一満の桜がごとく!
エピローグ:さいごに咲くサクラ 

 



『頼りないかもしれませんけど! オレだって傍にいれば出来ることがあるはずッス。お願いですから、それくらいはさせてください!』
(あああ、まさに今それだよ獄寺くん!)
「あの、どうして骸さんが……?!」
 日差しが壁を白く照らす。六道骸は、腕組したままタクシーを一瞥した。
「いや、あの」運転手が、顰め面のままでギラリと眼差しをよこした。
「ディーノさんが払ってくれるってことで……、だからオレがここまで来れたんですけど?!」
 自らの襟首を掴んでみせた。並盛中の制服のままだ。学校から直接に来たのである。
「金がないのにタクシー乗っちゃイカンよ」
「まったくもって。常識の欠如もいいところです」
「う、うわああんっ。獄寺くーん!!」
 頭を抱えて叫び、直後に(でも獄寺くんが仮についてきててもこの場面じゃどうにもならなさそうな……。金持ちなのは実家だもんな!)
 なんて思いつつも、綱吉は青褪めたままで骸を見上げた。
 ひっきりなしの往来が背後にある。子供を連れた夫婦に、巨大なトランクケースを引き連れる若い女性。ターミナルのタクシー乗り場は混雑するものである。ナリタまで来いと、『これからイタリアに帰る。最後にもう一度だけ会いてえ』と、メールしてきたのはディーノである。
「なんていうんですか。その。た、立て替え、とか」
 にっこり。骸がサイフをだした。
 いつぞやの人懐っこい笑顔に、困ったようなニュアンスが付け足される。
「仕方ありませんね。特別ですよ」
「坊主、トモダチに感謝しとくんだぞ……」
(そーかな好意じゃないと思うけど骸の場合!!)
 心で血の涙を流しつつ、綱吉はタクシーが旋回するのを見送った。
 それとほぼ同時だ。嫌気たっぷりに、フッ、と鼻で笑い飛ばした気配。運転手に見せた笑顔など彼方にすっ飛んでいる。六道骸は、呆れて口角を吊り上げた。
「少しは成長したかと思ったんですけどね。光ヶ丘の一件で」
(一昨日から今日まで、オレ筋肉痛で倒れてたんですけど……!)
 パープルとブラックのストライプシャツをなびかせて、骸が踵を返す。
「まあ、君の学習能力がいささか劣っているのは今更ですね。ついて来てください。あぁ、あと。言っときますが僕の利子は高いですから」
「えっ。ええ?! 利子とるの?!」
「当たり前です。君が学生だってことを考慮しても……。十分で千円、ですかね」
「ぶっ?!」くはは。やる気のない笑い声の後で、少年は肩を竦めた。
「冗談ですよ。本気なワケがないじゃないですか」
「む、骸さん。オレをからかうために成田に来たわけじゃないですよね?」
 腹の底がキリキリと嘆く……。エスカレーターを過ぎたところで、骸と横並びになった。声がした。低いうめき声には、いくらか面倒くさそうな響きがあった。
「全ては予定調和。 これで、取引き成立ですって」
「一体、何の話ですか」
「詳しくは彼にどうぞ」
 国外路線のターミナルに行き着いた。
 隅のベンチで青年が足を組んでいる。見慣れた金髪がある。
「ディーノさん?!」「おっ。きたな」
 ブラックスーツにサングラスが映えていた。
 片手だけを持ち上げ、ディーノは座ったままで歯を見せた。
「やっぱ最後にゃツナに会いてーと思ってな。驚いたか? 骸を呼び出したのもオレだぜ」
「よびだした――。って」嫌な予感が湧き上がった。
(ディーノさんは骸を信用しないって言ってた。オメルタも忘れてないって)。
「まさか――」ぞっとした。ディーノは鎮めた瞳を返してくる――、底の見えない水面があった。
「骸さんをイタリアに連れていく気でっ?!」その水面には色があった。
 光が反射したがゆえの色素ではなく、そのものが、にわかにうすく蒼く色づいているのだ。黄金の色をした髪の毛の一筋が視界できらりと光る。マフィア、と、なかば無意識に囁いていた。
「確かに。オレはマフィアだけどな」羽音のようにか細かったものを、青年は正確に聞き取っていた。開きかけた唇には、やや筋張った人差し指が当てられる。
「?」キョトンとした、その瞬間だ。
 一転して、ディーノは晴れやかな笑顔をみせた。
「商談に焦りは禁物!」
「しょ……」「取引きは成立したんだよ」
「わけわかんないんですけど――っ?!」
 仰け反る綱吉だが、ディーノは楽しげな微笑を引っ込めなかった。
 むしろ反応を楽しむような、いたぶるような光が、サングラス向こうの眼差しにある。
「オレはオメルタに目を瞑る、その見返りとして骸はオレらに金を払う」
「あなたはフッカケすぎですけどね」
 いささか苛立った声音は骸のものだ。ディーノはニヤニヤしたままで眉ひとつ崩さない。その佇まいは、こなした場数が半端でないことを雄弁に物語っていた。
「いまさら、五十億じゃフッカケたウチにゃ入んねーぜ」
「ぶっ?!」
「それに、どうせテメーにはちまい額だろ?」
 骸は首を傾げた。納得がいかない様子だ。
「僕もバカじゃありません。搾取されるのは嫌いです。三十五億」
「ちっちっち。まからねえぞ。人命ってのは高いんだ」
「そ、それは何かが違うよーな?!」
 思わずツッコミをいれて、ハッとした。
 骸の視線がうつる。ディーノに向けた厳めしいもの、そのままだ。
「言っておくが、ただの資金援助ですから。勘違いはしないことですね」
「組織としてじゃなく、三人とも個人として結ぶってことだ。オレと骸とツナと――、『沢田綱吉』として取引きに参加した」
 ディーノも、骸に向けていた笑顔をそのまま綱吉へとよこした。口角が斜めになっていた。
「悪くないだろ? 扱いにくかろーが、金のモトなら使い道はあるからな。資金運用の専門家として意見しとくぜ」
「ディーノさん……」(光ヶ丘じゃヒバリさんにばっかり気がいっちゃったけど)
 それでも確かだったのだ。 ディーノからのメールを受けた。骸のことはどうなったのかと、ヒヤリとしたのも確かだったのだ。だからこそ、すぐさま駆けつけたのだ。
「……これでも、少しは悩んだ」
 ディーノはあいまいに微笑んだ。
「結局、ツナにとってどのカタチがいちばんイイのかってな。どうだ? その顔なら、正しい選択って思っていいのか」
「――、はいっ。ありがとうディーノさん!」目尻を拭った。
 頷けば、ディーノはサングラスを外した。
「よかった」ニッコリ、満面の笑顔がある。
「で? ツナはナニで取引きをする?」
「へっ?」
「前も言っただろ。ギブアンドテイクだ」
「え。えええっっ! ハードル高くないですかっ?!」
 相手はイタリアンマフィアのボスだ。中学生が与えられるレベルの物なんて、たかが知れている。
 ディーノも承知済みだった。囁くように、先を促した。
「オレは高価なモノも希少なモノも希望しねえ。用意する必要もないだろう。ツナだけが持ってるものでいいんだ」
「……そんなの、自分の体くらいしか……」
 金色の瞳は満足したように細くなる。望む回答は引き出したと言わんばかりだ。
 サングラスを胸のポケットへと引っかける、その仕草に目を奪われたのはほんの数秒だろう。その間に、ディーノが屈んだ。
「んんっ?!」「ちょっとだけ開けてみ」
(な、舐め……っ?!!)生ぬるいものが上唇をくすぐっている。
 にわかな振動を感じていた。唇がくっついているため、彼が喋ると、ひびくのだ。
「なあ、イタリアに来いよ。全身でもてなしてやるぜ?」
 綱吉が背筋を岩のように固める。今までになく低く聞こえて、ゾクリと肌が戦慄く。
 それと同時に青年は飛び上がっていた。五秒にも満たない触れあいだった。
 骸は、イスを蹴りあげる結果となった自らの靴先を見つめた。
 ディーノが避けなければその横腹を突き上げていただろう。青目と赤目が、そろってディーノを睨みつける。対する青年は涼しげだったが――、にわかな自嘲が、目尻を歪ませた。
「この国じゃ、邪魔が多すぎってもんだ」
 トランクの取っ手を掴み、ペロリと唇を舐めとる。
「ぁ、ああ」袖口で唇を拭いつつ目を白黒とさせつつ、綱吉がうめく。
「ちょっ。あの、ディーノさん……! 別にオレ、ディーノさんの趣味はそのまぁ口出しできることじゃないし職業柄いろいろあるのかなって思いますから構わないと思いますけど――って、でも一つだけすっごい誤解してますよ?!」
「ん?」腕時計を一瞥して、ディーノは小首を傾げた。
「続きは次な。そろそろ行かねーとヤバいわ」
(こ、ここで言わなきゃ絶対に後悔するぞオレ!)
「お……。女の子が好きなんですっ!!」
 絶叫に、ギョッとして待ち合う人々が顔をあげた。スーツ姿の彼は瞳を丸くする。
「あー。まぁ、ツナを見てりゃあわかるな。なんだ? キスの意味、わかんねーの?」
 驚いた声音だ。綱吉はぜえぜえと肩で息をした。
「オレ日本人だしイタリア式のジョークはわからないです……っ、これからは、こーゆーふうにからかうのは――、て、えっ」呆けてディーノを見上げた。彼は、同じ囁きを繰り返した。
「アッモーレ。ジャッポーネの言葉に訳さねーとダメか?」
「う」頭を抱えるのが、ディーノはいそいそと嬉しげである。
「えーと、ジャッポーネ流にはあいし」「あああ言わなくていい――っっ!!」
「そうか?」青年はテレたように首を掻く。
 どこか、ウットリとした声音で続けた。
「休暇が丸潰れになったのは残念だけどな。ツナがオレとのキスを嫌がらないってわかっただけでオレは嬉しいよ。上出来な結果じゃねーのかコレって」
 周囲のザワメキがさらに大きくなった。彼は本気だ。
 金糸のように目を細め何度も頷いている。
(ど、どこまでワザとなのこれっ?)わずかに、ごくごく僅かにまみえる瞳に仄暗いものも見えた気がしたが、沸騰した脳天では深い意味など考えられるワケがない。キスを嫌がらないと、それはそうだったかもしれないが。
 でもだって、と胸中で嘆いていた。だって、
(ディーノさんだったら嫌がる理由なんてあるわけないじゃん!)
「……ん?」なんだか妙な違和感が。
「ああ、あと」サングラスをつけ直し、ディーノは天井を見上げる。
 トランクが引かれていた。カラコロ、音をたててエスカレーターを目指す。
「思うんだけどな」
 打って変わった、真剣な声音だった。
 誘われるように綱吉は胸にあった違和感を消していた。
「恭弥の意思だけじゃ記憶は戻らなかった。違うか?」
「えっ」骸に向けたものだ。
 見上げれば、少年は眉根を寄せていた。
「体内でカケラが閉じ込められてたにしても、それが流れでるにゃ、体の持ち主の意思ってもんが少しは必要だった」
 目が合えば、フイとすぐに反らされる。ディーノも綱吉も沈黙した。
 発言を待つための沈黙だ。骸は何も言わない。細められた両目の奥がチカチカと瞬いたように思えても、それが、何を意味するかはわからなかった。
 ディーノが肩を竦めた。呆れたような笑みが口角にある。
「……ま。真相なんてモンは、闇に捨てちまってもいいだろうさ」
 トランクがエスカレーターに乗り上げた。
「さ、さよなら! ディーノさんっ」
「ああ。じゃあな!」
 背中が小さくなる。青年は細い体の割りには巨漢のイメージがあった。その存在感がそうさせるのだ。トランクは――、やがて上階へと滑りだす。
 ・……数秒後には、転げ落ちていた。
 ズダダダダッッ、と、ド派手な悲鳴と共にトランクが綱吉の足元めがけて滑り込む! 
「い、イッデ――っっ!!」目の前でディーノがもんどりを打っていた。後頭部を抑えて涙目である……、綱吉は目を瞑った。額を指で抑える。
「骸さん」「はい?」
「ロマーリオさんに、謝っといてくださいよ」
「……ハァ?」骸が、嫌そうに眉を寄せた。
 ディーノの立ち直りは早かった。飛び上がった彼の横顔は引き攣っていた。
「本気で遅れちまうっ」エスカレーターを駆け上がる、が。通行人にトランクを忘れていると指摘される始末だ。遠ざかる背中を見つめながら、思わずうめいていた。
「ホントに一人でイタリアに帰れるのかな……」
「キャバッローネは悪運の強さがウリと聞きますよ」
「まあ確かに今のでケガ一つないのはさすがディーノさん。こなしてきた場数が違うんだよなァって」
(そういう問題かよ!)自らにツッコミをいれつつも綱吉は仰け反った。
 ディーノが行った、ということはつまり。
(骸と二人きり――――っっ?!)

 

 


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