一満の桜がごとく!
第1話:公園に桜が咲いた
あまーい、蜜の香りだ。
少年は日差しの中でもたれていた。
白みを帯びた花びらが頬を撫で首筋を撫で、最後に人差し指を舐める。人差し指は、ピクリと跳ねた。眉間にシワがより、鼻はクンクンと上下に動く。
(桜のにおい。春のにおい)
(でもそれだけじゃないな。これ……、なんだろう)
(スッて鼻の奥に潜って額から抜けてく。スッキリしてて、まるで体臭のない動物みたいな――)
さらに鼻を押し付ける。それが、モゾモゾと動く。動きを阻むようにさらに強く顔を擦り付けた。疑惑は確信に近づいていく。
(嗅いだことがある。なんか、ずっと昔に――)
「ちょっと。赤ん坊。なにこれ」
「振り払えばいいだろ。いつもみてーに殴ってやれよ」
うつらうつらとしながらも、少年はさらに体を摺り寄せる。桜の幹の割りには、ムニムニしていて、体温があって気持ちがよいのだ。完全な確信にしようと、さらに鼻を上向けたところだ。
「ぎゃあああ――――っっ!!」
「寝ぼけるのも大概にして欲しいんだけど」
仏頂面の雲雀恭弥が真前にいた。ビニールシートの上であぐらを掻いて、手には、オレンジジュースのコップがある。
慌てて首を巡らせた。公園。人気は少なく、花見客がブランコの方まではみだしていた。
「ガハハハハッ。もっと押せ押せーいっ!」
「テメー、ざけんなよ! 次はブッ殺すッ」
「とかいいつつ、ちゃんと罰ゲームやるあたりエライよなぁ。あ、次、オレを押せよな、獄寺」
「ランボに山本に……って、あれ? カードゲームは」
「とっくに終わったよ。君が寝ちゃうから」
「そ、そうなんですか」口角を引き攣らせたが、ヒバリは、あくびをすると背後へ体重を預けた。彼の後ろには、四メートルはあろうかという桜の巨木があるのだ。
すでに宴もたけなわだった。
女子組は顔を寄せて熱のいった相談をしていた。ビアンキの膝の上にはスーツ姿の赤子がおさまり、カードを並べていた。
(寝ちゃったのか。……さすがに二時間ぶっ続けでウノは疲れるって)
幹に寄りかかるヒバリの横顔は穏やかだった。何かを慈しむように。
思慮深い輝きを黒目に乗せて、桜の散らばる青空を見上げていた。まだらに伸びた雲で太陽が隠れたが、ほんの一瞬だ。再び差し込んだ黄色の陽光に包まれながら、ようやっと綱吉は思い当たっていた。錆びたロボットのように、少年は風紀委員長を凝視した。
今日の彼は私服だ。黒いワイシャツで、その腕に風紀の腕章はないのである、が。
少年、沢田綱吉は濡れた襟首をぞくぞくしながら見つめた。
シャツの中から氷がでてくる。綱吉はうめいた。顔色は青く、背筋は仰け反っていた。
「あ、あの……。もしかして、オレ、桜じゃなくて。その、ヒバリさんに寄かかってたり?」
「してたね」
冷え冷えとしたものが背筋を走る。
「こ、こここのたびはとんだご無礼をっっ」
シートに額を擦り付ける綱吉だが、対するヒバリの眼差しは醒めたものだ。ツンと顎を反らして、舞い散る花びらを目で追いかけた。
「今日だけだよ。せっかくの赤ん坊の誘いだから」
「えっ?」
「無礼講。あの胸くその悪い分け目頭たちをやっつけたお祝いでしょ? 血に染まった桜っていうのも、捨てがたいものだけどね」
(な、なんか恐ろしいこと言ってる――っ)
正座したままで、土下座を崩さぬままで、しかし綱吉の喉は精一杯に仰け反っていた。呆れた顔をして、ヒバリが手をブラブラとさせる。アッチへ行け、というジャスチャーだ。
爆撃の起きそうなブランコではなく、綱吉は、春の陽気漂う女子メンツのもとへと逃げ込んだ。
「誰だよ! ヒバリさん呼んだやつはぁ〜」
声のトーンを三つほど落とした。
実はきく前からわかっている。綱吉は一直線にリボーンを見つめた。
「オレだぜ。骸たちをやっつけるのに、アイツも大活躍してたじゃねーか」
「そうだけど……っ。安心できねーよ! 本人は無礼講とか言ってるけど怖くてウカウカできないじゃんっ」
「案外、あいつもテメーと仲良くする気があんのかもしれねーじゃねえか」
カードをめくりながら、リボーン。
「そうは見えない。絶対、リボーンの誘いだから来たんだって」
ヒバリは、幹に背をあげたまま動かない。
距離は数メートルほどだが、表情までよく見えた。
ボンヤリと桜を見上げて、心ごとココではない遠くに飛んだようである。お前らとコミュニケーションを取る気はない、と、全身で語っていた。
ハァ、と、ため息をついて、綱吉はリボーンの真前に腰をおろした。
「気まぐれな人で助かったよ……、ホント」
「ツナ君。今ね、リボーン君がカード占いやってくれてたんだよ」
「へ〜。それで盛り上がってたんだ……、て、これ、ウノじゃん!」
リボーンは、えへんと胸を張った。
「カードはカードだろ」
「む、無茶苦茶な! ウノ占いなんて聞いたことないよ?!」
「じゃ、今、聞け」
ムチャクチャだ――っ。
再び頭を抱える綱吉の背後に、ハルが回りこんだ。
「ツナさ〜ん。リボーンちゃんの占いをないがしろにするなんて、このハルが許しませんよっ」
「もお……、なんだよ、オレを占うこと決定?」
『うんっ』
京子とハルが声をあわせた。
またもやため息をつく綱吉だが、悪い気分ではない。
昼食は、母親が用意してくれた重箱と彼女たちが持参してくれたサンドイッチだった。春の陽気の中でキャアキャアと喜ぶ少女たちの声を聞く――まさに、平和が肌に染みて、綱吉は両目に涙すら浮かべかけたのだ。腕を引かれながら、綱吉は胸中でうめいていた。
(あの戦いがウソみたいだよ。本当に)
シートのど真ん中では了平が大の字になって寝ていた。フゥ太とイーピンは、手を繋いだまま散歩にでかけた。綱吉は桜を見上げた。見上げながら、ニカリと歯をみせた。
「……よっし。じゃあお願いしよっかな。任せたぜ、リボーン!」
「おうよ。テメーのこれからの運命を教えてやるぜ」
ニヤリとして、リボーンが赤の『1』をみせる。
目にも止まらぬ速さでカードを行ったり来たりとさせて、シートの上には六枚のカードが並んだ。ピラミッド状の配置だ。リボーンは感嘆とともに顎に指を当てた。
「さすがだぜ。ツナ」
「ん? どんな結果なんだよ」
ハルから缶ジュースを受け取り、綱吉。
リボーンは躊躇なく言い切った。
「最悪。ダメダメ。波乱で破滅だ」
「ぶっ!!」
「ツナさん!」
青空に放り出されたジュースをキャッチしたのはハルだ。
シートに昏倒しながら、綱吉がぜいぜいとうめいた。
「おまっ。人が平和だなぁって和んだ直後になんつーことを?!」
「テメーの生涯がどんなものになるか、桜が散る前に決まっちまうだとよ。今のままだと破滅の色が濃いな」
「破滅って。桜はもう散り始めてるよ!」
「桜みてーに潔く散れるといいな、日本人」
「いやいやいやいや。散ること前提にすんなイタリア人ッ」
「よくわからないけど人種差別するなら容赦しないわ」
「だ――っ。迫害されてンのオレだよ?!」
ポイズンクッキングを掲げるビアンキに絶叫する綱吉だが、リボーンはニヤニヤとして唇をうごめかすだけだ。小さな二つ目もニヤリと折られていて、明らかに楽しんでいる。
「まぁ待てや。まだ終わってねーぞ」
「まだあるってのかよ……?!」
ウンザリする綱吉に、リボーンは朗々とした声で付け足した。丸まるとした指先で、カードをすでに回収している。
「怪我に注意。口は災いの元だと知っとけ」
「はぁ」「で、思わぬ再会があるでしょう、だと」
「…………」
半眼でリボーンを見下ろす。
この赤子に文句をいうなど、恐ろしいことだ。しかし綱吉はうめいていた。
「……占ってもらうんじゃなかった……」
「ねえ、ツナ君」
割り入った声は強張っていた。
「その人、知り合い?」
「え」京子が指差したのは、綱吉の後ろだ。
振り向くより先にリボーンが腕をあげた。気軽に、
「よう。来ると思ってたぜ。六道骸」
「ぎゃああ――――っっ!!!」
前方へと飛び出した綱吉だが、パーカーの裾を踏まれてつんのめった。チリッと前髪を掠って、ビールの瓶底がビニールシートに叩きつけられていた。
「ひぇぇっ……」
「どうぞ。手土産です」
六道骸は、ジャケットの襟を正しながらもシートにあがった。
パープルとブラックのストライプが、袖口からチラリと顔をだしている。
「ど、どーして骸がっ?!」
「黒曜事件、当事者の一人だからな」
「当事者っちゃ当事者だけど違――ッッ」
頭を抱える綱吉にハルと京子が目を瞬かせる。ビアンキは、鋭く骸を睨みつけた。その手は、自然と、刺し貫かれた腹をなでていた。
「処刑人に連れて行かれたんじゃなかったの?」
「僕の顔は、あちらにはバレてませんから……」
「なっ」正気に戻ったのは綱吉だ。愕然として、じろじろと赤と青のオッドアイを見回した。
「今は一人なのか。まさかランチアさんを身代わりにっ?!」
「そのための先輩ですから」
「他の仲間はっ?」
「彼らもこうなることを望んだ」
いささか面倒そうに答えて、骸はリボーンに向き合った。ビアンキが、両手で赤子を抱き寄せる。
「どうして僕の居場所がわかったんです? 招待状がきたときは、まさかと思いましたよ」
「オレの情報網は特別だぜ。蜘蛛をひっかけるくらい朝メシ前だ」
「ほう……。まぁ、いいでしょう」
「? ツナさん、この方もお友達ですか」
「いや、友達っていうか」ライバル。宿敵。
どれもピンとこないで沈黙している間に、骸は飄々とジュースを受け取った。
と。オレンジ色の液体が、ビシャビシャッと音をたててビニールシートに広がった。骸は手のひらを開いていた。弾き飛ばされたコップは了平の顔面へと落ちた。
「むっ?! ――極限かっ?!」
「はひーっ?!」
ハルが綱吉の背中に逃げ込む。
ヒバリが、トンファーを両手にして腰を屈めていた。額への直撃を避けた骸だが、右の手首に金属棒が命中している。さりげない仕草で、骸は腕を背後へと引っこめた。
眉を顰めたまま、少年たちは挨拶をした。
「今は忍ぶ身なんでトラブルは回避したいんですが」
「別に昔のことをグダグダ言うつもりはないよ。僕はね、」
ビッと人差し指がビール瓶を捉えた。
あうっ。うめいたのは綱吉だ。ヒバリが来るというので、獄寺や山本に酒の持ち込みを遠慮させたのだ、が。
(こんなとこに伏兵がいた――――っっ)
「? 宴にはコレが付物でしょう」
「君、風紀委員を舐めすぎ」トンファーがぐるんと回転する!
「クハハ。酒のない宴会など桜のない花見じゃないですか!」
骸がシートから飛び退く。いつかの槍ではなかったが、懐から出したものは六十センチばかりの棍棒だった。それが三つ、鎖で繋がっている。
「なんだ! 次は腕鳴らしか! 上等な催しだ!」
「お兄さん! ヒバリさんもっ――、て骸もだよ!」
「なんだぁ?! おい、何で六道骸がいるんだよっ!!」
「あっ、獄寺くんタンマ――ぁっ」爆風に京子とハルが悲鳴をあげた。
スカートを抑える姿に、綱吉はしばし制止を忘れて見入ったりしたのであるが。ビアンキとリボーンの白眼視に、慌てて喉を張りあげた。
「爆撃禁止っ。ちょ、落ち着いてよ?!」
棍棒を連結させれば一本の槍となる。骸とヒバリが打ち合いを始めた。が、了平が突っ込み、二人は散り散りになる――公園を飛び出した骸を追って、再び獄寺の爆撃だ!
綱吉が青褪めたままリボーンを振り返った。
「は、波乱で破滅ってこのこと?!」
「また骸絡みとは、テメーもつくづくついてないな」
「リボーン! ヒバリさんと骸を呼んだ責任とれ!」
「ほー。よくオレにそんなクチきけんなオイ」
「ぎゃああああ!!」額に銃口がめり込み、綱吉は慌ててシートを飛び出した。ハルはひたすらにあたふたとして、しまいにはコケた。
「まぁ大丈夫だろ。ディーノもそうだが、オレの弟子どもは悪運が強ぇーのが取柄だ」
「ほ、誉めてんの……っ?!」
爆風に煽られつつも、公園の真ん中によろよろと進み出る綱吉だが、
「こっちを見ろぉおお――――っっ」自慢げな絶叫に、ギョッと目を剥いた。
「みんなでランボさんのこと無視してるけどイイのかな〜〜っ。ランボさん撃っちゃうもんね! コレ何かわかるかっ?」
「十年バズーカ」頭を抱えて、ぐったりと、綱吉。
ブランコの上で、モジャモジャした頭の子供がバズーカを天にむけて構えていた。もみ合うヒバリと了平に狙いがある。歩み寄ってランボからバズーカを取り上げようとしたが。
その前に、山本が手をだした。
「おい、ボウズ。ブランコの上で立つのは危ないぜ」
「あっ」「え」山本はランボの足を掴んだ。
バランスを崩したバズーカが、ぐんっと下がって綱吉の顔面に照準をあてる。
「は、はめつっ?」
引き攣りつつ、思わずうめいた。
次の刹那、どかーんと派手に閃光が飛び散った。
つづく!
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