赤まだらの

たぶん学生パラレル・電波です

 






「綱吉」
 夜を思わせる声色と、女子の誰かが表現していた。
 声の根本がどこかが甲高くてあまったるいからだろう。彼によく名を呼ばれる少年――綱吉自身でどう感じるかというと、ぶりっ子ってこういうこと? だ。
「待ってください。一人にするなんて酷いじゃないですか」
「んー……」
「綱吉? 怒ってるんですか。なんでですか?」
 ずけずけと踏み入ってくる声もやはり甘かった。綱吉も甘く感じる。けれど、だ。
「いいだろ。別に……」
 投げやりに言うと歩調をややあげる。
 向こうは、ついてくる。
 まじっと神妙な輝きを秘めて、赤い目玉は綱吉を凝視した。赤く濁った目玉の色は極めて特殊で、アルビノと彼自身は述べていた。彼は六道骸、綱吉の一つ年上の先輩だった。
 骸の目は、右側にだけ傷がついていた。漢数字の「六」と見受けられるような傷だ。
 ようやく、反応らしい反応が起きた。骸は美しく整った顔をほんのりと歪めてよくできた苦笑を浮かべている。
「なんでですか?」
「別に、って」
「なんででしょうか? 綱吉は僕に怒ってますよね」
「そんなつもりはないけど」
「でも、こうして僕に冷たくすることで僕を罰してるじゃありませんか。それはなんでですか? 僕、何かしました?」
「骸は何もしてないよ」
「ぼく、は? なら誰が綱吉にしたんですか」
「だぁから、別にってー……」
「誰かに何か言われたんですね」
「ちがうよ!」
 強めに否定した直後、綱吉はしまったと後悔した。
 骸の苦笑が満面の笑みへとすり替わった。してやった。そういう変化だった。この一つ年上の男と知り合って早半年、綱吉は少しずつこの男を理解していった。今もその最中ではあるが。
 にっこりした顔が紡ぐせいか、とても上機嫌な声と綱吉には聞こえた。
「誰でしょうか。やめてほしいですね。陳腐な少女漫画じゃあるまいし」
「……いやオレ、別に」
「女子はまぁ……怪しいですけど今回は違うようですね。君の反応を見るに。差し詰め、僕と同クラの男ですか?」
「……………」
 綱吉は眉間をおもいきりねじる。唇も横に引きつった。
 骸はニコニコしている。
「当たった。ヤですねー、男の嫉妬って。気にしなくていいですよ、つなよ、」
「さ、触んないでください」
「……何か言われたんですか?」
 声をワントーン低くして、骸は肩を抱き寄せようとした自分の手のひらを一瞥した。
 肩をすくめたほうの綱吉は、居心地悪さにまた深く顔をしかめた。
「さ、……サワられ……や、どうこうはいいんです、すいません」
「触られるのはいやじゃない」
「あ、はい」
 どうみたって無理をしている表情ではあるが、綱吉は骸を肯定した。骸とは目を合わさなかった。
 骸は、横を向いたちいさな顔と、決してデキが良いとは言い切れない造りの面構えと、薄い色づきの目玉――自分を絶対に見ようとしない目であっても――を見つめ続ける。
 声は低くなったがやはり甘さはあった。どこにおいても、甘く香るチョコレートのように。
「綱吉がいやじゃないなら、僕は触りますよ」
「…………」
 じとりっ……としたああ眼差しで綱吉が睨んだ。どこでもない、何もない空間を。
 骸とはちょうど正反対の空間だった。
 綱吉の肩に腕をひっかけ、強引に肩組みに仕立てている男は、赤い目を細めてクスクスと笑ってみせた。
「いやじゃないんですよね」
「……まあ、そんなに、は」
「なら、何がいやなんでしょう。なぜだかわかりません」
 僕と綱吉の仲じゃないですか、そう告げられた途端に綱吉は骸を振り向いた。
 視線は、やはり横を見ていた。生理的に受け付けないかのように。額に少量の光が集まっていて、綱吉は汗をかいていた。
 放課後を支配する夕焼けは、ふたりの影を長く落としていたし、大半の生徒はすでに下校したあとで影はふたつしかなく、途切れることなく伸びる影はおばけのよう成長ができた。
 綱吉の目は、その先頭を追いかけていた。
「その……オレと、骸の……仲? なんでこうまで……。って……。聞かれてみたら、オレもよくわかんなくて……」
「へえ?」
 え? でも、ほう? でも、ふーん? でもなく、骸は「へえ?」と口角をあげて笑いかけながらただ自分の両目をほんの少し大きく拡げさせる。
「よくわかんなくて」
 復唱すると、綱吉は機嫌を取りたがるみたいに早口で直した。
「入学したとき、真っ先に声かけてくれて、ずっと帰宅部でやる気なかったオレを部活に誘ってくれて今も骸とチェスやるの面白いんだ。ちぇ、ちぇす、なんて初めてだったし……最初、断っても骸はずっと優しく……その、誘ってくれた。でも骸はオレが入学するまで誰にも……その……」
「冷たかった?」
「…………」
 言葉を探るかのように沈黙するが、綱吉はようやく骸の目を見た。
 もう、言葉にするのが限界なのだ。
 骸は頭の回転が速い彼らしく、普段、あっけなく綱吉をチェスでこてんぱんにするときのように、すぐさま手を下した。
「そうですよ。綱吉の入学するまえとあとじゃ僕はキャラががらりと違うでしょうけどそれがどうしたっていうんですか? 綱吉、それで困りました?」
 首を左右にふる姿で、六道骸は一人頷く。でしょう?
「正確には、冷たかったというか、僕は誰にでも同じように優しくしてました。てきとーにね。執着しないタイプと周りは思ったようでした。しかし違った。僕は君が気に入った。だからこうして仲良くしているんですよ? 僕と綱吉は」
 ウン、ウン、頭で頷く。綱吉が瞳を揺らして不安そうな声を漏らした。
「なんか過程がよくわからないって言ってて……、オレも同じこと思うんです。なんでここまで仲がいいんだろ? それにオレ、骸のことをムクロって、ふと気づくと呼び捨てにしててなにしてんだろって……」
「ああ、ナマイキだとか、なめてるとか、そういう方面で言われたわけですか」
「でも、オレも骸に……むくろさん、に、なんでこんなクチきいてるのか時々わけがわからなくて」
「君はいいんですよ。僕はちっとも不快じゃありません」
「そんな! 骸さん。オレ、仲良くしてもらってうれしいけど――」
「綱吉おごりますよ」
「骸さん!」
 なかば引きずられて、綱吉は曲がるべきでないところを曲がらされた。
 骸は組んだ肩の下で制服をぐしゃりとわしづかみにしている。ついていくしか出来ず、生来の気弱さで抗議もろくにできず、骸とつるむようになってから通いだしたカフェの前だった。
 むくろさん、さん付けなんてする必要がない、などと押し問答しながらの入店となる。それでウェイトレスの少女は悟った。
「いらっしゃいませ」
 ガーゼの白い眼帯を片目にかぶせている、小柄な可憐な少女だ。
 綱吉は小さく頭を下げる。骸は、「いつものやつを」と、勝手にオーダーした。綱吉はイスに座らせた。
「む、むくろさんっ……」
「もういいですよ。ほら、いつものように好きなアイドルとかスマホゲーの話とかしましょうよ。ゲームはイベント終わったんですか?」
「そ、そんなことはいまは」
「おやつもつけましょうか。今日は」
 自分は座らないまま、骸はカウンターに並んでいる袋入りのドーナツを取ってくる。
 トレイにのせ、水も用意してと、そうしてる間に用意の終わったオレンジティーも受け取った。
 底に、赤い沈殿物がどろりと溜まっていた。
 カタンッ。トレイは綱吉の真正面へと捧げられる。
「どうぞ」
「むくろさ、ん、……いやオレ……支払い」
「おごります。どうぞ」
「…………」
 困った目と口元で、綱吉はオレンジティーと骸とを見比べた。
 そうしてふいに、突然だった。
「骸さんの目――、やっぱり、青いんですか?」
「オレいつも赤いとばかり」
「骸さんはオッドアイだって噂は聞くんですけどでもピンときてなくて、でもいつも……いつも、何かピンとこなくて、例えばそれって骸さんの目の色がオレが知ってるのと周りが言うのが違うとかそんなかんじなんです」
 驚きながら、しかし我が意を得たりと綱吉は勢いづいて一人で喋っていった。興奮してイスもがたっと蹴って立ち上がった。
 見下ろす骸は、静かなものだ。ブレザー制服を乱れなく着こなしてあくまで整然と佇んでいる。何事もなく、日常会話がなされてるような様子だった。
 綱吉が詰問のように食ってかかる前で、骸は骸自身の手でオレンジティーのコップを掴んだ。
 何も感じさせない、無感の眼差しをしたままでコップを近づけると口に液体を流し込む。口いっぱいに得ると、コップは床へと捨てた。
「!??」
 がらん、がらら、転がって逃げていくコップが綱吉の目に映る光景だ。はしっこのほんの一部分だった。
 視界のほとんどは黒く潰された。骸が胸ぐらを押し上げてキスしてきたからだ。
 トレイの上のものまでが散乱した。テーブルに飛び乗った膝に押し出されたからだ。綱吉の背中が後ろへと折れていくが、骸はそれを追ってキスを隙間なく密着させにかかる。次第に、ごく、ごくん、キスされた側の少年の喉が唾液も呼吸も抗議もすべてを飲んだ。
 ――カツ、かたく響く音は、骸少年の履くローファーが床に着いた音だった。
 テーブルをまたぎ終わって、今改めて床へと降りたのだ。
 力を失ってへなへなに足を崩す綱吉を腕のなかに収めている。後頭部を抑えてた手を外すと、その手は背中へとまわった。
 両腕で抱きしめながら、口を離せば飲みきれなかった液体が少年たちの襟元まで伝った。オレンジ色の汚れとなった。
 骸は、ゆっくりと己の両目を細める。色鮮やかに輝くオッドアイを。
「クローム。もう一杯です。今のは混ざりきっていなかった」
(あ)
 夜を思わせる声と、誰かが言った。綱吉はむしろぶりっ子だと思った。
 霞がかる意識の奥で、腑に落ちる。
(これが、オレの知る骸の声だ)





>>もどる