光覆の足跡 3.
1.
神経を抉るような衝撃で震え上がった。
見開かれた両眼に、美麗な顔立ちの少年が映る。
今気が付いたと言わんばかりにニコリと笑い、呑気に声がかかった。
「こんばんは。意外と気がつくものみたいですね」
「骸さ……。な、にを」
牢部屋の電球が点灯されていた。
明光から綱吉を遮る形で、骸は曝け出された背中を撫でる。
存外に力が込められている。下から這いでることは叶いそうにない、が、綱吉は敷かれたラビットファーを毟るほどの勢いでもって前へ進もうとした。唐突に眠りから覚醒された上に下肢の異物感である
混乱のままもがく姿に満足したのは骸だった。左手を後ろへと下げた。綱吉の体が瞬時に固く強張り、唇からはヒィッと甲高い悲鳴が迸った。舐るように腸膜を掻き混ぜる動きは、少年の悦ぶポイントを熟知しており的確だった。背中を反らす様子にオッドアイを細くなった。
「そんなに気持ちいいですか? こんなものが?」
「うあ……っ、あっ。やめ……っ!」
「クフフフフフ。いいですよ」
未練もなくずるりと引き抜く。
肩にこめた力が抜けたが、間をおかずに綱吉は肌を粟立てた。
表面が奇妙に温みを帯びてヒヤリとしているもの。綱吉にボールペンを握らせ、骸はその上から自分の両手でぎゅっと拳を握り締めさせた。何を突き立てられていたのかを悟り、少年の顔が強張る。
骸は楽しげに微笑んだまま、ボールペンのキャップを引き抜いた。
はらりと。数枚の写真が落とされる。
「これ、覚えてますか?」
「…………っ」
息を呑み込んだ。
少年のあられもない姿が映っていた。
天井から伸びた紐によって足首を吊るされ、股を広げられた格好で――、被写体の正体など聞く必要もなかった。目を反らす綱吉を楽しげに眺め、にこにこと人好きのする笑みを浮かべたままで新たな写真を差し出した。
「思い出したんです。まだ貼ってないなぁ、と」
鼻先に突きつけられた一枚には、少年の局部だけがクローズアップされていた。
喉の奥の悲鳴が噛み殺される。少年は上体を持ち上げ、胸の前の衣服を掻き集めた。ぼろきれ同然のそれらに目を細め、骸は咎めるでもなく再び写真を差し出した。
「一度しかいいませんけど。いいんですか?」
「っ、あ、あなたって人は……!」
「何ならこちらでもいいんですけど」
さらに一枚。見下ろし、綱吉は愕然として骸を見上げた。
「良い表情でしょう? 個人的に持っていたかったのですが」
薄っすらと微笑みながらの言葉は痛々しいほどの冷気を含んでいるようで、綱吉は固唾を飲んだ。
写真のなかの自分は、ともすれば死人と間違うほど色のない顔をしている。半開きの唇は薄笑いを浮かべ、白い歯の上で赤い舌が乗せられているもまったく力が込められていない。とろりと淀む瞳には生気がなかった。あるのはただ一点、至上の極楽でも夢想しているかのような悦色だ。死の間際に性的な絶頂を味わえば人はこのような顔ができるのだろうか。常人の顔ではない。
両腕で自らを抱きしめ、綱吉が後退る。足首を縛める鎖がグジャリと音を立てた。骸はニィと笑みの質を変えて少年を覗き込んだ。その足は鎖を踏みつけ、もはや後退ることもできなかった。
「結局、十三回でしたね……。あのあと、君は五日ほど眠りつづけましたよ」
「知らな……。あ。あんたは、オレを殺したいんですか……」
自分で、口にしてゾッとする言葉だった。
殺されそうだと、感じる瞬間はいくつもあった。だが写真として突きつけられれば現実味の度合いが違う。事実に圧倒される綱吉に、骸は変わらぬ笑みを落とすだけだった。
「これではイヤなようですね。では元のでどうぞ。――…年十月二日」
ボールペンを握った腕に力が篭る。壁に写真を押し付け、ペン先を押し付けた。
写真の中身はもとより、千切れた手錠が厭がおうにも視界に入った。目蓋が独りでにぴくぴくと戦慄く。体が見たくないと叫ぶようだった。日付を書き始めれば、背後から人差し指が伸びた。
「どうせならココに書いてあげたらどうですか? いじられるの好きでしょう」
「だ。黙って……、ください」
「そうですか」
こだわりもなく返し、じっと綱吉を見下ろす。
タイミングを計っているのだ。ねっとりした汗が背中を流れる。骸の眼差しはヘビのようだと綱吉は考える。
ゆっくりと喉元に這い上がり、首のまわりを何度も回るのだが締め過ぎることはない。ほどほどの苦痛だけを与えて、嬲ること自体が目的であるかのように鎌首をもたげて笑うのである。
写真からペンを放すと、すっと自然に拳から抜き取られた。
骸は凶器になり得るものを極力綱吉に持たせない。自分が傷つけられることを恐れてではない。
少年が、それを使って自害を企てることを警戒していた。書き終えれば綱吉はすぐさま骸から体を離す。その様子に目を丸めた骸は、やや間をおいてから、合点がいったというように唇を嘲らせた。
「明日に出発でしょう。今日は休んでてください」
「……本気で……、オレをつれてく気ですか」
「ええ。ウサギさんを置いてくわけにはいかないでしょう」
戯れに、骸は部屋の隅に転がるヌイグルミを拾い上げた。
両手で抱えられるほどのウサギである。くりくりとした黒目のまわりには、剥がそうとしたかのような羊毛の乱れがあった。「こちらはあんまり大切にしていらっしゃらないようですね」
「あなたがいつオレを大切にしたっていうんです」
「毎日のように。ほら、人形も贈っていますよ」
「どっ……」
カッとした怒りに、声を荒げた。
「それのどこかっ。ただの嫌がらせじゃないですか!」
骸の目が細まる。面白がるような光は、紛れもない肯定だった。
「綱吉くんは好きですよ。可愛くてか細くて弱くてそのくせ、たまに何かをわかったような口をきく。君の笑顔を見てると、髪でも鷲掴んで引きずり倒してあげたくなりますよ」
「――っ、オレはっ、骸さんが大嫌いです」
「今日はいつもより多弁で勢いがありますね」
「こういうことをやるのっておかしいですよ。嫌いあってるじゃないですかオレたちは!」
「セックスとずばり言ったらどうですか。度胸のない抵抗ほど見苦しいものはありません。それとも君を飼育していることについてですか?」
「し……っ」
思ってもいない言葉に勢いを失う。
すかさず骸は話を切り替えた。
「ところで、これは最後の抵抗ですか?」
「!」びくりと、戦慄いた。
目を反らしたのは反射的な行動だった。骸にはそれで充分だった。
額を鷲掴まれ、後頭部に叩き付けられる。もがこうと、骸の腕を両手で抑えたところで咥内に指を突き入れられた。四本の指は意図をもって舌の上を蠢き、喉の奥までをくすぐる。
「この口ですか?」
咽ようにも額を抑える手の平が邪魔で動けなかった。
「生意気なことを並べ立てますのは」
ヒクと喉が戦慄く。強く顰めた視界のなかで、骸がさらに笑みを深めた。
ことさらに緩い動きで額から手の平が離れる。口を占拠する指が喉仏を押しだし圧迫するので、壁に縫い付けられた姿勢からは動けない。骸はゆっくりと少年の鼻を摘んだ。
「ふゥ……っ、う……――!」
喉を仰け反らせ、大きく喘いだ。
呼吸を断たれた成果はすぐさまやってくる。
肺が引き攣り目尻が戦慄く。喉の内側をおされる不快感も拍車をかけて、頭のなかが真っ白になった。両腕はもはや骸の腕に縋りつき、彼に支えられて立っているような状況だった。両耳がキンキンと金切り声をあげる。
涙の滲んだ視界で、骸の笑顔を見つけた。縁が霞むなかでの笑顔は、あまりに普段と代わり映えがなくいっそう涙が込み上げた。
「口を慎むことですね。飼い主は誰とお考えですか」
そ、と鼻を摘む指が離れ、咥内から指が引き抜かれた。
途端に激しく咳込む。身体を二つに折り、涙と唾を飛ばしながら咽る少年を骸は静かに見下ろした。僕を見なさいと、穏やかに語りかける。ぜぇぜぇと荒狂う呼吸への渇望をおさえて、朦朧とする瞳を骸へ向けた。ラビットファーの絨毯につけて身体を支える両腕。がくがくと激しく震えていた。
「僕が綱吉くんを連れて行くと決めた。どんなことを言おうと明日の出発は覆りませんよ」
異様に腕が震える。少年の頬を伝う涙に、骸が眉根を顰めた。
「悪いようにはしませんよ。向こうでも今までと同じです」
(それが悪いんじゃないですか!!)
握りしめた拳がラビッタファーを握りつぶす。
骸はしばらく表情もなく少年を見下ろし、やがて踵を返した。
遠のく足音に弾かれ、綱吉は目前に落ちていた写真を払いのけた。辺りのも手当たり次第に視界に入らない場所まで投げ捨て、しかし狭い牢部屋ではどうあっても目につくのだった。
「母さん。リボーン。獄寺くん山本ディーノさんヒバリさん」
激情に任せ、床に両の拳を叩きつける。かすかな声音に足音が止まった。
「誰か……、助けて」
少年は泣き伏す。大きく肩が上下した。
口角だけで笑って、骸は扉を閉めた。
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