直撃したので無数の悲鳴がきこえて来る。
「ま。まさか、京子ちゃんも見てたり……?!」
 ポンと、肩に手が置かれた。骸が子犬みたいに懐っこい笑みで白い歯を光らせていた。
「諦めてください。僕たちには初めからお互いしかいないものと思えば傷も浅いでしょう?」
「な、なにさり気なく恋人みたいなこと言ってんですか。あんたが元凶じゃないか! オレのファーストキス返して!」
「ファーストなんですか?」
 目を丸くして、骸が背を伸ばす。
 煙がおさまり、その表情の細部まで見えて綱吉が引き攣った。底意地の悪さを隠そうともせず、少年はニヤニヤと口角を吊り上げた。まるでオモチャを見つけた子供のように、声音を弾ませる。
「それは……。不運ですね。くふっ、くふふふふふ。とことんまで付き合いますよ。毒をくらわば皿までと日本じゃ言うのでしょう? もっと先もじっくりと教えてあげますよ」
「そ、それでどーしてオレの手を取るんですか。変な日本語ばっかり覚えんな! 離してよ!」
「諦めなさい。既成事実を作った者の勝ちです」
「ぎゃあああああ!!」
 両手首を捕縛されたまま、涙目で絶叫したそのときだ。
 ビュッと疾風が駆けた。耳が千切れるのではないかと思えるほどに早く、骸との間に割り込むものがある。
「ぐっ!!」右腕が大きく跳ねた。骸の腕が跳ねたために、綱吉のも引っ張られたのだ。黒い影は、トゲのついたトンファーを平手に握りなおして着地した。
「並盛校始まって以来の風紀の乱れだよ……」
 地獄から囁くがごとく、鬱蒼とした呻き声だ。
 風紀委員長の黒目にこれまでにない憤りを見た気がして、綱吉が後退る。骸は右手を抑えたまま同じく後退った。庇うような動きに、綱吉が目を見張る――。
「ひ、ヒバリさん?!」
 あきらかな非難の声をあげて、振り返っていた。
 骸の右腕に複数の裂傷がある。少年は、微塵の動揺もなく骸を睨みつけた。
「風紀委員として当然のことをしたの。それくらいの報復は受けないとね。部外者変質者ホモのゲイの変態」
「……ふ」奇妙なため息のあとで、骸が綱吉を指差す。
「コレにはしなくていいんですか?」
「これからする」
 トゲのついたトンファーがぐるんと振り回された。
「ちょっと――っ?!!」
「愛のムチってやつですねえ」
「おまえ! 自分だけ不幸になるのがイヤなだけだろ?!」
「わかりますか? さすが僕の恋人」
「コイビトじゃなあ――いっっ!」
 ヒバリが大股で秒刻みに歩み寄ってくる。心臓が氷山に囲まれたら人間はこれほど白く青く顔を変色させることができるだろう。真っっっ青なままで、綱吉が肩まで両手を引き上げて首を振った。
「待ってください。お、おれはそんなんで殴られたら死ぬ、って、いうか。む、むしろ」
(オレこそ被害者なんですけど――――っ)
 ダッと踵を返し、逃げ出したが襟首を鷲掴みにされた! 
「ほんっっとうに死ねばいいんじゃないかな」
 怒りのオーラは赤ではない。息も止めるほどに根深く色濃い黒鉛色である。
 剣呑なシワを眉間に刻みこんだまま、風紀委員長は唇をうすく開けた。
「なんだっていうのさ……?」這い寄るような、――恨みがましい声音。
「綱吉、今までどういうつもりで僕のこと追いかけてたの?」
「……っへ?」
「六道が好きなの? これでも、……いや、君、僕が苦しむのを見て楽しんでたわけ?」
「ぶっ?! ち、違いますよ。楽しむなんてそんな――」
「好きなんだ? 今までさんざん僕のこと追いまわしておいて」
「ちょ、ちょっと待ってください。オレはいい加減な気持ちでヒバリさんのこと追いかけてるんじゃありませんっ!! ってー。何この会話!!」
(ヒ――!!)ひくひくと痙攣する綱吉だが、ヒバリは納得が行かないというように目を細めた。トゲ付きトンファーが振りかざされる!
「いや、この場合、それはただの折檻だろ?」
 ――声が、したと同時にトンファーが鞭で雁字搦めにされた。
 びっ。上に向けて引かれて、ヒバリの手のひらからすっぽ抜かれる。やはり恨みがましい色を宿して、黒目は校門を振り返った。学校を囲む塀の一角で、金髪の青年が腰掛けている。
 彼は、両手で鞭を握ったまま複雑そうに眉を寄せていた。
「ツナ。ゲイなのか?」
「ぶっ!!」救済に明らんだ綱吉の顔面が再び白くなる。
 隣のロマーリオが、ディーノにこそりと耳打ちした。
「ボス。日本人はシャイですから、ぶっちゃけた質問は嫌がられますよ」
 おお、そうか。慌てて部下を振り返るディーノだが、綱吉はヒバリに襟首捕まれたままで背筋を仰け反らせていた。
(なんっか、おかしい! オレの人生がおかしい!)
「――っていうか、ディーノさん! 助けてくれてありがとうございます!」
「まだ助けきってねーけどな。えーと……。ツナ、お稚児さん趣味なのか?」
「ボス。現代っ子にもわかりやすく言わないと」
 おお、そうか。慌てて部下を振り返るディーノの、彼の思考を遮るように綱吉が絶叫した。
「どうしてここにっ?! 駅前のホテルに泊まってたんじゃ――」
「そいつだよ」ディーノは、鞭の柄で骸を指差した。
「ツナの前には姿を見せると思ってな。わりーがずっと張ってたんだ」
 へえ、と、言ったのは、驚きで固まる綱吉ではなく骸だ。
「勘付いたんですか。どうやら、あなたは馬鹿ではないようですね……」
「ハン。キャッバローネの跳ね馬を舐めるんじゃねー」
 ニヤと口角をあげて、ディーノは人差し指でこめかみを突付いた。
「オレはココで勝負するのも得意なんだよ」
「……僕も、得意な方だと自負してますよ」
「僕も」うめいたのは、ヒバリだ。
 綱吉が驚いた顔で見上げる。明らかすぎるくらいに、ヒバリは不機嫌な眼差しを返した。それが意味するところは居合わせた全員に理解できたわけであるが。少年はこめかみを戦慄かせた。
「変態一名。変態の罪で粛清してあげる」
「ちょ、ひば、ヒバリさん。風紀の乱れとかから問題がズレてきてますよ?!」
「では僕はこれで!」
「逃げんな元凶――――っっ!!」
 そそくさと、ディーノとは反対の方向、校舎へと駆けていく背中にぎゃあぎゃあと騒いだが、彼は足を止めることすらしない。ディーノは、うすく溜め息をついて塀を飛び降りた。やはり眉根は寄り合わせたままだ。
「ツナ。ツナって、男にもまんざらじゃねーのか?」
 彼は綱吉へ歩み寄った。極めて自然な動作でヒバリを引き剥がし、向き直る。
 ヒバリは残りひとつのトンファーを手にしたままで青年を睨みつけた。が。
「ボス。ナイスですよ。わかりやすい表現です」
「ちょっと。噛み殺すよ」ロマーリオがヒバリを羽交い絞めにし、動きを封じる。
 キャッバローネの連携プレイに、というよりは、真前のディーノに慄いて綱吉が後退りした。
「あ、あの……。ディーノさん、最初から見てました?」
「キスしてたな。あいつと、ああいう仲なのか?」
「あ、あの人が一人で勝手にそう言ってるだけですけど」
「ふーん」ナデナデと頭を撫でられて、綱吉がにわかに首を降る。
(な。ん、だか、怖いんですけど……?!)背筋の尾から首のウラにかけて、ずるずると這い上がるものがある。恐怖とよく似ていたけれど違った。綱吉は、わずかに頬を紅潮させた。
「む。骸、逃げちゃいますよ」
「追いかける。でも、その前に確認してーなと思って」
「何を?!」
 ディーノはニッコリとした。
 何度となく見た穏やかで朗らかな笑顔である、が。瞳の奥の、奥の奥が笑っていないように感じられた。綱吉の人差し指と中指とが両手で握られて、爪やら間接やらがゆるゆると撫でられる。
「……鞭、好きか?」
(えっ、笑顔で何言ってんのこの人――っっ?!!)
 本能的に綱吉は首を振り回したが、別段、気にした風もなくディーノが顎を引いた。
「馴れれば大丈夫だ。オレに任せろよ」
(な・に・を!!)精一杯に体を後ろに引く!
 ロマーリオがヒバリに殴り飛ばされたのはそれと同時だった。
 ディーノは、笑みの質を百八十度塗り替えて、綱吉の背中を叩く。朗らかな音色がふってきた。
「ま、また後でな。一、二の三で逃げろ。今のアイツ――恭弥、だったか? マジで殺気だしてるからツナじゃアブねーぞ」
「そ、そうなんですかっ?」
 目だけで笑って、ディーノが鞭を構える。
 ヒバリはトンファーをグラウンドに置いた。一本だけでは扱いづらいと判断したのだろう。まっすぐにディーノを睨みつけ、ガラス球のようにまん丸の奥で黒い炎を揺らめかす。
「休み時間を二十分もオーバーしてる」うめく言葉は、存外にどうでもよさそうな色が込められていたが、ヒバリは両手を交差させながら腰を低くさせた。
 ハッとして校舎をみれば、依然として生徒たちは顔をだしていた。改めて真っ白になる綱吉をおいて、ディーノが「三!」と叫んだ。
「うわあ――っ、もう最悪! 破滅!!」
「ジュウドウとかじゃねーんだな。我流の体術か?」
「語る義理はないっ!」
 痛そうな打撃音やら怒号やら、背後から囃し立てる声援が響くも何のその! 綱吉は、一直線に校門を目指し駆け抜けた! ……できれば、このまま二度と学校に戻りたくないとの叫び声は、綱吉の胸中のみで響き渡った。
 ――『男たちの男を巡る大決戦』と、きわめて不名誉な呼称が与えられたことを知ったのは、カバンを届けに獄寺が沢田家を訪れたからである。
 ひとしきりの事後説明を終えたあとで、彼は気まずげにうめいた。
『あの。オレ、……十代目の趣味がアレでもぜんぜん。構わないっていうか。あの、……オレ、いつでも』
『あーあーあーあー。何いってんの君は――ッ?!』
 ベッドで布団に包まっていた少年は、そうして自ら這い出てきたのである。
(あれでよかったことは)
 そして。ひそひそとした小声に耐えていた。
 大決戦とやらを過ぎて、三日が経った。綱吉は忍耐の日々を強いられていた。ヒバリも大決戦メンバーにカウントされてはいたが、「ヒ」の字と「ホ」の字を一句中に混ぜようものなら風紀委員が飛んでくるので、あえて名前をだす輩はいないのだ。
 自然、集中砲火は一人に集中する。
「……――、……」
 囁きがホームルームに混ざっている。獄寺が注意深く辺りを見回し、綱吉を見遣る輩をことごとく瞳で射殺すが、絶えることがないのだ。
(ありがたいんだけどね、獄寺くんが怒ってくれるのも……)
 ノートを見下ろした。自らのノートの下にあるのは、ヒバリのノートだ。
 返すタイミングを失ったままなのである。(……でも君も大決戦メンバーの予備軍としてカウントされかけてることに気付いてるんだろうか……)
 山本と了平も加えられたと聞く。ぞぞっとしたものが背筋を駆けて、綱吉は頭を振った。
(あれでよかったことは!)ノートを見下ろす眼差しに力がこもる。
『人がいない間にナニ楽しそうなことしてんだよ?』
 と、リボーンが獄寺に尋ねたことだ。ひととおりの説明と、ついでにホモやら何やらの説明まで聞いたあとで、リボーンはニヤリと口角を曲げた。
『面白そーじゃねえか。いいぜ、テメーとヒバリにどんな接点があるんだか見届けてやる』
(リボーンが手伝ってくれるなら……。ヒバリさんも素直に話を聞いてくれるはずだし。誤解もとけるはずだ)
「おい、ホモ!」
「はっ?」
「ホームルーム終わってるぜ」
 気が付けば、着席してるのは綱吉だけである。
 席をたつ混乱に紛れて、揶揄した生徒はすぐに誰だかわからなくなってしまった。クスクスとした含み笑いがあちらこちらから届いたが、そのどれもに嘲笑の響きがあった。
「…………獄寺くん。ダメだからね」
「納得いかねーっス」
 カバンを肩にかけつつ、寄ってきた獄寺が内ポケットを探る――そこにタバコかダイナマイトがあるのだろう――。その横でうめいたのは、山本だった。
「オレも納得いかね。何なんだ? ツナがホモだからって蔑む理由にはなんねーじゃん」
「ありがと、山本……。でもホモじゃないんだけどなァ!」
 ちょっとだけ恨みっぽく、綱吉がうめいた。
「最近の流れから取り残されてんだが、よーするに、ツナはヒバリおっかけて、あの……骸とおじさんは、追いかけっこしてるんだろ? この前はヒバリと乱闘してたが」
「そのはずなんだけどねえ」先日の結末は聞いた。頃合を見てディーノが戦線を離脱したのだ。
 並んで下校する最中でも、並盛生徒と顔を合わせれば、彼は一様に綱吉を見つめた。全学年で、もはや沢田綱吉の名を知らぬものはいないのだ。山本がうめく。
「あー。オレもちょおっと殴りてーくらいだな」
「山本は野球があるだろ。絶対にやっちゃダメ」
「わかってるけどよー。あーあ」
 その視線の先で、獄寺が彼らの胸倉を掴み上げてツバを飛ばしたりしているのだが。綱吉はハァと溜め息をついた。これで、獄寺を諌めるのは五十九回目になる――。
「気にしてないからさ! やめてよ獄寺く――」不自然に言葉が途切れる。
 同時に、思考も途切れていた。「!」バッと背後を振り仰ぐ。
「ツナ?」山本が目を丸めて綱吉を覗く。茶色いひとみを忙しげに八方に飛ばしながら綱吉は呼吸すら止めていた。分厚い雲が天上を覆い隠そうとしている。僅かに覗いた夕空もくすんでいて、近いうちの大雨を予感させた。
「……今、誰か跳んでいったよね?!」
 疑問系ながらも確信がある。
 獄寺の怒号と重なったため、山本は眉を寄せた。
「何だって? ツナ」
「いる。屋根を走ってるんだ。……離れてく」
「ツナ?」疑問を重ねる山本に首を降って、綱吉は肩掛けカバンのベルトをギュウと握りしめた。
(まだ怪我が治ってないよな。この前、すぐに逃げたのはヒバリさんに腕をやられたからだろう、……あの人の戦い方だと腕に傷を負うのは致命的な気がするけど……。いいや)
(気にしちゃダメだ。ディーノさんが骸を捕まえるなら、それは、それで構わないはず)
「おい、ツナ。大丈夫か」
「うん」心ここにあらずな返事で、綱吉は視線をおろした。
 やたらと心臓がバクバクと跳ねている。その理由は、ボンヤリとだが理解できていた。――本当に、ディーノが骸を捕まえれば、それは、きっと六道と名乗る少年の死を意味するのだ。足元の、灰色のセメントを見下ろした体勢から身じろぐこともできずに、綱吉は硬直していた。
(でも骸は善人ってわけじゃない。こんな事態になったのもあいつのせいだ)
「十代目はなぁっ、好きであんな騒ぎ起こしたんじゃねーんだよ!」
 怒声に顔をあげれば、獄寺の腕で、シルバー製の腕輪が跳ねてガチャガチャと擦れあうのが見えた。金属の輝きが何かを思い出させる。
 獄寺の背中が、トンファーをカチャリと鳴らすヒバリと重なった。
「それなのに茶化すな! ぶっ殺すぞ!」
「おい。獄寺、いい加減にしろよっ。お前、うるさ――」
 ベルトをことさらに握りしめて、綱吉は深いシワを眉間に刻んだ。
 もしかしたら。ヒバリが、キスをすれば思い出すというなら、自分もしたかもしれない。もしかしたら。絶対にありえないコトだと思いつつも、綱吉は静かにうめいた。いまだ眉間にはシワが居座っている。――しばらくは痕が残るのではというほど刻み付けた。そして、ダッと踵を返す!
「あーっ、もうっ。ホントにいやだ!」
 ベルトをぎゅうぎゅうと神経質に握りしめた。
「ツナ?」「十代目?!」
「止めてくる!!」
 角を曲がり、直感的にいくつかの道を辿る。
 獄寺たちらしき足音が聞こえなくなったころに、コンクリートにいくらかの血痕が張り付いているのを見つけた。直感は間違っていないのだ。綱吉がうめく。
「オレは関係ない、被害者だよ」それだったら、もっとアタマがいいやつだったら、と、胸中でうめいて再び駆け出した。空はいまだ雲に塞がれていない。民家の上にふたつの影がある。
 一条の夕焼けが、彼らの背中を赤く照らしていた。
「放っておけばいいんだよ!」
 己に向けて、絶叫した。

 

 

 

つづく!


 

 

 

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