六道骸

 


  ……六道、骸。
  オレが知る姿よりも、ずっと背丈が小さい。腰くらいまでだ。まだ十歳にもなってないだろう。
  彼は、立ちながらブランコを漕いでいた。ギィギィと澱みなく、一定の速度で一定のリズムでもって漕いでいる。ふしぎと、楽しんでやっているようには見えなかった。彼は表情もなく、ただ、じぃと自らの爪先に二つ目を向けて、ギィギィとやりつづけていた。公園に他の人はいない。
「これは……。いったい」
  ハッとした。景色が、いつの間にか変わっている。夜だ。
  空を包むのは分厚い雲で、星のひとつも瞬かない。少年はギィギィとさせる。それが、異常な事態であるとすぐにわかった。公園の中央にすえられた時計塔は、深夜の二時をまわっていた。
「ねえ、君!」
 骸さん本人だなんて。
  そんな夢みたいなことは思わない。けど、気になった。
「こんな時間に何をしてるんだ? ご両親は?」
「……君は?」子供らしからぬ喋り口だ。
 その目線を向けられて肩がすくんだ。
 片目が赤い。赤いままだ。今の、両方とも青い骸さんじゃあ、ない。
「あ、……いや、ちょっと」ってことは、人魚の呪いが解けていないんだ。この子は。
 いや、今も解けたというには、ちょっと違う状況だけど――。何も返せずに、喉をつまらせていると骸さんが眉をひしゃげた。 慌てて言い切った。住宅街にありそうなものといったら、
「コンビニ。に、買出しでもいこうかと」
「ふうん。そこですよ」
「えっ」
「コンビニ」
  感慨もなく、骸さんが顎をしゃくる。
 公園の柵に沿って車道が伸びていた。マンションの狭間から、ときおり、カーライトが見える。大通りがあるらしい。骸さんは、もう、ブランコから降りて車道に向かっていた。
「ま、待ってよ。どうしてこんな時間に一人でココに?」
「何ですか。君こそ、どうして僕を追うんです」
「そ、それは」釣りあがった目尻に、じろりと睨まれた。
「――し、心配だからだよっ。君はそんなにちっちゃいのに、こんな時間まで公園なんかにいて! そ、っそれも一人で! 何やってたんだよ?」
  仏頂面をする骸さんだけど、質問を繰り返すと、浅くため息をついた。
「君は親切で良い人で模範的な学生さんなんですね。けっこうなことですが、ありがた迷惑という日本語を知っていますか? 僕はもう帰りますよ。放っておいて下さい」
「放って置けないから、きいてるんだよ」
「冷やかしは好きではありません。君は、引き取った方がいい」
  ほ、本当に骸さんと話してるみたいだ。このガキーって感じの語り口。
  特に似てるのが、オレにまだ心を開いてくれなかったころの骸さんだ。この押し問答とか、うがったり疑ったりな態度とか、すごいデジャヴを感じる。前も、こんなことしてたよ。そう思ったからか、つい、笑ってしまった。クスリとした揺れの意味を、敏感に感じ取ったようで、骸さんは足を止めて真正面からオレを睨みつけた。
「や、別に、バカにしたわけじゃないから――」
「ホントにうるさいですね。どいつもこいつも! とっととどこかに消えろ!」
「あ、――お、怒んないでよ……?」
「……、僕が家を追い出されたとでも思うんですか? 僕が遊び相手がいないからあそこにいたとでも思うんですか? 僕がいる場所がないからあそこにいたとでも思うんですか? くだらない! 僕にはなすべきことがある! 貴様がどう思おうが感じようが、僕には微塵も痛くないんですっっ!」
「む、骸さん」
  ぜえ、と、少年が息継ぎをした。
「何が心配した、からですって? 君はバカか。こんな時間に一人で、一人で公園にこもってブランコ漕いでるようなガキが素直に何かを喋るとでも――っ、喋ったとしても! しようもない内容だなんて、聞く前から……、わかるじゃないですかっ?!」
  無意識か、骸さんの右手が、自らの片目をおさえていた。
  引き千切るみたいに、爪をたてているから、赤いアザが刻まれていく。
  また、くり返したと思ったけど、今度は笑えなかった。何てリアルにできてる夢だろうと思う。骸さんが、オレの知ってる骸さんが、どんな幼少時代を過ごしていたのかは聞きかじっただけで詳しく知ってるわけじゃない。でも、そこには色んな夜があって色んな感情があったんだろう。
  距離をつめても少年は逃げなかった。拳を硬く握って、肩を震わせてる。
「そうだね……。ごめん」屈みこんで、ゆるく、抱くと、うめく声が耳の後ろから聞こえた。
「どうして、あなたが泣くっていうんですか。ワケわかりませんよ」
「そうだね。君にはそうかもしれないね」
  骸さんの背中をあやすように、平手で叩く。
  ひくりと喉が震えた。至近距離だから、オレも気がつかずにはいれないんだけど。
  でも、この子には、気付かないフリをしてあげたほうがいい。例え夢であっても、これ以上苦しめるのは忍びなかった。
「……ブランコの乗り方が」
「うん」
「わからなかった」
「それで、練習をしてたの?」
「……興味が、なかったから、ずっと乗らずに過ごしてきたんです。けれども、久しぶりに、母が……、買い物につれていってくれて。僕を子供らしくないとなじる、のが、耐えがたくて」
「そう、なんだ?」
「耐えがたいです。 今のすべてが、僕には耐えがたい」
「そっか……。そうですよね。人間の一生は短いのに、あなたには、やらなければならないことが、あまりにたくさん。あります、もん、ね」
「え……?」骸さんが顔をあげる。
  オレをまじまじと見つめるけど、互いに、赤くはれた眼をしていた。
  ニコリとしてしまったけど、今度は骸さんも怒らなかった。
「一緒だね。目が赤いだろ」
「? なんなんですか、君は――」
「親切なおにーさんだよ。戻ろう。ブランコって色んな乗り方があるんだよ。二人乗りもあるし、横に揺らすこともできる」
「横に?」ウゲと言いたげに、眉を顰める骸さん。笑い飛ばすと、あからさまにイヤな顔をしたけど、やっぱり怒らなかった。なんだか、嬉しい。すごく嬉しくてスキップしたい気分だ。
  それからは、けっこう短い時間だったと思う。思い切りブランコを漕いで、漕いで漕いで漕いで。大洋に乗りだすほどの勢いで漕いで、気がつけばオレは元の世界にいた。白ばかりが広がってる世界だ。ブランコから、そのまま、すっぽ抜けて白に飛び込んだようなものだったかもしれないけど。

 


 翌日に、交差点に面した喫茶店で骸さんと会った。
  電話で、お茶でもしようと誘われたからである。奢るといわれたので釣られた、とも、いうかもしれない。コートを隣においたまま、とりとめもなく夏の予定について話していたときだ。ガラスの向こうを子供たちが走っていった。もう、夢はカケラでしか残っていなかったけれども。呟いていた。
「ブランコ? はぁ? 乗れってんですか」
「いや、そうじゃないですけど……。ただ、乗れるんですか? 骸さんがダイレクトに生きてた時代って、もちろんなかったですよね」
「君は僕をなんだと思ってるんですか……。乗れますよ」
  うめきながら、スプーンでくるくるとコーヒーカップを掻き混ぜる。
「昔、教えてくれた人がいました」
「へえ! 骸さんが素直に教えを請うなんて珍しー」
「だから、君は人を何だと」ジロリとした眼差し。
  あんまりやると反撃が怖いので、アハハと笑うことですませておいた。……すませられてる、と、思うんだけど。骸さんは、半眼を崩さぬままオレを見下ろして、顎を引いた。
「……君に似てたかもしれないですね……。まぁ、実際はどうだったか。ブランコなんて揺らせば動くもんでしょう?」実もフタもない意見だけど、真理である。
「いかんせん、記憶があやふやで」
 珍しいな。骸さんが、不明瞭なことを不明瞭なままで喋るなんて。
 兄貴っていってる今でも弱みを見せようとしないのだ。それを押してまで喋るなんて、何か、思うことがあった出来事だったんだろう……。骸さんが、頬杖をついた。
「本当にそんな人間が存在したのか、がよくわかりませんね」
「そっかぁ……。ハハハ。なんか、オレが昨日みてた夢みたい」
「はぁ。ま、所詮は、ただの夢ですよ
 殊勝な面差しで、ガラスの外を見つめる骸さん。
  それを見てると、思い出しそうな気にもなる。でもわからなかった。あの子供は、誰に似ていたんだろう。何を教えたのだっけ。ただの夢ですよ、って、骸さんの言葉が何度も胸に沈んでいった。

 



おわり



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ex).『魚の血脈』

エイプリルフール企画でした
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06.4.1