夢想 今の話
荒々しく廊下を駆ける青年が一人いた。長い廊下だ。床はすべて赤い布地で覆われて、ふかふかした弾力がある。壁にかかる絵画も、天井をいろどるガラス製の照明も、すべてが豪華絢爛で法外的な値段であることを暗に主張していた。
だが、青年は荒々しい態度を崩さず、両手で扉を突き飛ばした。
「綱吉!!」
ビックリした顔で、二人の青年が振り返る。
一人は茶色い瞳に茶色い髪の東洋人。
もう一人は、アジア系かヨーロッパ系か判別しがたかったが、右が赤、左が青の特徴的なオッドアイをしていた。オッドアイはすぐに細くしなって、彼は鼻を鳴らした。
「不粋ですよ、恭弥」
「いつからだ――、綱吉。離れろ。それが綱吉のやさしさだって言うの? ふざけるんじゃないよ。捨てろ、そんなもの」
「…………。盗聴器?」
骸に両肩を抱かれたままで、東洋人がうめく。
沢田綱吉、またの名をボンゴレ十代目。ワークデスクに座った彼に、今、まさに骸が覆い被さろうとしているところだった。骸が眉間を皺寄せる。
ビッ、と、綱吉のネクタイを引いた。
「小癪な真似をするんですね。いつから小細工を?」
ネクタイピンを摘むと、足元に捨てる。骸は侮蔑の眼差しを雲雀恭弥に向けた。憎憎しげに骸を睨むと、ヒバリは綱吉の制止を聞かずに歩み寄り――、骸の胸倉を掴む。
「狂人。自覚がないなら厄介だ。消えろ。二度と現れるな!」
「…………? 何を馬鹿な。あなたこそ狂ってる」
「なんで? 綱吉。こんなの馬鹿げてる――様子がおかしいのは、みんな気がついてるよ。ただ綱吉のこと変に気遣って犯罪に手をださないだけ。僕は盗聴させてもらったけど――、わかってるだろ。そのネクタイピン、赤ん坊がプレゼントしたものだ!」
「ああ、今度から、二人とも警戒するようにするよ……」
冗談のように呟いて、綱吉は骸の下から抜け出した。
「場所変えますか、骸さん」
「そうしましょうか。まったく、たつものもたたなくなりますよコレじゃ」
ぼりぼりと自らの後頭部を掻いて、骸が足早に扉をでた。綱吉はヒバリを振り返る。ヒバリは、黒い両目をきつく吊り上げて憤怒の色を称えていた。
「馬鹿げてる。綱吉が犠牲になればいいって?!」
「……付き合っておくと、骸さんは、しばらくは正気保ってるンですよ……。根からおかしくなったわけじゃ――少なくとも、まだ。オレが付き合ってる限りは進行しない」
「マヌケ。見捨てろあんな汚らわしいもの――ッッ」
「ヒバリさん」
扉へと視線を戻しつつ、綱吉は低い声でつげた。
「ごめん。オレは……、見捨てられないよ。知りすぎてるから。ごめん。リボーンにも言っておいて。骸さんは放っておけない。でも、それと同じくらいヒバリさんたちも愛してる――」
「綱吉。僕の気持ち知っててそれいうの?」
「……オレ、骸にも抱かせてンだから自分にも抱かせろっていわなかったこと、ほんとに嬉しかった。愛してます。ヒバリさん。ほんとに……」
立ち去りかけた肩を掴んで、ヒバリがうめいた。
「それは今までだけの話かもしれないよ?」
綱吉は、顔を半分だけ振り返らせた。にこりと邪心もなく笑う。その笑顔に、僅かにヒバリが眉間を寄せる。骸がいらだったように綱吉を呼びつけた。それと同時に、ヒバリが手を離す。
「今行きます! ――――?」
背中に投げつけられたものがあった。
綱吉の革靴のすぐ隣に、捨てたはずのネクタイピンがある。ヒバリが苦渋に満ちた唸り声をたてた。その両目は猛獣のごとく獰猛に光るが、必死で抑制をしているためか揺らいで見えた。
「…………うん」
小さく頷いて、綱吉はネクタイピンをポケットに落とした。
「骸さん。外はいやですよオレは――、寝室でいい」
「君の?」
「あなたので。オレの部屋は始末に困る」
開け放たれた扉の向こう、廊下で、骸と綱吉とが並んで去っていく。ぎらぎらした眼差しで辺りを見回し――、四隅に収まっていた花瓶を殴りつけた。ヒバリの拳に破片が刺さる。手のひらに血をにじませたままで、ヒバリは、背後にある窓を突き破って部屋を後にした。
おわり
夢想 過去の話
この頃、あの人がなぜだか酷く落ち込んでいる。
綱吉はそれを知っていた。日本を引き上げて、一家友人すべて連れてイタリアへ引越した。そのときから、綱吉は誰よりもまわりを観ることに気を配っているのだ。
(骸さんには、そんな……殺しとか……まぁコロシがあの人にとって精神的負担になるとは思えないけど、でもそんな重い仕事は与えてないはず……。まさか、それで逆につらいのかな?)
彼のために殺す人間を作ることなどできるわけもなく、綱吉は静観することに決めた。やがて、すばらしい快晴が空に広がったころに、綱吉はヒバリと買い物にでかけた。互いに好きなものを買った。骸とは、屋敷に帰ってから、会議室の前ですれ違った。
「?!」彼は酷くおどろいた。常にはないほどに目を丸めて、硬直する。その両指のあいだから、紙類がすり抜けていってバサバサッと音をたてる。
「骸さん?」
「…………?」
綱吉の後ろではヒバリも眉を顰めていた。
だが、六道骸は綱吉しか見ない。言葉をなくして、立ち竦む姿などはじめて見た――、綱吉は骸の腕に触れて、表情を下から覗き込んだ。
「大丈夫ですか? 何かあったんですか。それともオレたち?」
骸は、ギクリとして後退りしたよう見えた。綱吉とヒバリがポカンとするにも構わず、散らばった紙類もそのままにして、廊下を引き返していく。乱れのない足並みで、しかも大股なため速い。
「なに、あいつ」ヒバリがうめいた。やがて、しぶしぶと紙袋を綱吉に預けるとしゃがみ込んだ。一枚、一枚、拾うのは手間取るから先に行けとヒバリが言った。
コックに紙袋を渡すと、綱吉は寝室へと向かった。
ジーンズ姿からスーツへと着替えるために、だったが、彼はそこを狙った。相手は扉のすぐ横に潜み、綱吉が室内に入ると同時に背中を蹴り倒した。
「ぐっ?!」
「なぜ生きている」
「?! む、くろ――? その声!」
相手には隠蔽するつもりがなかった。綱吉をひっくり返すと、骸は腹の上に乗り上げた。ツメをたてたままで綱吉の顔面を左右からはさむ。電灯をつけるヒマもなかったので、寝室は薄闇に包まれていた。骸の、赤い瞳だけが発光していた。
「殺したのに……。あれだけ念入りに」
「? い、いつのまに?!」
「今朝だ」
「誰を? 骸さん、オレそんな許可だしてないぞ?!」
「取る必要もなかった……。なぜだ……、今朝、君を。この腹を裂いてぜんぶ出したはずなのに。この耳もとった。目も潰した。僕と同じように右目もとった……、なぜだ」
綱吉が口をぱくぱくとさせた。目をまん丸にひん剥いて、信じられないように骸の両目を覗き込む。彼はゆるやかに両手に力をこめる。肌の下にツメが潜り込んでいった。
「むく、ろさ――、おちついて。オレの上からどいてよ」
「いやだ。部屋に帰っても、取ったはずの君の心臓がなかった。ボンゴレ、どこにやった? 返してください。せっかく僕のものになったのに」
「骸さん? おかしいよ。あんた、夢の話でもしてるんじゃ――」
「…………ゆめ?」
骸が絶句した。
今にも引き裂かんばかりに、肌に食い込んでいたツメから力が抜ける。骸が完全に脱力したのに気がついて、綱吉は慌ててベッドの上へと逃げた。枕の下から、ピストルを引き抜いて骸へと突きつける。
「最近、変でしたよね。うつ病みたいだった。骸さん? オレ、今朝は骸さんと会ってないしあんたに殺されてもいないよ。しっかりしてくださいよ。どうしたんですか」
床に両膝をついたままで、骸は唖然として綱吉を見つめた。その首が、ゆっくりと傾げられる。何を言っている? と、暗に訴える眼差しがすでに濁りを帯びていた。
「ちょっと……、本気ですか? 骸さん!!」
心底からゾッとして、綱吉が叫ぶ。
反対の方向へと首を傾がせて、しかし、骸の発した声音は冷静だった。
「何を……。夢だ? ああ……」額をおさえて、苦しげに首をふる。骸は切れきれの声で訴えた。
「ああ、そうでした。君を殺す夢でした……あれは。そうだ。綱吉くん、君が一昨日あんなあられもない声で死ぬほどイイっていうから……実際に殺してみたくなったんだ」
赤い目がくらやみに光る。絶句するのは、綱吉の番だった。
よろめきながら立ち上がる青年に銃口を向けるが、引鉄に指が置けない。ぶるぶると綱吉の全身が痙攣しだしていた。
「じょ、冗談キツいんだけど――骸さん?! 何いってるかわかってンの?!」
「わかってますよ。ボンゴレ、僕に無断で雲雀恭弥と買い物いくなんて酷いじゃないですか。ちょっと嫉妬しちゃいますよ。君は自分が誰のものだかわかってます?」
「来るなっ。寄るな! 骸さん、正気にもどってください!! オレたちそんな関係じゃないしっ、そんな……馬鹿な!!」
がつ、と、骸が銃身を抑えた。楽々と綱吉の肩を掴み、腕を捻り挙げる。関節を究められて、ピストルを手放すしかなかった。綱吉がベッドに倒れこむと、スプリングが大きく軋んだ。
「ああ、君とはいつもこうしてるのに――今日はなぜかひどく興奮する。ずっとこうしたかった。ボンゴレ……綱吉くん。愛してます。大好きです……、死にそうなくらいまで」
ぎっ、とスプリングが再び大きく軋む。
綱吉は絶望して覆い被さる影をみあげた。何をいっていいのか――、言葉を選ぶあいだに、ジーンズのベルトが抜かれた。骸は即座に綱吉の口を塞いだ。
「んむうっ?!」
「待って。一回、いれさせて――」
冷や汗か脂汗か、骸は顔面をびしょりとぬらしていた。常軌を逸した眼差しに、綱吉の全身がすくみ上がる。ベルトを噛みしめると、すぐに、恐れたものがやってきた。痛みと絶望だ。
「うっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」
一瞬で失神したが、すぐに意識が戻る。
(こ、んな、うそだ)綱吉が息も絶え絶えになっても、骸はすぐにはやめなかった。だが、失神と覚醒とを二桁を越えるほどに繰り返したところで、頬を叩く手があった。
ぱちぱちと、軽い叩き方だった。
「あ……?」
「ボンゴレ。大丈夫ですか?」
覗きこんでくるオッドアイに、四肢がこわばる。
だが、骸は気にした様子もなく、すぐに顔をはなした。サイドテーブルからマグカップを取り上げ、綱吉へと差し出す。加えて、彼がすっかり元通りにスーツを着ていることと、自らもスーツを着込んでいることで、綱吉は完全な混乱に陥った。マグカップには暖められたミルクが注がれていた。
「君が好きなものでしょう?」
「……そ、うだけど」
「呑めないなら残してもいいですけど。しゃきっとしてくださいよ。まあ、僕も無理させたと思ったので三十分は寝かせてあげました……。どっちみち休憩時間は二時間ほどオーバーしてますけどね」
ふ、と、皮肉げにため息をついて骸は自らもマグカップを取り上げた。綱吉がおずおずと声をかける。下肢には痛みがあったが、手当てされているようで腿の付け根に包帯の感触があった。
「な、なんともないの? 骸さん?」
「? 何の話ですか」
きょとんとして骸が両目をしばたかせる。
鼻腔に向けてミルクの香りが這い上がってくる。綱吉は急激な頭痛を感じた。二の句がつげない。六道骸は、すっかり、いつもの厳しいのだが優しいのか――敵だか味方だかよくわからない人物に戻っていた。少なくとも、綱吉の知る骸で、正気の骸だ。
「僕の顔になんかついてます……?」
不思議そうに、いささか邪険にしたように骸が頬をごしごしとこする。
綱吉はゆるゆると首を振っていた。そうする意外に、どうしていいものか、見当がつかなかった。実に、実にイヤな予感がした。綱吉が蒼白になっていくのを、骸は困ったように眺めていた。
「どうしたんですか。今日の君、具合が悪そうですけど。今日の夕食は会談の予定でしょう?」
「ご、ごめん……。いや……」
「君ねえ。ま、いいんじゃないですか? どーしようもない格下ですし、キャンセルしても。伝えてきますよ」マグカップを握らせると、骸がベッドを降りた。
肩をぱきぱきと鳴らして、戸惑うことなく扉に向かう。
ミルクを覗き込みつつ、綱吉が唇を食んだ。
「骸さん。最近、悩んだりしてる?」
「? 何をいうんですかいきなり」
「いいから」
「……僕はいつも君のことしか考えてないですけど?」
本気の眼差しだった。綱吉の背中にぞくりとしたものが走る。
「ああ、そう……」
「綱吉くんも僕のことしか考えてないクセに」
嬉しげに付け足すと、骸は部屋をでていった。綱吉は暗い眼差しでミルクを見つめた。どうにも、こうにも。白い水面にはすぐに波が生まれた。綱吉が震えるためだ。
(ごめん。ひばりさん)呆然としたまま、胸中でうめいた。
なし崩しに、厄介なことに巻き込まれたことだけはよく理解できた。乳白色の水面が、ぐるぐるぐるぐると渦を巻いていた。
おわり
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07.2.8