異聞学校録



  ガリッ。少年は顔をあげた。名前は沢田綱吉、今年で十四歳になる細身の少年だ。両目をまん丸にして、彼は、恐る恐ると声をかけた。
「何してんですか……?」
「食事ですよ」
「それが」
 声で驚く少年に、彼は、面倒臭そうに相槌を返した。ガリッと再び硬い音がひびく。沢田綱吉の目には、彼が石をかじっているように見えた。
 まじまじと自分の弁当箱を見つめてから、沢田綱吉は改めて六道骸に声をかけた。
「骸さんちって変わってるんですね。俺の母さんが作ったのでよければ、食べてみますか」
「君の母親は弁当をつくるのですか」
「はい。なんか用意してくれる」
 沢田綱吉は弁当箱を差し出した。
 六道骸は、フェンスに預けていた背中を前に倒す。そうして弁当箱を正面から覗きこむ。右から、左から、ひとしきり繰り返すと六道骸は不思議そうに両目をまたたかせた。
「食べられるんですか? これ」
「ハア……。俺は。骸さんって、むくろって名前でも人間種族だよね?」
「そのはずですね」
「石って食べれるもんなの?」
「さあ……」
 六道骸は本気で言っていた。
 どこから拾ってきたのか、コケのこびりついた拳大の石を右手に持っている。入学式初日、元々はエスカレーター式の学校であるため元から友人同士であるクラスメイトが大半だ。結果的にあぶれてしまった二名の学生は屋上で出会うことが多かった。
「君が食べたら、腹を壊すんじゃないですか」
 他人事で呟いて、コケを舐める。
 それを見て沢田綱吉は眉間を皺寄せた。ずずいと自分の弁当箱を差し出し、おにぎりのひとつを指差す。
「これ。食べてみてください」
「そこまで言うのなら」
 石を持つとは反対側の腕を伸ばして六道骸はおにぎりを咥えた。湿った海苔が唇にくっつく。
「どうですか?」
「……まずくはない」
「おいしいの?」
「おいしい」
 そう言いながら、六道骸はぺろりと食べ終えた。
 風が彼の睫毛を揺らす。思いに耽るように目を細めると、再び石を舐めた。沢田綱吉は弁当箱から卵焼きをつまみ、自分で食べながら不審げに六道骸を見上げる。
「そっちのがいいんですか?」
「こっちのが馴れてますから」
「おなか、膨れるの?」
 六道骸は動きを止める。
 沢田綱吉をまじまじと見た。
「君は、お腹が空くんですか」
 質問に面を喰らうのは沢田綱吉の方だ。数秒ばかり黙り込んで、少年は疑うようにジロジロと六道骸を見つめ返した。無感情に近い顔をした彼は、不意に目尻を吊り上げる。
「空くよ。空かないの?」
 気後れしながらも沢田綱吉が言った。
 六道骸は、僅かに怒ったような眼差しを返しながら頷いた。そこに欺瞞の気配はない。全て本気のようで、沢田綱吉は仰天しながら質問した。
「骸さん、本当に人間なんですか?」
「僕をどう見たらホビット族やゴブリンどもと間違えられるんですか」
「いや……」
 沢田綱吉は口ごもる。
 六道骸はまた石をガリガリとやり始めた。
「あの……」僅かに込められた憐れみの色に気が付いて、六道骸が眉根を寄せる。沢田綱吉は首を傾げた。
 箸で摘んだ厚みのある卵焼きをぶらぶらさせてみる。
「これ。食べてみますか。おいしいですよ」
 六道骸は左右で瞳の色が違う。わずかに丸くしながら、こくりと頷いた。石を齧るのをやめて口を開ける。
 沢田綱吉は、地面に片手をついて箸を伸ばした。六道骸の口の中に、卵焼きを落とす。彼はもしゃもしゃとやった末に呟いた。
「おいしい」
「そう? これも食べてみる? タコさんのウィンナー」
 六道骸は頷いた。内心で期待しているのか、先ほどよりも二色の瞳を大きくさせている。そうして一つの弁当をほとんど二人で食べ終えて、二人は昼休みが終わるまでの時間を共に過ごした。
 六道骸が早退したのは六時間目が終わるころだった。
 突如として熱をだし、机に突っ伏したまま動かなくなった彼は、屈強なオークの肩に担がれて保健室送りとなった。校門前に救急鳥がやってきたのに驚いて、鳥の足に鷲掴みにされて搬送されていく六道骸を見送りながら、沢田綱吉は両目をぐりぐりと丸くした。
「もしかして石食べたからじゃ……」
 沢田綱吉が、六道家からの電話を受けたのはその日の暮れだった。六道の母を名乗る女からで、落ち着いた、けれど甲高い声色だ。女は挨拶のあとで声を尖らせた。
「あの子に変なもの食べさせちゃダメよ」
「変なもの? なんで」
「あの子、本当はもう死んでるから。まだ気付いてないんだから、気付かせないまま放っておくことにしてるの。ウチの事情に口突っ込まないで頂戴ね」
「…………っえ」
 沢田綱吉は声を失った。
 女の方は気にせずに話を続ける。
「昔の名残で何かを口にしたがるのよ。適当に石とか鉛筆とか渡しておけば気が済む筈よ。あなた、あの子の友達なんですって? 気をつけてあげてね。じゃあ、もう食べ物あげないでね」
「…………」
 受話器についたコードに片手でしがみ付きつつ、沢田綱吉はつうつうという音信不通を示す電子音に聞き入る。言われたことを整理するかのように、眉間に人差し指を当てた。それから、風呂に呼ばれるまでの十分ほどを電話機の前で過ごした。
 二日後、六道骸は何喰わぬ顔で自分の席に座っていた。
「おはよう。骸さん、もう体大丈夫なの?」
「ええ。母が君に電話したようで。何か言われました?」
「……。骸さんに気をつけてあげてって」
 六道骸は、鼻腔の奥でため息をついた。
「心配性なんですよね。気にしないでください」
「…………」
 沢田綱吉は六道骸の全身を見渡した。
「?」頬杖をつきながら、六道骸が不審げな上目遣いを送ってくる。ぽん、と、手で触れてみて、沢田綱吉は浅くため息をついた。
「なんですか」
「いや……。なんかね」
「? 僕、そういう哀れみの目で見られるの嫌いなんですけど」
 二色の瞳が胡乱な目つきに変わる。
 沢田綱吉は素早く呟いた。
「もう、俺の弁当あげないから」
「…………? わかりました」
 驚いたように目を丸めながら、六道骸。
 感情のない、機械のような声は人間らしさがない。
 その彼をじっと見下ろしながら、沢田綱吉は二度目のため息をついた。丁度、六道骸が顔を曇らせてソッポを向いたところだった。
「あれー。植物動物って幽体離脱できますよね」
「動物ですからね」
 ソッポを向いたままで六道骸が言う。
「幽体を殺すのって、銀のナイフでいいんでしたっけ?」
「そうです。でも、あんなの殺したって亡者どもが喜ぶだけですよ。先祖に亡骸を添えるっていうなら、話は別ですけど。よろこんで食べるんじゃないですか」
「うん。ちょっと違うけど。喜ばせてみようと思って」
 言い終えるころには、六道骸は沢田綱吉を振り返っていた。
 遠慮もなく頭のてっぺんから靴までを見下ろす。
 そうして、ぼそりと呟いた。
「変わった人ですね」
「取りあえずは母さんに卵焼きの焼き方でも習ってくるよ」
「君みたいな人、初めて見ました」
「まあ、ツメは俺がやらないとダメだろうけど……」
「僕の好みだとは思ってましたけど。奇特ですね。いまどき、そんなばかなことしようとするなんて。僕がそう思うんですから大したもんですよ。沢田綱吉くん」
 噛みあわない会話に終止符が落ちた。
 沢田綱吉は、呟きかけた言葉を止めてビックリして六道骸を見下ろした。
「骸さん、俺の名前知ってたんですか?」
「当たり前じゃないですか」
「一度も呼ばれたことないから知らないのかと思ってた……」
 六道骸は呆れた顔をする。
「僕ってそんなマヌケな人間に見えます? 心外ですね。最初に話したときから、わかってましたよ」
「みんな、俺のことツナって呼ぶよ」
 二色の瞳がさっと教室を見渡した。
 沢田綱吉は少しだけ六道骸の言葉に驚いた。
「じゃあ、僕は綱吉くんって呼びます」
「……ああ。はい」
 六道骸はしれっとして囁いた。
「綱吉くん。ところで、少し前から先生が君の後ろに立ってるんですけど気付いてましたか?」
 振り返りながら、ついでに呟きながらも沢田綱吉は口角を引き攣らせた。
「できるだけ早く作れるよーにするよ。うん」
 数学教師のリボーンというのが、人間の亜種で、二重等身の持ち主であるのだが、よりにもよって今日は珍しくも二メートルの大男になっている。
 このところ、一ヶ月は可愛らしい赤ん坊の姿だったのに。
「テメー、着席してないから遅刻な」
 リボーンは堂々として沢田綱吉に宣告した。



おわり


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