雲雀恭弥

 


  ……雲雀恭弥。
  ヒバリさん。十歳くらいだろうか。
  白いシャツをきて、ボロボロのスニーカーを履いて、ヒバリさんは漕ぎもしないブランコの上に座り込んでいた。声をかけるのを躊躇った。半ズボンから伸びた太腿も、はきだしの腕も、顔も。目を覆いたくなるほどの生傷でいっぱいだった。
「…………」それでも、放っておけなくて歩み寄る。
  黒目だけが、ギョロリとオレを見上げた。
「……君、オレの知ってる人と、すごいよく似てるんだけど……。その傷、どうしたの?」
  差し伸べた手を眺めるでもなく、ジィとまっすぐにオレを見上げる二つめ。居心地が悪かった。手を引っ込めるわけにもいかずに、そろそろと伸ばしつづける。ヒバリさんが硬く言い捨てた。
「ジジイの差し金? それともクミの差し金?」
「えっ……」
「殺す。それ以上近寄るなら」
「えっ!」手首が、ものすごい圧力でつかまれた。
  ――と、思ったときには上に捻られる。ヒバリさんはブランコの上に立って、素早くクサリを引き寄せた。そして、そのクサリでもって後ろ手を縛り上げる。うめく間にすべては終わっていた。
  とん、と、少年は軽やかに大地をふみしめた。
  ゆっくりした動きでオレを振り帰る。底冷えのする眼差しだった。
「ちょ……?! なにすんですか!」
「どっちなの。僕が雲雀だって知ってて声をかけたんだろ?」
「そ、そりゃ、知ってますけど――。でもヒバリさんの言ってる意味とは違う。それに、ここがどこでどうしてここにいるのか、オレには、ちっとも!」
 探る眼をして、ヒバリさんが黙り込む。
「あの、オレの知ってるヒバリさん……、なんですよね? ここはどこなんですか」
「……」無言のままで、彼は顎を上向けた。正面に小高い丘があった。
 てっきり、狭いと思っていた公園は、実はもっと広くて――墓地を抱え込んでいた。柵で区切られた、そのさらに向こうには丘がある。そして丘の向こうには、たくさんの墓石がみえた。ギクリとして固まっていると、ヒバリさんがうめいた。
「近くの子は、こんなとこに遊びにこないんだよ。有名な場所だからね」
「なにで、ですか」
 聞いたけど、うっすら予感がした。
 ヒバリさんが顎で頷いた。
「幽霊で」
 やっぱり、そうか。
 でも、おかしな話だ。幽霊って。
 はたしてオレなのか、ヒバリさんなのか。
 オレはどうしてここにいるんだろう。不思議だ。ヒバリさんは、害はないと判断したのか、その場から動かずに丘を見上げていた。黒目が物憂げにまたたく。その動きは、何かを悼むようにみえた。
「あの……。誰か、死んだんですか?」
「……君、 デカいくせに、そういうこと聞いてくるんだ?」
 ふつう、そういうことって触れないものじゃないの。ぶっきらぼうに言い捨てたヒバリさんだけど、怒ってはいなかった。自嘲するように唇がささやいた。
「死んだんだよ。僕の、最後のひとが」
「最後の人?」
 黒目が閉じられた。
「もう僕とジジイしか残ってない。僕も、死んだんだ」
「は……?」「わかんないだろ? そうだと思うよ。これ以上、聞いたら噛むから」
 視線もあわさずにヒバリさんが唸る。とりつくシマがないとはコレだ。ブランコに絡まったまま、目のやり場にも会話の行き先にも困って沈黙していると、ヒバリさんがハッと肩で緊張した。
 顔をあげて、オレもビクリとした。一人の、背筋をピンと伸ばした老人がたっていた。
「恭弥。またここか。トンファーはどうした」
「持ってる。隠し持つことにした」
「そうか。いい判断だ。だが、勝手な外出は褒められんぞ。来い」
「……?」 ヒバリさんが、不審げな眼差しをオレに向けた。オレも、困って見返してしまう。
 老人はオレをチラリとも見ない。まるで、はじめから、そこに存在などしていないように、ヒバリさんだけを黒目で射抜いていた。老人がヒバリさんの腕をとって、再び「来い」とうなった。引きずられるようにしながらもヒバリさんは段々と目を丸めた。
 やがて、合点がいったというように呟いて、目尻を細める。
「……ああ。君が、ウワサの幽霊」
「ちょ。そんな、オレ――」
「それならそれで、いいんだけど。母さんによろしく伝えといて」
「…………っえ?」
 ヒバリさんが背筋をしゃんと伸ばす。
 そして、老人の腕を解いて、自らで歩きだした。
「恭弥。もうここには来るな。忘れろ」
「言われなくても、もう、来ないよ」
「ヒバリさん! 待って!」声が、尻すぼみになっていく。
 彼らの影が縮んでいく。世界の色が失われていった。黒に塗り替えられて、黒は薄くなって白くなって、やがて、もとのように真っ白な世界に戻る。誰も声も聞こえなかった。体を縛めたブランコもない。宙をさまよいながら、再び、ヒバリさんの名前を呼んだ。
「おいてかないでよ! ヒバリさん!!」

 

 どさーっ!
 と、何かが滑り落ちる音で目をあけた。
 目の前のテーブルに伝票が散らばっていた。いつも通りにガクランを羽織って、ヒバリさんが目をまん丸にしてオレを見下ろしていた。この人らしくもなく、硬直して身動ぎひとつしない。
「ヒ、ヒバリさん……?」
 壊れた機械のように凝り固まっている。
「あれ? オレ、寝ちゃってましたか」
 応接室の窓から見えるのは、夜空だ。ヒバリさんが、強張りつつも頷いた。
「仕事がたまってるから。終わらせてから、帰ろうかと、思って」
「そうですか……。待ってます」
「…………」
 ものいいたげな黒目がオレを射抜く。
 夢の中身をよく覚えていない。でも、ヒバリさんに何かを言わなくちゃいけない気がした。
 喉がつまった。言っちゃいけない気もした。でも言わなくちゃ。頭がグチャグチャしてる。寝覚めだからか、それとも、公園にいたあの少年の面差しがそうさせるのか。……ああ、もう、老人の顔も思い出せなくなってる。
「最後のひとって、どういう意味か、わかりますか」
「意味?」驚いたように、ヒバリさん。
 手では、伝票を掻き集めていた。
 その指も止めて、何かを窺うようにオレを見る。
「最後の人――、て、どうして」けど、言いかけた先を紡ぐことはなかった。
 突然、ケラケラと笑いだす。かと思うと、オレの頭に手を伸ばした。くしゃりと前髪がつかまれた。
「綱吉はふしぎだね。僕のことを何でも知ってるの? それは終わりって意味だよ」
「終わり。てことは、ヒバリさんは今もそのまま?」
「いいや。僕は生きてるよ。綱吉が、最初の人になってるから」
 黒目が不思議な色を浮かべる。まるで夢のなかの、空みたいな。幾何学的で、神秘的で、でもどろどろに砕けた混沌そのものみたいで。最後にニコリと笑って、ヒバリさんが指を離した。
「はじまったからね。これはすごく良い意味なんだよ」
「はぁ」なぜだろう。顔が、熱くなってきた。
「すぐ終わらせるから。綱吉こそ、僕を置いていかないでよね」
「手伝いますよ」おいていかないで。なんだろう。ヤケに恥ずかしい。
 ヒバリさんがテーブルに伝票を並べる。区分けする指先の動きが、しなやかだ。
「じゃ、これとこれの端数が割り切れなかったら――」
 まだ、夢を見ている気分だ。でも夢は終わったんだ。ヒバリさんを見ていると、その思いが強くなる。ヒバリさんがそこにいる。あの夢のなかでみた、物寂しげな少年じゃなくて、しっかりしたまなこでオレを見返すヒバリさんがそこにいる。鎖がほどけていく。もう、あの夢は見られないんだろうなと内側から声が聞こえた。



おわり



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ex).『凍えた秋が明けて』

エイプリルフール企画でした
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06.4.1