廻りに巡りに
開口一番に、転校生が言った。
「は……」突拍子がない言葉だった。
呆然と見返してしまうけれど、そいつは、にこやかな笑顔を保ったままで顎を引いた。
「僕は信じるんですけど。例えば、先生がはるか昔にはマフィアのボスをやってらして、僕を殺したとか。そんな夢みたいな前世とか、もしかしたらあったのかなぁとか、思いませんか?」
「はあ……。六道、オマエ、オカルトとゲームのどっちだ?」
「オカルトですかね。でも僕は正気ですよ」
別に正気を疑ってるわけじゃあない。
告げると、「そうですか」と、六道は感銘もなく相槌を寄越した。
保健室には変わった人種がやってくる。もちろん怪我人もやってくるけど、実のところ、ちょっと人生を脱線しかけてる生徒とかヒマを持て余してる人間だとかが訪問する頻度のが高いのだ。
時計の針は進みが遅いようで、昼休みは、まだ二十分もある。
フウとため息をついて、生徒用の連絡ノートを広げた。
「ええっと、オカルトに興味ある子もいるよ。趣味があうんじゃないかな」
「別に、人生を踏み外しかけてる一般生徒に用はないんですよ」
横から伸びた手が、ノートを畳む。
六道恭弥はにこにこした顔を崩さずに向かいのイスに腰かけていた。
それが、さりげなくオレの隣に座りなおす。オレはイスを彼に譲って、ベッドに腰かけていた。腕が触れ合ったが温もりらしい温もりはなく、まるで病人のようにヒヤリとした冷気を感じた。
「……君は体調が悪かったのかな? ごめん、体温計を」
「いりません。僕は沢田先生に相談しにきたんです」
視線がノートに落ちた。
再びめくろうとした手は六道に掴まれた。
「僕は彼らに興味はありません」
「……そういう態度だから、友人もできないんじゃないかな。君は。もう転校して一週間も経つんじゃなかったっけ」
「ええ。沢田先生は、ここにやってこられて一年ですよね」
「? よく知ってるね」
「あなたのことですから」
朗らかな笑顔で、六道。
そんなものかと思いながら、腕を組んだ。
「学習に関する相談か? 見たトコ、六道はできそうな顔してるけど――」
「先生は輪廻転生は信じないんですか?」
最初と同じ質問を、六道。
言葉につまってしまった。無下に否定するのは、思春期の少年に対する応対として正しくない――。どこかの本で読んだ文面が、脳裏をよぎる。でも、妄想をそのまま受け入れるのも問題がある。
「……非科学的なことは信じてないんだ。この歳だもん」
「二十五歳。まだまだ、若いですよ」
「それが君の相談か」
わざと、呆れたため息をついてみせる。
しかし六道は怯まなかった。オッドアイをきらめかせて、身を乗り出す。いつの間にか彼に両手を掴まれていた。違和感に眉を顰める――天地がひっくり返って、ベッドに横たわっていた。
「六道?」
「僕は信じるんですけど。まだ、あなたを信じてますよ。忘れるわけがないでしょう。あなたの放った弾丸が僕の額を貫いた。いくどもいくども、先生は僕を殺してきた。前世を信じませんか。僕は信じているんですよ。そしてあなたが殺さずに僕を受け入れる日が来ることも信じている」
何をいってるんだ? 圧し掛かる六道の手のひらが、……手のひら?
オレの両手はベッドに落ちていた。何かの呪縛にかかったように動かせない。
自在に動き回る六道の両手が、オレの頬を挟んでいた。
うっとりと見下ろすオッドアイに鳥肌が沸いた。
「――オカルト趣味は、一人で楽しむもんだよ! どくんだ、六道」
「そうして教師ヅラして僕に話し掛けることは初めてですね。新鮮ですよ。ボンゴレと名乗るあなたも、新鮮でしたが」指先がそろそろと唇を辿る。その瞬間に怖気と頭痛が、湧いた。――きんきんした耳鳴り。何かが、神経が焼ききれそうなほどに、からだの奥底で何かが喚いた。
『やめろ骸!! オレはもうあんたを』
「殺したく、な――」
ぱあんっと何かがはじける。
次の瞬間、六道がオレから離れた。
すっと細めた両目が氷みたいな無色透明の、刺すような色をしていたけれど、オレは立ち上がることができずに ベッドに両手両足を投げ出していた。ぜえぜえと胸が、はげしく、上下に揺れる。
光が動くのが、見えた。一瞬だけ廊下の向こうが透けた気がした。
人だった。人のかたちをした、光。ガラリと戸が開いて光は正体をあらわした。
「綱吉、今日の会議のことなんだけど」
その光。いや、青年は、黒い上下のうえに白衣を着ていた。
切れ長の瞳に丸みを帯びた鼻が印象的な、理科教師だ。
彼は、六道恭弥を見つけて眉を寄せた。
「一組の転校生……。つなよし?」ベッドに横たわるオレに、声のトーンを変える。
歩み寄り、額に手を当てる。頬の左右を見つめて、ヒバリさんは六道を振り返った。
「何があったの。このアザは? ……君が殴った?」
「そんな乱暴なことはしません」
ヒバリさんに抱き起こされ、確認するみたいに、部屋の隅にある手鏡をしゃくられる。ぞっとした。六道が触ったところと、被さる、かたちで。赤黒いアザが肌に刻まれていた。
「先生は具合が悪くなったようで、自分から横になったんですよ」
六道が平然と答える。……そうだったろうか。ちが、
「今、水枕をだすように言われたところです。そうですよね?」
「えっ?」「そうですよね、沢田先生?」
オッドアイがオレを射抜く。
赤と青が、混ざって、オレを射抜く。
くらくらとした。そうですよね、と、繰り返す声が。頭の奥に入り込んで、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回すみたいで――、吐き気を覚えて、頷いた。そうだった。オレ、転校生と話をしてたら気分が悪くなっちゃったんだ。
「水枕、そこの机のした。冷蔵庫に入ってる」
「はい、先生」にこやかに笑み返す六道。
手際よく水枕をタオルに包んで、渡される。
ヒバリさんはオレと六道を不審げに見比べていたけど、やがて、肩でため息をした。
「教育熱心なのはいいけど、ムリはしないでよね。保健の先生に代わりはないんだから」
はい、と、答える前にヒバリさんが続ける。
「今日の会議は欠席しなよ。伝えといてあげる」
「大丈夫ですよ、これくらい」
「僕の言うことが聞けないわけ」
うぐ。ヒバリさんがこういうふうに喋るときは、逆らっちゃいけないときだ。というか逆らえない。ウチの中学校では、理科教師の雲雀恭弥にかなう者は誰もいない。生徒や不良はもちろん。教頭先生も校長先生も、ヒバリさんに信奉している。
ガラリと再び戸が開いてヒバリさんが姿を消した。あとに残されたのは、六道と、オレ。
ベッドの脇に腰かけて、六道は入り口を見つめていた。
「ヒバリ先生と仲がいいんですね」
「ああ。腐れ縁みたいなもんで……高校も大学も一緒で」
「それだけなんですか?」曖昧ながらも、何か、意味ありげな囁きだ。
なんだろう。六道の言葉には、言葉のそこかしこには、違和感が伴っている。
その正体を考えていて、ふと、気がついた。
「六道って、下の名前が同じだね」
「ヒバリ先生と?」
「そう。二人とも、恭弥じゃないか」
六道がオレを見下ろす。オッドアイは何も語っていなかった。
「? すごい偶然だね」六道が唇だけで笑う。そうですね、と、返す言葉は乾いていた。つまらなさそうに頭を振って、けども声で笑って。六道は、射抜くようにオレを見下ろす。
「先生が輪廻転生を信じてくれなくて残念ですよ」
「まだ言ってるのか。いいかげんに――」
「今回は、違う結果にしてみせますよ」
屈みこんだことで、六道の顔が近づく。
「僕の名前。変えたのは、その決意をかたくするためですよ」
「わかりますか? 全てがあなたのためなんだ」深く考える前に唇が重なっていた。そして、それと同時に、意識がブツンと途切れていた。
終
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06.3.3