流雫<りゅうだ>





 この頃、六道骸が家にくるので怯えていた。
 リボーンに会うためだ。最初から、一貫して相手にされてはいなかった。からかいじみた言葉や、バカにしたような失笑はあったが、何か、具体的な行動をしかけることはない。霧の守護者として、指輪を持った六道骸と少年との間柄は、本来ならば主人と従者に近いかたちになるはずだ。
 なるはずだったが、冷めた知人関係といったほうが正しい形容だった。
「沢田綱吉。訊いているのか?」
「ア……、はい。聞いてます」
「よし。じゃあ解けるな」
 教師が、拳で黒板をノックした。
 頬を支える杖にしていた右腕を下げて、綱吉は慌てて背筋を伸ばした。
 そうして引き攣り笑いを浮かべる。教師は、眉根を寄せ合わせただけで別の少年を指名した。窓は多量の雨を受け止めて、いくつもの白い筋を浮かべていた。雨の音をききながら、綱吉はノートを開ける。
 見事に真っ白だ。数式を書き込む気力もなく、綱吉は短くため息をついた。リボーンの家庭教師ぶりは、この頃は日常的な勉強の口出しにまで及んでいて家でも数学をやらされるのだ。
(アイツはオレに期待しすぎなんだよ。こんなの、五秒で寝れる――、……?)
 逸らせた視線は、窓辺にあたってよれた。
 筋の走った窓ガラスの向こうで、ビニール傘を差した少年がいた。
 知った顔だ。校門の脇に立ったまま微動だにしない。迷彩柄のカーゴパンツと黄色いテイシャツとの組み合わせが際立って、雨でしけった景色の中から浮いていた。
 思考ができずにいると、彼は傘をクルリとまわした。
 そして一直線に顎を上向ける。赤と青とのオッドアイは、透通っていただけで感情めいたものがない。綱吉はギクリとして身をひいた。
「ん? 沢田、答える気になったのか」
「あ……、や。いえ」
 跳ね上がる心臓めがけて腕が延びる。
 右手でぎゅっと握りしめながら、綱吉は固唾を呑んだ。骸は、いまだに自分を見上げている。軽く頷き返すと、了承のように目を伏せて、それから元のように足元に視線をおろした。
(――何の用事だ?)
 今までにないことだ。
 チャイムがなると、獄寺と山本を待たずに教室をでた。この際、ホームルームなどよりも骸の方が気になったのだ。綱吉がくると、骸は片腕をあげた。すでに下校を始めた生徒がチラチラと見える。興味ありげに、目を輝かせて綱吉たちへと眼差しを向けていた。
「こんばんは。迎えにきました」
「迎え? リボーンに頼まれたの?」
「そんなとこです。僕の仕事を君にも見学させろって」
「……仕事?」
 骸が踵を返す。
 追いかけながら、綱吉は、骸の腰にポーチが巻き付いていることに気がついた。背筋をまっすぐにしたままで、呟く声。面倒な害虫退治をするかのように、日常の細事を語るような口ぶりだった。
「人を攫ってきて埋めるんですよ」































「……それ、本当に、死んでるのか?」
「どうして疑うんですか。疑う理由は何もないでしょう」
 からかうでもなく、少年は真剣そのものの呻き声を返した。
 その両手にはスコップが握られている。背後に広がる木々は、枝葉をたっぷりと生い茂らせて雨を遮っていた。少年の、赤色をした瞳だけが奇妙に闇から浮かび上がって見えた。綱吉は、骸の足元で蹲る人影を凝視したまま後退ろうとしたが、すでに背中は大木の幹に密着していた。土の煤けた香りがした。
 ざく、ざく、ざく、と骸は規則的な動きでスコップを潜らせる。
 土の一山ができて、少年たちの前には穴ができていた。二十分ほどのあとで、骸は穴を覗いて、慎重にその中へと降りていった。手馴れた動作である。
 ざく、ざく、ざく、と途切れなく聞こえる音色のたびに綱吉は震えていた。あ、う、と戦慄き声がこぼれるたび、喉と心臓を繋ぐ一直線の糸を感じた。グイグイと引かれて、今にも卒倒しそうなほどに胸焼けがした。
「う……」綱吉の右手が、無意識のうちに口を塞いだ。
 腕をとられ、無理やりに軽自動車に乗せられたのが四時間前だ。
 骸は、ただ見ていろと言った。そうして、今から行うことすべてを網膜に焼き付ける。それが今回の修行だとリボーンが言ったと、事務的な宣告を聞いたときには現実感がなかった。足が地面についていない気がした。夢を見ているような気がした。
(しばらく待てって言われて、いきなり、オジサンの身体抱えて戻ってくるなんて誰が思うんだよ……)
 彼が死んでいることにはすぐに気がついた。ボウガンの羽根が首に埋まっていたからだ。骸は、引き抜くのは埋める直前だといって車を走らせた。そうしないと、血が噴き出て車内が汚れるからと。
「…………」
 綱吉は何もしていない。
 けれども全身がグッショリとしていた。
 雨だけではない。汗だった。心拍が、あがったまま元に戻らないのに全身が氷のように冷えている。昔、四十度の高熱をだしたことがあったがその感覚に似ていた。
 やがて、骸が穴から這い出した。顔面を腕で拭うが、土汚れをさらに広げただけに見えた。
 無造作に伸びた腕が、男の頭髪を鷲掴みにする。首を反らせると、骸は一息でボウガンを引き抜いた。ブッ、と、奇妙な風なりのあとで、小さな一点から噴水のような赤色が飛び散る。視界がガタガタと揺れるのを感じながら、綱吉は声をかけた。悲しいくらいに震えて、萎んで、掠れている。
「悪い人だからって、殺していいんですか」
 骸は自らのシャツを引っ張っていた。血がベットリとついていた。
「まぁ……。いいか。これは気に入ってるから、一緒に埋めなくても……」
「聞いてんですか?!」
 無造作に腰に手を当て、少年は溜め息らしきものを吐いた。そのまま、極めて自然な動作で重心を傾ける。片足に蹴りだされて、死体が穴へと転がった。
「っ!」
 奥歯を噛んだまま、綱吉は反射的に両耳を塞いだ。
「殺していいか、って? 僕にそれを決める権利はない。君にも権利はない。ただ、彼が生きていたら邪魔だという事実があるだけ」
 世間話でもするように、気軽に紡がれる声が厭で綱吉は首をふる。骸は構う様子もなく、淡々と言葉を繋いだ。その両目は、穴へ落ちた男を静かに見下ろしていた。
「倫理なき世界では、その事実こそが何よりも正論に近づくんですよ」
 両手が再びスコップを握る。ざっ、ざっ、と穴の上から土が降り注ぐ。その音色に鳥肌をたてて、綱吉はズルズルとしゃがみ込んでいた。腰が抜けていた。
「……、…………」
「さて。最後」
 一仕事を終えたかのように、骸が晴れやかな声をだした。
 その右目が蠢く。『一』の文字が浮かび上がった。スコップを地面において、骸は片手の人差し指を土のなかに突き刺した。平らになった土のうえに、みるみると草花が生えていった。彼が右目のスキルと称するもののひとつ、幻覚能力だ。その頃には、綱吉は幹に手をついて立ち上がるくらいの気力を取り戻していた。
 緑が伸びて、腰の高さまで伸びていく。あたりの雑草と同じくらいの高さになった。うめいていた。
「なんで、おまえ、暗部みたいなことやってんの?」
(ヴァリアー……。あれ、ボンゴレの暗殺部隊じゃなかったのか)
 骸が振り返る。穴を掘り、死体を埋める作業を始めてから、初めて振り返った。
 瞳が映すものは静寂だ。綱吉が固唾を呑む。沈黙は数分に及んで、黙殺されるかと危ぶんだときだ。骸はホタルの光のように、仄かな隙間を上唇と下唇のあいだに生ませた。
「死体の処理は、死体に任せるのが一番でしょう?」
 判別はつけ難かったが、綱吉には、骸が微笑んだように見えた。
 雨粒が、彼の輪郭を辿ってすべって消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 















 

 

>>つづく