3つ昔の空
(魔王の一族)



  まだ小さかった頃の彼は、本当に――馬鹿だった。
 今でも充分に馬鹿だが、と、兄は即答するだろう。だがこれは過去の話だ。兄は深い眠りに落ちていた。ベッドの上で、ランニングシャツ一枚にトランクス。シーツを一枚、肩に引っ掛けて寝苦しい夜に耐えていた。
 蒸し暑い夜には、怪談だとか背筋の寒くなるストーリーが好まれる。それは、つまり、熱さを紛らわせようとしての行いだ。眉間を皺寄せながら兄は寝返りをうった。ぱたん、枕に当たった指先は、時間を進めるにつれて硬い拳となった。
 目蓋の裏で、華奢な女性が笑っていた。丸みのある、かわいらしい目尻をしていた。
 ――今度、弟ができるわよ――
 ボンゴレの娘は、夜空を背負いながら嬉しげに首を傾げる。
 最高の贈り物をするかのような口ぶりだ。彼女の旦那は八歳になる息子の肩に手を置いた。来年は四人で星を見ような!
 彼の言葉を聞きながら息子は自らの靴先を見下ろした。
 拭き逃したわずかな血痕があった。深夜、血塗れで帰宅したリボーンを見て、夫婦は星を見に行こうと言い出した。渇いた血の香りが立ち昇るのを嗅ぎ取るが、夫婦にはできなかった。少年は、最も身近であるはずの彼らとでさえ、自分が決定的に異なる生き物であることを悟る。
 ――家族が四人になるんだな。家族が四人になる?――
 ――違う、オレはあんたたちとは違ってる。オレは一人だ、今もこれからも――
「うっ……、ぐっ」
 ベッドの上で兄は脂汗を滲ませる。
「だ、……まぁっ、れ」
 呻き声をあげたが、まだ、眠りが深くこころまでを絡め取っていて目覚めまで浮上できない。兄は眠りつづけていた。
 少年は、名前をリボーンといった。異国の言葉だと言って祖父が命名した。
『大丈夫だ。彼はボンゴレに相応しい男になるよ、わかるんだ。目が違う――、この子は生まれたときから特別だ』そういったと言う。
 祖父は、娘の婿が大嫌いだ。ボンゴレの末席に籍を置いているとはいえ彼は平凡すぎた。
 家庭環境の複雑さゆえか、リボーンは同年代の子どもが好むような遊びに興味を示さなくなった。狙撃の練習と、祖父とのチェスが趣味だった。成長とともに、チェスには賭け事を付け足すことが多くなったが――。
 リボーンが18歳のころ、彼は急ぎ病室に駆け込んだ。
『うわあああん、あああっ、かあさァん、とおさん!!』
 一人、泣きじゃくってる子どもがいたが、声もかけずに踵を返した。その足で家へと戻る。
『死んだのかァ?! ありえねえっ――、あの程度の毒で?!』
 ボンゴレの一員であるのに! 訴えに、祖父は冷静だった。悠々と足を組んでイスに腰かける姿は、とても娘と婿を失った人間には見えない。
『時間の流れというのは憎いね。決して薄れさせてはならないものなのに、薄く、引き伸ばしてついには消滅させようとする。我らの体の中で、ボンゴレとしての力は僅かにしか残っていないということだ』
『わかりやすくいえよ、クソジジィ!』
『……君の口の悪さは矯正させたいものだがね。だが、わたしからいう言葉はひとつだ』
 リボーンは立ち尽くした。祖父はろくでもない人間だと心底から感じたのもこのときだった。彼は感情の篭らない声で、淡々と宣言した。
『あの二名は集合墓地に葬る。あの程度で死ぬとはボンゴレの恥さらし』
『……おい。テメェの娘が死んだんだぞ?』
『君はそう思うのだろうがね……嘆かわしいことが起きたんだよ。腹の子どもまで死んだ。女児だった……、なんてことだ』
 老人が遠い目をした。白髪混じりの頭髪を一束、摘む。
 母親が妊娠していたことすら、リボーンには初耳だったが――。とにかく、リボーンは毎日が格段と忙しくなることだけは理解した。
『兄ぃ、また仕事いくの? オレと一緒にいようよ。ねえ、母さんが……。父さんが』
『うっせえぞ。人間、いつかは死ぬンだよ』
(あと五十件。あと五十件クリアしちまえば、あいつらをボンゴレの墓にいれてやれる)祖父は、一ヶ月以内にボンゴレとして百件の仕事をこなせばリボーンの実力を――ひいては、彼を産み落とした二人の有能性を認めると告げた。
『兄ぃ。一人にしないでよぉ』
 あの頃は弟の泣き言を背中にしてばかりいた。申し訳ないと感じたことはなかった。むしろ、彼こそ邪魔だった。どうして、自分が祖父の言いなりになって働いているのか理解できない。いっそ怨めしいくらいだ。それが正直なあの時の気持ちだった。
 ごろろ、ベッドから落ちるほどの勢いでリボーンは寝返りを打った。実際、落ちた。
「……ッッテェ」
 のそり。置きだして、リボーンはベッドに上半身を戻した。
 打ち付けた額が鋭く痛んで、こめかみから鈍痛がする。耳の中で、弟の――綱吉の泣き声が膨らんでいた。
「イヤな夢だな、……昔の夢なんざいらねえってのに」
 自分はろくなことをしていない。
 その自覚はあった。
 ボンゴレの仕事といっても、目的は人助けではなかった。闇に蠢くものの抹殺だ。本当のことをいえば、人命よりも魔の抹殺を優先させるものなのだ。教えに従って見殺しにした数は、きっと、助けた数より多い。
『イイ機会だ、覚えろ。人間ってのは生まれてから死ぬまで一人きり! なんだよ!』
 その言葉を、弟に向かって叫んだのは一度ではない。ため息をついて、リボーンは寝室をでた。
 と、目を丸くする。リビングに先客がいた。
「あ。リボーン」
 湯気のでるマグカップを片手に、綱吉がテーブルの前に座っていた。思わず時計を見上げる。日付変更線は過ぎている。
「何してやがる、テメェ」
「いや。その……。骸さんがまたベッドに入り込んでくるんだけど」
「あー、あの色情魔か」
 うんざりしてうめきつつ、リボーンも台所へ向かった。程なくして、マグカップ片手に引き替えしてくる。ティバックのタグがついた紐がカップのフチにくっついていた。リボーンは乱暴にイスにすわった。
「魔除けしとけっつったろ」
「したよ。したけど、あの人すぐ破るんだもん」
 そいつはどうした? 訊いてみると、綱吉は惨めたらしく眉根を八の字にした。マグカップを額に押し付けて、勘弁してくれよ、とばかりに情けない声をだす。
「ベッド占領して寝てる……」
「それでこんなとこで夜更かしか。ったく。だらしがねーな。テメーが連れてきたヤツだろ?」
 呆れつつ、しかし、リボーンの脳裏に、今より幼い弟の姿が浮かんだ。夜。リボーンと二人、綱吉は真っ青な顔をして震えながらそこにいた。
 ――何でついてきた!!――
(あんな夢見るからだ。芋づる式に思い出すか。厄介だな、人間の記憶回路ってものは)初めて、この弟を一つの存在として捉えたのは両親の他界から2年後だった。
 リボーンは20歳を迎えた。彼らは祖父宅に兄弟は住みつづけていた。
 両親は無事にボンゴレの墓に入り、リボーンはボンゴレ十代目となるための仕事をこなしつづけていた。リボーンは、いくらか慎重な声で尋ねてみた――。
「……テメー、三年前のこと覚えてるか?」
 多分、このデキの悪い弟はスッパリ忘れていることを予想した。弟は馬鹿だと思っていたが、それでも本気で罵倒したのはそれが初めてだった。








「脳にウジ虫湧くぜテメーと話してるとッ! ざけんな――、遊びじゃねえんだぞ!!」
「だ、だって、だってえええ!!」
 深夜が始まろうという時刻、兄弟は坂道を転げ落ちていた。正確には、転げ落ちるように走り抜けていた。林が道の両脇を固めている。木々はまばらだったが、闇が深くて先が見通せない。
 林の中を、何か、巨大な生き物がバキバキと木を押し倒しながら突進していた。
 その生き物は人喰いだ。捕まったら即座に殺される。リボーンは金色のボディをした小型銃を睨みつけた。木々が邪魔になる、一発で確実に当てるのは、自分のウデでも無理だ。
(どうする――、このまま逃げられるわけもねえ)
 いつものように仕事にでた。魔物がでるという街道で相手がくるのを待った。わざと腕を切って街道のはじまりと終わりに血を落としてきた。
 ――だが、暗がりからでてきたのは弟だった。
 綱吉は、パジャマ姿のままで両目を潤ませていた。ここ、イヤな感じがするんだけど。言いながら自分の背中に隠れようとした弟をリボーンは本気で殴りつけた。
 説教をする間もなく、今にいたる。リボーンは隣を見た。明らかに綱吉の走るスピードが落ちている。綱吉は涙すらこぼして必死に逃げていた。
(このままじゃ喰われるなコイツ。――クソッ。リスク犯してまで足止めるか? オレが盾になれば――、いや、ボンゴレがこンなことで死ねるか!)
 ぜえっ、ぜえっ、隣を走る背の低い子どもは、限界を迎えた。がくりとその場に膝をついた。リボーンの膝から瞬間的に力が抜ける――、決断をしなければ。
(こいつ救いようがねえ――勝手についてきやがって――!!)
 弟の全人格を否定したくなるような衝動が起きる。身震いがした。
(こいつが最後のオレの身内だ。ジジィなんか身内じゃねえ。だが――最初からオレは一人だ! こんな家業やってなくてもわかる、人間なんざひとりきりだ。生まれて死ぬまで一人だ、ピンチくらい一人で切り抜けていくもんだ!)
 リボーンは綱吉を振り返った。大声で、どなる。
「テメーの身くらい自分で守るんだな!」
「あ、兄ぃっ……」
 全身を弾ませて呼吸をしながら、綱吉は青い顔をして兄を見返した。兄は全力で道を駆けた。見捨てると決めれば話は早い。綱吉は囮にできる――、充分に距離を空けたところでズザザッと革靴の爪先を踏ん張らせた。
 両手で金の散弾銃を振りかざす! ――が、それと同時に綱吉が叫んだ。助けて!! それを予期したリボーンは決意を固める。助けない!
 ――が、彼は本当に不意をつかれた。叫んだ言葉が違う。
「兄ィ!! よけてぇ――ッッ!!」
「――なっ――?!」
 リボーンは動きを止める。
 綱吉の背後に姿を見せた黒い塊。それに向けて引鉄を引こうとした矢先だ。
「左! 左によけて、お願い!!」
 テメーこそ後ろを見たらどうだ! 咄嗟に浮かんだ言葉は押し込めた。ゾクリとしたものは背筋を突き刺した。直後、顔面の右側に焼ききれたような痛みが走った。
「ぐっ、あ、アアアアアア!!」
「兄ぃ! あっ?!」
 綱吉の足首に触手が絡む。
 宙吊りにされた弟が左側の視界で見えた。右側の視界は――、ない。リボーンは震え上がるような痛みの中で右腕を掲げた。一瞬、身の毛がよだつ思いがした。
(腕、言うこときいてねェ)痛みのショックで筋肉が痙攣している。銃口が震える。愕然としていた。あいつ、死ぬのか? 冷え冷えとした思考の中、ナイフで切り込まれたような単語が脳裏で燃えた。死ぬのか、いや、さっき見捨てた――、もう死んでもいいと本気で思った。
(運がよけりゃ助かる運が悪けりゃ助からねえ)実の弟だ。でも、つい先ほど後回しにした。人命よりも化け物の討伐を優先する……、それがボンゴレの正しい姿だ。正しい? 綱吉が――、危機を報せねば頭から真っ二つにされていた。
 黒い塊が二つに裂けた。尖った犬歯だらけの大口が露わになる。綱吉が、その口の上へと運ばれた。怯えきった絶叫が迸る。
「うわっ、うわああああ!!!」
(――クソ。クソ! 悪魔じゃねえか)そんな高位のものが街道なんかで人食いするとは何事だ。あれでは一口噛まれただけで助からない。
 瞬間的にリボーンは呪詛めいた叫び声をあげていた。
「なんだっていうんだァ、チクショオ……!!」
 顔の右側が焼けるように熱い。生暖かいものがボタボタ零れている。血だ。リボーンの左腕にまで触手が絡んだ。血塗れの触手だ。
「調子に乗るんじゃねェよ。オレを誰だと思ってやがる」
 触手が左腕の骨を折ろうと鋭く締め上げる。だが、それよりも早くリボーンはトリガーを引き搾った。酷い痙攣が指先まで麻痺させたが、ダァンッッ!! 銃声が辺り一面でこだました。
「最強の、ヒットマンだ……、ぞ」
 狙い違わず、黒い塊が血飛沫と共に倒れた。綱吉がぼとりと落ちる。無傷だ。
「あ、兄ぃ」弟が震えながらうめくのが聞こえた。腕を締め付けていた触手からも、力が無くなっていく。だが力尽きたのはリボーンも同じだ。
 ぽろ、と、指のあいだから銃が落ちた。それを拾ったのは綱吉だった。
「し、しっかりして! 死なないでよ! 兄ィ! 死んじゃやだよ!!」
 声だけが聞こえる。身体中が生ぬるい温もりに包まれていた。自分の血だまりに倒れているから、そう感じるのだとわかってはいたが、リボーンは薄笑いをこぼしていた。意外と、この弟にもボンゴレの銃が似合うものだ。
(さっきの、声――こいつに助けられたってことか。オレは)
 それと。どうやら、この弟は本気で自分を信頼しているらしい。信頼しきっている。実際は見捨てたのだが、それにも気付いていない。
 リボーンが負傷したと、連絡を受けた祖父はすぐさま病院を手配した。
 傷痕は皮膚を再生させればいいが、右目の視力が戻らないと医者が言った。リボーンは構わないと思ったが、打ちひしがれたのは祖父だった。大事なボンゴレ候補が、と、幽鬼のような面持ちでしきりにうめく。どこかいい気味だと思うので、リボーンはようやく心底から彼を嫌っているのだと自覚した。
 綱吉は毎日のように見舞いにくる。リボーンはさほどショックを受けていない自分が不思議だった――。
 訊いてみた。どうして、あそこに来たんだ? いつもはこないのに。
「え?」お得意のとぼけた声だ。
 困ったようにリボーンの顔を見つめる。
 やがて、綱吉は花瓶に近寄って花を変えだした。そうしながら、やはり困ったような声で言った。
「……、ごめん。オレのせいで……、怪我……」
「気に病むな。テメーが来なけりゃオレは喰われてたよ。で、なんでだ?」
「……なんとなく危ないと思ったから」
「それだけなのか?」
 気まずそうに、頷く。リボーンは彼の横顔を見る。どこか……、毅然としていた。それでいて呆気らかんとしている。よくよく、見れば今まで出会ったことのない不思議な横顔だった。
「テメー、実は大した器のおとこか」
「え?」綱吉は不思議そうに小首を傾げた。
 歳が離れている上にものの考え方もずいぶんと違う弟だ。真正面から、相手の目をみてきちんと話すのは――、考えてみればこれが初めてだ。クッ、と、リボーンの喉が鳴った。突如笑いだした実兄に驚き、綱吉が後退る。だがリボーンは手招きをした。
 弟の頭を撫でた。次第に、子どもは照れたような顔をした。
「オレのことはリボーンって呼べ。いいな、ツナ」








「三年前……?」
 綱吉は眉間に皺を作る。マグカップを見下ろすと、気まずげに口を開けた。
「覚えてるよ。リボーンは、オレを助けてくれた」
「…………。そうか?」
(逆なんだがな)訂正する気は、ない。リボーンはマグカップを置いて、にやりと意地悪く微笑んだ。
「ヒバリに言っておいてやるよ。あいつ、あー見えても呪術関連のエキスパートだ」
「て、手伝ってくれるかなあ。ヒバリさんに嫌われてる気がするんだけど」
「ああ。あいつは誰に対してもああだ。気にするな」
 綱吉が不審げにリボーンを見上げた。
「リボーンってヒバリさんと前から知り合いだよな?」
「そうだが?」
「オレ、ヒバリさんとは初対面だよ。あの事件で」
「ツナには紹介してなかったからな。ちょっとヤバめのヤマとか一緒にやってた相手だ。イイモン作るぜ、あいつ。呪い殺しとかすげー得意でな。……まあ、ご本人は見ての通り特攻タイプだがな」
 親しげな口ぶりに、綱吉がまじまじとリボーンを見入る。くつくつと、いなすように笑ってリボーンはカップを置いた。からかうような声が出た。
「なんだ、妬けるのか?」
 あからさまに驚いて、綱吉は首を振った。
「そ、そういうんじゃないけど! リボーン、人脈広いなァって」
「働く社会人だからな」
 カタギの世界じゃねーけど。心中だけで付け足して、リボーンは自らの寝室を人差し指で示した。
「寝るか? オレはまだ起きてる」
「えっ? いいの?」
「多分テメーが寝たころにベッドに戻る」
 ひいっ。恐怖で綱吉が引き攣った。リボーンが眉根にシワを作る。
「なんだ、一人寝がいいのか。じゃあそこらの床で寝てろ」
「う、うそうそ。ベッド暖めさせていただきます!」
 人差し指でカップを小突き、リボーンはにやりとした。
「オネショすんなよ」
「す、するか――っ!」
 ククッ。喉だけで笑って、リボーンは窓を開けにいった。生暖かな風が身を包む。片目に取り戻しがきかない傷を負って、すぐだった。祖父が言った。
『ふうむ。綱吉くんは12歳、か……。悩むところだ――、使い道があるといいが――』
『…………』ボンゴレとして働いたおかげで、幸いにも金は貯まっていた。次に綱吉と顔をあわせたとき、リボーンは散歩に誘うような気兼ねのない口調で告げた。
『ツナ。家をでるぞ』
『え、ええええっっ?!』
 驚き引き攣る子どもの手を掴んで、今の家にやってきた。
 3年が経とうとしている。2人きりでの生活も悪くはなかったが、魔王の息子たちを綱吉が連れてきたのは、何かの転機だろうと兄なりに考えるところがあった。そのために黙認しつづけている。
(本当なら、ツナはもう何回も死んでるはずだ――)潜りぬけた窮地がやまとある。3年前もそうだったし、先日の事件もそうだ。今回はひときわ大きくなる予感がした。
 綱吉の超直感が、何かを――引き当てようとしてる。
 いつまでも子ども扱いしないでよ、ぶつぶつうめく声に向けて、リボーンは独り言を呟いた。
「……昔、あにぃー、とか言いながらオレに泣きついてきたのは……。ジジィにばれないようこっそり洗濯してやったこともあったなァ」
「う、うう?! おやすみ!!」 
 苦悩するような呻き声の直後、駆け足が聞こえた。バタン! と、扉が閉まる。逃げやがったな。胸中だけで囁いて、リボーンは頬杖をついた。
「うざいやつだぜ、まったく……」
 あれでけっこうな寂しがりやだとリボーンは知っている。睡眠中、隣に人肌があれば綱吉は擦り寄ろうとする。ただでさえ寝苦しい夜だのに、自分も甘いものだ。ふっと自嘲気味に口角がつりあがった。その黒目に、星が映りこんだ――。
 その後、綱吉の隣で眠りはじめたリボーンは比較的最近の夢をみた。引越したばかりのころの思い出だ。先ほどと同じように、空を見た。二人で。
『わあ……! すごいね。ここ、空広いね!』
『ジジィんとこより、ずっとイイ環境だろ?』
『えー』綱吉は、学校にいる友達と離れたくないといって駄々を捏ねた。いささか、不満げな顔をしてみせる。リボーンがじろりと睨むと黙ったが。
『うん……、でも星きれい。丘の上ってのがまた』
『その内、車庫とかつけて車もほしーな。馬車よりずっと速いんだぞ、車は』
 ぼうぼうに伸びた芝生に綱吉が腰をおろす。しばらく、兄弟は広々とした草原を眺めた。リボーンが不意に片腕を持ち上げる。
『広いだろ。人間ってのはな、水平方向の距離を測るのは得意だ。どのくらいの距離にあるのかわかるようにできてる。ところが、』言って、空に向けて右腕を伸ばす。
『空との距離はつかめない。こっちの処理が弱ぇーんだ』
 リボーンは問答無用で綱吉の両脇に手をいれた。グイっと空に向けて突き出す。
『だっ、わっ、り、リボーン!』
『星がどれくらい近くにあるかはわかんねーだろ?』
『あっ? あ、ああ……。近くにあるね。でもほんとはずっと遠い場所にあるんだろ……ああ、なるほど、位置がつかめてないってことなのか、これが』
 頷きつつ、リボーンは目を細めた。綱吉を抱き上げることなど、何年ぶりか。この子どもが一歳ぐらいのとき、だっこしてやったような記憶はあるが、それだけだった。またひとつ、この子どもに関する思い入れが増えるのを自覚してリボーンは苦笑した。
(いつの間にこんな重くなってやがったんだ、この馬鹿は)
 ずっと抱えていると、段々、腕が痺れてくる。綱吉は面白そうに星に向けて手を伸ばしたり、手のひらを開いたり丸めたりしていた。
 そのころ、今更のように両親を悼むことがあった。リボーンは、この日もそんな感傷的な気分になった。自分というのは一人しかいないが、幸いにも弟がいる。すなおに、それを認めて喜べる。歳をとったせいか、はたまた弟のいいところも悪いところも受け止める気になったせいか。
(オレたちは二人きりの兄弟だな、ツナ)黒目に星が映りこむ。瞬きが、眩しかった。
 夢の外でもリボーンは眉根をよせ、眩しげに寝返りをうった。



おわり







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