混迷の終焉

 

 

 

 

 どうやら、彼は生きているようだ。
 僕の、彼の肌で、そう感じた。そんなことは今までにないが、輪廻を越すあいだでヒトは理解しきれないものと諦めている。イレギュラーなケースも起こり得るだろう、とにかく彼は意思を保っていた。こんなことをされて気づかない方がどうにかしてる。
『ヒバリさん? どうしたんですか、突然』
 腕が独りでに少年の腕を掴んでいた。
 呆ける僕を呆然と見上げる二つの瞳。ニヤリと笑ってみせる。少年は後退る。
 支配下にあるはずの体がいうことをきかない。きかないままで僕に向けて放り出す。この状況をどう切り抜けるのかと試しているように感じられた。彼との接点をできるだけ避けようとしてるのを理解しているのだろか? ボンゴレは廊下の向かいから歩いてきただけで、しかも彼のほうから、僕をさけようと後退りしていたというのに。思考する間もない出来事だった。
『……? 放してください』手が放れないんですよ。そう言えたらどれほど楽だろうか。
 魂の行き場を亡くした僕はここから出て行けない、ボンゴレたちがそれを知れば味方の肉体を取り戻そうとするだろう。接触を最小限に抑えて、この身体が成長するのをまってどこかに逃亡する予定を立てた。少年が、その年頃にしては大きめの瞳をしばたかせる。睫毛が見えた。
『ヒバリさんってば。なんですか、やっぱり用があるんですか?』
『……そうでもないんだけど』『じゃあどうして放してくれないんですか』
 放れたくないからだろう。誰が? 彼が?
 不自然な沈黙が流れる。適切な言い訳を考える間に、少年の瞳が肩へと向かった。まずい。六道骸のことを思い出されるのは分が悪い。『傷はもう癒えたよ。そうだね、ちょっと応接室にでもよらない?』
 少年が驚いたように僕を見上げる。
『久しぶりですね、そう言ってくれるの』
『…………そうだったっけ』そうですよと、嬉しげな声。
 失敗をやんわりと悟った。てっきり、少年と彼とは交友が浅いものと思っていた。
 接点がないし親しくなるようなキッカケもないと。けれど、最初の邂逅のさいに少年は彼を気にかけていたのだった。
『ごめんね、やつらに思い切りやられたからさ。……医者は記憶障害の可能性があるって』
『障害?! だっ、だいじょーぶなんですか!』
 応接室の扉をあける。ここに人を呼ぶのは初めてだ、彼は、人を使う男だったようだが人付きあいのある男でなかったのである。この応接室に始終こもっていることができるのは大変にありがたかった。けれども今。ボンゴレを招いたからには、うまいように、彼のとおりに振舞わなくてはならない。
 戸棚には紅茶のポットと葉が並んでいた。それきり。マグカップが二つ。嫌な予感がする。
『これ、君の?』不思議そうに、そうですよと声が返る。
『コーヒーがきれてるね。買ってきてよ』
『?』肩越しに振り返れば、少年は目をまん丸にしていた。
『ヒバリさん、コーヒー嫌いじゃありませんでしたっけ』
『……』失敗だ。『飲みたい日もあるんだよ。とっとと買ってきてくれない?』
 袖口からトンファーをひりだせば、ひぃっと悲鳴をあげて少年が応接室を飛び出した。良かった。厄介払いができた。彼は帰ってこないだろう――と、思えば、五分もせずに少年は帰ってきた。
 息せき切って、ソファーに缶を投げだす。
『逃げたかと思ったんだけど』
『よく言いますよ。逃げたら追いかけるクセに』
『…………』缶コーヒーを受け取る。どうやら、思っていたよりも懇意にした間柄だったらしい。
 あの事件の後で迷惑かけちゃったし、ヒバリさんに嫌われたのかと思いました。少年が言う。「まさか」応えたのは僕じゃなかった。封殺したはずの意思。制御を甘くしてるつもりはないのだけど。反射的に口へ伸びた指を、どうにか引きおろす。またもや目をしばたかせる少年に軽く微笑みかけた。『さっき。引き止めたのは、僕も綱吉と話したいと思ってたからだよ』
 そうですか。少しニュアンスが変わっていた。頬をにわかに染めて少年が自分のカフェオレに口をつける。
 黒色のものが、体中のスミからスミまで霧散した。
 こちらはこれほど苦労しているのに。君に手を煩わせてるというのに。
 苛立ちまぎれに缶をとりあげれば少年が呆けた顔をする。少しだけ気持ちがいい。次の明確な行動もなかったので、とりあえず、女にするみたいにして口付けた。少年が抵抗しなかったので驚いた。彼と少年との関係を悟った。ようやく、だ。
 遅すぎたかもしれない、思いつつも襟首に手を伸ばす。面白そうだと思わないでもなかった。どうせしばらくは大人しくしなければならないし、暇潰しにもいいだろう。抵抗は最後までなかった。

 


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