光覆の足跡 4.

 

 

 

2.
「どうぞ、ボンゴレ様」
「ありがとうございます。でも、まだムクロでいいですよ」
 コーヒーを受け取りつつにわかに苦笑を浮かべた。
 骸のとなりで綱吉は首をめぐらせる。成田空港を初めて訪れた。が、それ以前に、久しぶりに見る他の人間と外とに圧倒されていた。並盛高の制服は違和感なく少年の肌に馴染んでいる。
 黒い水面に口をつけながら、骸は腕時計を見下ろした。
「そろそろ時間ですね」
「あいつはピッタリにくるぜ」
 子供ながらにリボーンは黒のスーツだ。
 三人組は常と同じ黒曜高の制服。骸が腕を下げれば、きらりと細いワイヤーが瞬いた。先は綱吉の腕に絡む手錠の残骸につながっている。「ああ……」骸が目を細めた。
 綱吉がはっとして振り返る。金髪の青年は、数人の部下を従えて姿を現した。
「よう、ボンゴレ十代目……っと、リボーンに」
 言葉が不自然に途切れる。青年は光を見つめるときのように目を細くした。
 綱吉の爪先から頭の先までをしみじみと眺める。少年の涙腺はゆるゆる滲む。ツナと、かつてのように愛情を込めて名を呼ばれたが、黒い影が二人の間に割り入っていた。
「初めまして。キャッバローネのディーノさん」
「知ってんのか。光栄だな。オレもお前さんを知ってるぜ。十代目になる前からな」
「それはありがたい。悪名でなければいいんですけど。クフフフ」
 千種と犬のトランクを持つよう、ディーノは部下に命じた。その中に赤いトランクは混ざっていなかった。
 その立ち姿も声音も変わらない。わずかに震える体を隠すように、綱吉は拳を握り込んだ。
「まさか、このためだけに日本に来たのか? バカ弟子が」
「手痛ーじゃねえか。オレは久しぶりなんだぜ」
「は。コッチだって久しぶりに見てるぜ」
 骸が、咎めるような眼差しをリボーンに注ぐ。
 気にした様子もなく、しかし子供はボンゴレ九代目の様子をディーノに尋ねた。
 青年は口を開けるが、声を発する前に空気が凍てついた。一同の視線が動く。殺意じみたものがバラまかれていた。足音は、浮き足たった空港の雰囲気を真中から切り裂くように一直線にやってきた。
「きっと連れだすと思った」
「ヒバリさんっ?!」
「久しぶり。一年ぶりだね。少し痩せた?」
 風紀委員の腕章が、差し込む光に照らされて輝いた。
 骸が眉を顰める。チラと子供を一瞥した。
「……情報の漏洩は困りますね」
「なんのことだか」
 リボーンが目を細くした。
 フンと鼻を鳴らしたのはヒバリだ。綱吉との間に身体を挟んだ骸を睨む。
「あの日、手紙を先に読んでおくべきだったと思うよ」
「後悔ですか。あなたのような男に似合いませんよ」
「ふん……。君、イタリアに行くんだってね」
 トンファーが両腕に添えられた。
「綱吉は置いていってもらうよ」
 ぎらぎらした獣の眼差しが骸を射る。
 ニコリと微笑みが返された。千種と犬が骸の前に進みでる。
「見送りでないとは残念ですね。綱吉くんは僕と一緒に行きますよ」
 辺りを包み始める緊張感に、俄かなざわめきが起ころうとしていた。
 ディーノとリボーンは互いに視線を交わし、部下と共に骸たちを囲った。一般客へのバリケードだ。物言いたげなディーノの瞳に、リボーンは首を振ることで応えてみせた。キュと唇が噛まれる。
 骸は横目で彼らを見、綱吉を見る。少年の手の平には赤色の筋があった。密かにワイヤーを引き千切ろうとしていたのだ。特殊合金を使用しているため、その程度では千切れないのだが。
『――まもなく、十三時発のイタリア行きが到着いたします。ご搭乗の方は……』
「クフ、クフフフフフフフフフフ……!」
 アナウンスを背後に、くつくつと肩を震わせた。
 オッドアイが不快に歪む。目に見えないもの――例えるなら運命とでも呼べるような、大きな力の奔流が存在しているかのようだと内心でうそぶいた。(光が当たる場所に引っ張っていこうとしているようじゃないですか。本当に、本当に芯から悩ませてくれますよ綱吉くんは)
(君の存在は僕を否定しますね。マフィアになるために総てを捨てて……。総てを恨んで憎みながら生きてきたというのに、君は総てを持って総てを愛するままでマフィアになろうとした)
(一年間。その身も心も嬲りつづけたというのに。まだ僕と同じように総てを憎んではいない。足りないと言うんですか。もっと、もっともっともっともっと掻き回してグチャグチャにしないと――)
「骸様? どうしますか。骸様だけでも先に行き――」
「まさか。冗談じゃない」
 ゾクリ。間近でその声を聞き、綱吉は背筋を震わせた。
 低く、呪うような声音だった。オッドアイの真中に漆黒があった。とぐろを巻き、見るものに襲い掛かり毒牙を向けるかのような。総てを呪い殺すことを望んでいるかのような。目が合っただけで背筋が震え、動くことができなくなった。瞳孔の奥を瞬かせたまま、骸の腕は綱吉の襟首へと伸びる。
「うあっ……?!」
「すべて手遅れなんですよ……! そこにいますね、獄寺隼人!」
 反対の腕が懐に潜る。取り出された拳銃にギャラリーが目を見張った。
 バキュンッ。銃弾が弾け、悲鳴がこだまする。弾は骸たちの背後にあった時計柱――綱吉が最も近い位置にいた――に当たり、間を置かずに細い影がとびだした。
 ニヤリとして銃口が向けられ、ギョッとする。足をバタつかせて骸を蹴った。
「逃げてっっ、獄寺くん!!」
 逃げだす観光客の流れに反する獄寺、その頬を銃弾が掠めた。
 大して悔しげでもなく、楽しむような微笑すら返して骸がグリップの尾で少年の眉間を打撃する。グッとうめいて綱吉の体が弛緩した。沢田さん。内心で叫びながら、獄寺は右手を振りかぶらせた。
「果てろォ!!」
「千種!」
 ニット帽の少年が進み出る。
 ヨーヨーが宙を滑空し、ダイナマイトのことごとくにぶつかった。
 伸び上がった糸が導火線を断ち切り、黒焦げた糸炭がぱらぱらと散らばる。骸の輪郭に影が差す。視界いっぱいにトンファーがあった。当たる前に、ライオンの爪が金属棒を叩き落す。
「どいて。邪魔だよっ」
「ジャマしてるんですぅ〜」
 綱吉を抱えたまま骸は後退りした。ヒバリと視線が交差する。
 互いに、互いの眼差しからは殺意しか感じ取らなかった。ヒバリは犬の腹を蹴りつけトンファーを顔面の前に移動させる。ガンガンッと、立て続けの射発を防いだ手応えがした。
「む、くろさ! やめて! みんな死んじゃうッ」
「おかしなことを言いますね。殺そうとしてるんですよ?」
 襟首を掴む手に力がこもる。
「これが見えますか?」
 うあっ。叫び声が鋭く響いた。
 片腕はピンと伸ばされ、足が数十センチも地面から浮いている。
 獄寺が千種を殴る腕をとめた。即座に、千種は胸倉をつかまれたままで獄寺を殴りつけた。簡単にふっ飛ぶも、起き上がった獄寺は骸へと声を荒げた。「沢田さんに何しやがる気だッ!」
「おい。ツナまで殺る気か」
「兄弟子として許せねーぞ、そりゃ」
「あなた方は黙っていなさい」
 銃口が綱吉の喉を捉えていた。
「獄寺隼人。君の警備は役に立ちました。ありがとうございます」鬱蒼とした笑みが骸の口元を彩る。
 眉間を皺寄せるヒバリの目に、警備員と警察官が駆けてくるのが見えた。状況を把握すると、真っ青な顔をして立ち尽くしてしまったが。
「これが最後の仕事ですよ。そこのトリ男を殺してください」
『なっ……!!』
 獄寺と声を重ねて、綱吉は骸を見下ろした。
 見返されることはなく、楽しげに言葉が繋がれる。
「綱吉くんの目を抉ってあげてもいいんですよ。僕としてはね」
 襟首を掴んだまま、綱吉を引き寄せる。銃口の先で顎を上向かせた。「知っていますか、目って簡単に取れるんですよ。眼球を支えているのは筋肉ですから、今この場で片手だけでできてしまうんです」
「…………っっ」
 ねとりと、視線が絡んだ。
 肌を熱で炙られたかのような錯覚が少年を襲う。
 温度に晒されるはずのない臓器が、臓器の底が冷えたようで血の気が引いた。本気だ。こういった感覚を覚えるときは、この少年は本気であるのだ――地下室で慣らされた感覚だった。その事実と、地下室の仕打ちを覚えこんでいる自分の身体とに目眩がした。吐き気すらもよおす。骸がにぃと笑う。
「わかりますね……? さあ、綱吉くん。あなたが忠犬に命令してあげてください」
「そ……っ、な、できるわけが」
「彼らは君を助けようとした。報いるために、直に引導を与えるといい」
 ニコニコと少年は愉しげに語る。
 かつん。ヒバリが向き直る。近寄る影があった。
「……命令の必要は、ないです……、沢田さん」
 ダイナマイトを両手に構える少年がいた。蒼白な顔をして、自らの両手を見下ろしている。ヒバリは静かにトンファーを構えた。犬がひゅーっと甲高い口笛を吹いた。
「ひゃっほう。サイコー! 殺戮ショーの開幕ってか?!」
「あっ、あんたらは……っ、本当にっ」
「サイテイですか。褒め言葉ですね」
 うっとりと目を細める。綱吉の頬を、光るものが流れていた。
 睨みつける瞳に火花がきらめく。獄寺のダイナマイトが炸裂した。
「そんなんじゃ僕は始末できないね」
「くそ! チクショー!! テメーもいちいちるせえーんだよっ」
 二倍ボムっ。掛け声と共にいくつもの爆発が広がった。照りつける爆風にバランスを崩し、骸が少年を放す。
 ――その途端に、チュインっと細い撃音が聞こえた。
『……――っっ?!!』
 ワイヤーが切れていた。
 消音機付きのリボルバーを構えたディーノがいた。
 背後にいたはずの部下が誰一人としていない。青年はへらりと笑った。
「すまん、加勢しよーとしたんだが手が滑った! オレ、部下いないとダメでさ」
「な……っ?」瞬間的に呆然と見返したのは骸である。
 見え透いた嘘だ。彼の視界には、物陰に潜むディーノの部下が見えた。思わずこぼれた舌打ちに、少年がハッとして身を翻した。骸が伸ばした腕は、髪の毛数本の距離でもって避けられた。
「千種、犬。彼を――」
「おっと。させないよ」
 渦巻く煙幕を突っ切って姿を現した。
 ヒバリだ。制服を焦がし、ケホと軽く堰をついている。
 前へと進みでた犬が、獄寺の拳にふっ飛ばされた。
「沢田さんっ! 走ってください!」
「ごめんっ……。ありがとお!」
 肩越しに振り返って少年が叫ぶ。すでに泣きじゃくっているも同然の声だった。
 骸が再び舌を打つ。銃口は綱吉の足へと向けられたが、弾は切れている。ガシャンと拳銃を地面へ叩き付けていた。激昂した眼差しをディーノとヒバリ、獄寺とリボーンへ向ける。
「ウザい。あんたら全部、とこっとんまでうざったい!」
 怨念じみた感情があったがしかし、蚊の鳴くほどの声量であり誰の耳にも届かなかった。
 犬が飛び起きたのを確認し、千種へと静かに告げる。
「追いかけます。あとは任せますから」
「骸様、フライトまで時間が」
「――、彼は逃がしません」
「行かせねーって言ってんだろーが!」
 骸へと掴みかかろうとした獄寺だが、犬が立ち塞がった。アニマルチャンネルで変化した牙に、危うく丸ごと胸を抉られるところだった。千種のヨーヨーがヒバリとトンファーを縛り付ける。
 罵倒と打撃音が行き交う中で足音が遠のいていく。機械的なアナウンスが響きわたる。
『――便をご利用の方、三十七番ゲートへ――』
 逡巡する時間はない、背中はぐんぐんと小さくなる。
「任せましたよ!」同じ言葉を繰り返し、骸が床板を蹴りあげた。




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