光覆の足跡 2.

 

 

 

1.
 目蓋と口にガムテープを貼られた。
 続けて手足にもぐるぐると巻きつけられる。
 少年は身体を硬くする。つまる呼吸に喘ぎ、身体を揺すって苦痛を訴えるが、傍に居るはずの母親と父親の助けもなくうめきを零せば頬を叩かれた。少年は全身をガムテープで巻き上げられ、孤児院の門前に捨てられた。胸に巨大な風穴があけられたようで、酷い空虚感に身震いがした。惨めだった。
 ぜんぶのろってやる、と、薄らいだ意識のなかで少年は戦慄きながら吐き捨てる。肌をひりりと締め付けるテープで泣くこともできない。
 終わる覚悟を静かに決めた。が、窒息死の数秒前に口のテープが剥がされた。酸素を貪り、耳を襲っていたノイズが失せて、少年は自分を心配する二人の子供の声を聞きつけた。
 やがて、彼は孤児院の子供としてカウントされる。それでも社会に認められた初めての瞬間だった。
 彼は六道骸と名乗った。不思議な存在だった。周囲に、馴染んでいるようで馴染んでいない。
 そばにいるのを許したのは、二人の子供たちだけだった。
『ボンゴレを見返そうとおもう』
 ある日、少年は彼らに言った。
 夕日が影を作る。人気のない公園でブランコを漕いでいた。
『それって、ムクロさんが前にいたところ?』
『そうだよ。あの人たちはふくざつなんだけどね、でもぼくはゆるさない』
『あーっ、ヤボーっていうんしょ。本でよんだーあ』
『そういうかもね。とにかくボンゴレをぐちゃぐちゃにするんだ』
『いつかここをでていくの……?』
 二人の子供は少年を見上げる。
 ブランコが前へとせりだす。一緒に身体を前におしてブランコから降りた。振り向き、頷いてみせる。二人は眉を悲しませて俯く。フワリと微笑みをのせた。
『千種と犬ならいっしょに来てもいいよ。マフィアってしってる?』
「……今更、こんな夢に意味がありますか」
 公園の外で、成長した彼は空を見上げていた。
 夢を見ながらの疑問は虚しいばかりだが、唐突に、――世界が歪んだ。
 見慣れた地下牢が広がる。打って変わって最近だ。見回す光景は覚えがあるもので、骸は少年を見下ろした。彼は目を見開かせたまま歯を食い縛っていた。
『ア……ッ』
 縄で縛られた両足首が、不自然な拘束に喘いでぶるぶると震える。
 筋肉が無理を訴えての反射反応であるが、それはやがて別のものにすり代わった。
 向かいに立った少年は、笑みもなくリモコンのメモリを上昇させた。ゆっくりと。だが、戯れにぐっと一息で最大まで詰められた。腿の筋肉が浮きあがる。ねじ込まれた機械の振動は、天井と綱吉とを結ぶ縄を小刻みに震わせることで壮烈なパワーを語りかけていた。
『容易いかと思えばしぶとい。しぶといかと思えば容易い。リボーンの助けがあったとしても、やはり君は不思議な人ですよ』
 独り言のように囁き少年は立ち上がる。牢部屋の片隅で悶える綱吉には眼をくれず、ぶら下げた電球の明度を調整した。持ち込んだカバンからカメラを取りだしてレンズを合わせる。
 合間に甲高い悲鳴が聞こえ、振り返らないままでくふっと笑った。
『それで八回目ですね。昨日は九回で失神しましたから、そろそろ限界ですか?』
 上着は脱ぎ、迷彩柄のシャツが薄暗い中で存在を主張している。
 汗ばんだ額には前髪が張り付き、情事のあとを僅かに香らせていた。
 少年は真剣な眼差しでレンズを覗き、そのまま綱吉を振り返った。ファインダーを覗いては顔をだし、ピント目盛りを数度に渡って調整する。彼は朗らかに綱吉へ語りかけた。
『今日のは千種に借りました。覚えていますか? 君がここにきてから一年なんですよ……。ちょっとした記念日ではないですか。思い切り、いやらしく叫んでくれて構いませんよ』
『イヤ、もっ、……ッ。し、死ぃ、ア……!』
『大丈夫です』ニコニコと、カメラを持たぬ手で振動を続ける物体を撫でる。
 微量の動きにすら小刻みな声をあげる。足の指が反り返っているのを見つけ、カメラを向けた。
 シャッターを切り、そうしたあとで指の形を確かめるように舌を這わせた。濡れてザラつくものが思ってもいない個所に触れて綱吉が息を飲む。軽く口に含んでカリと歯を立てれば、痙攣した。
『タイミングは間違えません。ギリギリの、とっておきの顔を撮っておきましょうね』
(そういえば、このときの写真をまだ渡していな――)
 このときの写真はデスクの奥にあるが、呟きの途中で眉が強く捻じ曲がった。またもや世界は歪曲していた。細い声。先の記憶よりも、もっと前の己の声だった。
『……、……どこいったの?』
 両手両足に力を込めた。鉤で掻きだすように、無理やりに意識を覚醒させた。
 気がつけば薄い毛布を鷲掴みにしていた。カーテンから白色の光が漏れている。ウサギと夜更けまで戯れてから睡眠をとったので、時刻は昼過ぎか。
 寝室を見回し、フウとため息をついた。
 荒っぽいことをしたせいで、奇妙な倦怠感が色濃く残っている。
「僕でも思うところがあるってことですかね」
 デスクに入れたままの航空券が思い浮かぶ。
 乱れた髪を掻きあげ、カーテンを開ければ陽光に目が焼かれた。光の中で残像のようにオッドアイの子供が浮かび、掻き消えた。骸は追うように目を窄めさせた。なかば反射で口を開けた。
「思ったほどには、うれしくないもののようですよ」




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