サイドなミルク

 




 嫌な夢を見るかもしれない、と綱吉は考えていた。
 原因はハッキリしている。できないの、と、咎めながら青年が両目を閉じた。そのままで右手だけを持ち上げる。
『なら、やってあげる』
 握りこむのは鉄に貼り付けられたグリップだ。
 綱吉が止める――前に、ヒバリは引鉄を引いた。
 ばぁんっと響いたあとでは、壁に血飛沫がこびりついた。
『裏切りには死を。鉄則だろう、ボス』
 怒った声音で言い捨てて、けれど、普段ならばくるだろうトンファーの一撃はなかった。ヒバリは踵を返し、振り返ろうともしない。
 綱吉は目尻を拭った。手の甲が濡れた。
(ヒバリさんが人を殺すの、久しぶりに見た……)
 意識が闇へ落ちていく。四肢が虚無へと混ざって消えていく。
 綱吉は目を開けた。
「ここは?」
 だだっ広い教会にたっていた。
 見上げれば天井には円陣を模ってあふれる光。ステンドグラスには聖母が描かれ、わずかに微笑んだ口角で慈愛が何たるかを物語っていた。
「…………、祈れって?」
 自嘲気味に囁いて、綱吉は両手をあわせた。
 そして、気が付いた。
「ぶぅっ?!!」
 手首にフリルのバンドがあった。
 見下ろせば、なぜだか純白のウェイディングドレス姿だ!
「なんじゃこれは――――っっ!!」ご丁寧にスカートを広がらせるためのコルセットまで腰にある! 背中が大きく開いたデザインだ。青褪めた彼が、言葉も発せなくなった頃にバーンと扉が開いた。
 教会の扉を押し分けて――、吹き込む光のなかにいたのは雲雀恭弥だ。
「綱吉。遅れちゃった。ごめんね」
 にこりとして、ヒバリが歩む。
 綱吉は後退りした。彼の登場にビビるというより、彼がタキシードを着込んいることにビビっていた。
「僕らしくもなく緊張してたみたいだ。やっとだものね。うれしいよ、綱吉」
 迷いもなく突き進み、ヒバリが目の前に立っていた。白い手袋で覆われた両手が、そっ、と頬に添えられる。鼻先にキスが落ちた。鼻筋を辿ってこまかなキスの果てに、右の目蓋にも振ってくる。
「ひ、ひばりさん……?!!」恐怖のために身動きすらできないでいた。
「そんな石みたいにならないでよ、せっかくの結婚式だろ?」
 からかうようにヒバリが言った――、その時だ。
「なげーぞヒバリ。さっさとしろ」
「……赤ん坊?」
「おまえな。いい加減、その愛称をやめろ」
 タキシードに身を包んだ少年が、顰め面をしてヒバリの背後に並んでいた。ヒバリがギョッとしたのと同じく綱吉もギョッとしていた。
「ディーノさん?! ご、獄寺くんに山本にコロネロ!」
 彼らも並んでいた。一様にタキシード姿だ。
「ボスは俺らの妻でもあんだよ」
 ディーノが鼻歌混じりに囁く。
 獄寺は拳を握り、山本は頭の後ろで腕を組んだ。
「十代目と婚姻できるなんて夢みたいッス! 五番目の妻でもめっちゃ幸せです!!」
「ま、四番目も悪くねーポジションじゃねーの? ハハハ」
「……、一番は?」
 ヒバリが剣呑に一同を見下ろす。
 リボーンが手をあげた。
「二番」「おう」
 迷彩柄の手袋があがった。
「……僕は」
「六番目」
「うわー!!」
「ヒバリさん!」
 脱兎のごとくヒバリが教会を飛び出した!
 リボーンは不思議そうな顔をして綱吉を見返した。
「テメー、説明してやらなかったのか? 勘違いしてたんじゃねーのアイツ」
「せ、せつめいも何もオレこそ説明してほしーんですけど……?!」
「綱吉!」「うわっ?」
 仰け反る綱吉だが、新たに扉をくぐる人影に目を剥いた。
「ろ、六道骸ぉお――――っっ?!」
 純白のドレス姿だ。ロングスカートの裾をバラが囲んでいた。
 タキシードの男連中を押しのけて、骸は綱吉の両肩を抑えた。
「それなら僕はあなたの妻になるっ」
「な、なに言っちゃってンですか――っ!」
「いいでしょう? たったひとりの、あなたの妻にしてください!!」
「ちょっ。まって! ヒバリさんなの? どうみたって骸――」
 奇妙な違和感だ。目の前にあるのはオッドアイで、しかしそこに滾る炎はヒバリを思い起こさせる。ヒョウのようにしなやかな獣の気配だ。
「ちょっと手違いで六道と混ざってるけど僕だよ」
 骸は、嘲るように微笑んだ。
「そして僕です。さぁ、めとってください綱吉くん!」
「な、なななあぎゃ――――っっ!!」
 意味のない絶叫をあげる綱吉だが逃れる道は断たれていた。
 ガッチリと花嫁にホールドされている。右腕をかけられて首がギリギリとしまったが、その中で骸が首を伸ばした。ちょうど、綱吉の背後から顔を覗かせる格好だ。
(ひいっ!)悲鳴のかたちに開いていた唇、そこへ無遠慮に舌が差し入れられた。顔ごと押し込むような熱烈なキスだ。
 たっぷりと五分は弄ばれて、綱吉はホールドを解かれた。
 骸の足元で膝をつく。ぜえぜえと必死に肩を揺らす彼をおいて、骸はタキシードの男たちに人差し指を突きつける。ニヤリとした笑みがあった。
「というわけで、今のキス通りに君たちの妻の妻は僕ですから。お間違いのなきよう!」
「どこが妻のすることだ――っ! ていうか何コレ! ぎゃああ!!!」
「おや。どーして逃げるんですか?」
 気力が復活するなり教会の外を目指した!
 が、骸は素早く二の腕を掴んでいた。ドラスがひらひらとたなびいた。
「僕の旦那でしょう? さあ、僕を抱いてください。そしてあなたからキスして!」
「い、いや――ッ! たァすけてえええええ!!」
 渾身の絶叫をあげる!! ――頭上でガッシャーンと金切り音がして、綱吉は両目と唇を引き結んだ! 間髪おかずに、冷たいものが降り注いでいた。
「う、……げえ」
 そろり。目を開く。
 ベッドの中で、綱吉はシーツを握りしめていた。
 上半身を振りあげたときに、腕でコップを引っかけたのだろう。サイドテーブルにあったはずのコップは床でひっくり返る。中身は頭から被っていた。
「うう、べっとべとだ」
 鼻先からポタポタと落ちるミルクと、ミルクまみれになったシーツとをみてうめく。ミルクは眠る前にお酒と一緒に少しだけ飲んだものだ。真夏の夜に一晩放置したとあって、ひどい匂いになっている。
 よろりとした足取りでベッドをでた。夢の余韻がダメージとして残っている。
 何気なくサイドテーブルの携帯電話に目をやった。ミルクを被らなかったのは幸いだ。
「……メールきてる」
 ピ、と、電子音がこだました。
 ――奇妙な記号が送り主の欄で点滅している。この、よくわからないハッキングじみたメールを送ってくる人間は一人しかいなかった。
「うっげ」うめいていた。
『チャーリーたちのアジトをさぐっていると聞きました。情報を教えてあげましょうか』
(た、たまにワザとガセを流すんだよな。当たったときはデカいけど)
 チ、チ、チ、と、小刻みに秒針が進む。綱吉は、首筋を伝い落ちていくミルクを手の甲で拭った。瞳を細めて、点滅する『六』の文字を見つめる。
(ま。ハイリスク・ハイリターンは、今にはじまったことじゃない、か)
「えーと……。ぜひ教えてください、と」
 ピピピ。ピ。綱吉は目を丸くした。
 もう返信がきてしまった。
「やけにはやいな」
 点滅する『六』の文字。
『今から行きます』「げえっ?!」
 仰天して、あやうく携帯電話そのものを落とすところだ。
「なっ、なんでコイツオレの個人邸宅の場所しってんの?! 超機密情報なのに!」
 頭を抱える綱吉だが、ハッとして硬直した。それよりも――、辺りはひどい惨状だ。
 ベッド周りは足の踏み場がないし、週刊誌や脱ぎ捨てた服やらで平坦なはずのフローリングに小高い山が点在していた。
「こ、このままじゃまずい……!」
 こっそり使うための家だ。来宅を予期して、ボンゴレファミリーの情報を排斥してる部屋などない。彼は抜け目がないので、極力、情報が目に付かない場所でないと――、そうなるとこの寝室以外に場所がない。
「か、片付けないと。ああっ?! ヒバリさんの言う通り日頃から片付けてればよかった! 助けてヒバリさあああ――んっっ!!」
 半泣きでメールを打つ綱吉だが、その耳に、チャイムが残酷にこだました。
「もー来てる――っっ! 死ぬ――っ!!」
(いっそあんなくだらない夢でも醒めないほうが良かったかも!)
 数秒の後にピッと電子音。その音で我に返り、綱吉は首をふった。予感は意外と当たるらしい! 夢見も悪かったし夢から醒めたあとも最悪だ!
 ドアの開く音がした。つづいて、足音。
 応答がないので勝手に入ったのだろう。彼なら、それくらい難なくできるはずだ。ほどなく、部屋の入り口には暗殺者のように全身を真っ黒で包んだ青年が立っていた。
 引き攣って、オッドアイが辺りを見回す。
「うっわー……。君、死んだほうがいいんじゃないですか?」
「ワケわかんないからそれ――っっ!!」
 パジャマ姿のままで綱吉が仰け反る。ピピ、と、返信がきた。
 タイトルは『バカよし』で、本文は『だから言ってるだろ掃除しろって! 今から行く』である。……ヒバリと骸が顔を合わせる、その事実で内心ヒヤリとした綱吉だが、骸はウンザリとした面持ちで放り捨てられた下着を摘んでいた。
「……君、いいかげん結婚でもして身の周りの世話するひと作ったほうがいいんじゃないですか?」
「おまえがいうな! おまえが! オレは彼女ならできたっ!」
「もう別れたでしょう。あの日本人の女の子」なんで知ってるの?! ギョッとする綱吉だが、骸は肩を竦めるだけで下着をヒラヒラさせた。
「コレは方針変更ですね。片付けないと情報はお教えしません」
「えっ、えええええ?!!」
「僕の宿敵がこんな堕落した寝室で生活してるなどと認めませんよ」
(む、むくろさんが認める認めないの問題なのか?!)腕を組んで壁によりかかり、すっかり傍観の姿勢を決め込んだ骸だ。また、新たなチャイムが響きわたった――。
 うっすら、とんでもない一日仕事になることを綱吉が覚悟した。そして、
(あ。ヒバリさんとは気まずくなっちゃってたんだった……)数日前の死体と、彼が打ち放った銃声。あれ以来、ぎくしゃくとしているのを忘れていた。
 骸が奇妙そうな視線を向けてくる。ゆるくかぶりを振って、綱吉は言った。
「オッケー。やるよ。それ、ホントに確かな情報なんだろうな!」
 玄関に向かうため駆けだして、骸の前をよぎる。
 鼻をひくつかせて、彼がうめいた。
「ミルク臭いですよ。君」





おわり

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06.06.11