亡骸

 

 六道骸が死んだ。その事実を受け入れきれていなかったのかもしれない、と、ツナはベッドの中でひとりごちた。(考えてみたら、人が死ぬのを見たの、初めてだ……)
 肌からにじみ出るのか恐怖とない交ぜになった寒気だ。
 天井に翳していた左手を引っ込める。黒曜中襲撃事件の解決から一週間がたった。
 今日は、獄寺と共に見舞いに行った。山本が部活への復活を目指し、腕のリハビリを始めたのだ。傷跡は残っているが、このまま月日が過ぎれば癒されていくだろう。ツナの脳裏にぐったりと手足を弛緩させた身体が浮かぶ。銃声からほんの少しだけ遅れて弾けとぶ鮮血。ぐずりと色を鈍らせ、眠るように閉じられた目蓋に崩れる手足。浮かんだ途端に拳を握り、毛布を頭から被った。
 ボンゴレ医療チームは骸の死体をどこかへ回収していった。それから先は知らない。
(埋めたのかな? 燃やしたのかな?)
(いやだ。こういうこと、考えるのいやだ)
(マフィアになんかなりたくないよ。やっぱり、怖いよ……)
 布団の固まりが丸まったままブルブルと震える。空気のブレと僅かなうめき声。
 ハンモックの中で、リボーンは浅くため息をついた。
(教育の方向性、少し変えるしかねーかもな)次の日は曇っていた。獄寺の迎えもなく、一人で通学路をのぼる。その途中で見慣れた後姿に気がついた。学校とは反対側に向かっている。頭に巻かれた包帯と、松葉杖をつく姿とに呆気を取られたが、すぐ、彼は病院にいるはずだと思い出した。
「何してるんですか、ヒバリさん!」
「? ああ、君か。おはよう」
「おはようございます。あの、入院は……?」
 ヒバリが眉根を顰めた。「退院したんだよ。文句あるわけ?」
 慌てて首を振る。ヒバリはじぃとツナの爪先から登頂までを見回し、ニヤと口角をあげた。
「今から学校? よければ僕に付き合ってよ」
「どこかいくんですか?」
「ちょっとね。所用」
「でも今からだと、遅刻しちゃいますよ」
「別に良いよ」心底からどうでもよさそうに、杖のかわりにツナの手を引き寄せた。
(……ヒバリさん?)服の上からも彼の肌の冷たさが伝わる。何か。何かの違和感に眉を顰めたが、ヒバリに体重を預けられてツナは歯を食い縛った。そうとうに重い。
「どこまで行けばいいんですか」
「黒曜ヘルシーランド」
 ツナの顔色が変わる。ヒバリは平然としたまま、ひたすら前を見ていた。
「忘れ物があったの。なに、やっぱり行きたくないって?」
 懐を漁るようなマネをするので、ツナは慌てて首を振った。
 ヒバリの肩を掴み直し、その体重を引き寄せる。カバンも下げているので肩への負担は甚大だ。隣町に入る頃にはぜえぜえと息をついていた。
 横目でツナを見つめつつ、ヒバリが呟いた。
「君、逃げると思ってたんだけどね。どうしてついてくるの?」
 そちらが誘ったくせに。思ったツナではあるが、理不尽な先輩に口答えすることの無益さを知っているので、違う返答をした。「俺も見てみたいかなと思ったんです」
「へえ。なんでまた?」
「なんだか、六道骸が死んだって信じられなくて……」
 ヒバリが足を止めた。片方の眉をあげて、ツナをまじまじと眺める。
 緩く頭をふり、ツナがヒバリを引っ張った。街行く人々が、廃墟へと向かう二人を訝しげに見返した。声をかけようとした警官がいたが、ヒバリの顔を見て道を引き返していった。
「血痕、とか、まだ残ってるかなとか。変なこと考えちゃったりするんです」
 ふうん。気のない返事を返しつつ、少年の黒目はひたりとツナを見据えていた。
「ヒバリさんは強いし、えーっと、人が死んだりするとこ、見たこともあるんですよね。でも俺初めてなんです」唇がにわかに震える。
「情けないこと言っちゃうと気分悪くするかもしれないですけど、でも俺、正直なところ」
「怖い?」
 ずばりと切り込まれ、ツナが竦む。
 ヒバリが笑った。鬱蒼とした微笑みに混ぜられた色は複雑すぎてツナにはわからない。ただ、肩に引っかけた腕に力が入って、ヒバリの腕に抱きこまれたような形になった。
「亡骸を見て、自分を見失ってるだけじゃないの? 君はさ」
「そうなんですか……ね? 怖いしわからないんです。俺、骸がまだ生きてるような気がして……。なんだか。なんだか、あの、し、したいも……怖くて。ココ最近、ずっと鳥肌が」
「死んだ人間が怖いの?」
 嘲るような声音に、ツナが唇を噛んだ。
 最強を誇るヒバリだからこそ不安を吐露したのだ。それを一笑に伏されるのは屈辱的であると同時に、自らを酷く拒絶されたようで、また鳥肌が浮き出てきた。
 深々と口角に上への切込みをいれるのはヒバリだ。
 ヘルシーランドを前に、二人は肩を並べていた。ヒバリは二本足で立っていた。
「馬鹿にしてるわけじゃないよ。慣れてしまえば蟲の死骸と同じに何も感じなくなる。君は初めて見たものだから恐怖を感じてるんだ」
「そういう……ものなんですか? それなら、俺は」
 不自然に言葉が終わった。促すように、ヒバリが頷く。
「マフィアなんて向いてない。感じないのも、怖いんです」
「くっ……。なら、別の人がなればいいと思うよ」
「……?」まるで、誰がなるか決まっているかのような口ぶりだ。
 不審に眉をあげるツナにニヤリと笑って見せて、ヒバリが先を行く。慌てて追いかけ、ツナは再び廃墟へと足を踏み入れていた。一つを残して破壊された階段に、淀んだ空気。すべてが以前と同じだ。スタスタと舞台へ向けて歩くヒバリの背中に、しかし、ツナはなかなか追いつけなかった。
(何でこんなに早いんだ?)
「ヒバリさん、足また悪くしちゃいますよ!」
「大丈夫だよ。君に支えてもらってたからね。それよりも早くここに」
 舞台へと扉が厳重に閉められていた。ノブに南京錠が巻きつけられいている。ピンを取り出し、ヒバリは手早く開け放って中へとツナを促した。ピリとした冷気が肌を滑った。
「うわぁ……。変わってないや」
 中央に置かれたソファー。クッションすらそのままだ。
 ヒバリが扉を閉めた。
「僕が相応しいと思いませんか?」
「え?」ぼろぼろに刻まれたカーテンから目を離し、振り返る。
 一直線に歩み寄るヒバリには、見たことのない満面の笑みが浮かんでいた。
「……?」反射的な後退りだった。ヒバリがクッと喉を鳴らして足を速めたので、ツナは駆け出した。ステージへとよじ登る背中に、ゆったりと声がかけられる。「なんで逃げるの? 君の好きな雲雀恭弥だよ」
「ど、どっか妙じゃないですか!?」
 荒く息をつきながら、ステージの上と下とでヒバリと対峙していた。
「どうにも。綱吉、わかる? ここ、ちょうど六道骸の死体が転がってた場所だよ」
「え」ハッとしてヒバリの足元を見て、ツナが悲鳴をあげた。「血痕、残ってる――!!」
「板に染みちゃってるんだ。頭部には血流が多いから、流れた分も多い」
「そんな……」赤黒い板を見下ろして、ツナは両手で口を覆った。う、と、こみ上げるものがある。あの緩んだ身体が鮮明に蘇っていた。医療チームに抱え上げられたさいに、腕が垂れた。ぶらんと無気力に振り子となりながら投げ出された腕。(吐きそう)
 そのまま青褪めるツナに笑って、ヒバリがステージにあがる。
 よろりとしていた肩を支えた。が、五本の指はグッと肩にくいこんだ。
「捕まえた」半分もまぶたを閉じながら、青い顔でヒバリを見上げる――、ツナがうめいた。
「ヒバリ……、さん、笑って……?」
「愉しいときは笑う。フツウだろ?」
 満面の笑みをのせながら、ツナをソファーへと座らせる。
 肩を抑える手はそのままで、押し付けて立てないようにしてからクッションを四方へ放り投げた。目を見開くツナは、奥のほうで色違いのクッションが埋め込まれているのに気づく。お手玉のように小さく、黒かった。
「それがヒバリさんの忘れ物……ですか?」
(これって六道骸が座ってたところだ)「ヒバリさん」
 非難の色が濃い呼びかけだ。ヒバリは笑みを絶やさなかった。
 絶やさずに、お手玉をポケットへと捻り込む。
「くふ。僕は保険には保険をかけておくタイプでしてね」
「何をいってるんですか……?」
「末端価格で数千万にはなる。何をするにも資金はいりますからねえ」
「何をいってるんですか?!!」肌が火傷していくようだ。ヒバリはあっけらかんとしていた。
「大麻の換金について、ですかね。それと君への状況説明。何もわかってないんでしょう? だからここまでついてきた」声が重かった。心臓に粘りついて、下へひっぱるようだとツナは思う。
「おかしいじゃないですか! だってここ、骸が――」
 激しく頭をふり、はっとして口をつぐんだ。
(おかしいよ。ここにきてから、俺、まるで骸と話してるみたいに――?)
(違う。ヒバリさんが骸みたいに話してるんだ)誰。かすかな声が、ため息のようにヒバリに届く。
 黒衣の少年は、黒目を細めてツナの頬を撫でた。手を上へ滑らせ、髪の付け根へともぐりこませる。身体を懸命に引かそうとしていたが、ソファーの背もたれに阻まれて叶わなかった。
「この体とは契約しておきましたから。すべては僕のものなんですよ、ボンゴレ十代目」
「ろ……くどう、なの? 六道骸?」ヒバリが口角をあげる、ゆっくりと。
「まだ雲雀恭弥ですよ。六道骸は死んだ。それを名乗るのは先にします」
「骸じゃないか!! どう――、なって? ヒバリさんは?!」
「ここにいるではないですか」
 満面の笑みでヒバリが自らを指差す。
「うそだ」愕然として吠えた。いまだ入院中のランチアが脳裏に浮かぶ。
(ランチアさんは操られてたって)(ヒバリさん)目の前にある少年はいつもと同じように佇んでいる。その右目を見上げた。右。うっすらと字が見えた。六の文字、だ。「おまえはっ」
「おまえはヒバリさんじゃない!!」
「いいえ。ヒバリですよ……」うっすらと黒目が細くなる。
 風紀委員の腕章が目に痛い。叫びだしたい衝動にかられてツナは顔面を鷲掴みにした。
「予定が狂った」両手首を辿る指先。
「本当はもう少し時間をかけるつもりだった。でも、君が確保できたから良しとする」
 がしりとつかまれて、ツナが顔をあげた。ヒバリは鬱蒼と微笑んでいた。
「綱吉。今から、一緒に海外にでも逃げようよ」
 ツナが首をふる。ヒバリが微笑みを深くする。
 拳が腹の真ん中へと打ち込まれ、意識が抜き取られた。

 

 

 

 

 

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