光覆の足跡 4.

 

 

 

1.
 少年の日課は残飯を漁ることだった。
 裏手でこっそりと迅速にキャベツとニンジンのかけらを拾い集める。その日は呼び止められた。
 仕立てのよいスーツを着込んだ男で、咥え煙草を揺らめかしている。何をしているのかと低い声で優しく問われた。エサを集めてるといえば、男はにこりと笑った。二人は、しばらく顔を突き合わせて話し込んだ。
『へえ……。知らなかった。ウサギってそういうところもあるの』
 考えながら、付け加える。『でもおじさん、あの子は死なせないよ。だってぼく、あの子を撫でてるときがいちばん幸せだもん。黒い毛並みがきらきら光ってすごく綺麗なんだよ』
 でも生きてるから寿命があるよと、男が笑う。
『それならずっと眺めてる。ずっといっしょにいる』
 男は目を丸くした。少年の表情は動かぬものの、返された言葉は力強く、瞳には煌々とした意思の塊が浮かんでいた。九代目と、別の男が顔をだした。骸は踵を返して走り去る。屋敷の使用人には、顔をあわせるたびに石を投げつけられているのだ。大木の根元にある穴倉に駆けていって、しかし、すぐに我が家としている掘っ建て小屋へと戻った。純粋な疑問をのせて、昼食をつくる母の背中に問い掛けた。
『……母さん。ぼくが飼ってたウサギ、どこいったの?』
 応える代わりに、テーブルの真ん中に大皿が置かれる。
 キャベツが敷かれた上に細切れの肉があった。ぼろ板を組み合わせただけのテーブルに似合わない一品だった。女はぶっきらぼうに言い捨てる。
『お金がないんだもん』
 ぱらぱらとコショウが振りかけられた。
 ……、そっか。少年は薄い声音で呟いた。
 フォークを握らされ、キャベツの若緑色に肉汁が染み込むのを見下ろす。
 昆虫以外のタンパク質が食卓に並ぶのは二ヶ月ぶりだ。その肉は柔らかかった。くにゃくにゃと口の中で歪んでいく。壊れていく。無表情のまま、味のしない塊を飲み込んだ。
 ――骸は目を細めた。カーテンの下から覗く青い光に、夢の光景と少年とが浮かんでいた。
(光るものが嫌いと、明確に意識したのは孤児院に入ってから)
(光に囲まれてるのはもっと嫌いと、それを知ったのは沢田綱吉に会ってから)
 脳裏での彼は、地下室で見るような淀んだ表情をしていなかった。
 どれほど骸に敗北しても、この世の終わりを見たかのように途方にくれた顔をしていても、仲間が現れるだけで彼はいつもの元気を取り戻す――。絶望から希望へときりかわる瞬間の表情。それを見るたびに総毛立ち、おぞましさに身体を奮わせた。(僕と同じような)深淵に引きずりこんでやりたいと願った。
 彼を踏みしだく妄想はいつでも甘美な快感を運んでくれたもので、しかし骸はこうした思考を断ち切り、受話器に意識を集中させた。低くしわがれた老人の声が、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
(あなたもずいぶんと歳をとりましたね)
 青い光を見据えたまま、何度か顎を上下させた。
「……ええ、はい……。わかりました。……――いいえ? 光栄です」
 リボーンは静かな瞳で少年を見上げる。時折り見返される視線も、冷え冷えとしていた。
 通話を切るなり頭を下げられ、骸は不快をあらわに眉を顰めた。
「何のマネですか」
「就任したんだろ。ボンゴレ十代目」
 やや間をおいて、皮肉げに口角をつりあげた。
「妙な気分になりますね。あなたの口からそれを聞きますと」
 青い光がカーテンの奥でわだかまる。サイドテーブルへと視線を戻せば肩掛けのカバンがあった。
 機内に持ち込めるだろう大きさだが、彼の荷物総てがまとめられている。骸は、本来ならば物を所持するのを好む人間ではないのだ。骸の手から携帯電話を引き抜かれた。
 通常よりも一回り大きくてずしりとくるそれは、衛星回線に繋がる特別製だった。
「テメーだって、一応はオレの教え子ってことだ。おめでとーさん」
「それはそれは……。律儀なことですね。ありがとうございます、先生」
「はん。なぜだか皮肉に聞こえるぜ」
「皮肉そのものだからではないですか?」
 ベッドから起き上がり、ようやく骸は拳銃を手放した。
 枕の下に隠しておいたもので、寝室に人気を感じた途端に引き抜いたものだった。
 リボーンは身支度を完璧に整えている。切れ長の瞳は、拳銃のトリガーガードから垂らされたチェーンを見つけた。骸はニコリと笑ってみせる。
「ここにつけてたら安心でしょう?」
 地下室へのキィを指差す。リボーンはフンと鼻を鳴らして部屋をでた。
 シャツのボタンを外し、着替えを終えて腕時計をつければ、まだ朝の六時だった。
(綱吉くんは……、まだ起こさない方がいい)
(どうせ寝付くのが遅いでしょうし、体力の回復も遅いでしょうからね)
 脱いだシャツに視線を落とす。汗の筋がいくつか浮かんでいた。
 拾って畳む。そうしてくず入れに投げ捨てた。十数年はそのままだろう。
 この屋敷は買い上げたが、戻ってくるつもりはなかった。
(悪夢なんて僕らしくありませんよ。そうでしょう、六道ムクロ)
 責めるように呟きつつも理解していた。長らく練り上げたものがようやく形になる。結局は人間なのだから、心理的に揺れてしまっても仕方ないのだろうと自らに言い聞かせた。……ボンゴレにとって取るにも足らなかった下賎の子供が、トップにのし上がり総てを治めてしまう。一大喜劇がようやく実現される。
 先程の拳銃を持ち上げた。
 チェーンで繋がれたキィは、ニンジンのマスコットを失って寂しげに左右に揺れた。




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