一満の桜がごとく!
第5話:夜桜に誓えよ少年 

 



「オレ達にはいくつかのルールがある。オメルタがわかるか?」
(知らない人が喋ってるみたい)胸中で呟いたのち、綱吉は首を振った。左右に、ゆっくりと。
 答えたのは六道骸だった。「沈黙と死」
 目蓋を伏せ、静かに言葉をつなぐ。
「マフィアがマフィアたる最悪の悪習ですね」
 ぎょっとして骸を見上げた綱吉だが、彼の眉間にハッキリとしたシワを見つけてさらに驚愕した。ディーノを振り返る。(どうしてそんなことを)――金瞳に射すくめられて、喉が震えた。
(ディーノさんが言うんですか……)
「そこまで知ってりゃ十分だ」
 ニカリ。人懐っこい笑顔すら薄ら寒い。
 しかし、綱吉は後退るワケにはいかなかった。六道骸が背後に回りこんだためである。
「……」凍てついた瞳で少年を見下ろしつつ、骸は、懐から取り出した槍を組み上げていた。綱吉はさながらに壁である。ディーノとの直前上にある、人間の盾だ。
「君のせいで、また面倒が増えましたね」
「お、おれのせい――――っ?!!」
「ツナ。そいつから離れろ!」
「うわぁ?!」鼻先を鞭が跳ぶ!
 避けかけて、足元で蹲ったままの獄寺に転んだ。慌てて顔をあげる――。土が抉られて、一本の線が刻み付けられていた。
「ま、待って!」叫ぶ意味もわからぬままで喉を張りあげ、綱吉は首をめぐらせた。
 薄いピンク。桜の花びらが、ともすれば視界を覆い潰すほどに降りしきっている。展開についていけずに、呆然と棒立ちになる少女たちがいた。と、綱吉は、風がないことに気が付いた。
 顔面に影が差す。頭上から、白い花弁を突き破って影が飛びだした!
「うわっ?!」骸だ。
 芝生に着地した彼の真上に新たな影が浮かぶ。
 同じく桜を突き破り、降り立つ彼は金髪を躍らせていた。
「抵抗するなら容赦しねーぞ!」
「わ、待って! その骸は――」
 叫びかけて、しかし綱吉は唇を噛んだ。
 振り向いたディーノが、哀れげに眉を寄せたからである。
「庇うのか? ツナ。処刑人から連絡がきてる。ホンモノの六道骸を取り逃がしたってな」
「で、でもまた捕まえなくても――、そいつ拷問されてたって」
「すまねえ。そういう問題じゃねーんだ」
「君が代理で僕を捕まえる、いや。殺す?」
 綱吉を無視して、槍に巻きついた鞭を払いながら骸が言った。明らかな侮蔑がこめられていた。「薄汚い。イヌのようですね。一つのファミリーを束ねる男が」
「処刑人への協力、及び、その内部情報の死守。これはオレら、マフィアの義務だ。……六道骸は、一度確保されたからな。あいつらの顔も知ってる。そりゃー、オメルタに反するんだよ」
「オメルタって何なんですか!」
「沈黙の掟」
 答えた声は、凛としていた。
 ゴミ袋を両手にさげたヒバリが、胡散臭げにディーノと骸とを見比べていた。その肩にはリボーン。
「掟を破るものには死を。一族、親族、すべてにおいて皆殺す」
「んな…………っ?!」
「シチリア系マフィアの伝統だね。赤ん坊?」
「こちとらガキの遊びじゃねーのは事実だな」
 うめきながら、リボーンは呆れた瞳で金髪を撫でた。青年が両肩を竦めた。
「ハハ。オレは大人だかんな? 大人ってのは色々と板ばさみになるもんだ」
 鞭がしなり、大地を叩く。骸が、公園を見渡し、その向こうにある住宅街までをも見渡した。
「まるで罠だ。僕ははめられたんでしょうかね」
「違う。ディーノがくるのは予定外だ」
「オレも休暇がこんなことで潰れるなんざ予定外だ、ぜ!」
 意外そうに囁くのは、シートを畳んでいたロマーリオだった。
「ジャッポーネの占いって当たるもんなんだな。オリエンタルの神秘か」
 ディーノが彼の名を叫ぶ。と、黒服男は懐から取り出した。夜桜がざらりと揺れる――。発砲と同時に、少年が槍を翻した。ギンッと鋭い音が間近で聞こえて、綱吉が後ろに転んだ。
「っ?!」トンファーを片腕につけたヒバリが真前に立っていた。
 足元で、弾かれた弾頭がめり込んでいる。
「ひ、ひえぇえ……っ」
 黒目が、ジロリと綱吉を見た。
 彼が何かを言う前に、リボーンが満足げに頷いていた。
「その息だぜ。ヒバリ」
「ふん。こんな弱い草食動物の面倒を見ろっていうの? この僕が?」
「コイツにも、オレにもお前が必要だ。ファミリーに入れよ、ヒバリ」
「君がそう言うのはいいんだけどねぇ」
「って、なに勧誘してんですかそこ――っ?!!」
 頭を抱える少年をよそに、骸が身を翻した。
「おいっ。どこに――」呼び声に銃声が重なる。喉を引き攣らせる綱吉の視界で、ロマーリオが拳銃を握ったままで駆けだした。ディーノが片手をあげ、同じく後を追う!
「行くわ。すまねーな」
「ディ、ディーノさん! 殺すんですか?!」
「……へへ。捕まえるだけだぜ?」それがウソであるのか、真実であるのか。綱吉にはわからない。ディーノはただ、底に冷気を称えたまま綱吉を見つめ返していた。
「また近いうちにコッチに遊びにくるよ。じゃあな、二人とも! 奈々さんも!」
 細身の少年はすでに公園の外に飛び出している。追いかける金髪がひとつ、付き従う黒服がひとり。彼らの背中はすぐに見えなくなって、綱吉は唖然とした面持ちでリボーンを振り返った。
「なぁっ。二人を止めなくていいのかよ」
「止める理由があるのか? あいつらは、それぞれ自分らの事情があってああしてるんだぜ」
 まさか、仲良くしないとイケナイなんて言うつもりか? 問いかけを重ねられて、綱吉は沈黙せざるをえなかった。
「半人前は自分の心配をしろ。とっとと一人前になれるようにな」
「ディーノ君たちは深夜の鬼ごっこ? なんだか難しそうなルールだったわね」
「いやいやいやいやいや」平手を左右に振りつつ、うめく。
  ノホホンと告げたのは奈々だった。綱吉の足元で、獄寺もうめいた。
「さすがお母さま。げほっ。お、大物でいらっしゃる……」
「いやいやいやいやいやいやいや!」
(そーゆー問題じゃないだろ!)
 きょくげん――っ。と、それまで聞こえなかったいくつもの声が聞こえてきた。
 畳んだシートを背負い、雄たけびをあげるのは了平である。足元でランボがぐるぐると回る……、止めたのはハルで、迷惑そうにランボの背を見つめていたイーピンの手を取ったのは、京子だ。
「なんだか色々としてましたけど」ハルが、眉根を寄せた。京子が言葉を繋げた。
「もう遅いんだから。撤収しようよ!」
「そのとーり。ゴミは各自持ち帰れよ。全部ママンに押し付けるのは厳禁だぜ」
 肩を竦めて、ヒバリはゴミ袋をぶらりと揺らす。
「これ、君の家まで持っていけばいいの?」
「あ、ああ。お願いします。……ヒバリさん、手伝ってくれるんですか?」
 意外だ、と、少年の内心が全面に浮かんだ。声が上擦っている。
「僕が面倒なことは一切やらないとでも思うの? やらないけどね」
(意味わかんねーっすよヒバリさん!)
 胸中だけでツッコみ、後退る。電灯がバチリと音をたてて明滅した。公園をでていく友人たちの背中に、ヒバリが混じり、彼らすらも呆気なく追い越していこうとする。綱吉が拳を握った。
「あの。ひ、ヒバリさん」
「なに」
 花が揺らぐ。
 夜空に白い斑点が浮かんでいた。
(骸さんから助けてくれたのはヒバリさん。さっき、庇ってくれたのもヒバリさん)
 拳を握る。握った分だけ勇気がつけばいいと、綱吉は強く念じた。
『半人前は自分の心配をしろ』と、リボーンの言葉が腹の底でちりちりと焦げ付いていた。骸とディーノの背中が、その上で黒炭になって煙を噴いている。
「会ったことがありますよね」
「……また、その話?」
「あるでしょう。オレは覚えてません。ヒバリさんも覚えてない。でもあるんです。それこそ」
 言葉が、自然としぼんだ。
 ――浮かんだ笑顔は、見慣れた友のもの。十年後の、骸に洗脳された自分であっても寄り添ってくれる友人のもの。彼は言ったのだ。
(信じるよ。山本。オレ、おまえのこと大好きだから!)
「っ、十年後に後悔しちゃうくらいのコトがオレたちにはあるはずなんです! ねえ、一緒に考えましょうよ。ヒバリさんには心当たりがあるんでしょうっ?」
「君じゃない」
 いくらか強張った声で、ピシャリとしていた。
「根本的に違う。ぜったいに君じゃない。君なんか知らない」
「絶対に? もっとよく思い出してください。オレ、小さい頃はココじゃなくて――」
 強く頭を振ったのはヒバリだ。イライラとした声で、少年は抱えたゴミ袋を地面へと叩きつけた。
「しつこい。しつこいのは嫌い」間髪をいれず、続ける。眼差しが据わっていた。
「ファミリーも全部ナシ。赤ん坊に言っておいて。僕はもう帰る」
「ひ、ひばりさん?」リボーンとどのような話になっていたのかは知らない、が、自分のせいで同盟が決裂したのでは笑って済ませられないだろう。
 綱吉の焦りをよそに、ヒバリは眉間を強くシワ寄せた。
「自分の言っている意味がわかってないだろ、沢田綱吉。不快だ。君の存在、声、匂い全部が不快だ!」
「ちょ。な、なんで言いながらトンファーだしてくるんですか?!」
「わかるだろ?」
 黒いオーラを全身から立ち昇らせ、ヒバリがにじり寄る。
 懸命に首を振ったが、抵抗むなしくトンファーが振り下ろされた。ぐえ、だか、うえ、だがの悲鳴が轟いた末に、ヒバリは平手を叩き合わせて土ぼこりを払った。
「君。もう僕に話しかけないでくれる」
 痛い目を見せるよ。脅しではなく、確定で言い切ると、風紀委員長は踵を返した。巨木の足元をずりずりと這いながら、綱吉がうめく。
「じゅ、十年後よりもっと関係悪くなってないコレ……?!」
(でも、前からオレとヒバリさんなんて、いつ離れてもおかしくないくらいの呆気ない関係だった)唇を噛んで、出血に気が付いた。鉄を舐めるような味がした。
 桜が手の甲を撫でて、大地へとくだっていく。
 自分が花びらの上に倒れていると、気が付くのに時間がかかった。花びらは全てぺちゃんこになっていた。綱吉たちが広げたシートによって押しつぶされていた花びらなのだ。
「…………」見上げれば、桜は広く枝を伸ばしていた。
 まるで公園全てに覆いかぶさることが望みであるように花びらの雨を降らせている。限りのある、雨だ。散りゆく花のひとつを追いかけて、追いかけて、そうするうちに綱吉は拳を握った。幹に手をつく。腕が震えたが、それでも少年が立ち上がった。
(――このままじゃダメだ)
(ダメなんだ。このまま散って終わるなんて、できない)
 桜が頬を撫でる。首筋をずるずると滑る一片を摘んで、深呼吸をした。
(オレがやらないと――) 桜の匂い。春の匂い。蜜の匂い。
 いや違うと、綱吉は自らに言い聞かせた。(オレしかできないんだ)
(十年後を変えるため、未来を変えるためにはオレが動くしかないんだ!)
 人差し指と親指で摘んだ桜が、隙間をすり抜けて風の中へと漕ぎ出していった。その花びらは、ただひとつの花びらは他と紛れて見えなくなる。あっという間だった。桜が散っていく。
(……知らなくちゃ。ヒバリさんとオレの間に、何があったのか!)
 ぶわりと風が吹く。桜が、巨木が、幹が揺れる。
 多量の花びらが舞い散る中から、二人の少年が走り寄ってきた。獄寺隼人、山本武。
 二人へ微笑みかけてから、綱吉は目を閉じた。数秒。開かせて、再び見上げた桜は、まるで知らない生き物に思えた。花びらが蠢いて夜空に散らかっていく。胸中で、強く囁いていた。
(何がなんでも。オレを見てもらうからね、ヒバリさん!)

 

つづく!


 

 

 

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