一満の桜がごとく!
第6話:追うもの逃げるもの
学校中に響いてるかもしれない。
と、思わないでもなかったが、少年は喉を張りあげた。
「ヒバリさあん! どうして逃げるんですかぁ!」
ガクランがはためく。風紀委員長は手すりを掴み、ひらりっと乗り越えた。二段飛ばしどころか、階段を丸ごと飛び越えた。人間離れのワザも見慣れた頃である。
ぜええぜえええと波打つ呼吸を止めて、手すりから身を乗りだし――、再び絶叫した。
「ちょ、ちょおおっと話するだけですよ?! もしかして、ヒバリさんは並盛町じゃなくて――」
「話しかけるなって言った、声も聞きたくないって言っただろ!」
「だぁああっっ!!」
スコーンと顎に命中したのはノートだ。背中を仰け反らせた綱吉が、
「ゲッ」とうめく。階段を踏み外した!
「じゅ、十代目!!」
叫んで、両脇を支えたのは獄寺隼人だ。
階段の踊り場にすべりこむと、少年らは胸を撫で下ろした。獄寺が、遠のいていく足音に耳を澄ませて内ポケットを漁った。こめかみがピクピクしていたりする。
「アイツ……。この一週間、やりたい放題じゃねーか!」赤茶けた色のダイナマイトが、三本、握りしめられていた。
「で、でも」呼吸を整えて、綱吉が額を拭う。
「最初みたいに病院送りにはしなくなったよ。もう逃げるだけだし」
「それが許せないんスよ! 十代目をゴミか害虫かゴキブリかドブネズミのよーに扱いやがって!」
「い、いや。いくら何でもそこまでは……?!」
ヒバリのノートを拾って、綱吉は階段を下りた。獄寺が両肩にかけたカバンの、ひとつを手渡す――ところで、足音が駆けつけた。彼は平手をあげ、はを光らせた。
「いきなり飛びだすんだから何事かと思ったぜ」
「山本……。ちょ、ちょっと、ヒバリさんに用があって……」
(変な感じだ。もとは十年後の山本に教えてもらったことなのに)
口角を苦くして、山本は肩を竦めた。知ってる、といいながら踵を返す。
「今日は部活だけどさ。よくわかってねーんだけど、ツナはアイツに伝えたいことがあるんだろ?」
「そ。そう。そうなんだよ!」
「ハハ。ホント、今までになく一途なんだなぁ」
黒い瞳で見下ろした末、山本は顎を引いた。
「――――?」意味深な動作に思えて、綱吉が目を瞬かせる。こそりと、耳を打たれた。
「十代目、目立ってるんですよ。オレのリサーチによると、二年の沢田はどんなヤツかって嗅ぎ回る連中もでてます」
「な、なんだよそれ――っ?!」
「あのヒバリがついに逃げるんだぜ。大したもんだよ」
(ていうか、獄寺くんのリサーチのが気になるんですけど――っっ)
引き攣りつつもスニーカーへと履き替える傍ら、獄寺が何かを期待するような眼差しを向けてくる。
(見ちゃだめだ。絶対。嗅ぎ回った人たちをノシちゃうか脅すかしてるよこの人……)褒めて! と言わんばかりのきらきらした光線に耐えるのは、家に帰るまで続くと思われた、が。山本と別れ、グラウンドにでた途端に、綱吉がビクリと跳ね上がる。
確信して、振り返っていた。
「骸!!」
「ほんとに超直感があるんですね」
玄関口の白壁に背を預け、少年が佇んでいた。黒曜中学校指定の暗緑色で、それよりも濃い黒緑のカバンを左手で下げている。黒曜指定のカバンだ。
「おまえ! どうしてココにいるんだっ?」
少年は、センターで分けた前髪を撫でつけた。
「どうしても何も……。僕が言ったことをお忘れですか」
「あ?!」
「なかなか二人きりになれなくて寂しいですよ」
目がニコリと笑う。(よ、よく言えるよ!)
口がパクパクとしたが、――ハッとして背後を見た。あるのは生徒の顔、顔、顔、顔。彼らは、足をとめて黒曜中学校の生徒を眺め回していた。組んだ腕をそのままで、骸は、平手をゆらりとさせる。
「友達が遊びに来たってところですか」
「お、まえ……っ。学校にくるな! また変なウワサが増えかねないだろ」
「ほう。雲雀恭弥と君のことみたいに?」
(そこまで知ってるのか――っ)
綱吉がうんざりとして後退りした。
見かけなかった一週間、ただディーノに追いかけられていたわけではないようだ……、しかしだからといって、付き合う義理はない。説得は無理と悟り、綱吉は踵を返した。無視するに限る。
「骸さん。ついてこないで下さい」
「僕は君と仲良くなりたいだけなんですけどねえ……。思ったよりも接触するチャンスが減ってしまって、残念ですよ」
「十代目。コイツに温情なんていらないんじゃないですか? ディーノの野郎にとっとと突きだしちまいましょうよ」
(否定しきれないなー、もー!)グラウンドのど真ん中、頭を抱える綱吉だが。
骸は動じた様子もなく子犬のように懐っこい微笑みを獄寺に向けた。
「君はわかっていないですね。綱吉くんはやさしいんですよ」
「や、やさしい……?」
微妙なニュアンスがあったように感じて、綱吉が疑わしげな眼差しを向ける。骸は目を細めて笑顔をみせた。クスクスと含んだような笑い声がする。
(っつーか、そもそも、馬鹿にして笑ってるように聞こえるんだけど?!)
しかし綱吉はすぐにそれを忘れた。黒い後姿を見つけたからだ。
校門の前で、風紀委員が犠牲者を囲んでいるのだ。両隣に百八十センチを超える大男を従えて、腕を組む黒髪の少年。先ほど、綱吉が取り逃がした雲雀恭弥だ。綱吉は、無意識のうちにポケットを漁った。じりじりと、にじり寄る――。
骸が、小声でうめいた。
「何してるんですか? 彼は」
「!」ガクランがはためき、ヒバリは靴底で砂埃を噴き上げた。
「草壁。ノシといて!」黒目は一直線に綱吉を睨みつけた。
「待ってください! せめてコレを――」
獄寺がすばやかった。
綱吉よりも先に駆け込んでいた彼は、ラリアットをリーゼントの喉に叩き込む!
「ぐあっ!!」「草壁!」
「今です、十代目!」
「う、うん!!」
まるでケンカを売ってるようだな、アハハ。
脳裏の隅でうめきつつも、綱吉は腕を伸ばした。人差し指と親指で摘み、突きだすものは一枚の写真だ。
「コレ!」一人の子供が、『ひかりが幼稚園』とかかれた看板を背に笑っていた。
「この写真の子供に見覚えが」
「ないっ!」
「見てないじゃないですか――っ?!」
ブンブンと強く首をふって、ヒバリが後退りする。
風紀委員たちが綱吉とヒバリとの間に滑り込んだ。
「テメー、ざけんな! 委員長を付回しやがって!」
「おっと」振り下ろされた拳を止めたのは、それまで静観していた他校の少年だ。
「この子には、これからたっぷり働いてもらうんですから。傷をつけるのは許しませんよ」
骸は、くすりと口角を吊り上げた。子犬のような笑顔はどこへやら。瞳を切れ長にして、まるでヘビがエモノににじり寄るかのような昏さがある笑顔だ。風紀委員たちがにわかにどよめく。骸がいかなる性質をしているのか、ある程度は知っているので、綱吉はその豹変振りに驚かなかったが。
「僕以外にはね」パチンとウインクをつけて、小声で囁かれると悶絶した。
「なあんだあそれはぁ――――っ!!」
「どけ骸!」獄寺の忠告が絶叫に被さる!
しかし、彼はすぐさま言い直した!
「――いやどかなくてもいいぜ! 果てろやァ!」
「ちょ、ちょっとっ!」ダイナマイトが宙を横切る。
「十代目、避けてください!」
「んな無茶な――っっ?!」
両目を覆った綱吉だが、しかし爆発はなかった。かわりに、すぐ近くで鋭く息を呑むのを感じた。その声は、強引に少年たちの間に割り込んだ。
「迎えにきて正解だったみてーだな」
「チッ」ジャリッと硬く音をたて、骸が左足を下がらせる。
「なんだか尋問されたが結果オーライだ。ツナ、すまねえな。一人で家に帰れるか?」
青年は鞭を手にしていた。はらりと、尖端から灰がこぼれ落ち、導線の千切られたダイナマイトはグラウンドに落ちていた。ヒバリが、鞭を目にしてトンファーを取り出した。
「やっぱりやる気だったの? 最近、僕はあまり機嫌がよくないから手加減できないよ」
「だぁから! オレは迎えにきたの。今からお仕事モードみてえだけどな」
「ディーノさん……」綱吉のうめきを最後に、校門前の一団は沈黙した。一般生徒が玄関口から遠巻きに眺めていたり、校門をでたばかりの生徒が恐る恐るとグラウンドを覗いていたりするのだが。
彼らは互いに互いを睨み合い、わずかに後退した。
「許可なき者の並盛校への立ち入りは禁止なんだけど」
「まるでストーカーですね。僕の行く先々に現れて楽しいですか?」
「今日は武器ナシなんだな。この前みてーにはいかねえぜ」
「とりあえずヒバリさん、この写真みてくれないですか?」
同時に口を開いたために何がなんだかわからなかった。再び膠着する彼らをよそに、獄寺がポツリとこぼす。
「オレら、ちょっと馬鹿みたいじゃないですか?」
一斉に、ぎょっとした眼差しが獄寺に向けられる。それが切っ掛けだった。
最初に、校門の外へと駆け出したのは六道骸だった!
「そいつにまで言われちゃもう付き合ってられないですよ!」
「待て、六道!」「あっ。ディーノさん!」
伸ばしたかけた手が、思い止まる。
綱吉はヒバリを見上げた――。が、視線がぶつかるなり、風紀委員長も身を翻した!
「ヒバリさん! に、逃げないでくださいってば――っっ?!」
キャアアアと悲鳴をあげたのは、校門外で外見の麗しい男性方を眺めていた女生徒だ。横並びに走りさるヒバリと骸を、ディーノが追いかける! 後から走り出したはずの青年にアッサリと抜かれた綱吉だが、それでも、生徒の壁を抜けたあとで声を張りあげた。
「ま、待ってよ! ディーノさんっ――」
早くも息があがっていた。整え、二の句を継げる前に、
(部下がいなくて大丈夫なんですか?)
その瞬間がやってきた。
「だぁあああっっ?!」
「やっぱり――っっ!!」
自らの左足に右足をひっかけ、スッ転ぶディーノに綱吉がつまづいた。さらに追ってきた獄寺がつまづき、三人が団子状になって悲鳴を響かせた。
「ほんっとのバカはあちらのようですね……」
「む、むくろ。てめー!! 大人しく捕まれよ」
綱吉に覆いかぶさり、転げたままの姿勢で獄寺が叫ぶ。ディーノが、か細いうめき声をあげて鼻頭を抑えていた。
「獄寺くん、とりあえず上から――」囃し立てる獄寺を止めかけて、しかし眉を寄せた。
ヒバリと骸が自分たちを振り返っている。
それは構わないのだ。しかし綱吉は、違和感を感じて目をこらした。左右に連なる住宅街と、晴れ渡る天上の青と、
「あっ!!」ヒバリだ。彼は、まじまじと写真を見下ろしていた。骸が首を伸ばして覗いている。
(転んだときに飛ばされたんだ!)
「ヒバリさん!! それはオレの小さいころの――!!」
「……」グニャリと剣呑な顔にして、ヒバリは写真を掲げた。
左右の指で持ち直し、ビリッ。
「ああっ?!」
「知らない。君じゃあないんだよ」
黒目は閉じられていた。眉間に深々としたシワを刻んだままでヒバリが踵を返す。
そのまま、小走りに走り去る背中を一同が見送った。ディーノはコンクリートに頬杖をついて、骸は、興味深げな顔をして両手を組ませた。赤目と青目が、そろって綱吉を振り返る。
「ほお……?」
「?」それは、ニコリとした笑みへと変わって、骸も踵を返した。
アッとディーノが叫ぶ。塀をよじ登り民家の上へ行くには三十秒もない。
「ま。待て! 骸――――っ!」
「だっ!!」「ぶっ!」
がばりと上体を起こしたディーノの頭頂部が綱吉の顎を直撃する!
俯いたまま沈黙した綱吉が、顎を両手で抱えたままブルブルとしたので獄寺が緊張した。
「だ、大丈夫っスかじゅうだいめ!!」「写真でもダメって。どうしろっていうんだよ――っ?!」
クハハハハ! 哄笑が住宅街にこだました。
もはやディーノに対するものか獄寺に対するものか自分に対するものか、区別がわからないと綱吉が胸中でひっそりこっそりうめく。綱吉たちが絡まりあった体を解いて、立ち上がるまでには十分を要した。途中でロマーリオがきて、あっさりとディーノが立ち上がったのが解けた瞬間だというのは、些細な余談である。
そして、そんな出来事があってから三日が経った頃だった。
今度は、ひっそりとしたものではなかった。
むしろ綱吉はひっそりこっそりと、うめかれていた。
「…………?」道行く生徒の眼差しがつらい。廊下を歩くだけで振り返る生徒が多数。指を差して、時折り、きゃあきゃあと黄色い悲鳴をあげる女子までいる。
「なんなんだろう」
五日目の昼休みには、山本と獄寺とともに検討会をしたほどである。
不思議なほどにバッタリとヒバリを見かけなくなったこともあり、綱吉はヒバリ絡みだろうと結論した。獄寺が「オレがリサーチします!」と目を光らせたのだが。
六日目にして綱吉は真実を知った。直撃を試みた下級生がいたのである。
「沢田せんぱぁい。ホモってウワサ、本当ですか?」
――買いだしたばかりの購買パンを取り落とした。
山本に頼まれたものもあるが、ビニールに包まれていたので実害はない。が。
「な、なにを……?!」
ぞぞぞっと鳥肌が浮かぶと共に背筋が仰け反った。
一年生の四人組は、こそこそと耳打ちした。
「やっぱマジっぽくね? そらー、風紀委員長も逃げるぜ」
「ちょっと異常な感じだったもんな。逃げる方も追いかける方も。せんぱい、ケツは掘られてるんですか?」
白目を剥きたい衝動に駆られつつ、綱吉が首をふる。
「呼び出し、きてますよ。恋人から」
「ハァ?」指された窓ガラスの向こうには、二階下の光景が見える。つまり校門前だ。少年は、帽子を目深に被って佇んでいた。
(……何考えてんだ?)
ウンザリと眉根を顰めつつも、綱吉は階段を駆け下りた。骸と会うのは先日以来だ。
「骸さん! 一体何の――」彼は、走りよる綱吉に気が付くと帽子を脱いだ。黒曜中学指定の学帽である。静かに、底に淀みを張らせた眼差しを向けられてピンときた。――皆の様子が変なのも、ヒバリが全く姿を見せないのも。
「骸さんが、なんかしましたね?」
「ご明察。といっても、ウワサを流しただけですが」
取り繕いもせずに少年は頷き、校門に預けていた体を持ち上げた。そして綱吉へと歩み寄る。半歩、少年が後退った。
「ちょ。なんだよ。こんなとこで洗脳しかける気かよ。全校生徒が見てるぞ!」
昼休みだ。生徒全員が教室や屋上にいる。
「ええ。見ている」僅かに声音のトーンが落ちた。
くすくすとした笑いに薄気味悪さを覚えたが、骸は直ぐ目の前にきていた。
「時間はいつまでもあるってわけじゃない。君は相変わらず独りになりませんから」
「へっ?」素っ頓狂にうめいたのは、そのまま骸が腰を曲げたからだ。
鼻と鼻が触れ合うほど近くにある――。顔面のどアップだ。
(な、なに……?)その後、唇に何かが吸い付くのを感じて、思考が完全に固まった。一分。二分。
綱吉がクラリとよろめく三分後に、骸が腰をあげた。
「なかなか効果的な方法だと思うんですけど」
悪戯っぽく囁く声が、耳のすぐ裏側から。
「ぎゃ……っ」こころなしか校舎からどよめきが聞こえたり、十代目――っ?! と身が裂けたような大絶叫が聞こえた気がした。横目をむけて微かに見えたのは玄関口。目を丸くして覗きこむ生徒たちを後ろにして、呆然と突っ立っている人影がある。
細身の、ガクランを羽織った彼は、トンファーを垂らしたまま呆然としていた。
「ぎゃ、ぎゃ」ヒバリの発見を喜ぶ余力もない。耳朶を食まれていた。
「ぎゃあああああああ――――っっっ?!!!」
空から降ってきたダイナマイトが、着陸と共に爆発した!
つづく!
>>第7話: 混乱混戦、大決戦!
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