血の二径路
(魚の血脈)




 さほど気分はよくなかった。理由はわかりきっていた。
「骸さん、待ってよ。俺も行きますって!」
 足を止め、肩越しに振り返る。茶色い髪色に茶色い瞳の少年――沢田綱吉だ。
 骸よりも頭一つほど背が低い。コートの襟足からはパーカーについたフードがはみ出していたが、鮮やか過ぎるくらいのイエローだった。
 今日の、曇りがちな天候の下では強烈なコントラストを生みだす。
 骸が青い二つ目を細める。傍目には、睨んでいるような目つきで、隣に並びながらも綱吉が固唾を呑んだ。
「お、置いてかないでくださいってば……」
 骸はすぐさま視線を外した。振り切るように、足早になって大通りの方面へと向かう。
「本屋に寄りますけど。くるんですか?」
「そ、そりゃあ。だって骸さん家に――、俺、採血が」
 ぼそぼそと自信のない喋り口で、綱吉。
 骸が見下ろすと、彼は既に眉間に不審を刻み込んでいた。
『リボーン、さては何か言ったんだな?』
(こころを読まれてるって意識しての発言ですか、それは)
 少年の両目が煙る。輪廻転生とも言える魚人の呪い、その副産物として手に入れた力を知ってのことか? 瞬間的に浮かんだ疑問を、しかし骸はすぐさま抹消させた。綱吉はそこまで考えていないと踏んでのことだ。
 実際、彼はすぐさま物憂げに胸中で囁いていた。
『ちょっとワザとらしかったもんな。俺にジュース取りに行かせるにしても……。なんか、日ごと小うるさくなってきてる気がするリボーンのやつ。デカくなった分可愛げってものは大幅に減ったよな。元から無かったけど』
(話がどんどんズレてますよ、綱吉くん)
 心中でだけでツッコミをいれて、骸はコートのポケットに両手を入れた。特に会話もないまま目的の書店に辿り付いた。大通りに面した書店で、三階建てだ。骸のマンションとは方角が逆だったが、帰りにバスを使えば六時前にはマンションに帰れるだろう。
 店内を一度だけ見回すと、迷いのない足取りで地下へと向かった。綱吉が慌てた。
「骸さーん? 何の目的なんですか」
「買い物ですよ」「いや、そりゃわかるけどさ」
 不満げに綱吉がうめく。目的のコーナーを前にすると、つうっと人差し指の腹を使って背表紙をなぞっていった。綱吉は落ち着かない様子でキョロキョロとする。
「あの。気にしないで……あの、ちゃんと食べるように気をつけるし、俺」
 骸はA4サイズのそれを取り出すと中身に目を通した。何度か繰り返した末、
「いきましょう」とだけ、背中で告げる。綱吉が目を丸くした。一人暮らしを続ける彼が、料理の腕があることは知っていたが――、チラリ、と、察知したように骸が振り返った。
『あんま、似合わない……って、あ、ヤバッ』
「…………」(これは、意識しての声ですね)
 目を白黒とさせ、少年が後退る。骸は何事もなかった顔でレジの店員へと声をかけた。当初の読み通り、マンションに帰宅したのは五時半だった。
「夕飯はどうするって言ったんです?」
「あ。帰ってから食べる、って」
「じゃあメールしておいてください。今、作ります」
 コートをハンガーにかけ、綱吉のコートも受け取る。綱吉は、迷彩柄の長袖Tシャツ姿の少年をじっと見詰めた。その瞳は物言いたげだ――。
(……やっぱり……)
 内心でゾクリとしたものを覚えて、骸は口角を引き攣らせた。もうほとんど骸の中では確定しつつある。
 ここまでくれば。あとは、言うタイミングだ。
 冷蔵庫にはある共通点を備えた食材が常備してある。引っ張り出してきた赤い物体をまな板に置いた。なんとなく、リビングで待つ彼は戦々恐々としているんだろうなと思いつつ、包丁を握る。一人暮らしも長いので板についたものだ。といっても、客がいなければ骸は進んで料理しようとは思わないが。客はこの頃来るようになったばかりだが。
 三十分ほど後、ソファーに寝転がり、本棚から取ってきた適当なコミック本を――他ならぬ彼自身が持ち込んだものだが――広げていた少年が飛び起きる。骸が黙々と配膳をしていた。
 向かいに座ると、綱吉へと箸を渡した。
「レバニラにあさりの味噌汁にひじきの煮付け?」
 淡々とした声だ。綱吉は、箸を持ち直すと並べられた料理を見つめた。感心したように洩らす。
「なんか、イメージ合いませんよね。家庭料理って、骸さんに」
「…………」自らも箸を取る。
 短く食事の挨拶を告げると、綱吉は箸を伸ばした。ひじきをご飯の上に乗せ、つまみ始める。骸は箸を両手で挟んだままの格好で、上目でじぃっと綱吉を見つめていた。動こうとしない。さすがに、綱吉も訝しがった。
「…………?」
「そろそろ真実を話しませんか?」
 間髪をいれず、骸は淡々と問い掛けた。
「僕の前以外で、レバーとかほうれんそうとか食べてます?」
 ――話を少しだけ遡らせると、そのとき、骸は採血にやってこない綱吉に電話をかけていた。
 出てきたのはリボーンだ。彼は一言、
『またぶっ倒れた』とだけ告げた。
 電話を切った数分後にはマンションを後にしていた。骸が駆けつけるころには綱吉が意識を取り戻していた。ベッドに横たわったまま、汗を拭って採血に行くと主張する。
(――以前の僕なら迷わず頷いたんでしょうけど)
『正直に今の気持ち言うぞ』さりげなく綱吉をどかして、リボーンは骸に問い掛けた。この綱吉の実兄は、黒いものをこよなく愛する。背丈もあるため凶悪に見える。実際、ヤクザのような気性の持ち主だが。
『そろそろ、ツナをこの件から引かせるべきだ。別の提供者を探す。オレから提案すれば、まだなんとか……沢田家にゃお堅いヤツが多いが、ま、通るだろう』
 それは骸も考えている。しかし、実験の必要がある――、それには時間がかかる。骸には気になることもあった。
『綱吉くん、今月に入ってから――、まだ三月に入ってすぐなのに。もう五回も倒れたんですね』いささか多すぎないか? その疑問を押し込める形で、リボーンが不機嫌露わな声をだした。
『綱吉を食い物にしっ放しでいいのかテメーは』
『…………。そうは言っていませんけど。でも、少し思うところがある。保留を提案しますね僕は』
『質問に答えてねーぞ、オイ』
 綱吉のベッドでふんぞり返りつつ、リボーンが片足で素早い貧乏ゆすりを繰り返した。骸は眉間をシワ寄せる。
『君こそ僕に死ねっていってるんですか?』
『おー、食う気か。実際に手ェだしたら殺すぞ』
『それは意味が違う。質問の挿げ替えはやめてくれません?』
 ピリピリとした空気が互いから放たれ始めたところで、盆を手にした少年が帰ってきた。彼の第一声は『リボーンの鬼! 倒れたばかりのやつをお使いにだすのかよ!』だった。
 骸はパチっと目を閉じた。
 同時に箸をテーブルに下ろす。考えながら喋るように、慎重に声帯を震わせた。
「そんなに……頻繁に倒れるわけはないと思うんですよね。君がきちんと僕らで決めた取り決めを守っているなら」
「む、骸さん。俺を疑うの?」
 綱吉が戦慄き声をだした。骸が頷く。
 薄っすらと瞳を開ける。綱吉に気が付かれないよう、さり気なく表情を窺えば、茶色い瞳はナナメ上を見上げながら困っていた。
(綱吉くんってば。僕をごまかせると思ってるんですか)
 薄く微笑んで首を傾げてみせる。いささか、甘さを含んだ声がでた。
「正直に言いなさい。まだそんなに怒らないでいてあげますから」
「……ず、ずっと黙っていられるとは思ってませんでしたけど」
 落胆の滲んだ声音だ。茶色い瞳が潤む。
「その、レバーとか」骸は、じっと彼の両眼を凝視した。綱吉が頭を下げる。
「に、苦手なんです。ホウレンソウはまだ――、でもアサリとかザラっとしてるし」
「ほう。そんなことだと思ってましたよ。困りますね、そういうことされると。別に君にイヤガラセであれ食べろこれ食べろって言ってるわけじゃないんですよ」
 うううう。弱りきった呻き声と共に箸でレバーをつつく。骸は再びため息をついた。
「まっったく、君ねぇ。アサリがザラッとしてる? 砂混じってんですよ、それは。貧血を馬鹿にしてると本気で怪我しますよ。あれは突然意識がなくなりますから、そのときに起こる事故が最も危険で――」
「ああああ、食べるっ。食べますよ骸さん!」
 説教の開始に綱吉が慌てた。ひょいひょいっとレバーを口に詰める。……数秒のあいだに、鈍い悲鳴をあげて前のめりに悶えだしたが。
「ほ、ほらっ。食べられないわけじゃないし」
 胡乱な眼差しを送る骸に、言い訳でもするような喋り口になった。
「ちょっと、その。母さんも気をつけてくれてるんだけど。さすがに週二は辛いなぁ、って感じで」
 骸が自らの膝を人差し指でカリカリと引っ掻く。明後日を見つめる瞳には、冷めた光があった。
「別に責めるつもりで訊いてるんじゃないですけどね。わかりました。僕も本腰を入れて考えるようにします」
「…………っえ?」
「君以外の血液提供者を探しましょう」
「え。ええっ?!」目を剥いて、綱吉は口から両手を離した。
「骸さん? あれ、三人での循環でしばらくは様子を見るって――血液型とか俺とリボーンが兄弟とか――要因の確認がどうたらって話は?」
「事態が変わりました。リスクも止むを得ない。まあ、奈々さんならリスクが多少低くなるから、まずは彼女に打診することから始めるでしょうね」
 ようやく骸が箸を取り上げた。
 ひじきを摘み、咀嚼する。視線を感じて顔を向ければ、綱吉は愕然として骸を凝視していた。少年の眉根は、申し訳なさそうにくしゃりと歪んだ。
「すいませんでしたね。今まで負担を押し付けていて」
 正直な気持ちだ。素直に謝罪をするなど、自分もずいぶん丸くなったものだ――あるいは、相手が他ならない沢田綱吉であるからか。箸を咥えたままで骸はレバニラの皿を自分の下へと引き寄せた。血の味は、嫌いではない。必然的に馴れている。
「感謝してます。ありがとうございます」
 目線をあげないまま、骸は平坦な声で告げた。
 元から感覚が鋭敏な性質であるし、何より彼に恋する身である。いまだ彼が自分に視線を注いでいるくらいのことはわかる。骸は小首を傾げて綱吉を見返した。
(……綱吉くん?)先ほどから、一切の声がしない。
 思考が何もないらしい。だが、かといって綱吉が何も感じていないわけではない。見る見るうちに綱吉は顔を赤くして、苦しげに下唇を噛みしめた。震える拳で箸を握りしめ、そろそろとレバニラの乗った皿のフチを抑えた。
 ずるずる、自分のもとへと引き寄せる。骸が面を喰らった。
「何してんですか。ああ――」
(いささか僕に都合よすぎる解釈か?)それでも、その解釈は甘美だ。
「……僕に、会えなくなることを心配してる、とか?」
 そろりそろりとした声で尋ねた。慎重に尋ねたことが綱吉ですらわかっただろうが、生憎綱吉もそれどころではなかった。綱吉は心ここにあらずな面持ちで首を振る。
「…………」ひく、と、僅かに口角を引き攣らせたが、骸は辛抱強く問いかけることにした。垂れてきた前髪をどかして、右の耳へと引っかける。俄かに頬が赤かった。
「前からそういう話はしてたでしょう? 時期がきたということだ。綱吉くん。これまでと変わらずにここにも来てくださいよ。僕も一人じゃ寂しいですし。土日じゃなくて平日にも来ていい。……変わることなんて無いでしょう? 君の負担が減ることくらいだ」
「でも骸さんとリボーンの負担が増えてる」
 決意の滲んだ箸使いで、綱吉はレバニラを食べつづける。
『馬鹿だ俺。何やってんだ……。変に気を使わせてる。馬鹿だ。どうしよう。心配かけてたんだ。リボーンも変だったし、どうしよう。俺。クビにされた……』
 ようやく聞こえてきた音色に骸は肩を落とした。綱吉の悪いクセが始まっていたのだ。
 何でそうなるんですか。喉まで出かけた言葉は押し込めた。
「これまでと変わらない。綱吉くんが気に病むことは何もないです」
「俺は……、骸さんとリボーンの力になりたい。ごめんなさい。謝ればいいの? ごめん……。ほら、食べた」
 これでいいよね? と、言わんばかりに綱吉が空の皿をつき返した。ふ、と、小馬鹿にしたようなため息が骸の唇を濡らす。
「あのですね。そういう話してるんじゃないですよ、今は」
「じゃあどういう話だっていうんですか! 骸さん。お願い、俺にやらせてよ――、他の人にも頼むのはそりゃいいよ。でも俺も――、母さんにも頼むんだったら尚更っ。お願い、骸さんもリボーンも皆大変なのに俺だけのうのうとしてるとか、そんな状況いやだよ!」
「僕だけが決めたことじゃない。リボーンもそれを望む」
「それなら説得すればいいじゃないですか!」
「……彼は、弟を出来るだけこの件から遠ざけたいんですよ。その気持ちは僕にもわかる。一応、兄の一人ですからね。君の身体が心配なんです」
 付け足した言葉は、骸自身にも重みのあるものだ。その意味は綱吉にも通じる。一瞬、言い淀んだが、しかし少年は興奮のままに立ち上がった。
「綱吉くん!」すっ飛ぶように少年がリビングを出て行った。
 急ぎ背中を追えば、狭い小部屋へと辿り付いた。いつも採血を行っている小さな部屋だ。壁の全面に棚が据えけてあって圧迫感のある場所。綱吉はイスに膝をつけて棚を漁っていた。
 骸が近寄る――、落ち着かせようと、軽く肩を叩いた。そこで綱吉が勢いよく振り返った。
「はい! どおぞ!」
「血を取れと?」
 鼻先に赤十字マークの救急箱がある。
 骸が箱を受け取ると、綱吉は乱暴にイスに座り込んだ。覚悟を決めたように、袖をまくって細腕を露わにする。しばし、骸は沈黙した。綱吉が口早に宣告する。
「あげたいんです。俺が。骸さんとリボーンに輸血したい。リボーンに何を言われたかわからんないですけど……。そりゃ採血はいやだしレバーも好きじゃないけど。でも、骸さんは強引にやるくらいで――」オッドアイと茶色い眼球とが交差する。オッドアイは推し測るような色を載せ、茶色い瞳は決意と困惑で揺れていた。
 戸惑いながら、しかしキッパリと二の句が継がれた。
「俺が少しくらい嫌だって言っても、気にしないで――お願いだから。多分、俺はまたすぐ嫌がったりしちゃう、それは、しちゃうと思うんだけど。でも」
「……綱吉くん。わかりました」
 困窮する綱吉にとって、助け舟のような一声だった。綱吉が顔を明らめる。イスを引き寄せ、向かいに腰かけながら骸は膝の上に救急箱を置いた。
「君にもこれからと同じように血液の提供を頼みますよ」
『……骸さん』少年は嬉しげに双眸を歪ませる。若干、青褪めているのは、眼差しで骸が取り出した注射針を追っているからだ。
 ゴクリと固唾を呑んで、綱吉は腕を差し出した。
「綱吉くんの望みは、僕もわかってるつもりですけどね。でも気持ちだけじゃなくて現実的な問題もあるでしょう? 例えば、食べ物とか貧血とか。……君はほんとに細くて小さいのに。血ばっかり採ったら全身の養分無くなりそうで僕も心配しますよ」苦笑と共に、するすると骸の指が綱吉の手首に絡んで上に昇った。綱吉が眉を寄せる。
『ちょ、ちょっと……、あれ。もしかしてまずいこと言ったかな?』
(強引にやるくらいで、ね?)胸中でだけで確認をした。
 声にだせば相手が否定し直すだろうことは読めたので、骸は、くすりと唇をしならせるだけで左手も伸ばした。
「うっ……」
 グイ! と肩が露出するほどに袖を捲らせると、掴んだ腕を引き寄せた。救急箱を足元におろす――この時点で綱吉は困惑に頬を歪ませたが――、上腕と手首を押さえつけると、そっ、と、肘の内側へ舌を這わせた。
「ひゃっ?! む、骸さん?」
「消毒しませんとね」
『な、なんで舐めるのぉ?!』
(綱吉くんをそういう対象として見てるから)
 目蓋を半分まで下ろして、じぃっと少年の素肌を見つめる。舌でくりくりとくじれば、綱吉が背中を縮めた。
「く、くすぐったいんだけど……っ!」
 この後に訪れる痛みを覚悟しているためか、綱吉の両目は潤んでいた。頬も俄かに赤い。
 指の腹で肌を緩くこねた。内股を擦るような仕草をして、綱吉が首を振る。舌を追い払おうにもしっかりと抑えられていて右腕で動かせるのは指先だけだった。
 五指をひくひくとさせつつ、綱吉が首を竦める。
 上目で伺いつつ、しげしげと呟いていた。
「リボーンが君を遠ざけようとするのにはもうひとつ理由があるとは思うんですけどね……。本当に、綱吉くんの身の安全を考えているんですよ彼は」
「? あーっ、あ、あのですね骸さんっ。からかわないでくださいっ。骸さん!」
「なかなか血管が浮き出ませんね」
 はむ、と、肌を軽く噛んだ。綱吉がひえっと仰け反った。
「ちょっと……、真面目にやる気があるの――っ?!」
「いやですね。ありますよ。そう、リボーンは僕のこういう冗談に理解を示してくれないんですよねぇ」
「じょ、冗談っ?! これが?!」
 素っ頓狂に反復して、綱吉は、不意に合点がいったというように我に返った顔をした。
『あ……。前にもこういうことがあった』骸はにっこりとして両目で頷いてみせる。
 兄弟としての関係性もずいぶん確立できたものだ。綱吉は、嫌そうに唇を戦慄かせてソッポを向いた。言いにくそうに、おずおず宣告する。
「骸さんって何か変だよね……。舐めるのって消毒になるの? ならないよね?」
「くふふ。君こそ変だと思いますけど。気持ちイイですか?」
 赤い舌をチロりと覗かせる。
 肘の内側にある静脈をなぞる動きに、綱吉がゾクゾクと鳥肌を立てた。
「変なこと、言わないでくださ――、離してよっ」
「ダメですよ。採血しますから……痛くなる前に、ねえ?」
「骸さん、度が過ぎてるっ」自制を促すように綱吉が涙目で睨みつける。
 聞こえないフリをしながら、骸はじぃと腕を見下ろした。自らの唾液で彼の身体が濡れ光る――、その情景は腹の底にずっしりくるほどの満足感を生んだ。
(あのレシピ本。後で試そう。綱吉くんが喜んで食べるくらいのものを作らないと)美味しく取れる鉄分多めの食事。そのサブタイトルを思い出して、骸は微笑した。
 ぢゅ、と、音をたてて肌を吸い上げる。さすがに綱吉が悲鳴をあげた。
「何すンですかぁあああ?!」
「ああ。すいません。痕が残っちゃいましたね」
 悪びれもなく顔を持ち上げれば、静脈のすぐ隣に赤い楕円が出来上がっていた。一般的にはキスマークとか言われるものに酷似している。
「?! ?」腕をゴシゴシと拭いつつ、少年は困惑して赤い楕円と骸とを見比べている。骸はくすりとした。絶対、この少年は意味がわかっていない。
「じゃあ採血しましょうか。我慢してくれますね?」
「う、うん……?」
「では失礼」
 ひょいっと腕を取り、改めて脱脂綿で消毒をする。
 綱吉が愕然として口を半開きにした。
「お、おかしくないですか?!」
「何がですか?」「え、だって、だって……」
「はい、無駄口叩かない。刺しますよ」手早く注射針をセットしてみせる。綱吉はこの世ならざるものを見るような眼差しを骸へと向けた。
「だ、だって舐めた意味が……」
 ごもっとも、とでも言うような顔で骸が頷いた。
「確かに言えるのは一つですよ。綱吉くんはちょっとイヤなタチのお兄さんを二人持っているということです」
「なっ……」『何だよそれええ!!』
 腕を引き寄せると綱吉は両目を瞑った。
 耐えるように両目をキツく閉ざす。その様子を一瞥してから骸は浮き出た静脈を見下ろした。赤い痣が隣にある。針を宛がう……、この頃は、こうして取りだした血液が自分の中に入るのかと思うとそれも楽しいと思えてきた。静脈に通る血液というのは、一度、体内を巡ったあとの血液だ。これから心臓に戻ろうとする途中になる。
(君の身体を巡ったあとのものが僕の中に入るということ――、リボーンも混ざるのがなんとも言えずにアレですが。でも、耐える姿も好きだな……。別にサディストであるつもりはないんですが)
 す、と、針が肌に沈んでいく。骸は思考を止めた。
 集中して――綱吉を必要以上に痛がらせるつもりはない。
 針を抜くと、綱吉がぜえぜえと肩で呼吸をした。骸はニコリとして告げる。
「アイスでも食べましょうか。用意してあるんですよ、今日は君がくる日だから」
 廊下の小窓からは夜の気配が漂ってくる。どうせなら、
(綱吉くんウチに泊まっていけばいいのに)
 それは在り得ないと骸はわかっていた。この頃、ますます怪しまれているようだからリボーンがマンションまで飛んでくるだろう。




おわり





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