ふたまた帰り







 サングラスの奥で、二つ目が瞬いた。
 まくられた紙切れは、すばやく擦れあってバラバラと心地良い音色を響かせる。後部座席では、一人の少年が、身を丸くして寝息を立てていた。
「旅立ちの定番といったら北だと思いますか?」
 少年の指先は、最後部までめくり終えてしまった。
 何でもないように尋ねた彼が、その実、迂闊なことをいおうものならば、全責任を押し付けて決定させてしまおうというハラであることを知っている。千種は首をふってハンドルを切った。高速道路の入り口が見えた。
「オレたちは骸様がいうとこなら、どこでもついてきます」
「それはそれは……。いいんですけどね。今の問題は、どこに旅立つかですよ」
 ボールペンの爪先がビニール加工の施された表紙を叩く。
 地図帳、と、シンプルな一言が記されたほかには、ただ、青い紙面だった。
「骸様に任せます。行きたいところでいいです」
「…………」瞳を半分にして、千種を睨む。
 が、少年はそ知らぬ素振りで瞳を上向かせた。バックミラーが夕焼けを反射した。
 後ろで眠りこける城島犬は、黒ブチのメガネをかけていた。料金所をでると一台のバイクが隣り合わせになった。少年、六道骸は、顎をしゃくる彼を、先程と変わらぬ半分に閉じた瞳でもって見返した。
 片手だけをあげて、インターチェンジを指差す。バイクは車体を先導するかたちで前へと進んだ。
 肩を竦ませ眉をひそめて、骸はライダースーツを睨みつけた。
「面倒になったもんですよ」
 人差し指がサングラスを押し上げる。
 黒と緑を掛け合わせた色のサングラスだ。それが外れて、骸は久々に真白い視界を手に入れていた。彼にとって、大変に懐かしく。そして、大変に遠のいた世界の姿だった。
 千種がにわかに眉を寄せる。
 苦笑いをして、骸はサングラスをかけなおした。
「契約は僕の十八番ですから。破棄するなんて愚かなことはしませんよ」
 涼しげに言い捨てて、片腕を車外へ垂らす唇は自嘲で歪められている。
 横目で一瞬だけ骸の様子を窺う千種だが、彼の二つ目にはオレンジのカラーコンタクトがあった。チラと骸が視線を返す。オレンジの目をした千種というのはひどく違和感を伴うものだった。
「罪と罰、ですか……」
 二度と元の顔は晒さない。町にも戻ってこない。
 協力の要請を断らない、必要とあらばいつでもクビを貸し出す。
 提示された条件は大量にあった。それら全てを飲み込んで、少年たちは今に至るのだ。
「地味にイヤガラセなのじゃないかと疑いたくなりますけどね、これは」
 唇のなかで囁きながら、骸は、コーラとよく似た色に染めあがった世界を閉じた。まぶたの上で睫毛が風をうけ、左右に震える。出離の前に少年と再会したのを思い出した。
 グラス越しの視界のなかでは、彼の姿も黒く濁ってしまうのであるが、脳裏の彼は健康的な艶やかな肌をしていた。目も髪も茶色く、よどみの一片もない。
 いつか、彼の色も思い出せなくなる日がくるのだろうかと骸は問い掛けた。
 脳裏での問いかけだが、自分自身がわかっていないのだから答える声などあるわけがない。
 瞬きをした。何色の車に乗っているのか、忘れたことに気がついた。が、少年は気付かぬふりをつづけて、手のひらで車体を撫でた。風に殴られた鉄面は凍えていた。









おわり



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06.03.21