頬に濡らす 前篇




「極秘情報だとよ」
  扉を開けるなりリボーンが言い放った。
  青年は、デスクに散らばっていた書類を集める手を止めた。
  十代前半の子供の後ろに青い髪を見つけたからだ。子供本人も、数日前に仕事に行ってくると残したきり行方知れずだった。言葉がでない彼にかわり、男はリボーンの隣へと歩みでた。
「お久しぶりです、ボンゴレ十代目。僕のことを覚えていますか?」
「ムクロ……、さん」
  男は満足げに口角をあげる。
  いつかの制服のような、軍服を思わせる緑のジャケットの下からシャツの襟首が覗く。男は体の前に腕をそえ、仰々しく頭を下げた。「光栄ですね」
  ニコリ、と、ツナがかつてに見慣れていた笑みがあった。
「僕もあなたを忘れたことは――」
  歩み寄ろうとして、しかしリボーンが突きつけた拳銃によって阻まれた。
  少年は吊り目を嫌悪に歪め舌を打った。
「約束破りは許さねーぜ」
「ほう? 僕がいつ何を約束しましたか?」
  面白がるように男の両目がきらめく。
「ツナと会わせたら口を割る。そういう条件だろう」
「なるほど。ですが僕はあなたに喋るとは言っていませんよ。ボンゴレ十代目だけに話します」
「……二人きりにしろってか?」
「察しがよくてありがたいですね」
「ちょっと二人とも」凄み合う両者に割って入ったのはツナである。スーツを羽織っただけのラフな格好は、ボンゴレファミリーの強固な守りを暗に指し示していた。
「オレを放って話すなよ。ムクロさんは、また取引にきたんですか?」
  骸がボンゴレを訪ねるのは二年ぶりだった。
  そのときは、彼は敵対組織の重大情報を売りつけて去っていったのだった。
  ツナの爪先から頭までにさっと見渡し、骸はリボーンを振り返った。
「丸腰ですね? 僕ならどうとでもできますよ」
「ツナを人質にした気か。ざけんじゃねえ」
  リボーンは親指で撃鉄を押し上げる。
「ちょっと待てって!」
「情報提供のかわりに見逃す。そういうことになったんですよ」
  ぎくりと身体を強張らせたツナだが、男は微動だにしない微笑みを張り付かせたままだった。先程まで目を通していた書類を思い出した。大規模麻薬組織の壊滅を報せるもので、書類の留めには雲雀の切手が貼られていた。リボーンは忌々しげに骸を睨み、次いでツナを睨んだ。
「で?」
  ゴクリと固唾を飲んだ。
「……もちろん要求を飲むよ」
「そうこないと面白くないですねえ」
「ッチ。つまんねー結果だぜ。ホラよ」
  投げ出されたのは、骸に突きつけていた拳銃である。
  目を白黒とさせるツナをわき目にリボーンは部屋を出た。
「ボディチェックはしたが信憑性がねーからな。油断すんなよ」
「ひどいですね。いくら僕でもファミリーのど真ん中でボスを殺すようなことはしませんよ」
  言葉の最後はリボーンの耳には届いていなかった。
  両者は閉まった扉を見つめた。先に動いたのは骸で、閉められたカーテンを大きく開かせた。
「近頃は書類整理ばかりしてるんですか? 薄暗いと気が滅入りますし目に悪いですよ」
  デスクに散らばった書類のいくつかを取り上げ、苦笑する。紙をぺらりと動かした。
「ベラフィア壊滅。相変わらず、情報が速いですね」
「骸さん……。今は、そこにいるんですか?」
「過去形ですよ。それに、一枚噛ませてもらってただけで繋がりは浅いです」
  ごくごく自然に新たな書類へ手を伸ばす。書類を遠ざけたのはツナの指で、彼は速やかに総ての書類を束ねて引き出しへとしまいこんだ。くすりと骸が笑う。彼が口を開ける前に、ツナが質問した。
「二年ぶりに顔を見せたと思えば……。で、極秘情報ってなんですか」
「アメリカから来たベドレクファミリーをご存知で?」
  ツナが目を見開かせた。
  口を半開きにして青年を見上げる。
  にこにこしたままで骸は言葉を続けた。嫌味すら漂わせた余裕が全身に満ちていた。
「あなたは、傘下に組み込んだベドレク一派を信用できていない。内密に人を送り込んでいますね」
  骸は昔から密事を暴くのを得意とし暗躍を繰り返していたが、密やか、かつ微々たる工作までをも把握しているとはツナも考えていなかった。その心中すら見抜くように骸は目を笑ませ、ツナが握りつづけている拳銃へと手を添えた。
「……っ、骸さん」
「撃ちますか?」
「お、オレはもうボンゴレ十代目なんです」
「明確に言わないのは卑怯とは思いませんか。僕を疑い撃とうというなら、したい通りにやればいいではないですか。あなたになら抵抗はしませんよ」
「やめて下さい。オレは」
「殺したくない、などと言うのですか」
  骸の笑みが性質を変える。
「あなたの送った密偵は殺されましたよ」
「!」
  ツナが戦慄いた。
「カッツェーニが?!」
「ベドレクファミリーは先の麻薬組織と繋がりがあります。あの組織の大元がアメリカにあるのはご存知ですね? ベドレクたちはアメリカンマフィアのしこんだスパイなんですよ。ボンゴレの顛覆を狙って――」
  握力が緩んだスキに、骸は拳銃を取り上げた。
  ハッとした青年が動くまでもなく、銃口が押し付けられる。左よりの胸の真ん中。心臓だ。
「十代目を殺す気でいますね。下手にでるからといって見逃すのは賢い判断ではありません。潰すことをオススメしますよ」
  硬直したツナを見下ろす瞳は、愉快そうな光を明滅させ人差し指で引き鉄を弄ぶ。
  わずかに引き鉄を引き上げる素振りを見せれば息を飲む。銃口を食い込ませれば顔を顰めて身を捩る。潤んだツナの両目には戸惑い以上に失望があり、それは絶望とも似通っていて骸は満足げに児戯を終わらせた。
  拳銃はデスクの隅に放り、青年の顎を掬い上げる。
「これが極秘情報の中身です。ボンゴレ十代目のご満足をいただけましたか?」
「……っ、ええ! 対策をたてるとします」
  鼻と鼻が触れ合うほどの距離だった。
「良かった。では僕はでていきましょうか。用は終わりましたからね」
  ニカリと好青年の顔で骸が言った。
  ゆるやかな戒めを払おうとしていた動きが止まる。
  笑み続ける骸から感情は読みとれない。晴れやかさの背後で何かが渦巻いているのは感じる。しかし実体を掴むことは叶わない。十年前から、ツナと骸との関係はそんなものだった。
  やがて骸がさらに口角を吊らせた。三日月をひっくり返したような笑みだった。
「綱吉くんと直接に会えて、これでも嬉しいんですよ」
「……本当に?」
「はい。愛してますよ。十年前と変わりなく」
  腰にまわされた腕が青年を引き寄せる。抵抗もなく、ツナは骸からの口付けを受け入れた。
  舌を絡める濃厚なものであったが、こうしたことをするのは実に久しぶりだった。二年前に、骸が取引で訪れた際には蜜事を思わせるそぶりもなかったのだ。
「先程の、おれは……の後、なんと言うおつもりで?」
  何度か髪を梳けばツナも骸の背へと腕を回した。
「……オレは骸さんを殺したくない。オレも骸さんを愛してます」
「くふふふふふ。まるで、いつぞやの夜のようですね。あの時も僕から告白しましたっけ」
  ツナが正式に十代目となる前に。骸とツナは一線を超えた関係を結んでいた。いつからか互いが愛を口にするようになったが、イタリアへの旅立ちに骸は同行しなかった。ファミリーへの加入は何度となく持ちかけた。毎度のように話をそらし、了承がとれることはなかったが。ツナは眉間に皺を寄せた。
「昔からそうですけど。何を考えているのか、わかりません」
  くれるものは言葉だけだ。行動は常に裏切りを繰り返している。
  少なくともツナにはそう感じられた。クフと骸が声をたてて笑った。
「大体は綱吉くんのことですって。考えてるのはね」
「信じていいんですか」
「ええ。愛しています……」
  唇に柔らかいものが触れ、べろりと舐めた。
  青年は目を閉じた。

 


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