一満の桜がごとく!
第12
話:桜はまだ終われない 

 



「十代目、見ちゃいけません!」
 校門を背に、獄寺隼人は両手を広げた。
「帰りましょう。まだ病みあがりなんスから自宅待機してましょーよ!」
(それ自宅待機じゃなくて欠席っていうんだよ……)
 ひくり、口角を戦慄かせて、あたりを見回した。
 登校中の生徒たちは揃って綱吉へと白眼視を向けていた。こいつをどうにかしろ、なんて無言のメッセージが聞こえてくるようだ。
「ええっと、オレ、もう四日も休んでるから出席日数危なくなりそう。ホラ、風邪は土日で治ったし! 山本の寿司もうまかったしディーノさんが郵送してくれた風邪薬も砂糖が配合されてて」
「ダメっす。ここは通しませんよ!」
 学校復帰直後からこーゆートラブルかっ。
(もう、オレの人生ってぐちゃぐちゃぁ――っ)頭を抱えかけた綱吉だが。
  獄寺の頭越しに見えた人影に肩を強張らせた。白いシャツの上にガクランを引っかけるスタイル。両腕を組んで、すらっと佇むその背中は。
「――ヒバリさん」か細くうめいた声に、獄寺が、すばやく反応した。
「オレ、もうあんな十代目は見たくありません……っ」
 夢に入り込んだあの日以来の邂逅だ。
 獄寺が眉根を寄せ合わせていた。気遣うように頭を振って、広げた腕に力を込める。
 獄寺くん。呟きかけたが、綱吉はハッとした。
 背後の、生徒の人壁がいちだんと分厚くなったのだ。獄寺が通行止めをしたから、と、いうよりも、らんらんとした眼差しは沢田ホモ説への推論を組み立てている最中に見える。
「あ、あ――っ! とにかく行こう! これ以上、山本に心配かけたくないし!」
「あんなヤツは放置でいいんスよ」
「それよりも風紀委員の前で堂々と校則違反をしないことだね」
「へっ?」獄寺が喉をうならせる。
 その途端、背後からトンファーが牙を剥いた!
「がっ?!」「許可なき交通規制は禁止」
 言い捨て、風紀委員長が音もなく身を翻す。グラウンドへと生徒が雪崩れ込む、その波に揺らされながらも青褪めた。後頭部を鈍撃された獄寺を抱えているが、視線は、まっすぐに一点を見つめている。
 校舎のすぐ隣だ。下駄箱へと続く玄関口の階段を、三段ほどあがった場所に掲示板が立てられていた。左右にはピシッと背筋を伸ばす風紀委員がある。
「よく見ておけ! 風紀委員からの伝令だ!」
 朗々と叫び、彼らは指先で一枚の張り紙を示す。
 ――『風紀委員長の身は潔白なり!』
 ――『とある生徒と親しいなど、奇怪なウワサが出回っていることは当委員会も把握している。かように風紀が乱れたことは大変に遺憾だ。今後、このような風評をばらまく輩には残らず制裁を加える!!』
 ヒバリが、グラウンドの中ごろで足をとめた。
「誰のことを言ってるのか、わかるよね」
 絶句する綱吉へと、意味ありげに黒目を向ける。ぞっとした。ぞっとしながら尋ねた。
「ウワサ、知っちゃったんですか」
「名簿をみさせてもらった。沢田綱吉、二年生だね」
 ヒバリが薄く笑う。ひいいいっと首を振って、思わず獄寺を抱きしめた。
「ご。ごめんなさいこれはその――!! 何かの大きな間違いで!!」
「すごく不快だよ。この件で、僕はあの時、赤ん坊に呼び出されていたのかな……?」
 地を這うような声で、ヒバリ。
 のっそりと近づいてくる。後退りかけたが、叶わなかった。獄寺が両足を踏ん張らせたのだ。
「てめぇってヤローは」
「ご、獄寺くんっ?」
「タイミングが最悪だ。テメーのせいで、どれだけ十代目――、沢田さんがお心を痛めたと思ってやがるんだっっ」
「はん。よくわからないんだけど」嘲りの笑みが、唇にはじまって目尻まで広がった。
「僕を侮辱するなら叩きのめす」
「全校生徒の前で沢田さんを侮辱しときながらよく言うぜ!!」
 うめく綱吉をおいて、少年二人はそれぞれの武器を取り出した。
(ヒバリさんが忘れちゃっても結局はこうなるのかあっ)悲鳴をあげて校舎に雪崩れ込む生徒の背中がやたら遠く見える。掲示板の張り紙が、爆風を受けてはためいた!
「これこそ病み上がりの体に悪いよ〜〜っ」
 砂塵が舞い散るなか、綱吉も校舎まで逃げた。
 見ればヒバリが優勢だ。ダイナマイトの網目を掻いくぐり、獄寺との距離をつめる。その刹那、風紀委員長の姿がブレた。以前、夢で遭遇したボンゴレ十代目の動き方とそっくりだ。思うや否や、喉を張りあげていた。
「獄寺くんっ! がんばって!」
「ハイッ!」
 グラウンドで獄寺隼人が拳を握る!
 間近に迫った風紀委員長が、右足を軸にしてステップを踏んだ。左の、足裏が顔面を狙う!
 ――遠目だ。――遠目だが、黒目が振り向いた気がした。
(え?)何かに、驚くような目をしていた。
「ぐっ!」「っ」ヒバリの蹴りも獄寺の拳も命中した。
  たたらを踏んだ二人が、お互いに間合いを取る――、しかし獄寺は攻撃を緩めず、すぐさまダイナマイトを飛ばした。
「果てろぉおっっ!!」
「ゲッ!」「ぎゃあああ!」
 わっと人波が玄関口から掃けた。
 ダイナマイトの一つが、狙いを反れて降ってきたのだ。下駄箱のさらに奥まで逃げる生徒、グラウンドへと逃げる生徒――、当然のように、綱吉は階段を踏み外してコケた。
「どぁああああ――――っっ!」
「あっ?!」獄寺が頭を抱える。爆発がおきた!
 掲示板の左右を固めていた風紀委員が爆風で飛ばされる。転んだ格好のままでいたことが幸いした。
「か、勘弁してよ〜〜っ」ひどい爆風が背中を舐めただけだ。頭髪をボサボサにして頭をあげた綱吉だが、獄寺が口をパクパクとさせて頭上を指差していた。
「っえ」「避けて! 避けてください――っっ!」
「ええええええっっ?!!」
 同じく、吹き飛ばされた掲示板が頭上にあった。
 綱吉が目を剥く――、反射的に視界を覆っていた。と、指のスキマからでも見えた。ひとつの影が、稲妻のように素早く掲示板にぶつかったのだ。
 落雷の音をたてて、掲示板がコンクリートにリバウンドした。
 破片があたりに広がる。ヒバリは、横目で見据えながら背筋を伸ばした。シンとした。
「…………?」獄寺に殴られた右頬が赤く腫れている。
 咄嗟のことだ。そのためかトンファーではなく、拳で殴りつけていた。ヒバリの、右手にはいくらかの木片が刺さる。
「あ」呆気にとられた声が洩れた。
「な……。何やってんですか! 危ないじゃないですか!」
「別に」「な」喉まで声がせりあがる。
 ヒバリは、驚きに目を見開かせて拳を見下ろした。ポタリポタリと血が滴る。まるで、自分の行動を疑っているように思えて、綱吉が惑いの声音をあげた。
「な、なんで、オレを助けるんですか?」
 やはり、辺りはシンと静まり返っていた。風紀委員長の身は潔白、と、張り紙が風に吹き上げられていく。
「……――」数分を待った後に、うめいていた。
「危ないから、やめてくださいよ……」
 ヒバリが、唇を半分だけ開ける。そのまま声をだした。
「なんで僕が怒られるの。助けてあげたのに」
 綱吉は答えなかった。胸の底が熱い。
(……なんでだろう?)触れてはいけないものの、ような、気がした。黙り込めば、やがて周囲がざわめきだした。グラウンドのパニックは置いて、チャイムが鳴りひびいたからである。
 フウと溜め息をついて、ヒバリが拳を開いた。
「それはそうと掲示物破損。校則違反だよ」
「ぶっ?! お、おれのせいですか?!」
 ヒバリは、遠くをみる眼差しを細くした。
「まぁ、君が男色趣味の変態っていうのは、実際のところどうでもいいんだけど。赤ん坊の趣味がおかしいってだけだ。そう、僕までホモ扱いされてるのが気に入らない」
「ヒバリさん……」(ふつう皆そうですよ)
「ちゃんと、僕には」
「?」疑問符を浮かべたのは、ヒバリだ。
 あれ。くぐもった声と共に眉間をシワよせる。
 僕には。再びうめくが、それっきり言葉を絶やしてしまう。綱吉が鳥肌をたてた。あ、と、胸中で呆けた叫び声をあげる。
(ヒバリさんが『つう』って呼んだ子供がオレなら。それなら、オレの記憶がなくなるってことは、『つう』の記憶がなくなるってことでもあるんだ……)
 心に決めたひと、『約束してる子がいるから』『ずっと、焦がれてる』、ヒバリはそう言ってきた。
 その相手が女と勘違いされた綱吉自身であることはおいて――。
「ヒバリ、さん」哀れむような声がでた。
 頭の両側を抑えたまま、ヒバリが後退る。
「風紀委員長?」
「……いや、何でもない。撤収するよ」
「掲示は」やや、間を挟んだ沈黙の末に、
「またあとで張り出そう」と告げた。ヒバリが踵を返し、足並みを取り戻した生徒が校舎へと消えていく。綱吉はやはり取り残されていた。獄寺が、おずおずとしながら近寄った。
「お怪我、ありませんでしたか」
「うん、大丈夫だったけど」
 綱吉の視線を追いかけて、獄寺がうめく。
「アイツ、一生忘れたままなんスかね」
 ヒバリが去った方角には応接室がある。ひとつのことを思い出していた。
 ノートだ。ヒバリのノートを、まだ返していなかった……。
(返さなくちゃいけないよな)いつか、投げつけられてからそのままだ。(でも)
(怖い……な)十代目? と、獄寺が声をかけた。
 綱吉は途方にくれていた。ひどい空虚感が、胸の周りでとぐろを巻いている。
(何いわれるかわかんないよ。これで、また、酷いこと言われたりしたら)肌の内側が粟立つ。……立ち直れなくなるかも。口中で囁いて、首を振った。
 獄寺は半眼をみせる。が、それだけで口を噤んだ。二人は教室へと向かった。
 ホームルームが終わっていた。山本が、顔を明らめて綱吉へと手をふった。
 ――昼休みだ。昼ご飯のパンを買いに行った獄寺と山本とを見送った。彼らだけを行かせたのはワザとだ。綱吉はノートを取り出した。無記名で、中には簡素な数式ばかりが描かれている。本人が投げたものでなければ、ヒバリのノートだとは思わなかっただろう……。
(行く。行かない。行く)花占いのごとく、眉根を寄せて思案していたときだった。
「はっ?」
 三人、クラスメイトが綱吉を囲んでいた。
「いや、だからさ、おまえ雨ン中つっ立ってただろ?」
「立って……。あ、ああ。それで風邪ひいたけど」
 的を得たように一人が頷く。
「色っぽかったってセンパイから聞いてさ」
「いろっぽい?」「フェロモン感じたらしーぜ」
 ぶっ。盛大に噴いたが、咄嗟に、ノートは頭上に掲げた。ぎりぎりでツバから逃れた! 生徒たちは腰を屈めて綱吉を覗き込む。ニヤニヤした目と口元とに、背中を仰け反らせた。
「な、なんなんだよっ?!」
「まぁ、言われてみればカワイイ顔してるけど」
「ちょっと言葉づかいとか直して……そうそう、教育すればなぁ」
「ぎゃはは。それ、調教って言わね?」
 どっと噴出す三人組。冷めた眼差しを向けつつも、綱吉は席を立った。やたらと視線を痛く感じる。
「待てよカワイ子ちゃん。トイレにもでいかねえ?」
(行ってどうする気だよ?!)青褪めつつも首を振るが、彼らは諦めそうにない。彼らにしてみれば、獄寺と山本がいない今がチャンスなのだろう。
 ノートを盾代わりに後退したそのときだ。
 襟首が後ろから捕まれた。
「!」振り返る前に、顔色が蒼白にかわる。三人組も真っ青だ。綱吉にはわかっていた。風紀委員長が、どす黒いオーラをだして佇んでいるのだ……。
 教室に残る全員が慄く中で、少年は、地獄から這いずりでたような声で違反を告げた。
「校内でのナンパ及び不純行為厳禁」
「い、委員長……さま」三人組の一人が後退り。
 それを契機にバラバラの方角へと逃げ出したが、トンファーは違わずに三人の首へと叩き込まれた。泡を噴いて倒れるさまに、教室中から悲鳴があがる!
「あ、あわわわわわわわ」
 風紀委員長はその場を動かないままだ。
 顔に縦線をつけ目尻を光らせる綱吉をヒバリが見下ろした。黒目の奥に焔が揺れているようにも見える。綱吉の顎まで汗が垂れた。
「あ。あの。オレは絡まれてただけで……」
「校内放送を聞いていなかったの」
「え」「応接までの呼び出し」
 ええええっ。襟首を掴んだままで踵を返された。
 ガタガタ、階段すらもそのまま歩く。途中で諦めて、綱吉は四肢を放り出したままヒバリに引き摺られた。
 応接室に投げ込まれるころには、あちこちに青色のアザができあがったがしかし、綱吉は平手を叩いた。カーペットに額を擦り付ける! このまま殺されたのでは色んな意味で浮かばれない。
「まっ。待ってください! ホモって言われて怒ってるんですよね?! そもそもオレもホモじゃないしヒバリさんとのウワサは偶然の産物っていうか骸って奴のせいで!!」
「よぉ。ツナ、風邪の経過はどーだった?」
「とにかく誤解なんですっ、って――はあっ?!」
 途中から割り入った声に頓狂な悲鳴をあげる。
「ディーノさんっ?!」金髪の青年は、ソファーに腰かけ頬杖をついていた。向かいには草壁だ。
「ツナのガッコ、フレンドリーなのなぁ。門の前にいたら連れてこられちまったぜ。ティーまでいただいちまって」
 カップの持ち手を指をかけ、ぶらぶらとさせる。
「いや、それ歓迎されてるんじゃなくて尋問されてるんだと思いますよ……?!」
 思わずうめくが、ディーノは眉根を寄せた。
「ナマで会うのは雨の日以来だな」
「あ」綱吉が息を飲んだ。
「……骸なら、取り逃がしたぜ」
 青年が目で笑う。だが、綱吉は背筋にヒヤリとしたものを覚えた。
 限りなく細く窄められた眼差しに鋭いものが混じっているような。
(ウソをついたの、バレてる……かも?)
 ざんねんですね、と、呟くだけで汗を掻いた。
「さて」携帯電話を手中に、ヒバリが腕を組んだ。
「赤ん坊の知り合いだから殴るのは勘弁してあげる。でも、彼が到着するまではココにいてもらうよ。沢田もつれてきたから、いいだろ?」
「ん。ま、ツナがいるなら何時間でも待てるぜ」
 綱吉がキョトンとして首を巡らせた。
「この男はリボーン殿の管轄にあるんだろ」
 うめくのは草壁だ。頷くのはディーノ。
「利用しつつされつつってとこだな」ニヤリとした笑みがあった。
 ヒバリも口角を釣り上げる。携帯電話が、手中でパチンと音を響かせて畳まれた。
「赤ん坊が直接こない限り、ディーノも沢田もココをでるのは許さないからね」
(どこからツッコめばいいんだろう……)
 遠い目をしてしまう綱吉だが。ヒョイと二の腕をとられた。収まったのはディーノの隣だ。……やたらと距離が短く、綱吉は、鼻先をくすぐった金髪に後退りをした。
「午前ちゅもアイツ追っかけてたんだけどな。確かに、骸はここの校舎に入ったものだと」
 草壁が首をふる。ウンザリとしていた。
「そのような報告は受けていない!」
「……ってことだし」肩を竦めたあとで、青年が振り返った。
「風邪の経過はどーだ?」
「あ。おかげさまで。薬ありがとうございました」
「ロマーリオに密輸させた特別品だ。よく効いたろ」
 クラリとする綱吉を気にすることもなく、ディーノは能天気につづけた。
「ま、ロマーリオはそのまま折り返して帰っちまったけどな」ヒバリはデスクについて、パンを齧りながら書類を広げていた。時折り、窓辺に視線を飛ばすのは赤子の到来を待ちわびているからだろう。
「ロ、ロマーリオさんいないんですか?」綱吉は、くぐもった声音で聞き返した。
「本当はオレも帰らなきゃいけねえ。でも骸を放ってくわけにいかないだろ」
 綱吉が目をバチバチとさせる。不審がありありと眉根に刻まれていた。
「ん?」「だ、だって部下がいなかったら」
「あー。だいじょうぶだ」(その自信はどこから?!)
「ホラ!」自慢げに取り出したのは、カード型の機械だ。
 十センチほどで分厚い。ロマーリオの顔写真が貼り付けてあった。
「これ、両目を押すと喋るんだぜ。なんでか、ロマーリオが帰る前にくれてな〜。寂しくなったらこれを見ろってさ! ハハハ。ガキじゃねえっつーのに」
(そ、それって寂しがるとかそういう意味じゃないんじゃ)人差し指と中指をチョキのかたちにさせて、言われた通りに両目を潰してみる。カチリと音がした。
『ボス、しっかり! 部下がついてます!』
「はずかしーモンだぜ、まったくよぉ」
「う、うん……。たしかに、色々と」
(ものっっすごく苦労してる。ロマーリオさんが)
 それでもある程度は格好よく見えるのはディーノの人徳か。青年は、目をニコニコとしたまま綱吉の頭を撫でる。……そしてやたらと距離が近い。唇が急速に乾く気がする。
 ペロリと舐めてぬらした。綱吉は抱いたままのノートを差し出した。
「ん?」「あ、あの。これはヒバリさんのなんですけど」
「僕?」デスクで、ヒバリが顔をあげた。
「あ……、の。ずっと前に、ヒバリさん、オレにこれを渡す――、ああいや違う。投げてきて」
「僕?」先ほどと、全く同じの低音だ。
 指先で机を叩きつつ、ヒバリはわずかにいらだった声音で問い掛けた。
「君って何なの?」
「さ、さわだつなよしですけど」
「君みたいなヤツは知らない。なのに変なウワサができているしノートまで持っている。君って僕の何?」
「それは」口ごもる。言えるわけがなかった。
 一言で。簡単に、一言でいえる間柄ではないのだ。
 友人でもなければ仲間でもない。幼い日に出逢った『つう』だと名乗っても今のヒバリにはわからないのだ。
「…………わかりません」
 剣呑に溜め息をついて、ヒバリは両手を組ませた。
「君を見てるとイライラするよ。どんくさいし、ウジウジしてるしハッキリしない。あの赤ん坊の知り合いでなけりゃ――」
「言ってやりゃあいいのに」口を挟んだのはディーノだ。
 声音はいささか尖っていた。ソファーの上で、足を組んだままヒバリへと笑いかける。
「お前さん、ツナのことを忘れてるんだよ」
「忘れてる?」「覚えてなくて当然だ。六道骸に、沢田綱吉の記憶を丸ごと壊されたんだよ」
「骸に?」イスが左右に揺れる。
 ヒバリが、考えるような目つきで天上を仰いだ。
「骸っていうと、花見のときにもいたね。黒曜事件の首謀者」
「そのとおり。あの花見、桜もキレーだったしお前さんも楽しげだったじゃねーか」
「桜……」ヒバリが微かにうめく。近くの綱吉だけが聞き取った。桜、と、繰り返すように少年が囁く。何度か繰り返して、その度にヒバリは眉間を狭めていった。
「…………」
「委員長?」草壁が腰をあげた。
「桜を思うと、何でだろうね」
「えっ?」ヒバリの視線は綱吉にある。
 ぎょっとするにも関わらず、風紀委員長は蚊が飛ぶほどの声量でうめいていた。
「君の顔がでる。夢……。何か、大切な夢をみていたような、気が、した……けれど」
 みるみると小さくなり、最後はほとんど聞き取れなかった。
「ま、別にいいんだけどな。思い出さなくても」
「ディーノさんっ?!」
 気付けば、すぐ背後にディーノがいた。
 伸びた腕が腰を抑える。右手の甲に広い拳が重なった。青く伸びたアザを横に撫ぜられる。
「っつ!」「こう、傷ばっか付けられたんじゃオレの楽しみが減るだろ?」
「は、はあっ?」(楽しみ?)聞き間違いだろうか!
 背筋を粟立たせる綱吉をおいて、ディーノはまっすぐヒバリを見返す。
「……変態?」ヒバリが口角をあげる。
 冷たく汗が光る。こめかみを伝っていた。
「あなたはゲイなのかな。沢田がホモって噂は本当だったわけだ」
「ちょっ。何いってんですか?!」
「好きに解釈しろよ。オレは正直にやってるだけだぜ」する、と、アザを撫でていた指が、五指のすき間に潜り込む。綱吉がビクリとした背筋を伸ばした。
「――――」ぎり。音をたてて、ヒバリが奥歯を噛んだ。
 袖から飛び出したトンファーが一直線にディーノの顎を狙う!
 一歩、後ろに下がるだけで避けた。ディーノと一緒に後退る形になって、綱吉が活目する。デスクの上に乗り上げた風紀委員長は苦しげに片手をついた。
「いたい……」ポタ、と、汗が机上で円をつくる。
「どうしたんですか。委員長!」
 ヒバリは弱々しくもかぶりを振った。
 深いシワがシャツに刻まれる。右手の五指が、心臓に相当する位置を深々と握りしめていた。
「ヒバリ?」窓から声がした。リボーンだ。スーツのハットをつけたいつもの姿。それを見るなり、ヒバリは目を細めた。
「赤ん坊。何か僕にいうことはっ?!」「ハア?」
 惑った眼差しをしたが。綱吉を見つけて、リボーンは眉根を寄せる。それだけで充分だった。――もとから、返答を期待してたわけではなかったのだろう。
「おいっ?」「ヒバリさん!」
 リボーンを押しのけ、ヒバリが身を乗り出した。
 そのまま窓を飛び越えた。慌てて、綱吉もリボーンを押しのける。
 黒い人影はグラウンドをすぐさま横切った。そして校門を越えて、晴天の下で行方をくらます。振り返ることすらなかった。
「ヒバリさ――んっ!!」
「どうしちまったんだ。委員長は」
 草壁が戦慄く。ディーノは微かに笑いを浮かべていた。
「なかなか、脆いところも併せ持ってるみてーだな……」
「呼び出しに応じた途端にコレか。オレもついてねえ」
「だ、大丈夫なのっ? すっごい苦しそう――」呟いてから、ハッとした。「ヒバリさん、体は悪いんだよ! 一体どこにいくつもりで――?!」
「アイツの行き場所なんて知らねーな」
 リボーンがディーノを見る。ディーノは草壁を眺めた。リーゼントをぶるんぶるんと揺らして、彼は両手をあげた。「俺だって知りやせんよ! そんな、委員長のプライベートに深く立ち入るなんて恐れ多いことできるわけが」
「教えられそうですけど」
 スッ、と、一つの声が落ちた。
 一同が、――取り分けて、金髪の青年が警戒を露わにして後退りした。窓枠に色白の指先が引っかかる。六道骸は、体を一捻りさせるだけで応接室の中へと飛び込んだ。
「骸?!!」綱吉とディーノが声を重ねた。
「ま、待ってディーノさん!」
 綱吉がディーノに抱きついた。鞭を取り出すべく懐に腕を突っ込ませたところだ。
「止めるなよ。ウソに決まってるじゃねーか!」
「骸さんっ。どうしてそんなことが言えるんですか?!」
 骸は、デスクにもたれた。
 眉間をシワよせ、片腕で心臓を抑えていた。
 ハァッ、と、苦悶の吐息をはいて、考え深い眼差しを綱吉へと向ける。
「信じるか信じないか。あなたに与えられた選択肢はそれだけだ」
「――っ」左右で色の違う瞳。
 あの、雨の日以来だ。綱吉は唇を噛んだ。
「何度いえばいいんだよ。何度も言ってるじゃないか」
「……何度でも」クスリと口角があがる。
 綱吉は首を振った。骸に対しての返答ではなかった。
 胸中で、俯く姿がある。(ヒバリさん。オレも。オレも何度もあなたを追いかけた)
 そしてヒバリは逃げた。その心は、触れることのできないところまで行ってしまったのだと、雨に打たれながら確信した。さめざめと『一番のバカ、君だよ』と言ったのは誰だったか。愛してると、僕が守ると、もう泣かせないと、
(そのすぐ後で思い切り泣かされた)
『忘れないで!』と、言ったのは誰であったか。
(ヒバリさん、全部ヒバリさんなんですよ)
(ヒバリさん……)ぽろりと涙がでた。
「マフィアになるとか、ならないとか」
 俯けば、ぱらりと飛び散る雫が見えた。光っている。きらきらして光をあちこちにばら撒いている。炎が、見えた。「そうじゃないんだ」
「ツナ?」
「そんなの、もう、理由になってない」
 静かだ。風のない海原。風の吹かない大空。
 そのど真ん中に立っているような心地がした。意識が鮮明になっていく。心臓が耳の裏に飛んできたようで、ひどいほどに、どくんどくんと高鳴りが大きく聞こえた。
「忘れられたままなんてイヤだ……」
 唸り声。自分が、自分自身とズレていく。震えているのだ。視界が狭くなる。
「思い出して。思い出して、もらう。だから、だから死ぬ気で……っっ」一言、一言が重い。その重さを振り切るように、全身で踏ん張りながら顔を持ち上げた!
「死ぬ気で……っっ!!」ぶわり、空気が動いた。
 ディーノが目を剥く。リボーンも呆気にとられていた。
「死ぬ気でっ、ひばりさんを追いかける!!!」
 骸は眉間を寄せる。死ぬ気の――額で炎を燃やしたままで、綱吉は拳を握り締めた。ビリビリと震えている。言葉と共に肌が粟立った。その名残が、小さな炎が、体の内側でくすぶっている。
「つ、つな……?!」「――ったく」頭を抱えたのは、リボーンだ。
「展開についていけねーのはオレだけか? ああ?」
「自力の死ぬ気状態ってヤツ、か。これが!」金色の瞳がまじまじと覗き込んだ。
 綱吉の全身から、煙のような赤いオーラが立ち昇っていた。炎がゆらっとさざめく。
 骸を振り返る動作は緩慢だ。噛みしめられた声音は、ひとつひとつが反響した。
「ああ。何度でも信じる。頼む。ヒバリさんのところに」
「泣きながら、ですか。くふ、ふ、君って人は、本当に格好がつきませんね」
 骸が小首を傾げる。彼自身も汗を掻いていたが、俄かな微笑みが乗っていた。
「それでこそツナってか」ディーノだ。その肩に赤子が乗った。
「ダメツナっぷりもここまでくると見事だな」
(何て言えばいいかとか、そんなのはわかんない……)
(でも)胸を抑えて、綱吉は自問する。(でも。そうだよ。でも、だ!!)
 骸もディーノもリボーンも。腰を抜かした草壁も、全員が綱吉を見つめている。
 コクリと頷いた。目尻を、拭った。散った雫に焔が映る。
「ヒバリさんはどこにっ?」
「……光ヶ丘です」綱吉が固唾を飲む。
 光ヶ丘。以前、そこに住んでいた。幼稚園を卒業するのとほとんど同時に引越した――。
 油断したら、また、泣いてしまいそうだった。ヒバリが光ヶ丘に向かったのなら、完全に忘れ去られたわけでは、ない、のだ。赤子が顎を引いた。綱吉は拳に力をこめる。額が熱い。
「もう泣くなよ。踏ん張るときだぜ」
「ああっ!」


つづく!


 

 


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