空をみあげる







 

 

空を見上げた。
 黒に灰色がにじんでいた。
 もやもやした楕円の真ん中に鈍く黄色に光るものがある。
 満月れすかね、子供の一人がシワがれた声をだした。
 隣の子供が言った。それなら、君は変身ができるのでは。反対の子供は、言った。
「狼人間」
「そう。犬なら丁度いいでしょう」
「? オオカミニンゲンって何れすか」
 並んで雑木林を歩いていた。風のない夜で雲が動く気配はない。青みがかった頭髪はメラメラした赤いものに照らされていた。彼が持つマッチの光を頼りに、三人は森への突入を試みていた。
「この局面を抜けたら教えてあげますよ。千種、弾はあと何発ありますか」
「三発」ナップザックを背負い直し、感慨もなく言い捨てる。
 犬は両目を光らせながら、自らのポケットを撫でた。柄にはまった大ぶりのナイフが捻りこまれていた。頷いて、骸は天頂にある鈍い光を見上げた。輪郭がブレてそれが満月であるかはわからない。
 赤目と青目、左右で色の違うひとみは、さざめく木の葉へと焦点を逸らして、黒く濡れた大地まで下げて、最後に街明かりへと振り返った。
 平然とした面持ちで尋ねる。
「千種は僕を撃てますか」
「無理です」
 間のない返答だった。
 ふたつの声音は揺れていなかった。それらは、スッと闇に透けた。犬も首を振ったので、骸は千種の差し出した拳銃を受け取った。
 そうしてから、一歩、二歩と、漆黒に濡れた森に足を進める。
 風と、獣と夜の匂いで満ちていた。背中を見つめる千種と犬は、「まあ、」と囁く声を聞いた。
「きっかり三人分を残してくれただけでも、天に見放されたわけではない」
 吊り上げた目尻とは逆に、骸の口角には笑いがにじんでいた。
 自らの口をでた言葉を、自らで信じていないようなきらいがあった。そう言った後で、口を一文字に引きむすんで空を仰いだ。千種と犬には、自らに信じろと言い聞かせているように見えた。
 右側と左側におさまって二人は強く頷いてみせた。
「骸様の言うとおりです」「ぜってー明日も生きてますよ!」
 二人は自覚をもって骸の言葉を盲信していた。その言動の矛盾に気がついても、天と地がひっくり返るほどに有りえないことであっても信じる、かの少年の言葉ならば信じるのだ。
 それを知っていた。だから、骸は笑顔でもって二人の肩を叩いた。
「いきましょう。夜が明けるまえには、抜けますよ」









空を見上げた。
 容赦なく顔面を叩かれて、苦笑がうかんだ。
「あちぃ。ロマーリオ、雨が熱い場合はどうすれば?」
「シャワーに当たるんです。洗い流しちまえばスッキリする」
「なるほどぉ? そりゃー名案だわ」
 肩を竦めて、ディーノは街を見渡した。雨は生臭さを伴い、異臭となって鼻の奥をつついた。
 けぶるイタリアを美しいと感じるときはあるのだ、が、今の彼には禍々しいものと見えた。
「汚れたものを分別なくきれいにする。神サマってのは物好きだぜ」
 街の一角が汚れているのは、誰かが家畜にフンをさせたからかもしれない、誰かが血を流したからかもしれない。裁かれるべき罪が込められていたのかも知れなかった。ディーノの肩が微かに笑ったので、カサを引っ込めないまま、ロマーリオは顰め面を見せた。
「ボス、感傷的になるのはよくねえ。悪いのはアッチだ」
「わぁってるよ」
 ビルの屋上に彼らはあった。
 一人が両手を、一人が両足をもって、魂のない肉体を階下へと運び出していた。
 作業に励む部下はその二人だけでなく、八人も十六人も、何十人も。
 励む部下らと目が合って、ディーノはニカリと華やかに笑った。
「ヤマは片付いたわけだ。お疲れさん。あとで、ぱーっと酒でも呑もうぜ」
  にわかな歓声が湧き起こる。死体と死体と死体を担いだままだ。その光景をあますことなく見つめながら、ディーノはスーツを脱ぎ捨てた。胸の全面が真っ赤なスーツだった。背中は白い。雨があたるたびに赤が滲んでいって、ディーノの足元には赤い液だまりが出来上がっていた。
 部下より先にビルをでた。カサは最後まで受け取らなかった。
 ベンツに乗り込む直前に、ディーノは再び天頂を見た。雨粒を見つめた。
「やっぱり、あちぃーなあー……」








空を見上げた。
 雲間から伸びた明かりに導かれたのだ、少年はベッドから頭を半分だけ垂らしていた。視界の端では電卓片手に武器を並べる赤子。いつになく生き生きとした目で、表面を明明と燃やす鉄の生物に熱中していた。赤ん坊の生きがいを思い、ツナは眉根を顰めた。
「あれから一週間だぞ〜。オマエ、そんなに戦いたいわけ?」
「えらいクチきーてくれんじゃねえか。ヒットマンが武器と争いを嫌ってどうなる?」
「平和になるんじゃないかなぁ」
「ボンゴレとして失格だな」
 金属の一つが取り上げられて、ツナの額へと銃口を向けた。
「……別に。合格めざしてるわけじゃないし……」
 苦々しくうめくがツナは動かない。日曜だというのに部屋に篭っていた。外にでる気がしなかった。
 朝から空を覆っていた雲がようやく消えて、ベッドから起きる気になったツナであるが、リボーンを見つけて脱力し、そのままダラリと仰向けの姿勢を堅持している次第である。
 リボーンはつまらなさそうに鼻を鳴らして、拳銃の背を肩に当てた。
 そうして天頂から伸びた光を仰いだ。窓辺の右側だけが、照らされている。室内は依然として暗い。
「テメーは腑抜けになっちまったな。ブラッド・オブ・ボンゴレはどうした」
「あんなのオレじゃないよ……。こうしてダメダメな方があってる」
「怖気づいたのか?」ツナの眼球だけが動いて、リボーンを見つめた。
 少年の意志に反して赤子がニヤリと笑った。
「そういう煤けた眼差し、好きだぜ。マフィアの目だ」
「やめろよ。オレ、もう寝る!」
 叫んで、ツナは足元によけていた布団を鷲掴んだ。自らを包ませると、背中を丸くする。
 笑いを消さないまま、リボーンは天に銃口を向けた。










空を見上げた。
 青と白が半々で、陽光が建築物を浮き彫りにさせる。
 少年は落ち着かない様子で、屋上の柵に片腕を引っかけた。
「晴れなかったな。最後には気持ちよすぎてダメなくらいの快晴が欲しかったんだが」
 クセのついた金髪が風で揺らされる。彼に向き合う赤ん坊は、特小のスーツを身にまとってアタッシュケースをぶら下げていた。
「ヘンなとこにこだわんなよ。ボスらしくねえ」
「ははっ、跳ね馬らしいってその内、思うよーになるぜ!」
「ほお? 大きくでたな。オレがいない間に失墜したらタダじゃおかねーぞ。教え子の恥は教師の恥だ」帽子のツバをさげて、リボーンは薄く微笑んだ。
 首からさげたおしゃぶりも風で揺れる。空模様の割りには荒い朝だ、胸中で囁きながらディーノは頬を掻いた。「まぁ、なんだ……」
「元気にしてくれ。エンツィオも大事にする」
「当たり前だ。他のヤツらにもよろしくな」
「本当に護衛いらねーのか? 俺は無理でも、頼めばいくらでも」
「バカか。ヒットマンがマフィアを護衛にしてどうするってんだよ」
 確かに! 豪快に笑って、ディーノは柵に背中を押し付けた。リボーンの声が笑った。
「テメーもしっかりな、ディーノ。この世界はいきなり足元から掬われてくもんだ。重々いうが、ニンゲンの情けは、だすトコと引っ込めるトコをわきまえろ」
「アイ・サー」ふざけた微笑みを貼り付けながら、ディーノは平手を額に翳してみせた。
 このビルは、キャッバローネのボスとして活動して、最初に手に入れた資産である。元は敵対組織のものであり、完全にキャッバローネが手中に収めてからまだ三日も経っていなかった。
 小さなヒットマンは扉へ向かい、開けながら、天頂へと視線をやった。
「オレはこの天気でいいと思うぜ」
「なんでだ?」「晴れすぎた空は不吉だ」
「人が死にやすい」静かに囁いて、黒目をディーノへと傾ける。
 幼さの残る顔立ちを歪めて、若きキャッバローネはリボーンと空とを見比べた。
「なるほど。教訓にしとくぜ。俺は雨がイヤだけどな」
「なんでだ?」「濡れるじゃねえか」
 リボーンがナルホドと言った。笑顔で、付け加えた。
「らしい返答だ。ま、せーぜーカサでもさして濡れねえようにな」








空を見上げた。
 青。頭上から二十メートルも先にある、小さな窓からは、一面の青が覗けた。
 左上の輪郭が光で滲んでいる。その少し上に太陽があるのだろうと少年は思う。空は晴れ渡り澄み切り、きっと、風も冷たいのだろうとさらに考えた。
 少年たち三人は肩を並べて地下牢の隅にいた。
 円柱状に出来上がったなかの、内側である。一人が寝息をたてて、一人が微動だにしない。
 両肩に圧し掛かる少年たちを感じながら、骸は手中の拳銃を弄んだ。トリガーに指をかけ、抜いてはかけ、時折り、窓に銃口を向けてみる。一望を囲む石畳からは氷の匂いがした。
 青空がいかなる温度を持っているのか。それを知ることはできない。
「おっと」取りこぼした拳銃がガシャンと音をたてた。
 首から繋がる鎖にぶつかっていた。犬と千種からも鎖が伸びて、三人の少年は、ズシリとした重みのある鉄鎖でもって、鉄柵の前に立てられた柱に繋がれていた。
 幅が十センチもある巨大な皮製の首輪が、重々しく首をぐるりと取り囲んでいた。輪の締め付けによって、喉の周辺には赤い痣がクッキリとある。
 薄く笑って、骸は自らの首輪を引いた。鎖が鳴いた。そして天頂の青を見た。
「天は人を弄ぶのがお好きなようだ。どうしてマフィアなどという腐った連中を野放しにするのですか?」
 鎖を舐めれば血に似た味がした。
「それとも、とりたてて僕らが悪いと……?」
 ゆるゆると拳銃を拾う。中にはたった一発の弾丸がある。
 処刑人に取り上げられなかったものである。自分たちを利用する気だろうかと胸中で独りごちた。
 やがて浅く笑った。相手がそのつもりであっても、自分たちは、またそれを利用し返してやればいいと。それを悟ったからである。
 自らのこめかみに銃口を押し付けた。鎖がまた鳴いた。
「諦めませんよ。まだ、僕は」
 カチと軽音が最初に聞こえた。
 直後に、どすんという音が脳の中ではじけて、同時に衝撃で全身が震えて、少年は前のめりに昏倒した。ぎょっとして目を開けたのは寄りかかっていた少年たちだ。
 犬が絶叫をつのらせたが、千種が制した。
「嘆くな!!」千種の半身は血で染まっていた。
  少年を突き抜けた弾丸は、千種が寝ていたところの少し上にめり込んでいる。
 見開かれたままの骸の両眼には青が映っている。空の青が落ちてきているのだ。唇を噛み、千種は、目蓋をつまんで目を閉じさせた。

 




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