首輪憑き
綱吉は戸惑いながら両手のものを見下ろした。
続けて、同じ戸惑いの表情を浮かべながら背後を振り返る。監視役か、リボーン少年とヒバリが仏頂面をして立っていた。二人とも、腕を組んで据わった眼差しで綱吉を睨みつける。
「え……。だ、だって。でも。いいの?」
向かい合う石柱には、一人の少年が括りつけられていた。
二十歳が近いことがその外見から推測できる。頭をたれ、両手両足を柱に鎖で括りつけられて、彼は死んだように動かなかった。綱吉は彼の眼差しが見えないことが恐ろしい。けれど、背後の二人も恐ろしい。
「捕獲した……、て、どんな方法で?」
なかば時間稼ぎのようなものだ。
綱吉にはこの状況が恐ろしい。目の前で無傷のまま死んだようにぐったりしている六道骸と、彼に従属の首輪をつけることを強要されていることと、その強要が他でもないリボーンと雲雀恭弥によってなされているという事実だ。フン、と、鼻を鳴らしたのはヒバリだった。
「毒」
「毒殺したんですかっ?!」
ぎょっとして振り返る。首を振ったのはリボーンだ。
「弛緩性だ。ちょうどな、オレの潜入先にそいつもいたんだよ。身分を隠してのうのうと部下の一人のフリしてやがった。だから、ちょっと飲み物に細工して――そいつの夕食のミルクん中に、ちょっと筋肉が弛緩するようなクスリを混ぜといた。心臓までは弛緩しねーくらいの微妙な量な」
「あれっ。僕は毒っていったのに、赤ん坊はクスリっていうの? 土壇場で自分だけイイ顔する気?」
「ばぁーか。事実だ。毒にもクスリにもなるもんだ。お前が、わざわざ毒って言った」
「だってねえ……」
ヒバリの黒目が綱吉を射抜いた。
「君が、そういわれることを望んでる」
「ん……っな、オレはそんなつもりありません」
「そう? わかるよ、僕には。隠さなくてもいい」
物知り顔でヒバリが片腕を持ち上げる。説明するかのように手のひらが動いた。
「安心して、別に、僕たちはそいつをこんなつまらない手法で殺すくらい憎いとは……いや、……憎くないとは? まぁ、どっちでもいいや。別にこんなことで殺そうとは思ってない。ただ、いい機会だと思っただけさ」
「いい……機会?」
「ツナ。そいつを、お前のもんにしろ」
「はいっっ?!!」
綱吉は飛び上がり、急いでリボーンを振り返った。
一瞬にして冷や汗と脂汗が沢田綱吉ことボンゴレ十代目の全身から噴出した。昼食を終え、いつものデスクワークに戻ろうとしたところを、ヒバリに連れ出されて地下室に辿り付くに至った。そこには出張中のハズのリボーンがいて、手に赤々とした皮製の首輪を持って、綱吉に手渡したのだ。
『これ、そこの男につけてやれ』
何げなく告げて、首輪の鍵もよこしてくる。
地下室は現在は使われていない一室だったが、今は、裸電球が三つほど室内に垂らされていて、部屋の中央に平べったい石柱が立てられていた。そこに括りつけられていた人物に綱吉は悲鳴をあげる。日本に住んでいたころからの付き合いで、たまには情報の売買をして、でも最後にはやっぱり命を狙ってつきまとってくる男がそこで磔にされていた。
弁明を求めるようにして、綱吉はヒバリを振り返った。ヒバリは黒目を細くする。
つう、と、意味ありげで底の見えない輝きが秘められていた。
「屈辱だよ、これは。そいつに君のしるしを与えてあげて」
「な……。なんで?! ンなことしたら、オレ、余計に恨まれて――殺されるよ!」
「もともと、ボンゴレに入らなかったコイツが悪い。コイツが大人しくボンゴレに入ってればオレたちの仕事もいくらか楽になったのにな。ちょっとした復讐だ」
「復讐……?」
不穏な響きに、綱吉が青褪める。
改めて手の中の首輪に視線をおとした。
表面がざらざらしている。あまり、質のよいものではない。この磔にされている男、六道骸が、目覚めれば自力で首輪を外すことを読んでいるのだろうとツナは思う。あんまり財政がよくないので、経費削減でよくない皮を首輪に使っているのだ……、と、どうでもよい思考に跳んでいることがバレたのだろう。
綱吉の背後にヒバリが迫り、その首を後ろから鷲掴みにした。
「わあっ?!」
うな垂れた骸の後頭部に突きつけられ、綱吉が引き攣る。
「そいつに僕らの声は聞こえてるよ。動けないだけで、ぐったりしてる」
「む、むくろさんに……聞こえて」
綱吉が繰り返すと、リボーンが囁いた。
「そうだ。それで、お前が首輪をつけることに意義がある」
「オレがつけたら骸は相当悔しがるだろうなーとか、いやだろうなーとか、そういうことをリボーンもヒバリさんも言ってるんだよね? これ、要するに嫌がらせだよね?」
確認するような声には、しかし、リボーンもヒバリも頷かない。
二人とも明後日を向いてとぼけた顔をした。
「…………。まあ、オレも骸にはムカツクこと多いし……」
口のなかでボソボソいいつつ、綱吉は首輪をもじもじとして揉みあわせた。
考えるように骸の後頭部を見下ろす。心なしか、首筋に汗が浮かんでいるように見える。綱吉は再び確認をした。
「殺さないんだよね? 首輪つけたら、かえすの?」
「まーな。コイツは殺しておきたい男だが、こんな方法ではやらない。潜入先のベッドにでも返しといてやるぜ。……鍵のしまった首輪をつけた状態でな」
「ふーん。えいっ」
綱吉の目尻が悪戯っぽくしなる。
他愛もなく、骸の首に皮の生地をひとめぐりさせた。首の後ろであわせて、そこで横合いからヒバリが手を伸ばしてくる。ヒバリが首輪を固定し、綱吉が首輪の鍵を閉めた。
二人は、互いの顔を見ると、一仕事を終えたあとのようにニッと口角を笑わせた。
綱吉にしてみれば、リボーンとヒバリの後ろ盾がある状況で骸に何らかの精神的痛手を負わせられるのは願ってもない状況だ。日頃、命のやり取りをする相手ではあったが、たまの売買の席ではさんざんに貶され苛められもしたし、日本にいて互いに友人だったころは言わずもがな。
ヒバリにしてみても、リボーンにしてみても、ニュアンスの違いはあれど骸に対する積もり積もった軋轢は言わずもがな。綱吉は確信していた。
この際、骸を完全に敵にまわしてもいいだろう。
なんといったって、彼はもとから敵なのだから。それを自覚すると、むくむくと悪戯心が持ち上がる。綱吉はニヤニヤしつつ骸の顔を覗き込んでみた。
「骸、絞まりすぎてない? 苦しくないか?」
心なしか、彼の長めの睫毛が震えているように見える。
「まあ……。ちょっと格好悪いけど、大丈夫だよきっと。骸、元から色男っていうか、一昔前の日本でいうところのビジュアル系っぽいところもあるし。首輪似合うから!」
くつくつと喉を鳴らす音色が地下室にひびく。
見れば、ヒバリだ。満足したように、自らの唇に右手の第二間接を当てつつ笑っている。
「君、今日からボンゴレの犬ね。っていうか綱吉のイヌね。小屋、用意してあげようか」
「小屋かぁ……、でも、小屋に骸って書くのは酷いんじゃないですか?」
「じゃあ、ダイレクトに『イヌ』って書いてあげればいいんじゃないの」
「ああ、なるほど。そうですよ、わんちゃんに骸なんて名前つけたら動物愛護団体が怒りますよ」
各々で好き勝手にのたまう綱吉とヒバリ。離れたところでその会話と情景とを目にしつつ、リボーンはクッと陰険に喉を鳴らした。五歳を過ぎた小さなヒットマンは、年齢に反した長身の持ち主だ。その身のこなし、卓越した風貌で実年齢よりも十は上の年に見える。
「ククク。ボンゴレはテメーを飼い殺しにはしねえぞ、骸。働け。ほんとうに、とっととツナがスキだって認めてボンゴレに入れ。飼ってやるよ。丁寧にな」
「オレ、こんな骸さんだったらスキかもしれない……。従順なの」
「犬といえば従順と相場が決まってるからね。どこかの自称・右腕みたいに。でもコイツが従順? わあお、気持ちわるい。見たら失神しちゃうかも」
「エエ。オレは……、うん。泣くかな。やっぱスキじゃないかも」
やはり好き勝手に言い合う二人と、さらに遠くでクックッと暗い喜びに浸るリボーンを前にして、磔にされた少年は真っ赤な首輪をしたままピクリとも動かなかった。ただ、その首が次第に赤くなることだけが見て取れる。この悪戯は三十分ほどでリボーンが満足し、一時間ほどでヒバリが満足した。二時間ほどのちには骸はもと居た場所に帰される。
綱吉はというと、五分後辺りで骸に恐れをなして逃げていた。見るからに全身を赤くして、ぶるぶると怒りに戦慄く全身を見て、仕返しがいかに熾烈を究めるか用意に想像がついたからだ。
冗談じゃない、リボーンやヒバリは自分で自衛ができるだろうが、綱吉はまだそれほど実力を備えた人物ではない。結局、綱吉がこの悪戯に加わったのはわずか十分ほどである。
けれども決定打をくだしたことには変わりがない。
一週間後、綱吉は離れの個人邸宅で過ごしていた。
恐らく骸も知らないだろうと踏んでの移転だ。彼に見つかることが恐ろしいので、極力、外には出ずにデスクワークに励んでいる。
一週間が経った、その、次の日。
小さな邸宅に配属した部下は少ない。呼び鈴に出た部下が、身が裂くような悲鳴をあげて轟音がひびいた。寝室で仕事をしていた綱吉は大急ぎでありったけの武器を両手に持つ。
廊下で撃ち合いの音。悲鳴、轟音、また悲鳴。
だが、寝室までやってきた彼の姿に綱吉は呆気にとられる。
そこで満面の笑みで立っていたのは六道骸だった。笑み、といっても表情のない笑みで、ただ無心にニコニコしてるような笑い方で明らかに作り笑いだ。
彼は宅配人の格好をしていた。赤い制服、赤い帽子。両手で抱えるのは、マシンガンでもいつもの長槍でもなく、ハチの巣上に穴が空いたプラスチックケース。牛乳ビンをいれるためのプラスチックケースだ。真ん中に、栓の開いていない牛乳ビンがおさまっていた。
「……む、くろ…………さん」
両手でマシンガンを持ったまま、綱吉が呆気にとられる。
六道骸の首には、いまだに真っ赤な首輪がつけられていた。
「くふ、ふふ、ふふふふふふふふ……」
真意の読めない含み笑いをして、骸はビン入れのプラスチックケースを足元におろした。綱吉がマシンガンを構えるが、そうした警戒など意味がないというように、骸は堂々とした動作で実にさりげなく牛乳ビンを取り出した。
「君に、お届けものにきましたよ」
這うような声だ。
綱吉はヒッと悲鳴をあげる。
マシンガンの銃口が二つ、突きつけられても骸は平然としている。綱吉は銃口を突きつけながらも怯えてしまっている。二人の実力差はそういうことだったが、今回は、綱吉には骸に対する罪悪感もあった。
「ご、ごめん。調子に乗った! ごめんなさいィイ!」
「謝らなくてもいいんですよ……。さあ、どうぞ。あげます。君のものである僕が、あなたに贈り物をしてあげようっていうんですよォ。さあ、目の前で飲んでみなさい」
有無を言わせない声音。配達人の格好をした男は、どう見てもカタギではない微笑みを乗せて牛乳ビンをさしだす。
ガタガタと震えつつ、綱吉は牛乳を受け取った。
でも、これだけは告げないと復讐されるにしても報われない。
「あの。主犯はオレじゃなくてリボーンとヒバリさん……」
「んなこたーわかってます。リボーンには腹いせに屋敷に火を放ってやった、ヒバリには隠し撮りを無修正エロ雑誌のオンナでアイコラした写真をイタリア中にばら撒いてやった、残るは君だけだ」
「ひいいっ?! 陰湿!!」
「君たちが僕にしたことと比べれば何のその」
真剣にそう思っているらしく、骸には行いにたいする憐憫は微塵もない。
六道骸は自らの胸に手をあてた。もしかして、殺される? 綱吉の脳裏に薄っすらと最悪の状況が浮かぶ。マシンガンの引鉄に思わず力をこめたが、引ききる前に骸が動いた。
「っっ?!」
天地に放り投げられる感覚。
気がつけば、骸に後頭部を掴まれて牛乳ビンを口に宛がわれていた。
「むぐっ?!」骸のお得意の幻覚だ。一瞬で網にひっかかったことを悔やみつつ、綱吉はビンに噛み付くように口を開けた。このままやられたら、本当に殺されかねない。
抵抗はむなしいものだった。
すぐさま、骸は力の方向を変える。
床に押し倒されると骸がその上に跨る。そうして、ビンを綱吉の口めがけて傾ける。ほとんど顔面に浴びることになって、綱吉は涙目で咽こんだ。
「っぐ、っ、は、げふっ!」
「陰湿って言いましたね。この僕を。いいでしょう、もっと陰湿に苛めてあげますよ。君は特別に。久しぶりに殺意よりも激しい復讐心を覚えますね。さあ、レイプされないだけマシと思ってもらいましょうか」
両膝を綱吉の肩に当て、完全に身動きを封じたままで骸は鬱蒼と笑う。
後ろ手で取り出したものは、首輪だ。骸につけられているものと同じ真っ赤な皮製で、しかし、違うのは鎖がつけられている点だ。
無造作に腕を伸ばし、骸は綱吉の襟首を引き千切る。
「イヌは服を着ませんね。おやあ、何ですかこの耳は。イヌのくせに僕と同じ耳をしてるんですか?」
わざとらしく首を傾げて耳朶にツメをたてる。綱吉は、咳込みつつも慄いて懇願した。
「わ、わるかったから――!! 許して! やめろよ!」
「ダダを捏ねるだけで無能なイヌですね? とっとと脱ぎなさい」
「ぎゃああああ!! セクハラ――っっ!」
「どっちが先にしかけたんでしたっけねえ……?」
不敵に笑いつつ、骸は牛乳塗れになった綱吉の顔面を軽く拭う。
その首に両手をまわし、首輪を取り付けながら、骸は思い出したように付け足した。忌々しげに眉を顰めての台詞で、綱吉はさらなる恐怖を煽られて強く身をよじる。だが、やはり、逃れられそうもない。
「そういえば、これと逆のこともありましたね。君はとことん僕を辱めることをする」
「あ。あれ、は……、っ」
つ、と、骸の人差し指が綱吉の唇に触れた。
何かを探るように、吟味するように、あるいはケモノが牙を立てる場所を吟味するかのように、骸の二色の瞳が唇を見下ろした。
「…………」
「む、むくろ?」
「ついでですね。返してもらいましょうか」
残忍に骸が口角を吊り上げる。グイッと鎖を引かれて、押し倒された体制であるにも関わらず綱吉は首を伸ばさざるを得ない。ぐえ、と、悲鳴を飲み込んだ。
その唇に、骸はかすかな口付けをした。
「っな、なにする……っ?!」
「さて。では。完遂といきますか」
こともなげに言い捨て、骸がビリビリと綱吉の衣服を破いていく。
なんともいえないイヤな予感が綱吉の全身を支配する。全裸にされ、四足をつける格好を無理やりとらされて、最後に頭にヘアバンドをつけられた。ヘアバンドには、イヌの耳がついている。
「な……なにこれ」
途方もない目眩が綱吉を襲う。
クラクラしてへばる少年の横で、骸は鎖を手にしたまま平然としていた。
「外に千種と犬がいますから……。ちゃんと犬小屋も用意しましたよ。そうそう、名前も考えました。ツナちゃん、てのどうです? ねえボンゴレ。ツナちゃん?」
「………………」
魂の抜けた形相で、綱吉はこうべを垂れた。
くつくつと満足げに笑う声がする。やっとの思いで、綱吉は再び顔をあげた。
「へ。へんたい! 陰険だあんた! 何考えてんのォ?!」
「いかにすれば君に最大の屈辱を味あわせられるかということを、今は」
勝ち誇ってつげながら、骸は鎖を手のひらで握りこむ。そうして、綱吉に見せつけるようにして、大ぶりのナイフをだして自らの首輪にくぐらせた。皮製だ、時間はかかったが、骸は赤い首輪をはらりと足元に落とした。まるで綱吉の前で外すことに意味があったというように、骸は勝者の瞳をしている。
「形勢逆転ですね? よくもこの僕を一時とはいえあのような目にあわせてくれました」
「あの……百歩譲って、オレ、室内犬の役がいい……」
もじもじと股をあわせつつ、綱吉が全身を真っ赤にして縮こまりつつうめく。ハァ? 何をばかなことを。その言葉を全身で表しながら、骸はニヤリとした。
「僕はペットを自分と対等に扱おうとは思いません。さあ、楽しい撮影会が待ってますからねー。外にいきましょう、ツナちゃん」
「いっ……、いやだぁぁぁああああ――――ッッッ!!」
悪魔のようにクスクスと骸がわらう。気が遠くなるのを覚えつつ、全身に力が入らなくなってきたことに絶望した。先ほどの牛乳に混入されていたのもろくなものではないに違いない。綱吉の予想では、リボーンが仕込んだような弛緩剤のたぐいだろう。
人を動けない体にしておいて、動け動けとせき立てる魂胆なのだろう。骸の性格の悪さは知っていたはずだが、ここまでくると、もはや浮かぶ罵倒の言葉も少なくなる。
廊下をよろよろと這いすすみつつ、綱吉が怨めしげにうめいた。
「ううっ。絶対、ゆるさないからなぁ」
「ほう。それは僕の台詞ですね」
鎖を手に巻きつきながら、骸はフンと鼻を鳴らした。
「ほーら、とっとと歩きなさい。ツナちゃんはそんなに主人に苛められたいんですか?」
無遠慮に靴底で追い立ててくる。リボーンの思惑はどうあれど、とにかく、六道骸がボンゴレに戻ってくる日は永遠にこないんじゃないだろうかと綱吉は即座に考えた。
おわり