天使の夜に!
「あ、ああっっ!!」
沢田綱吉の絶叫に驚き、窓の外で鳥が飛んだ。
「や、やばい!! 寝過ごしたっ!」掴んでいるのは目覚まし時計だ。八時に起きる、と、メモまで貼り付けてあるが、時刻はどー見ても十時を過ぎている。
閃光の如き素早さで着替えを済ませて、部屋を飛び出しかけたところで、
「…………」
綱吉は数秒に渡って逡巡した。
「ま。まあさァッ! 一応、向こうの好意だしな」
その頬が俄かに赤く染まる。
(受けてやらなくちゃカワイソウっていうか)
内心でボソボソ呟きつつ、机を漁った。赤いベルトの目覚まし時計を腕に巻く。と、視線を感じた。ハンモックの上からだ。
「お、おはよ。いってきまーす!」
「ヘー。ホー。ヘエエ」
家庭教師リボーンは愛弟子を冷たく見送った。
(あぶねッ。リボーンと会話するとうるさいからなあ!)
階段を駆け下りる最中に、母親の声がした。
「つっ君? 丁度、食パン焼いたのよー。食べる?」
「いいっ。急ぐから!」
廊下を走り、靴を履こうとしゃがみ込んだ。そこでまた綱吉は動きを止めた。数秒の逡巡を挟んで、リビングまで戻る。
「食べる! ジャム塗っといてくれる?!」
自分は洗面所に駆け込んだ。ばしゃばしゃと水を撒き散らしつつ、入念に三度に渡って洗顔をする。櫛を通して、髪を直している間に母親がまた綱吉を呼んだ。
食パンを口に挟んで飛び出すまでに一分程。
白々とした光に目が眩んだ。晴天だ。
綱吉は冷や汗混じりに腕時計を覗いた。時計盤と赤いベルトが太陽光を反射するので気が逸った。午後からの待ち合わせにすればよかっただろうか?
バス停までがまた遠い。と、綱吉は道の往来で大絶叫する嵌めになった。ズボンのポケットにサイフは突っ込んだが、ケータイを忘れている。
「はむぅっ!」
(う、うわっ。最悪! 連絡きてんだろーに!)
道を戻るにしても、また遅くなるし、バスに乗り遅れるリスクを考えたら――、考えながら角を曲がったときだ。綱吉は派手に吹っ飛んだ。
「ぶっふ!!」
臀部を強く打ち付けて、思わず首を竦めると、
「何、少女漫画みたいなことしてんですか」
呆れた声が上から降った。
「むあっ? ふ、ふむふぉ!!」
「遅いので迎えに来たんですけど……」
六道骸は、両膝に手をついて綱吉を覗き込んだ。太陽を背負っているのでまばゆく光る。黒いジャケットの中に紫を基調としたプリントシャツを着て、足元は黒い編み上げブーツで硬く固めている。衝突で弾き飛ばされた綱吉とは違って、ビクともせずに二本足で立っていた。
いきなりなことと、臀部での痛みもあって綱吉はすぐに声が出なかった。骸は興味深げに綱吉が咥えたままの食パンを指で摘んだ。
綱吉はすぐに口を開けた。
「ご、ごめん。寝坊」
「そんなことだろうと思いました。何度目ですか、これで」
食べかけの食パンを抜き取って、片手にしつつ、骸。赤と青の神秘のオッドアイが不機嫌そうに歪んだ。
「ご、五回目くらい……かな?」
「七回目です」
「ごめん」
思わず目を反らし、綱吉が頬を赤く染める。骸は黙り込んだ。機嫌の悪さがなりを潜め、代わりに、はにかむように目の奥をちかちかさせる。
「別に。気にしませんから。立ってください」
差し出された右手にはシルバーリングが二個ほど嵌めてあった。反対の手では、まだ食べかけの食パンを持っている。綱吉は、パーカーの上から薄手のコートを着ていたので六道骸の格好は随分な軽装に見えた。
手を掴んで、立つのを手伝ってもらいつつ、綱吉は尋ねた。ぱんぱんとお尻を叩いて砂を落とす。
「骸。寒くないの?」
「しかし……」
彼は独りごとのよう囁く。両目でじっと綱吉を見た。
「少女漫画ならココでパンチラがあるんですが」
「お前はオレに何を期待してんだよっ?!」
両手をワナワナさせると、骸はニコッとした。
「君にすぐ会えるって思って……。今日は室内に多くいますし、そんなに寒くならないと聞きましたし、君と一緒だとすぐに体温が上がるのでコートはいらないだろうと思いました……」
「?! お、遅れてごめんね」
「それに中はこうなってますから」
ジャケットをめくって、もこもこした白生地を見せられて頷いた。綱吉は口をすぼめる。
(今、なんか変なこと言われた気がするんだけど)
固唾を飲んで、上目で覗いてみると視線がぶつかった。
骸の目の下を赤くしていた。照れたように、小さく、呟く。
「お得意のツッコミはないんですか?」
「え? い、イヤッ、あ、その、え〜と……。なんでやねーん!」
ぺしんと腹に当たったチョップを見つつ、骸は冷めた調子で首を振る。手にしたままの食パンを綱吉の口に押し込んだ。
「うぐっ!」
「そんないい加減なツッコミだと関西の人に怒られますよ」
(は、反応に困ることだってあるんだけどな。オレだって)
急いで食べ切る。五歳児を褒める手つきで骸は綱吉の後頭部を軽く叩いた。喉に詰まらせちゃだめですよ? と、浅く笑んで見つめてくる。
並んで歩き出した矢先に、骸が言った。
今更ながらの話ではある。だが綱吉は、出会い頭に彼が自分の右腕を確認したのに気がついていたので、顔を赤らめた。
「その時計。つけてくれたんですね」
骸は平静を装うべく努めていると見えた。声が僅かに上擦っている。綱吉は上を見上げて苦笑した。並んで歩くと身長差が意識される。
「ま、まあ、たまにはと思って。せっかくくれたんだし」
赤いベルトに触れた。男物にしては少々、華奢な印象だが、痩せ気味で手の細い綱吉にはよく似合った。袖口からチラリと覗くとアクセントとして映える。
骸からの誕生日プレゼントだ。六道骸の身柄がボンゴレファミリーに引き渡され、あれよあれよという間に綱吉の誕生月である十月を過ぎて、ここまで来てしまった。交際を始めて三ヶ月目、とか、一般的に言うかもしれない。
何か褒め言葉を捜したような沈黙を挟んで、しかし結局何も言わず、骸は青空を見た。
まばらに白い雲がかかる。水色と白との境界線は滲んでいるため眩しく見える。
「もうすぐクリスマスですね」
「う、うん」
かぁっと頬を赤くしていた。当日を想像したからだ。骸も同じらしく頬に朱色の判を押したような顔をする。
「……期待してますからね?」
「なっ、なんだよ。つーか自分から要求するなよ!」
「だって言わないとくれなさそうですもん、君」
「うッ」
図星ではあった。
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(困るんだよな〜。恋人なんて持ったことないし! オトコ相手だし! 何を贈ればいいかなんか――、わかんねーよ。あーもー考えるだけで恥ずかしい! 何をあげれば喜んでもらえるんだろ?!)
綱吉は自暴自棄になってベッドに飛び込んだ。家の前にはまだ六道骸がいる。それがわかっているので、すぐ、起き上がって窓のカーテンを開けた。
道路の真ん中で六道骸が手を振っていた。
自分も振り返して、去っていく背中を見つめつつポツリとうめく。右腕にある腕時計の上に手を置いて、きゅっと拳にした。
「貰いっ放しも、悪いとは思うけどさぁ」
見ればハンモックの上は無人だ。
部屋に一人なのを確認すると、綱吉は床に転がった雑誌のいくつかを拾い集めた。パジャマに服を変えて、ごろごろとしつつ、物色をするが。決まりそうもない。
(クリスマスねえ。まー女の子に選ぶよりかは楽と思えば……。ゲームなんかあげてもいいのかな)
寝返りを打って天井を見上げる。
綱吉は、上半身を起こすとぽんと手を叩いた。机上から携帯電話を取ると、真っ先に友人の番号を呼び出す。
「あ。獄寺くん?」
今日の骸のファッションが脳裏にあった。
シルバーリングを二つも付けていた。ああいうのが趣味に違いない。
「銀製品とか売ってるお店、知らない? 欲しいんだけどさ。え、予算? えー、ご、五千円より下じゃないとキツいかな」
引き攣りつつ、しかし、電話の相手は乗り気だった。得意分野での質問をされて張り切っている。
(なんかこれ、うまくいくかも!)
早速、来週に買い物に行く約束を取り付けて、綱吉はクリスマス当日に向けての妙な自信と充足感とを覚えた。骸が贈り物に喜ぶ姿というのは、なかなか、想像ができなかったが、今日の言動を思い起こしている内に苦笑が漏れた。贈り物が何であっても、喜んでくれそうだ。
>>つづく
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