ふたまた帰り








  一人で帰る途中の道で後姿を見つけた。
 呆気にとられた顔をしたが、すぐに追いかけることにした。
 彼が出歩いているなど想像がつかなかった。そうした状況にあるとは思えなかった。ゆらゆらと、頭髪を上下にゆらす彼は、ゆっくりと両足を前後させるだけだというのに全力で走っても追いつけなかった。
「待てよ。六道骸だろ?!」
 肩からズリ落ちかけたカバンを直して、叫ぶ。
 住宅街から大通りへと移っていた。左右に別たれた道の、真ん中に二車線のコンクリートが走っていた。後姿は歩道橋を昇っていく。
 一瞬だけ、躊躇していた。沢田綱吉には、近頃、ボンゴレ十代目としての自覚が芽生えつつある。立場を意識するようになった、と言ったほうが正しいかもしれない。ボンゴレであるだけで命を狙われる現実を知っている。そして、骸は、まだ自分を恨んでいるはずだ。
 ぐるりと目眩を伴った思考の渦が綱吉を取り巻いた。
 が、影が歩道橋をわたりきろうとしているのに気付くと不安が凌駕された。
「どうしてるんだ? あれからどうなったんだよ。なぁ!」
 カンカンと足音を響かせて階段を昇り、降り、ゆったりと遠ざかる影へと。
 六道骸へと手を伸ばす。綱吉の手は、肩口を掴んだ。
 その瞬間に背筋が戦慄いた。リボーンのいった超直感のなせるワザだった。綱吉が両手を跳ね上げて後退る。振り落とされたカバンは車道に飛び出て、ブルーの乗用車が大きくハンドルを切った。
 キキィーッッ。タイヤの擦り切れる音と、にわかな喧騒。
 綱吉は呆然と、振り返った少年を見つめた。
「まち……がい?」
「――――」
 彼の顔面は、包帯に覆われていた。
「処刑人……? 骸じゃ、ないのか?」
 震え声が不安で揺らぐ。包帯の狭間から、青褪めた唇が覗いていた。
「……ちがう」老人の声だった。綱吉は再び、ハッとして六道骸を見上げた。
「骸に成り代わってる――のかっ? アイツの名前も格好もぜんぶ取り上げて?!」
「それが処刑というものだよ、ボンゴレ」
 がらりと声音が変わる。少年は、ぐにゃりと背筋をまげて、自らの顔を覆う包帯の一部を引っ張った。下には六道骸の顔があった。しかし、赤と青とで相反していたはずのオッドアイはなく、二つの碧目が両目のくぼみに納まっていた。
「顔はできた。ガッコウでも疑われない。我々は六道骸の抹殺に成功した」
「それがあんた達のやり方かよ……?!」
 処刑人は哄笑じみた苦笑を返した。
「口が過ぎるぞ、ボンゴレ。罪には制裁を与えるものなのだよ」
 積み。その重さを知らないわけではない。骸は人を殺しているのだ。一人や二人ではない。ランチアの一生も台無しにした。と、そこまで考えて、綱吉は去り行く少年へと声を張りあげた。
「ランチアさんはっ?! あの人の抹殺は――」
「済んだ。操作された人形であろうと罪は罪。罰も罰だ」
 飲み込んだ空気が、喉につまる。綱吉は、もう処刑人の背中を呼び止められなかった。
 握った拳が痛いほど震えていた。車道に放り捨てられたままのカバンを避けて、幾台もの車がジグザクな走行を繰り返す。歩道橋の下に停車していたバイクが走り出した。
「あ。……どうも」ライダースーツの男が乗っていた。
 差し出されたカバンを、フェンス越しに受け取る綱吉の表情は暗い。
 ライダースーツはすぐに立ち去らなかった。ヘルメットを被ったままで、ものいいたげに少年を見下ろしている。涙目であることは自覚している。
 とてつもなく情けない場面だというのに、どうして立ち去らない。
 引き結ばれた唇は、気まずげに開いて、閉じた。
「あの。まだ、何か」
「心配はない」
「えっ」
 クラクションが二人の間を引き裂いた。
 一台の、黄色い乗用車が歩道脇に停車していた。
 続けざまにクラクションが鳴る――ブブブブブブ、と、六度もなった。
 目を丸くする綱吉だが、頭上にあるヘルメットから苦笑めいたものがこぼれた気がした。男はバイクに跨り、エンジンを鼓動させた。視線が向けられたのを感じて、綱吉が軽く顎を引く。
 バイクの男は満足げに頷いて、車体を発進させた。
 黄色い乗用車が後を追いかける。車の前半分、助手席のところから、腕が垂れていた。
「…………?」ゆるいスピードだ。車もなかも覗きこめるだろう。これもまた超直感のなせるワザだった。綱吉が首を伸ばす――。
「世の中は広いですからね」
 その声と同時に、両耳にサングラスをひっかけた少年が現れた。
 口角を悪戯に吊り上げて、彼は垂らしたままの腕の肘を折る。サヨウナラと挨拶するポーズで、黒い手袋が夕日を浴びてオレンジ色の光沢を映していた。
「また機会があれば会いましょう。決着はそのときに」
「む、むくっ」グンとスピードがあがる。運転席には、ニット帽を目深に被る少年があった。
「ろ?!!」肩ごと振り返って、車体の後姿へと叫び返していた。
 ナンバープレートがない。グングンとスピードがあがる。改造を施してあるのだ、黒と灰がまだらになった排気ガスで車の影が掻き消された。
 呆然と突っ立った少年の肩から、再び、カバンがずり落ちる。
 しかし、やがて綱吉は自らの胸を撫でた。リボーンにもいえない秘密ができたことが少年にはわかっていた。浅いため息が頻繁に喉を通るが、その横顔は沈んではいない。
「なんだよ〜。心配させないでほしーよ」
 眉をひしゃげながら唇で笑って、家路へと引き戻った。

 



おわり



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06.03.20