一満の桜がごとく!
第4話:桜、真実を語らない 

 



「君、男だよね」
「はっ?」夜桜を後ろに背負いつつ、ヒバリがぼそりとうめいた。
 すでにプリンを食べ終わり、奈々もディーノもリボーンの占われて悲鳴をあげたあとである。奈々は黄色い悲鳴であったが、ディーノはうめき混じりの絶叫だった。
 骸の持ち込んだ酒瓶を開けつつ――彼は成人であるので、ヒバリは何も言わなかった――、青年がぼやく。
「ひでえー。せっっっかくの休暇だっつのに。メンドくせー仕事から解放されたと思った途端にこうだぜ。なんだよ、ジャッポーネでの仕事って」
ロマーリオが朗らかに笑い、お酌をした。
「まぁ、ボス。チェリーブロッサムの時期にこれてよかったじゃないですか。ドンピシャですぜ」
「そーだけどよー。はぁ。士気がさがるっつーか」
「文句あるのか?」
 ウグ、と、ディーノが喉をつまらせる。
 腕組みをしたリボーンの前にはフゥ太がいた。
 ランキングブックを抱え込みつつ、少年は眉根をすり寄せる。
「占いなんてただのインチキだよ。絶対、僕のランキングの方が信用性がある」
「わかっちゃいねーな、フゥ太。事実ではない可能性もある、それだから占いってのは市民の評価を得るもんだ」
 えー、と、不満げにうめく声を聞きながら、綱吉は困惑にひしゃげたままの眉を痙攣させた。一瞬、気が遠くに飛んでいたのだ。ヒバリは仏頂面のままで返答を待っていた。手にはサイダーのコップ。
「あの、よく聞こえなかったんですけど……。オレ、男に見えないですか」
「見える。だから聞いたの」
 ヒバリが顰め面をする。
 仰け反り、後退るツナだが警戒したトンファーでの一撃はなかった。彼はシートに積もった花びらを見下ろした末に、鼻腔でため息をした。背中が、桜の巨木に預けられる。
「……フン」すんと鼻が鳴った。「いいよ。何でもない」
「ヒバリさん?」
「僕の勘違いだろう」
「はぁ」
 何も言えなくなって、そのまま、五分が経った。……じろじろと眺め回す視線は、消えない。
 蒼白な面持ちで、綱吉は周囲に助けを求めるべく首をまわした。が。獄寺は山本に掴みかかり、ハルと京子はビアンキを囲んで盛り上がっていた。隅を陣取ったまま頬杖をつき、静かな眼差しを向けてくる六道骸など論外である。
「……――あの。ヒバリさん」
(うう。この状況ちょっと怖いけど、まぁ、逆にチャンスかもしれないな)
「なに」「オレと昔、会ったことありますか?」
「うっ!」「ヒバリさん?!」
 少年がむせた。盛大にむせた。
 一同が、桜の下でゲホゲホと喉をつまらせる少年と、慌ててその背中をさする少年とを見つめた。
「き、み。何を――。会ったことがある?」
「あっ。いやっ。なんか、そんな話を聞いたっていうか――」
「誰に」厳しく問いながら、ヒバリは口角を拭う。
 少しばかりシートにサイダーが飛び散っていた。コップが転がり、赤茶けた土の上に落ちた。
「その、……あ、勘がいいんですよオレ」
「勘? ――それで僕と会ったことがあると思うの?」
 頷きながら、綱吉は胸中でうめいた。
 ヒバリがまたもや不安げな顔をするからだ。しかし、数秒後には全身を硬直させた。すっと風紀委員長が腕を伸ばす……。綱吉はくすんだ悲鳴をあげた。
「あっ。あの?!」
 胸板を撫でられていた。
 おうとつを確認するような触り方である。
 続けて、下に向けて腕を伸ばされて綱吉が絶叫した。
「ど、どこ触ってるんですかぁあああ!!」……ぎゅ、と、少年が平手を結んでいた。しっかりと握られるのは、ずいぶんときわどいトコロである。だらだら冷や汗をかいて、綱吉が仰け反った。
「やっぱり付いてるよね。いや、いいんだけど。確かめたかっただけ」
「な、ななななななにをですかっ」
 ヒバリが口を閉じる。目だけが細められた。
 綱吉が後退り、充分な距離が空いたところで、彼はトンファーを取りだした。見せつけるように、筒状の表面に銀明かりを反射させる。
「さっきの答え。君みたいなのと会ったことがあるわけないだろ。いつか、噛み殺してあげたでしょ。あれが初対面」
「そ、そーですよねえっ。ていうか何でトンファーを!」
「僕に変なものを握らせたからだよ」
「ヒバリさんから触ったんじゃないですか――っ?!」
 理不尽だ! 叫び声にはニヤリと邪悪な笑みを返して、ヒバリがトンファーを振りあげる!
「ぎゃあっ!」「十代目!!」
 しかし、獄寺が投げつけたダイナマイトは炸裂しなかった。トンファーも振り下ろされない。ディーノの足元ではビール瓶が横倒しになっていた。
「おいおい。セクハラと暴行の現行犯だぜ」
 ぼとんっとシートに落ちたダイナマイトに綱吉が悲鳴をあげたが、導火線は断ち切られていた。ディーノが鞭を引く。トンファーに鞭を巻きつけたまま、ヒバリが後退りをした。
「そもそも君を知らないんだけどな。誰?」
「跳ね馬のディーノ。ツナの兄弟子だ」
「弟子?」ヒバリが眉根を顰める。
 黒目はリボーンを捉えて、赤子は頷いた。
「オレの弟子だ。今は、手を離れてボスをやってるぜ」
「ふうん」ロマーリオを見つめて、ヒバリはさらに目を細める。
「強いみたいだね。あなた」
「はん。テメーは、よほど自分の腕に自信があるようだな。嫌いじゃねーぞ、そういうやつ」
「そう。でも僕は、あなたが嫌いだな」バチリと火花が散った。
 拳を握ったのは、ランボと桜の掴み取りに励んでいた了平である。
「極限か! いいぞヒバリ! 並盛の強さを見せ付けてやれ!」
「命令しないでくれる」
「ボス! キャバッローネの看板を折らんでくださいよ」
「おいおい。プレッシャーかけねーでくれよ」
「ちょ、ちょっとみんな」うめくツナを差し置いて、ヒバリとディーノがじりじりと距離をつめる。鞭に絡め取られていない方のトンファーが、ぐるりっと風と桜を凪いだ。
 ――ヒバリが駆け出し、ディーノが新たな鞭を取り出す――。
 キャアア! と悲鳴をあげたのは京子とハルだ。しかし、全ての喧騒が混じった上でも轟くものがあった。全員が、その音に体を強張らせて微動だにしなくなった。はるか空めがけて銃口を掲げたまま、ビアンキの肩に座ったままで、リボーンは口角を吊り上げていた。
「花見の席にケーサツはいらねーだろ?」
「リ、リボーン……」(そちらのが警察沙汰では)
 思ったが、綱吉はツッコミしなかった。リボーンはあからさまなため息をついた。
「しょうがねえヤツらだぜ。ケンカの発端がダメツナだなんて悲しくならねーか?」
「オレのためっていうか、自分のプライドのためじゃ」
「あ。オレはツナのためだぜ!」
 反射的にうめきだったが、ディーノが反論した。
 ディーノに言われて嬉しくないわけがない。綱吉が黙り込むなかで、ヒバリは、ただ眉根を険しくさせた。赤子がピシャリと告げる。からかうような声色だった。
「今日は無礼講なんだろ、ヒバリ? ディーノもムキになんな」
「ぶっ!」ロマーリオが噴いた。
「別に、ムキになってねえよ……」
 拗ねた声でこぼして、ディーノが腰を落ちつける。
 それを見てヒバリは拳を開いた。カランとトンファーが転がり落ちる。そのまま、公園の外を見つめたが、彼が動く前にリボーンが声をかけた。
「まぁ占いでもどうだ。ヒバリ、テメーはまだだろ」
「…………」「オレの誘いだぜ」
 やはり沈黙。ヒバリは腕を組んだ。
「まぁ、どうしてもって言うなら受けるよ」
 ニヤリと口角をあげる。猫科の動物を思わせる微笑みで、いつもの笑顔だった。
「赤ん坊はけっこうミーハーなんだね」
「何にでも興味を持つお茶目なハードボイルドだと思うといいぜ」
「なるほど」
(どこがナルホドなんだろう)
 胸中でツッコミつつも、綱吉は胸を撫で下ろした。
「なんかもー、このメンツの花見って気が気じゃないよ……!!」
 小声でこそこそ呻いて、山本のところへ逃げ込む。
 その直前にリボーンが感嘆をこぼしたのが聞こえた。ヒバリが小さく囁いていた。
「テメー、そんなんでスミにおけねーじゃねーか。心に決めた女がいるな?」
「……わお。そんなことまでわかるの?」
「ふふん。意外と恋愛運が強いぞ、テメー。波乱万丈だとさ」
「――――」口を半分にまで開けて、山本に声をかける直前に綱吉は硬直した。リボーンの言葉が衝撃的だったためである。(こ、怖い。恋愛とか合わなさすぎだから!)
 山本が獄寺の首に腕をひっかけていた。「こんなワザだ」、「教えなくていいから離せコラ――っ」、と、思い思いに言い募る彼らをよそに綱吉は聞き耳をたてていた。どうあっても衝撃的なのだ。
「思い出話なんてつまらないね。もっと面白いこと、占えないの?」
「おお。言ってくれるじゃねーか。今月の収入なんてどうだ?」
(ヒバリさんに女……。か、かんがえつかない。美人そうだけど)」ざわりざわりと桜がざわめいて、公園を埋める笑い声が脳裏に染みていく。綱吉は、ゆっくりとヒバリを振り返った。背中が広い。
 真っ黒いシャツと真黒の髪で、漆黒がわだかまっているようにも見えた。
 あの、思いもつかない十年後の姿が恐ろしいと綱吉は思う。十年後の山本はヒバリの後悔が鍵になるのではないかと言っていた。十年後、もっと早く気が付けばよかったと洩らしたヒバリ。
『君みたいなのと会ったことがあるわけないだろ』その言葉が、胸を刺していた。
(ヒバリさんは覚えてないんだろうな。オレも覚えてないんだけど。……でも、何かがオレたちの間にあったのは確かなんだ)
 山本を見上げる。視線がぶつかった。彼は、にこりっと白い歯を見せた。ワザをかけてほしいのかと言う。盛大に首を左右に振り回し、後退りしたところで、獄寺が山本の腕から抜け出した。振り向きざまにアッパーだ。
「っづ!」「テメーなっ。誰がワザまでかけていいっつった!」
「ご、獄寺くん! 落ち着いて――っっ!」
 朗らかな笑い声を響かせたのはディーノだった。
 今度はディーノに食って掛かる獄寺を宥め、ひとしきりに騒ぎ、落ち着いたのは一時間も後だった。リボーンが花見の終了を宣言したのである。一同を束ねるのは、結局は、この小さな赤子なのである。時計の針はとうに夕食時を過ぎて、(もう家に帰ったら風呂入って寝よ)と、綱吉は囁く。
  獄寺隼人は、菓子の空き箱をいれたビニール袋を引き摺りながら尋ねた。
「そういや、十年後の世界はどうでした?」
「あ……」真っ先に思い浮かぶのは、スーツ姿の山本武。喉から声をひりだした。
「……絶対、皆にホイホイ言わないでよね。オレと獄寺くんとの秘密ね」
「はっ。はい!!」
 途端、獄寺がビニール袋を握りしめる。
 彼の口の軽さは知っているつもりの綱吉であるが。衝撃的な事実というのは、誰かに打ち明けたくなるものである。声音のトーンを低め、彼の耳へと唇を近づけた。獄寺は肩を強張らせた。
「京子ちゃんのお兄さんが敵対組織に捕まってたよ」
「は、は。ハッ。だっせ〜」
「で。オレは、なんか、ずいぶん変わってた」
「……え?」獄寺が眉を顰めた。
「拳銃を持つと人が変わるんだって。異名が、ブラッディ・レイン――」
 ざわりと気配を感じて、綱吉は両目を上向けた。
「えっ?」すぐ隣に六道骸がいた。気配がまるきり消えていたので、それ自体は絶叫を上げるに等しい事態である。が、骸は目を丸くして、常になく驚いた顔をしていた。
 そのために綱吉も驚く……。数秒の後に、綱吉はさらなる濁音をあげた。
「――あ?!」数時間前の、赤い眼球が思い浮かんだ。
『大丈夫。怖くはない』
『さぁ。僕と君以外のすべての人間に』
 それを言ったのは誰であったか。
『血の洗礼を――。血の雨を!』太く硬く冷たいものを握らされたのではなかったか。脳裏で、不可解に散らばっていたパズルが一つにまとまった。愕然と見上げる中で、骸は首を傾げる。邪に唇が釣りあがる。見透かすような目をして、彼は、盗み聞きをしたことすら弁解しようとしなかった。
「ほ……う。興味深い未来ですね」
「テメー、十年バズーカを知ってるのか?」
「ボヴィーノの小道具だろう? 聞いたことはある。……けれど」
 作ったような、事務的な笑顔が少年を彩る。綱吉は拳を握った。
「秘密話は人のいるところでするものじゃないですね、ボンゴレ」
「ああ……。そうだな……!」
(骸だ。コイツだ! ――コイツに、洗脳、されたのが、十年後のオレだったんだ)
 獄寺とにらみ合いながら、骸は――勝者の笑みを見せた。
 オッドアイが辺りを巡り、一点で止まる。雲雀恭弥を見つめていた。
「それが事実だとすると、先ほどの邪魔がなければ暗示も成功していたと……。まぁ、十年は長いですがね」
「……? てめぇ、何いってやがる」
 獄寺が腰を低くする。
「骸。お前、ヒバリさんにまで何かやるつもりか」
「僕とボンゴレの間に線があるとして。間に入るものは、全て邪魔くさいでしょ?」
 にこりと微笑みながら、骸が手を伸ばす。
 さりげない仕草だった――が、獄寺が鈍い悲鳴をあげた。
「こうすることもできる。まぁ、今はやりませんけどね」
 リボーンには見えないよう、骸は自らの体で影を作っていた。
 そうっと骸が左手を広げる――獄寺が、うめいて、膝を折った。首に、赤々とした手形が張り付いていた。獄寺に駆けより、背中を支えつつも綱吉がツバを飛ばした。
「骸!! おまえ、あの事件から何も変わっちゃいないんだな……!」
「浄化の炎に当たって、わかりましたよ。……ボンゴレは僕を許すつもりだったと。焔が僕のオーラを消し去った瞬間に、本気でそう思っているのだと理解できた。君の思考が流れ込んできた」
「何がわかったっていうんですか。骸さんはちっともわかってくれてない!」
「君は心優しい。――僕を本気で邪魔だと思うなら、先ほどのことをリボーンに告げたらいいじゃないですか。それを抑制する術は僕にない。しかし、君はそうしない。僕に同情している」
「……っ、だって、言ったら骸さんが殺されちゃうじゃないですか。そうなってほしいんですか」
「それが君の甘さだ。……なんとも皮肉で、戯曲的ですね。あなたは、そのために雨を降らせる」
「血の雨をね」首を少しだけ捻って、骸が唇をニヤリとさせる。
 ぎくりと背筋を仰け反らせていた。そこで、声が割り込んだ。線の太い――けれど、心地がよいほどに落ち着いた低音。黒いオックスフォードシューズが砂利を踏みつけていた。
「なぁ、今、チラッと聞こえたんだが」
 綱吉は骸との会話で与えられた動揺をいまだに引き摺っていたが、にわかに眉を顰めた。小声で交わした会話を聞き取られたことに対してではない。彼が、まるで知らない男性に見えたからだ。
「おまえ、骸っていうのか?」
「ディーノさん……?」
 金髪を泳がせて、笑みも薄くディーノが歩み寄る。
「フルネームは六道骸か?」
 ぎらりと――、したものが、ある。
 瞳の底に氷を張ったまま、さらなる問いかけが重なった。にわかに立ち昇るものは、殺意に感じられて、綱吉は声をかけられなかった。骸が右足を下がらせた。そしてディーノが言う。
「ツナ。そいつ。『あの』六道骸なのか?」
 細めた瞳は金色で、まるで、動物のようだった。

 

つづく!


 

 

 

>>第5話: 夜桜に誓えよ少年!
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