一満の桜がごとく!
第2話:さくらは血に濡れる
「!」
誰かが息を呑む気配がした。
「ゲッホ、ゲホゲホ! が、顔面直撃は痛いってばもー!」
綱吉は、両手で顔を覆っていた。顔中が酷くヒリヒリとして喉の奥まで煙が入ってしまった。舌を半分だけだして、涙目でひとしきりにぜいぜいとやってから顔をあげて――、言葉を失った。
黒いスーツに身を包んだ、二人の青年が唖然と見下ろしてきていた。
一人は黒目にクシャクシャの黒髪。一人は、前髪を左右に分けていて稲妻状の分け目。
「なんだか、目の錯覚にしては……」
分け目がうめいて、目蓋をこすった。
「ランボのバズーカに当たったんですけど」
潔く自己申請をしつつ、綱吉は脳裏に桜を思い浮かべた。ちょっと現実逃避である。
三人は屋根の上に立っていた。やたらと空は広く、一面を暗雲が覆っている。イタリア、だ。白い街並みが広がっていた。
「十年前のボンゴレなわけだね」
右から左を突き抜けるような声がする。
綱吉が記憶するものより、少し、低くなっている。彼の手元を見て綱吉は仰け反った。銃を解体して、トランクに詰めているのだ!
「な、何してんですか――っ?!」
「君の命令じゃない」
振り向きもせずに、トランクを抱えて立ち上がる。
(? ヒバリさん――?)
何かが、根本的に違う気がした。ヒバリは綱吉と目をあわせようとしなかったのだ。
(あれ? 今だって積極的に話すわけじゃないけど――。あれ?)まるで、毛嫌いでもされているような緊張感が……、ある。
「あ、あの――。十年後のオレって」
「ブラッディ・レイン。ボンゴレファミリーの頭。僕らのボスですよ」
答えたのは骸だ。
「ぶ、ぶら……?」
まじまじと眺めてくるオッドアイに綱吉が汗を掻いた。
その腰をガシリと掴む――のは、ヒバリだ。
「行くよ」
「ああ。待ってください」
闖入にヒバリが眉を跳ねさせる。
「僕が運びますよ。……ねえ?」
「へ」――何かが起きていた。黒目とオッドアイがぶつかり、探り合うように瞳孔を狭くさせる。最後に、骸がニッコリと笑い、ヒバリは頭を振った。そして、おうとつのはっきりしたヒバリの指が綱吉から離れていった。綱吉は、ヒョイと肩に担がれていた。
「う、うわっ!」すぐ隣に骸の頭があった。
「僕とボンゴレの仲ですからね〜。十年前の姿でも面倒をみてあげるのが道理というもの。まぁ、十年前というと」
不自然に言葉が途切れた。綱吉は、再び肌が粟立つのを感じた。
骸が喉を鳴らしたのだ――。何かを嘲笑うように。
「そもそも、おまえ、どーしてボンゴレに……?」
「動かないで下さい」
「うわっ!」「声をたてない」
冷え冷えと宣告したのはヒバリだ。
青年二人は、屋根伝いにイタリアを駆けた。
間もなく一つのビルへと飛び込む。窓が開いていたのだ。そこでは、二人の少年が顔をつき合わせていた。
「リボーン!」
ギョッとして綱吉が叫ぶ。
顔をあげた少年は、鋭利な瞳とツンと尖った唇を、陶器のように白い肌に浮かばせていた。
「十年バズーカ……? ダメツナじゃねーか」
十歳ごろの少年だ。糊の効いたスーツがえらくサマになっている。
「うわー。すごい。デカ! 大きくなったなぁリボーン!」
「ハハハ。殺すぞ」
瞬時に飛びでた銃口は額にめりこんだ。
目尻を引き攣らせつつも、抱きつくように広げた両手を引っ込める。が、完全に戻る前に、横から割り入った少年が、右の手首を掴んだ。
「おい。オレには何もいわねーのか」
「えっ……。こ、コロネロォッ?」
「そーだぜ。十年後のな」
頭に迷彩柄のバンダナを巻いた金髪の少年だ。リボーンと同じ年頃で、太い眉がキリリと釣りあがる。コロネロは、広げていた地図を胸ポケットに押し込んだ。
「作戦はどうする気だコラ。ブラッディ」
「え、ぇ……? それ、誰のことを」
「テメーの異名だろが」
フウとため息をついて、リボーン。
「は?! お、オレの?」
綱吉がよろりとよろける。
展開についていけそうもなかった。部屋の隅には黒服の男が待機していたが、ヒバリが、彼に何事かを告げてトランクを渡した。
「あ」思わず声をだしてしまった。
しかし。振り返りもせずに、ヒバリは部屋をでていった。
「…………。あ、あの、もう五分経ったんじゃ?」
「あー。ボヴィーノの発明家は気まぐれだからな。モノまで気まぐれだぜ」
コロネロは、ニヤニヤとしながら綱吉を見上げる。綱吉の鼻先に頭頂があった。
「な、なんだよ」
「これが、今の色気づいた伊達男になるってか? 想像つかねーぞオイ」
「なんだよ。オイ、ツナ。こっち来とけ」
数ミリだけ眉を寄せて、リボーンは綱吉を背中へ隠した。
ナナメに口角を押し上げて、コロネロが床からライフルを拾い上げる。切先は違わずにリボーンの顎に突きつけられた。が、少年の反応も速い。迷彩バンダナの真ん中にリボーンの銃口がある。
「ツナはオレのだっつってんだろ。手をだすな」
「命がけのロマンスも悪かねーと思うぜコラ。了平だったら大歓迎だって叫ぶとこだ!」
「その了平奪還作戦だろうが! テメーの弟子の面倒くらい見やがれってんだ!」
「やる気かコラ!! コッチが勝てば後ろのは貰うぜ?!」
「ツナは関係ねーだろが。負けねーけどな!」
「ちょっ。ふ、ふたりとも――!!」
「作戦は延期ですかね〜」
呑気にうめいて成りゆきを見守るのは骸である。
綱吉と目が合うと、彼は、ぺろりと自らの唇を舐めてみせた。
「ごゆっくりどうぞ。リボーンの年上女房さん」
「は……っ?」
「名コンビと評判なんですよ」
(あ、ああ。そういう意味か)焦りつつも綱吉は時計を探した。
どう考えても五分を過ぎている。――ズダダダダ、と、ライフルが乱射されて、絶叫をあげた。
「いやー!! 帰りたい――っ!!」
「ツナ! こっちこっち」
「この声は」ハッとして振り返る。
扉から顔をだしたのは、精悍な顔つきの男性だ。
短く切り込んだ黒髪にクリとした黒目。ニンマリと微笑む姿に泣きたくなるほどの安堵を覚えて、綱吉は全力でダッシュした。
「やぁまもと――!!」
「おお、なんだよ。泣くなよ」
「だ、だって何だよコレッ。オレ、本当にマフィアになっちゃってるしギャー!!」
流れ弾に当たった部下が床に昏倒する。おー、なんて限りなくどうでもよさそうな感嘆をあげる骸に鳥肌を浮かばせて、綱吉は、山本を押した。そしてバタン! と勢いをこめて扉を閉める。
「ボンゴレ様!!」外で待機の黒服男が、ビッと背筋を正した。
「い、異常はありませんっ、――、あっ?」
「ああ。気にするな。こいつは、ボンゴレじゃーねーよ。まだ」
手をひらりとさせて、山本。スーツの下でさりげない赤シャツが映えていた。
山本と連れたって廊下を抜けて、別室に移ったところで綱吉がうめく。
「今の人、――『ボンゴレ』を怖がってなかった?」
「ああ……。ツナは、拳銃もつと見境なく敵も味方もぶっ殺すから」
「でえっ?!! オレがぁ?!」
「頭に血が昇っちまうんだろ。ツナも色々と無理してるってことだ」
「え、ええっ……?」鉛がコメカミを叩いたようだ。
クラクラとした綱吉だが、骸の言葉を思いだして踏み止まった。
「もしかしてブラッディ・レインて――」
「おお。ヒバリに聞いたのか? 血の雨降らし! ボスの異名だよ」
「ひぃ――――っっ?!!」
頭を抱えるも、あくまで山本は朗らかだ。
「大丈夫だぜ。拳銃さえ持ってなきゃ、いいボスだ」
「な、なんだってそんな頭のネジがはずれた人に……?!」
「疲れてるんだろうなぁ」それだけで済ませていいのかっ。
内心でつっこみつつ、しかし、綱吉は立ち上がる気力も声を張りあげる気力もなかった。広げた両手を、じぃっと見つめていた。
「もー、信じられないな! リボーンたちもそうだけど」言葉にする度、肩が強張った。
「オレ、本当に、十年後には山本たちのボスとして――、そんな、敵も味方もまとめて殺しちゃうような、味方からも怖がられるような、……ボスをやってるのか。よ」
(何があるんだよ。十年の間に。今のオレからじゃ、まるで別人じゃないか)
蛍光灯に電気が通った。白々と照らされた部屋には、パイプイスが二脚と質素なテーブルがひとつ。埃っぽくて、普段から使われていないことは明白だ。
「ショックなのか」
山本がパイプイスに跨った。
静かに、――鋭い眼差しを向けてくる。
扉に背を預けたままで綱吉がうな垂れる。それだけで山本は察していた。
「そうだな。十年前じゃ、こんなふうに成長してくなんて思いもしなかったものな」
青年は遠くを見つめていた。いまだに、隣室から連射音が響いていた。銃声が轟くたびに、綱吉は気忙しく窓を見つめた。やはり雲が立ち込めている。
「……ヒバリと話したか?」
「ううん。ぜんぜん。何でそんなこと聞くんだよ」
「さっき。ブラッディ・レインって、ヒバリから聞いたんだろ?」
「あれは骸だよ。何かの冗談かと思ったけど」
山本が綱吉を見上げる。瞳の表面を、薄い悲しみが覆っていた。
「そうか。十年前のお前でもダメなんだな」
顔をあげてから、綱吉は眉を顰めた。
「そういえば、こっちじゃオレはヒバリさんに嫌われてるみたいだね」
「いや。それは本人にきかねーとわかんねーけど。まぁ、ほとんど、ツナとは話さないな。……昔は違ったと思うんだけど。むしろ、お前かリボーンとばっか喋ってた」
「…………」
綱吉が目を細める。
花見の席で、ヒバリを招いたことを非難してしまった。
(ちょっと、酷かった……かな)
「ツナはマフィアになりたくないのか?」
「そりゃそうだよ。怖いもん」
山本の目が笑った。
「ハハ、直球ストレートな理由じゃねーか。やっぱツナはツナだ。うん、俺、そういうツナが好きだぜ。だから、こっそりな。――ヒバリだと思うんだ」
「え?」「そういうわけじゃないなら、いいんだけどな」
念を押して山本が天井を見る。言葉を選ぶような沈黙だった。
「ツナが、今がイヤだって言うなら気にしてくれ。ヒバリと酒を呑んだんだ。そこで、アイツ、昔に会ったことがあるって言ってたぜ」
「ええっ?! オレとっ?」
ぎょっと体を引き攣らせる。山本は、床の一点をジィと見つめた。
「十年前じゃなくて、もっと、ずっとガキだったころみてーだけど。……どーもなぁ。そう言ってたときのヒバリがさ、すごく悲しそうで。もっと早く気がついてればよかった、なんて言うんだぜ」
「あのヒバリさんが……?」
後悔などという言葉とは限りなく無縁にみえる。ヒバリは、いつでも好きなときに好きなことをしているように思えた。
「――今はもうリボーンがお前の隣にいるから、手遅れだって言うんだ。まぁ、相当に酔ったあとだったからなァ。アイツ、喋ったことを失敗だと思ってるぜ。あれから俺と酒呑まねーもん!」
「は、はは。ヒバリさんらしいかもね……」
浅い笑いではあったが、山本は、唇を吊り上げた。冗談をいうような、軽々しい口調だった。
「今のツナも好きだぜ。でも、たまに十年前を懐かしいって思う瞬間はある。なぁ。ツナ。お前次第だぜ。変えたいと思うなら」
「山本。――この世界のオレと、まだ友達なの?」
「あったりまえじゃん。ツナはツナだぜ」
「そっか」顔を明らめて、綱吉。
山本も歯を見せていた。
隣室の銃声も止み始めている。二人ともパイプイスに腰掛けた。一体、今回はどんな任務なのか――、を、山本が語る途中で綱吉はアッと声をあげた。
「なあ! そうすると、今の山本達はどうなるんだよ」
「? 十年後の世界が、変わったらか?」
「そうだよ。……消えちゃうの?」
すっと瞳が細くなる。青年は微笑んだのではなかった。ただ、静かに、目蓋を下げたのだ。
「ああ……、俺、やっぱツナ好きだぜ」
「からかうなよ。オレがなんかやって、今の山本達が消えちゃったら――」
「ハハッ。思うけど、パラレルワールドみたいなもんじゃねーの? あんな世界もあるし、こんな世界もある。今の、俺の目の前にいる『ツナ』がどの世界に行き着くかは、」
ピタリと。人差し指が、前髪に触れそうなほどに近づいた。
「――『ツナ』次第だ」
「…………」
間近で黒瞳が光っている。
綱吉は目尻に力を込めた。ヒクヒクと蠢いていて、油断すると泣いてしまいそうだ。
「うん。おれ、がんばる」
「泣くなよ」
「な、泣いてないよぉ」
ゴシゴシと目をこすって、ハッとした。
腕から煙が噴出していた。床に落ちてから、白煙はパイプイスをぐるりと取り囲む。「ん。短いな」と、山本が早口でささやいた。微笑が、貼り付いていた。
「変な話だが名残おしーぜ、十年前のツナよ。元気にしろよ?」
「あっ……」煙が全身を包むと同時、引いていた顔面の痛みが戻ってきた。時間の逆行が起きているのだ。ガンガンと痛む頭を抑えながらも、綱吉は必死に目線を上向けた。
煤けた室内が遠のいていて、山本が片手をあげた。
「ありがとー! 山本と会えてよかった!」
「おう。十年前の俺もよろしくな、命の恩人!」
閃光が全身を焼く。衝撃に目を閉じて――。
再び、開いたところで、桜が視界を埋め尽くしていた。
風が弱くなり桜が土のうえへと落ちていく。正面に、ヒバリがいた。綱吉の腕はピンと真っ直ぐに伸ばされている。ヒバリに向けて。風紀委員長の黒目が、大きく、見開かれていた。
何かにひどく驚いているのだ。驚愕。愕然。そうした言葉が、より近い。
「……? ヒバリさん?」
不思議そうに自らの腕をさげつつ、綱吉が首を傾げる。
ヒバリは、ビクと全身を揺らして後退りをした。
「ツナぁああああ!」入れ替わりになって黒いモジャモジャが突進する。
「あっ。ランボ。おまえ顔面は酷いよ! 痛いよ!」
「短かったな。五分も経ってないぜ」
リボーンが綱吉の足元にいた。
「向こうじゃ明らかに五分以上だったよ」
「ハァ? 整備不良だな。おい、牛」
「ぴぎゃー!!」
「あーもー、二人とも」
半眼でうめいて、視界に足が入ってきたのに気がついた。
六道骸だ。公園に戻ってきたのである。
「……何なんですか、あの男は……」
不気味そうに見つめる先にあるのはヒバリだ。公園をでていく背中が見えた。
骸とすれ違っただろうに。罵声が聞こえなかったことを思って、綱吉は眉根を寄せた。つい先ほどの出来事が走馬灯のように駆け抜けていった。ヒバリ。骸。ブラッディ・レイン。リボーン。コロネロ。――山本。十年後の、山本武。
(十年後を変える可能性がヒバリさんにある……なら、ガキのころって)
(いつ、どこで、ヒバリさんと会ったんだろう……?)
つづく!
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