一満の桜がごとく!
第3話:友人隣人今日の敵 





「で、ヒバリのヤツが十代目の襟首を掴んだんですよ」
 獄寺はうきうきとしていた。抑えきれない微笑みが口角にある。突きつけられた人差し指を見つめつつも、盛大に眉根を痙攣させつつも、綱吉は耳を傾けていた。
「そしたら――、格好いいんですよ! 本当に! あれこそハードボイルドですっ。オレが女なら――」
「あの。そこらはいいから、で、十年後のオレは?」
「はいっ」ニカリと歯を見せて獄寺が頷いた。
 ――目にも止まらぬ速さで、藍色のスーツをまとった青年が身を翻す。
 腰まで伸びた後ろ毛が、尻尾のようにはためいて軌跡を描く。獄寺の言葉を繋ぎ合わせて、綱吉は、おぼろげながらも自らの姿を想像した。――彼は、腕を差し出した。
 拳の中には黒塗りのグリップが収まり、銃口は、一寸の狂いもなくヒバリの額に捻じ込まれる。硬直した黒目を真っ直ぐに射抜きながら、青年は言う。
 侮蔑すら込めた、氷山のように凍てついた眼差しでもって。
『何のつもり』
 トリガーがカチカチと音を立てたという。
『今のオレ、そんなに甘くないよ?』
 ――空気が凍る。大気が凍る。時間が凍る。
 まさにそれだと言い包めて、獄寺は強く大きく頷いた。
「以上ですっ。ほんっと十代目にお見せしたかったです!」
「発砲はしなかったんだ?」
「はいっ。その直後に、入れ替わりましたから」
 両手を合わせて、夢見るように獄寺。
 彼は『君は役に立っているよ。信頼できる部下の一人だ』との言葉をかけてもらって大感激をしたそうである。山本から聞いた話だ。
『ただ……。なんつーか、雰囲気ちがったけどな。目上のヤツが下のヤツにする喋り方だったぜ。あれ』
 頬を掻く山本だが、最後には、
『で、あれ何だったんだ? マジックショー?』
 と朗らかに言ったので、綱吉が地べたにスッ転ぶはめになったのだが。
 獄寺との間においたオレンジジュースを避けて、上半身を寝そべらせた。座位の姿勢を続けるほどの気力も失せそうだ。花びらの絨毯が少年を出迎えた。
「っていうかさ〜、それ、やばかったんじゃないかな〜〜……」
(絶対、恨まれてる。ヒバリさんに恨まれてるよ。だから様子が変だったんじゃないかぁ!)
「嬉しいっす。オレ。十代目のお傍にいられてボンゴレの幹部だなんて」
 綱吉が強く頭を振った。チラリと夜桜を見上げるリボーンを窺う。
「何度もいってるけど、オレはさぁ。マフィアには」
「オレは一生、十代目についていきますね!」
「だから〜〜。もう。聞いてないだろ」
 引き攣りながら、綱吉は両手で顔面を隠した。
 満面の笑みを真正面から否定する根気などないのだ。しかし、去来した影は、いまだ脳裏に染み付いていた。後ろ毛を伸ばした、やや背の低い男性。……ブラッディ・レインと恐れられる青年。
 彼はヒバリを圧倒したのは確かだ。不自然だった彼の態度と獄寺の証言は、ぴたりと合致する。
(……まさか、オレがもうちょっとでも遅く帰ってたら、ヒバリさんは殺されてた?)
 ゾクリとした。それは、彼が純粋に恐ろしかったからか、彼に変化していく自分自身が恐ろしかったからなのか。ヒバリが銃弾を穿たれる場面を想像したからか。綱吉にはわからなかった。
「つーなぁーさーん!」
 まったく思いもよらず、綱吉が全身で跳ねた。
「な、な、なななに? ハル」
「第二部用のお菓子買ってきましょうー!」
「あ、ああー。そっか。もう夜だもんな」
 桜の花弁は、昼と夜では異なる趣を見せる。街灯を浴びて花びらが白くたなびいていた。昼間の透けるような桃色が、かぎりなく、透明に近づいたのだ。
 ん〜。鼻を鳴らして、綱吉は笑顔を返した。
「オレはから揚げよろしく」
「アホ。テメーが行くんだよ。パシリ第一号だろーが」
「ギャッ?! ――って、おまっ、何を!!」
 赤子は堂々と黒光りする銃器を握りこんでいた。トリガーがあっさりと引かれる。ぱぱぁんっ、天に向けたのが一発、綱吉の足元へ向けたのが一発だ。
 寝そべった体勢そのままで、綱吉は絨毯を握りしめた。
「お、まえ。いつか、絶対、日本の警察に捕まる……」
「ハッ、イタリアンマフィアを舐めるなよ」
 ニヒルに囁き、リボーンは、もはや用はないとばかりに拳銃を放り投げた。
(あーもー、いっそのこといつかお前に殺されるんじゃないかって気がするよ!!)
 これ以上の突っ込みは危険だ! 本能のお告げに従い、綱吉は無言で頭を抱えてのたうつだけでリアクションをすませることにした。
 クッ、と、笑い声は意外なところからした。
 六道骸だ。シートの端で一同をひたすら眺めていただけだった彼が、綱吉に微笑を向けていた。
「君達は本当にユニークですね」
「……。おまえ、まだいたのかよ」
「帰れというなら帰りますが? 招待状をよこしたのは、そちらでしょう」
 微笑といっても、どこかしらで高慢が透けた笑い方だ。
 綱吉はジロリと白眼視をやったが、気にしたふうもなくリボーンは桜を見上げていた。黒曜事件の首謀者である骸を呼び寄せたのは、大方、戦力のある骸をボンゴレに引き入れるつもりなのだ……、と、考えてから、ハッとした。
(でもボンゴレ入ってたじゃんコイツ)
 どんな心境の変化だ? もしくは、リボーンの勧誘が成功したのか。
 思わず振り返って。――再び視線が、かち合う。今度はギクリとした。
(? ……こっちを見てる?)腹の底が冷えるほどのタイミングだった。
 いつの間にか獄寺がパシリ二号に命名されていた。連れ立って公園をでるまでに、何度か骸を見た。そのどれもが予感を強固にさせた。手足に絡みつくような眼差しがあった。五度目に視線をぶつけてから、綱吉が言った。肌がにわかに粟立ち、唇が慄きに震えていた。
「…………獄寺くん。骸、どう思う」
「えっ。怪しいに決まってるじゃないですか」
 獄寺隼人は、ボンゴレだ十代目だとしつこい少年ではある。
 しかし、綱吉は、その言葉に心底から安堵して頷いた。
「だよね。リボーンは微妙に相手になんないし、山本は……、まだマフィアって知られたくないんだ。だからさ、もしアイツが何かやるようならオレと獄寺くんで京子ちゃんたちだけでも――」
 顎を上向かせながら、綱吉。
 と、頬のあたりに眼差しを感じた。獄寺が目を丸くして綱吉を見下ろしていた。
「?」「あ。いえ」
 ぱっと視線が逸れる。獄寺は手のひらで口を覆った。
「オレ、やっぱまだまだですわ。今の十代目だってじゅーぶんにカッコいいです」
「んなッ」瞬時に喉までせりあがったのは、熱だ。
 綱吉がぶんぶんと首をふった。
「ほ、褒めても何もでないよ〜〜!」
 綱吉は小走りになって道を先行した。団地のすそにも桜が咲いている。
 道の両端に佇み、花びらを散らしながらそよぐ。桜の並木道だった。中ごろで、囁いていた。
(これが全部混ざったもの。……なんだっけ?) 」桜の香りで思いだした――、思い出しそうになったのだ。蜜の匂い。桜の匂い。春の匂い。そして、もう一つ。少年の体臭。
 もたれて寝てしまった時に嗅いだものは、ひどく懐かしく思えた。綱吉は鼻をさすった。
「花粉症っすか。十代目?」
「あ、ああ。ごめん。……ね、獄寺くん」
 何ですか。いささか丁寧に受け答えるをする獄寺は嬉しげに見えた。
「ちょっと一人で考えたいことが……」
「お安い御用ッス」言い終わるより早く、獄寺が頭を下げた。
「考えをまとめるには、それなりの場所が必要ですもんねっ。コンビニはこの並木抜けた向こうっしょ? 買い物なんて雑事はオレに任せてください、十代目のためにオレはいるんですから!」
 打倒、骸ですよ! 最後の叫び声は、微妙に違うと思った綱吉だが、ツッコミを抑えて手を振った。
 桜が走り去る獄寺を覆う。それが、点になって、完全に隠れたころに並木の一本へと歩み寄った。桜の幹はゴツゴツとしている。
 撫でつづけるうちに、少年の眉間が縮まった。
(……あー。ムリだよな! そう都合よくないよな!)
(ちくしょー全然わかんねー! なんかマンガみたいに都合よく思い出したりしないかな〜〜)
 なでなで。なでなで! 思考が進むにつれて強く押し付け押し付け、しまいに、綱吉は叫んだ。
「いっだ! 刺さった!」
「何がですか」
「幹! 木だよ獄寺くん!」
「骸ですけど」「ぎゃあああ!!!」
 飛び退いた――といっても、フツウであることが特徴な綱吉には、足を縺れさせて転倒するのが精一杯である。
 六道骸は、手も貸さず眉間をシワ寄せたまま佇んでいた。背後で桜が一斉に揺れて、黒く染まった空に花びらを散らす。呆然としたがる脳に必死にはやし立てて、ようやっと、声を捻り出した。
「お、おまえ。……手伝いにきてくれたの?」
「…………」骸はにこりと微笑んだ。
 腰を屈めて、少年の顎先をくすぐる。
「僕、そういうキャラに見えましたかね?」
「……見えないな」並木道を照らす街頭が遮られて、綱吉の顔に影が差す。立ち上がろうとしたが、その途端に、肌を掠めるだけだった指先が――黒い手袋に包まれた指が、ギシリと顎を握り締めた。
「っつ――! 何が目的だよ?!」
「君と二人きりになりたかった」
「〜〜っどーして!」
 投げやりに叫んで、しかしすぐに後悔した。
 骸が、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに相好を崩したからである。
「君に敗れてから、僕がどれくらいの屈辱を味わったかわかりますか?」
 目を反らさないでください。そうしたのは反射的だったが、綱吉は、骸の言葉と同時に顎を揺すられた。「イタリアに送還された。僕は結局、『六道骸』に拉致された影武者という扱いで済みましたけれど、牢に投げ込まれ拷問を受け、この」
 ぴくりと右目が、右目だけが蠢いた。
「この赤い右目を調べられた……。触られた。これが如何に屈辱か」
「処刑人にはバレなかったのか……」静かな中に、確かな怒りを見出して綱吉が声を低めた。
「僕には幻覚能力がありますから。数字ごと隠していました。それよりも、ボンゴレ。イタリアにおいてマフィアがどれほど特殊性を持っているかご存知ですか」
 とうとうとした語り口だ。背筋がひくりと震える。
 が、手足の緊張とはまったく無縁の言葉があった。ほとんど本能的に綱吉はささやいていた。
(そうか。この人、今は話しかける相手もいないんだ。たった独りでここにきてる)
「――超巨大秘密組織。集まる利権はイタリア国家をも凌ぐ」
 政治、経済に多大な影響力を持つ彼らはすでに独立したひとつの国家に等しいと骸が続ける。「今回の件で痛感した」と、囁く傍らで、色の違う二つ目は食い入るように綱吉を見下ろした。
「僕は後ろ盾が欲しい。君たちマフィアは、陰部より世界を掌握する非政府組織。――世界恐慌を起こすのにピッタリな巣穴ではないですか」
「骸。いや、骸さん」意識的ではない。
 内心から湧き起こる寒気に引きずられて、呼び名を改めていた。
「マフィアっていっぱいあるじゃないですか。他をあたってください。手を、離して」
「クフ。君のジョークはいまいち理解できませんね」肌の内側がちりちりとする。骸が、そこにいるという事実はそれだけで綱吉を追いつめるものがあった。両手両足に力が入る。視線を外したかった。
 彼が勝者の顔をする。震える綱吉の体を横に抱くと同時、にぃっと唇をめくりあげた。
「大丈夫。怖くはない。君の態度によっては、やさしくしてあげてもいいんですよ」
「もうすぐ獄寺くんが帰ってくる。ふざけるのはやめろ」
(なんだこれ。暗示にかかったみたいに。体が、おもい)
 クスリと喉を鳴らして、「さぁ、」と彼がいう。
「っ!」綱吉が奥歯を噛んだ。
 ――右の赤。右目が光っているのだ!
「や、め……っろ!」風の音は聞こえない。視界に桜はない。暗いなかで、骸の声と、まん丸に赤い眼球だけが浮かんでいた。まるで、赤い花弁に見えた。ビリビリと痺れるほどの圧力のこもった声。
「抵抗をやめなさい。恐怖ではない。そこにあるのは悦楽というものだ」
「あ、……――ッッ」
 酷い悪寒が全身を包む。
 ガタガタと震えて、たまらずに骸の背中に腕を回した。回る視界の中で、冷たいものを握らされた。
「な、に――」それは瞬時に熱く燃え上がった。
「あづっ、アッだ!」

「そう。この鉄の痛みを覚えるがいい」
 鉄。まるで、燃え盛る鉄の塊だ。綱吉がひくひくと肩を戦慄かせた。
「人形になれますね? この痛みを、体で、心で覚えこむのです。その時のあなたはすべてにおいて僕のものとなる。なれますね? 僕のパペットに」
 昂ぶりに濡れた声が、朗々としながら鼓膜を突き破る。にわかに首を振ると、骸が両腕で綱吉の手のひらを握り込んだ。燃える鉄を押し付けられて少年が喉を仰け反らす。うあ、と、涙まじりの悲鳴をあげた。まるで反抗に対する躾であるかのように、次の声には、諌めのやさしさがあった。
「なれるでしょう。僕は、僕個人としてはあなたが嫌いじゃないですよ。あなたもそうであるはずだ」
「さぁ。僕と君以外のすべての人間に、血の洗礼を――。血の雨を!」
 ぐるんぐるんと、声。
 目が回った。右手が燃える。
 骸が質問を繰り返すのが聞こえた。
「は、――」気忙しげな呼吸の後に、大きく息を吸った。
 風が吹いたのと同時に、暗く塗られていた視界が開けた。桜が狂ったように踊る。花の、蜜の香りと一緒に、少年の声が聞こえた。
「二人とも、何をやってるの」
 パチリっと両目が大きく開く。
 途端に、綱吉は悲鳴をあげた。
「ぎゃあああ――――っっ。あ、あつい焼ける!!」
 膝の上から転げ落ちて、綱吉は右手を抱き寄せた。
「へえっ?」しかし、爛れてはいなかった。骸は肩を竦めて、放り投げられた拳銃を拾ったが。――それがリボーンの投げ捨てた拳銃とは思えなかったし、ちゃっかりと骸が回収しているとも思えなかった。
 綱吉が口をぱくぱくとさせていると、骸は、おどけたた顔でこめかみに銃口を押し当ててみせた。
「ま、こうはしませんけど。本当に、よくよく邪魔が現れるものですよ」
「む、骸さん。今のは――!」
「冗談」にっこりと目尻を笑わせる。
(ウソだ。ぜってーウソだ!!)
 青褪めながら後退るツナは、ヒバリにぶつかった。
 少年は憮然として骸と綱吉を見比べた。
「なにか、してたの。君たちは」
「あ――」「イイコトですよ」
「ぶっ!!」綱吉が仰け反った。
「デリカシーがない男に邪魔されて悲しいですけどね。で、そういう君は?」
 先手必勝とばかりに、骸が矢継ぎ早に質問をした。「戻らないと思いましたよ」
「僕はいなかったのでわかりませんけど、拗ねちゃったと聞きましたよ?」
「……赤ん坊が帰ってこいって言った」
 ムッと眉根を寄せながら、ヒバリ。その後ろから、両手でビニール袋をさげた獄寺が駆けてくる。
(まさか、空に向けた発砲のこと?)タイミングを思えば、それだ。だけれど、いくらヒバリとリボーンとが奇妙な友情――ともまた違うと綱吉には思えるが――を育んでいるにしても、
「あ。ありえないって」
「どうして骸がいるんですか」
「オレが呼んだんじゃないよ! こいつは――」
「この集まりって何時までやるんですか?」
「お前はフツーに会話に混ざるんじゃねえ!!」
 ダイナマイトを見せられても骸は平然としていた。
「とことん、オレに喋らせない気かアンタ」呪うようにうめく綱吉だが、骸はやはり平然としていた。ヒバリは興味も薄く彼らを一瞥し、踵をかえす。公園の方角だ。
 痛む頭を抑えつつも、綱吉たちも後を追う――到着するなり、叫んだ。
「ど、どーしてここにっ?」シートの上に新顔がいたのだ!
「よぉ、ツナ。元気だったか」
 片手をあげて、青年が言う。
 金髪が風にゆれて、月の明かりを反射した。きらきらとする。ティシャツから伸びた腕には、雄然と前足を掲げる跳ね馬の刺青があった。彼の隣にはショートカットの女性がいた。奈々だ。
「ツッ君。みてみて、プリン作ったのよ。母さんえらいでしょ」
 ビアンキが、腕に抱いたリボーンにプリンを食べさせていた。
 風呂敷に包まれたカップを前にディーノがうんうんと顎を頷かせる。
「ツナん家いったらパーティだっていうから。奈々さんに案内してもらったんだ」
「そうだったんですか。ディーノさん、ほんとに久しぶりで――」ディーノの背後にはサングラスの男性もいる。目でお辞儀をした綱吉だが、思いがけない方角からの囁きに、足を止めた。
「つっくん」真横からだ。鸚鵡返しの声だ。
 ヒバリは、眉間を寄せた。
「つぅ……?」
「え?」
 彼の視線が、自分に向けられているとすぐに気付けなかった。
 恐る恐ると、何かに怯えるような眼差しだったのだ。見たことがない風紀委員長の態度に綱吉が後退る。気弱な顔を向けられるなど、縋るように見つめられるなど。
 軽いパニックだ、が、それは如実に表にでた。ヒバリが、唇を噛んで目を反らす。
 巨木から流れでた花弁が、二人の肩を撫でた。骸と獄寺が訝しげに彼らを見つめた。

 

つづく!


 

 

 

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