「骸さん、何を書いてるんですか」
犬が見つけてきた隠れ家は、雨漏りはあったが使い勝手がよかった。部屋の数が多いところが骸の気に入りでもある。その一つで、窓の下にテーブルを置いて、骸は背中を丸めていた。
千種に背を向けたままで、骸は微笑んだ。
「ちょっとした遺言です」
「ゆ……」
ぽとん。タオルが落ちた。
骸はゆっくりと振り返り、タオルを拾い上げる。そして千種に差し出した。
「お風呂、ちゃんとスイッチ切りました? この間、夜まで沸かしつづけてただろう」
「あ。は。ハイ、消してます。って、あれは犬がやったんですけど」
「一緒に入ったんだから、連帯責任ですよ」
肩からずり落ちかけた毛布を抑えて、骸はテーブルへと向き直った。
ちゃぶ台のように背が低い木製の一品だ。カリカリとペンが走る。音色を聞きながら、千種は棒立ちになっていた。居間にはすでに犬の姿はない。タオルを握ったまま硬直している千種に、骸は唄うように気軽な声をかけた。
「僕が死んだときには、手紙を開けて、実行してくださいね」
「骸さま……?!」
「友人に宛てたものですよ」
骸の手元には、何通かの便箋が落ちていた。
この家のガラス戸はひび割れている。強い風が吹くと隙間風が入る。今宵は静かな夜だった。頭上の窓からも風が吹き込んでこない。テーブルの上に旧式のランプがあった。元から、この家に転がっていたものだ。
炎は、静かにまっすぐと佇む。見下ろしながら、骸は自らの唇を撫でた。
「……きれいな海の絵葉書がいいな。僕も、彼も、最後には」
千種が喚きながら何かを問い掛けている。よく聞こえなかった。骸は窓を見上げる。星はひとつも見えない。暗いだけの空は、夜の海とそっくりの色をしていた。
(僕も、彼も、最後にはそこに辿り付くはずだから)
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