光覆の足跡 5.
1.
青い空気に光が差し込もうとしていた。
老人は受話器の向こうで怒鳴り散らしていた。以前の、気さくな応対とは打って変わった対応だ。
骸はほくそ笑んだ。今ならば、あの時に自分が何を感じたのか正確に理解できる。腹の底にわだかまったものは殺意で、頭の芯が呆けていたのは怒りが渦を巻いていたからだ。
『――長らく待たせた、六道骸くん』
『君をボンゴレ十代目として認めよう』
『イタリアで待っているぞ。わたしの遠い息子よ』
(頂点であぐらを掻けるものの傲慢ですよ。その余裕も言葉も吐息も)
(不思議ですね。あなたのことなど詳しく知らないのに、でもこんなに憎い)
眉一つ動かさないままで胸中で呪詛を投げつけた。老人の激昂に驚いているのだろう、周囲で慌てふためく男たちの叫び声がした。電話を切れ、だとか、十代目は何を言っているのだ、とか。
貴様は狂ってる。老人が叫ぶ。うっとりと微笑んで言い放った。
「そうかもしれませんね。ですが、それが何か?」
ソファーのアームに肘を乗せる。隣の身体は、まだ動かなかった。
「僕はここにいる。こうして生きてる。あなたの言葉で言うなら、遠い息子ですか。その息子が僕を生み出したんですよ、恨むなら彼ですね。子供なんて軽々しく作るものじゃないんですよ……。ええ? イヤですねえ。ひとつも嘘を言っていないですよ。僕はボンゴレ十代目を辞めます」
頭髪にするりと手のひらを滑り込ませた。
くしゃり、と、指を丸めたところで少年の呻き声がきこえてくる。
「決まってるじゃないですか。残る候補は、ひとりですよ」
手短に要件をつげる。またかけますと、気軽に付け足して通話を切り上げた。
綱吉の目蓋がふるえる。クッションが敷き詰められた上で、少年は体を折り曲げた。
「っくしゅ。あ。れ……?」
「おはようございます。よく寝てましたね」
骸は笑みもなく綱吉を見下ろした。
引き寄せたサイドテーブルに携帯電話を置き、マグカップを取り上げる。コーヒーは真ん中まで注がれ、カップの傍らにはいくつかの空いた缶詰が積まれていた。
「……オレ、寝てましたか?」
ぼうと辺りを見回す。ついた腕をクッションに呑み込まれた。羽毛のそれらに埋もれる少年を、骸は表情のないままで眺めまわす。カップを傾けて口元を隠すも、オッドアイは氷河のように冷え冷えとしていた。
「違う。む、骸さんがオレを気絶させたんじゃないですか……っ」
あっさりと頷いて、肯定する。
開け放しのカーテンからゆるゆるした光がにじり寄っていた。
「空港を突破するには、暴れられると厄介だったんですよ」
光は骸の両眼の上っ面だけを舐めていた。底で張り巡らされてるだろう意思は綱吉には読みとれない。
身体を強張らせたまま動かずにいると、骸の指が顎をとらえた。
「目、まだ赤いですね」
少年は笑ってはいなかった。
カップを置き、頑とした手つきで彼の襟首を捉える。
両手を添え、ビッと一瞬で引き裂いた。弾けとんだボタンの一つが綱吉の手のひらを引っ掻き、赤い線を刻み付けた。露になった胸板を押して、背中をソファーに押し付けさせる。
ようやっと、少年は常にある笑顔をのせた。
「そういえば、地下室以外でするのは初めてですね」
圧し掛かる細身を見上げながら、綱吉は顔を青くする。
しかし抵抗する気配はなかった。
「こういうのも……、復讐のひとつなんですか」
「そういうつもりはあまり、ありませんが……。ペットに復讐して何がどうなるというんです」
首筋に息が掛かる。肌が粟立ち、瞬時に鳥肌ができたが骸はそれすら目を細めて歓迎した。
ぷつぷつとした表皮に、手のひらを這わせて往復させる。
「ウサギはしょせんウサギですよ」
「…………っっ」
無遠慮な動きで片足が掲げられた。
ひょいと肩に乗せられて、少年は唇を噛みしめる。
血の気の薄い指先がベルトを引き抜いた。引き抜いたそれに視線を下げ、ヒュンと宙に振りかざしてみる。
綱吉がびくりと跳ねるが、それは少年を面白がらせたらしかった。
「すでに綱吉くんには物足りないかもしれませんが、普通に抱きましょうか? ベルトで嬲りますと、さすがに痕がつくと思うんですが……。君が望むなら考えないこともない。どちらがいいですか」
無言を通せば骸が都合のいいように解釈する。それがいつものことであり、そして、大概の場合においてそれは事態を悪くするだけだった。蚊の羽音程度に綱吉は「ふつう」と呟いた。
ニコリ。可愛げすら感じさせる笑み方で骸がダメ出しをした。
「骸のにぶっこんでもらえる方が嬉しい。五秒以内に言い直すなら認めます」
「っ、む、骸さんにぶち込んでもらった方がマシですっっ」
「くふ。さすがに早くなりましたね。いいですよ、細部の違いには目を瞑ってあげます」
綱吉の胸中に苦い鉛が沈みこむ。ジワと滲む涙の奥で、微笑むのが見えた。
取り出したものを少年に見せつけ、先端を咥えてみせる。眉を寄せ、唇の狭間から噛みあわされた両歯がカチカチ震えて重なったが、骸はそういった仕草のひとつひとつを観察しながら舌先を尖らせた。
鈴口をくすぐるように撫で、次の瞬間には突き立てる。手馴れたものだ。綱吉が鈍く悲鳴をあげた。抉る仕草を繰り返し、仕上げに前歯を浅く差し入れる。先端から無理やりに進入した堅いものに、クッションを握りしめたままで綱吉の背中が仰け反った。
見計らって根本から先端までを二度、三度と扱けば甲高い悲鳴があがった。
「……――っっ、っ」
胸が激しく揺れて、弛緩した体がクッションに沈む。
唇の濁液は舌で舐め取り、顎を垂れるものは右の人差し指で掬い上げた。クフと悪戯っぽく声をたてた。
「ちょっと飲んじゃいました。考えごとをしてたからですかね」
濡れた人差し指が綱吉の口をこじ開ける。顔を顰めた。
「苦くてまっずいでしょう?」
その反応は骸の気に入るところだったらしい。
彼は愉しげに身を乗りだし、自らの唇を指差した。
「ほら、見てくださいよ。まだありますから」
あーんと、赤子がするかのように口をあける。
白いものが溜まっていた。舌をだせば、トロりと流れでる。
骸の指が口をこじあけたままだ。流れ落ちるものは綱吉自身の喉で受け止めることとなる。
ビクと少年が震える、明らかに嫌悪だ。そして生理的なものはもちろん、喉に直接とろとろと落ちてくる感触そのものに身の毛がよだった。
「……あ、っぐ……?!」
上へ逃れようとする少年の舌に骸の舌が絡められる。
蛇のようにまとわりついて、そのまま咥内に潜り込んだ。落とした白濁を追うように、少年の舌を辿って奥まで進めば額がぶつかって阻まれた。角度を変え、少年の顎と額を押さえ、ぐっと限界まで口を押し広げさせる。しかし、下の根元をくすぐるだけで口腔の奥の壁には届きそうもなかった。
(僕は考え方を変えようと思うんです)
『ボンゴレへの復讐が僕の総てです』
言い放つ。浅い絶望が、綱吉の両眼を侵食していた。
彼のそうした眼差しは今日まで無数に眺めてきた。その瞬間に多大な昂揚を覚えたので、意識してそう仕組むことが多かったが、しかし繰り返し行う中で一向に熱が冷めないのを訝しがる声もあったのだ。
(綱吉くんの存在は僕を否定する。だから僕は君を否定するわけですが明かりを確実に奪えたという実感が続かない。どれもが刹那に消え失せる)
「……っ! ……――っっ、っ」
口を開けたまま綱吉が仰け反る。
背中に回った腕は逃れることを許さなかった。
胃の内用物が吐き出されるほどの衝撃があったし、口中は酷く苦く、鼻頭にはツンと突き抜ける痛みがあった。喉がひくひくと痙攣する。舌はするりと引かれていった。目尻から涙が筋となっているのに気がついて、骸がニコリと笑う。そうして、涙を舐め取り同じようなキスを繰り返した。
少年の苦しげな顔を見下ろしうめく悲鳴を聞く。
そうすると意識がクリアになって一つのことに集中しやすかった。
今ならば考えを深めることだ、骸は確認をしていた。ぼうと、脳の真ん中に意識が集中するような感覚は、過去に何度か試してみた麻薬類によるトリップと似ていた。
(否定し切れないなら、しなくて良かったんです。ただ傍らにいて)
(君の総てをハシから覆してあげれば。僕は目的と手段を違えていた)
唇をはなせば、濁った銀の糸がつうと間を繋げた。
「だから、ひとつにするんですよ。ウサギさんとボンゴレ十代目をね」
荒い息をつきながら、混乱に満ち満ちた瞳で綱吉が見上げる。
両目の奥の奥で、どろどろとしたものが渦を巻いていた。
今だけ浮き出ているものなのか、気がつかなかっただけで前からあったものなのかは、綱吉にはわからなかった。永く伸びた朝日が少年二人に差し掛かっていた。
「昨日、屋上で。わかっているんでしょう? 君は逃げられません」
光の陰影を顔に差しかけたまま、骸は笑んで断言した。
「僕が刻み付けた足跡がありますから」
――白く輝くはずの明光は、綱吉には淀み萎んでみえた。
骸の腕が下へとのびた。
日差しが空の頂点に達する。
さらには沈み、銀の光が辺りを満ちるころに、少年たちがやってきた。
リビングの扉は開け放されている。覗いた千種は、一瞬だけ奇妙なことを考えた。
主と慕う少年の肩から足が生えたのではないかと感じたのだ。
立ち込めた匂いと低い呻き声、ギシギシと軋むソファーの悲鳴で何が行われているのかを理解する。
千種の隣で、犬が顔だけをだして頓狂な声をあげた。
「オレらが死にソーになってる中、骸さまってばお愉しみィー?!」
「どこが死にそうなんですが、どこが」
振り返りもせず、骸。
ひときわに強く少年へ突きかかる。
うあ。掠れた悲鳴と共に綱吉の喉が反り返った。
二つに折られた身体がぶるりと震え、担いだ両足がピンと伸びて痙攣する。散った汗が、少年の腹で直立するものに降りかかった。既に内物をだしきったらしく薄い半透明の液を垂らすだけだ。見つめながら浅く息を吐き出し、綱吉の足を引っかけたままで千種と犬へ首をまわした。
「遅かったですね。首尾はどうなりました?」
「ヤラレまくり! ぜってー、アイツらはいつか殺す!!」
「警官隊の突入がありまして、リボーンもオレたちも散り散りになりました」
少年二人の身体に打撲のあとが無数にある。骸はふむと鼻を鳴らした。
綱吉の上半身がソファーに横たわっていた。足を掲げ、向かいから骸が挿入している格好だった。
骸の影の中で少年の涙がやんわりした光を灯す。犬は丸めたティッシュを鼻につきこんでいたが、その顔のまま綱吉を覗いた。眼球の動きは鈍く、見上げた数秒後に新たな影が誰であるかを悟ったようだった。
「ああ。収縮しないでください。綱吉くん、欲しくてもガマンですよ」
「やっらしー。人ん家のリビングでおったてちゃってマァー」
サイドテーブルに積みあがったものに、千種が眉を顰めた。
「骸様。また、缶詰にしましたね」
「それしかなかったんですよ」
引き抜けば、ごぷっと粘り気のある水音がした。抜いたそばから溢れていく。
カーペットの液だまりは二人のが合わさっていたが、相当な量だ。犬が口笛を鳴らす。
「他にやることもありませんでしたから。清めて地下に戻しておいて下さい」
「え〜っ。いいスけど。ツマミ食いはっ?」
「ちょっとだけでしたら」
「ヒャホ〜イ!」
無邪気な声と共に犬が少年の中心を握った。
歯を食い縛る彼に微笑みを落とし、千種を振り返る。
「僕はでかけますから」
「わかりました。どこへですか?」
「クフフ。秘密の買い物です」
綱吉のシャツをつかみ、どろりとしたものをふき取る。
千種は眉を顰めたが、それ以上は尋ねなかった。やがてソファーの上から掠れた泣き声が届く。チラと見れば、少年は真っ赤な顔で犬に組み伏せられていた。後ろから圧し掛かられ、獣の性交のようだ。
「おい、犬。お前じゃタイミング間違えそうだから、ほどほどにしろよ」
「あいあい。わぁーってるって! 柿ピーはいいのかよ」
「オレは……。昨日ので疲れた。腰振る気がしない」
クっと骸の鼻が鳴った。上着に袖を通して踵を返す。
彼が帰るのは、二週間も先になるのだった。
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