背後霊



 沢田綱吉というのは、基本は呑気な少年だ。
  面倒臭がりだし、動きのもきらい。家でゲームをやるのが趣味で、特に部活動もやっていない。ダメツナ! と、そのあだ名に込められた響きが全てを物語っているような少年だ。ついでに、そのあだ名を甘受してしまうのだから、少年自身の根性もまぁそんなレベルである。
  その沢田綱吉であるが、その彼が、深刻な顔をして唸っているのだから特別な場面にちがいない。リボーンは、部屋の隅で拳銃を磨きながらそんなことを考えていたので、綱吉の呼びかけにはすぐさま反応した。
「なんだよ。言ってみろ」
「うーん……、あのさ、洗脳とかってどうやるんだ?」
 思わず、赤子は白眼視を返して無言になった。
「あっ?! いや、オレがするんじゃないけどね?」
 ベッドの上で寝転がっていた彼は、慌てて跳ね起きた。
「なんだか、変な気がしてさ。妙な気分になるんだ。なんか……どっかにズレがあるような」
  パジャマ姿で枕を抱えて、綱吉は首を傾げる。リボーンは不可思議そうに目を細めた。疑うように、綱吉をじっと見る。
「方法は複数ある。例えば、テメーをどっかに閉じ込めて延々同じことを聴かせる。それ以外考えさせなくさせる。もしくは学校とか、毎日話を聞かざるを得ないよーなトコで情報を混ぜ込んで聞かせていく。これを繰り返す。するとテメーは知らず知らずのうちにその情報を刷り込まれている」
 機械的な返答だった。いつもの綱吉なら、最初の数文字を聞いただけで自分には理解できない話だと思って傾聴をあきらめてしまう。でも、今日は最後まで聞いていた。
「へえ。その繰り返しってのがあやしいかも」
「? 何かあったのか」
「いや……、なんかさ、最近やたらと」
 不自然に言葉が切れる。綱吉は、不思議そうに眉根を寄せた。
「あれ? 最近、やたらと……。なんだろう」
「……寝不足なんじゃねーか?」
  思い当たるフシがある。リボーンは薄くため息をついた。
「まあ、そりゃ、そうなんだけどさ」新品のゲームを買ったばかりで、このところ、綱吉はそればかり遊んでいる。しかも夜まで。これも一種の洗脳なのか、と、頭の隅で考えながら綱吉は布団を剥いだ。寝転がってから、被りなおす。リボーンは考えるような眼差しを綱吉に向けつつ、フム、と喉を鳴らした。
「俺が気がつくと思うけどな。ツナになんかのコンタクトとってんなら」
「だよなぁ。まあ、いいんだけど。おやすみ」
「ああ」
 ちゃんとやれば真面目な顔もできるじゃないか。
  内心だけで褒めて、リボーンは手元に意識を戻した。
  綱吉が言ったのは、途方もない話に思えたのだ。範囲が広すぎてすぐには返答ができない。なので、ひとまずは保留というやつで、何かコトが起きたら当たってみようとかそれくらいの軽い気持ちである。
  綱吉はすぐにすやすやと寝息を立てた。話は、この少年の睡眠下へと潜っていく。
  そこでも沢田綱吉は眠っていた。ただし、添い寝する影がある。
「……う、ううん」背中に感じる人肌に、綱吉は不可思議そうな唸り声をたてる。
 影はぴったりと密着していた。僅かに口角を吊り上げて、綱吉の胸の前へと腕を回している。そうして自らの胸と腰、顔に後背部を押し付けるようにさせていた。
「…………?」
  綱吉は眉間を皺寄せる。
  影はぶつぶつとうめいていた。
「君は僕を好きになる、愛したくなる、抱きしめたくなる、この世のものとは思えないほど格好良いと思い出す、思い出しただけで恥かしくなってしまう、僕を好きになる、抱きしめたくなる、愛したくなる」
「う、う゛う゛」濁音をつけて綱吉がさらに眉間を皺寄せる。
  影はくすくすと笑って呪詛を繰りかえした。
「今日はお疲れ様でしたね。特訓で疲れたでしょう? 僕の体温、あげますよ」
  肌を擦りつけるように、腕に力をこめられる。綱吉はますます苦しげに呻き声をたてた。
「暖かいでしょう……? くふふ、くふふふふふ。でも僕は冷たいままなんですけどね。沢田綱吉。君は僕を好きになる。愛しくて堪らなくなる。どうしようもなくなって、会いたくなる。助けにいきたいんでしょう? きなさい。はやく。僕に会いたくなる、好きになる、愛したくなる。僕が愛しくて愛しくて堪らなくなる……」
「う゛う゛う゛う゛う゛」
  眠ったまま、綱吉はベッドの外へと腕をだした。
  脳裏に一言。鮮明に浮かび上がる文字。
(た、たぁすけてえええええ――――っっっ!!)
「くふふふふふふっふふふっふふふ」
  一石二鳥とはこのことですかね。
  脳裏で思いつつ、影は強く少年を抱きしめた。
「はやく助けに来なさい。ご褒美に抱きしめてあげますよ」
  さわり心地のよい頭に顔を埋める。影の本体は、今は遠いところにいる。本体は意識だけをぶらぶら歩かせる能力を持っている。ついでに、本体は実は奔放な性癖をしていて、女でも男でも気に入った人間は徹底的に自分のものにして傍に置きたがるとか迷惑極まりない一面を持っていて、でも手持ちの駒にはエサをやりませんな迷惑な一面も持っていたりもするのだが、そういうことは、現在睡眠中の沢田綱吉は露の一滴ほども知らない内容である。
  うぐぐぐぐぐ。歯軋りしつつ綱吉は寝返りをうった。面と向かいあう形になって、影は、どきりとしたように硬直した。苦悶の真っ最中であるため、眉間を寄せたまま汗の玉を浮かべている。あどけない寝顔の、その半開きの唇を二色の瞳がじっと見つめた。結局、六道骸は、一人でフフフと不敵に笑ってみせた。
「なかなかやりますね。でもこのくらいじゃ僕は動揺しませんよ」
  すすいと綱吉の唇に指の腹を滑らせる。
  綱吉はあからさまに鳥肌をたてた。だけど骸は気にしない。
「……実体がないと何もできないんですけどね……。まあ、さっさと囚われの愛しい人を助けに来なさい。ああ、まだ……、そうですね、そうなる予定の人を助けに来なさい。クフフ」
  一人で愉しげに肩を揺らし、うっとりと少年を見下ろしながら背中に両腕を回す。狭い布団のなかで共に寝転がり、ついでに足も絡めてみる。綱吉はますます眉間をしわ寄せて歯軋りした。
(うっ……、ううう、うううううう)
  影の手のひらが何度なく前髪を梳いている……。
(うわっ、あっ、ぎゃあああああ―――――っっ)鳥肌と衝動とに咳かされるように脳裏で叫んで、綱吉はベッドを飛び起きた。勢い余ってベッドから落ちる。
  迷惑そうに、リボーンがハンモックから顔をだした。
「ダメツナ! 朝からうるせーぞ」
  時計は朝の六時だ。綱吉は、顔面蒼白になりつつ膝をついた。
「リボーン。夢が。夢がッ……、あ、あれっ?」
  喋ろうとした途端に真っ白になった。記憶を、夢を辿ろうとして綱吉は目を白黒させる。見事に何も覚えていない。リボーンが不審げな丸い目を向けてくる。
「……や、怖い夢見た。それだけなんだけど」
「あぁん? ガキか」
  赤ん坊にそんなことを言われるなんて!
  とか、ツッコむ余裕もない。綱吉は、すごすごと布団に戻りつつも地肌を撫でた。鳥肌がたっている。ちょっと汗もかいている。
(んん……?!)
  よくわからないが、とにかくピンチだ。
  直感が唸り声をあげている。リボーンがたてる寝息を聞きつつも、綱吉は再び眠りについた。
 まぁ、案の定といえるものか、眠りの底で骸は両手を広げて待っていた。囚われの身ですることが何もないので、彼の目下の余興は、まあ、こうやって気に入りの人間と戯れることにある。
 後に、綱吉が不審がりつつも喜び、ついでに怯え、骸はひたすら残念がったことであるが、リボーンは魔よけの札を部屋の四隅に張っておいた。そうすると、綱吉は悪夢を見ることなく眠れたそうである。
 ひどっ。僕が幽霊と同じだっていうんですか?! と、一人ごぽごぽしながら水中で嘆く人物もいたそうであるが、それもまた余談のひとつに近い。
 ちなみに、さらに後には、これは綱吉の十八番の怪談話となる。
 指輪守護者は何度かこれを聞くことになる。適当に話を聞き流し、あるいは怯える他の守護者とは違って、霧の守護者ただ一人はじりじりしたようなイライラしたような何か言いたがってるような奇妙な微笑を浮かべて怪談を聞くとか。余談である。


おわり




 

 

 


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