毒食らい


 星を落とす勢いで空を睨んでみたりする。少年は自分の考えがバカらしくて口角をナナメにした。ちらり、覗いた舌をくるりと巻いて唸り声を立てる。それに怯えたのは傍らの彼だった。
「な、なんだよやる気になったの?」
「別に」
「おまえが別にっていうと怒ってるってことだよな? 最近、段々わかってきたぞ」
  おかしいもんだ。少年は侮蔑の眼差しを落とした。
「君にわかってもらおうとしたつもりは無いですね。思い上がりも甚だしいな」
「それは、よーするに照れ隠しなんだろう?! も、もう騙されないからなぁ」
「クフフ? 奇妙なことを言う。刺されますよ、いつか。例えば僕とかに夜道を歩いてるときブスッと。適当な発言は慎んでください」
「堂々と殺害予告するなよなおまえがいうと本気に聞こえるんだけど」
「本気ですもん」
  頬杖をついて、骸はポケットに掌を突っ込んだ。
  鍵を取り出す。彼は目をきらきらさせた。
「ちょうだい。今日は早く帰んないと」
「どーしましょうかね。僕は、今日はテレビ見る気分じゃ……」
「いいから。くれってば。いいだろ、カギくらい!」
「僕が色々と立ち回ってるのに君は呑気にお笑い番組をみてる。許せませんね。不幸になってくれたりしてくんないと潤いがないっていいますか」
「何だよそれ。非人間! 陰険!」
「ほう。それは失礼しました」
  言いながら、カギをポケットに戻す。
  彼はギャアアアと叫んで骸の腕に飛びついた。
「うそ! うそ! お願いだよ、骸。今日の夕飯作っておくから!」
「あそこに一番星がありますよ。きれいですねえ」
  空を見上げてみて、ついで、人気のない教室を見渡す。日直なんて面倒な仕事を大人しくやるのは六道骸らしくない行動だった。しかし彼としては筋の通った行動である。今日は、綱吉が毎週欠かさずに見ているTV番組の特番が放送される。放送開始は六時だ。実に手ごろなイヤガラセだと骸は思う。
「あ。間違えちゃいました。消しゴムがいりますね」
  わざとらしく呟いてみて、筆箱を漁る。骸は首を傾げた。
「おや。忘れてる。買いに行かないと」
「おおおおまあええええはああああ!!」
  彼は頭を抱えて掻き毟った。
「貸すよ! ほら! っていうかオレが消す!」
「日誌は日直がつけるもんですよ。僕の仕事をとるんですか」
  綱吉の額を抑え、日誌から引き離すと骸は次に綱吉の腹を蹴った。実に無造作で、手加減の一切がない。どすっ。鳩尾に一撃が決まっても綱吉はなんとか自分のカバンを引っ張り出した。
「おまえなんか大嫌いだー、もー、どこまでオレを苦しめれば気が済むんだ?!」
「泣くくらいまでですかね」
  適当に答えつつ、骸は日誌に目を落とす。
  かつっ。そのこめかみに消しゴムが当たった。綱吉が自分の筆箱から出したものだった。睨み合うこと数秒。どうも、と、小さくうめいて、骸は書き間違いを訂正した。
「はやくー。あと三十分で六時じゃん!」
「ああ……」
  また、空を見上げてみて、骸はシャーペンを持つ手を止めた。
  ぱっと開いてみる。ぱたん、ころころ、シャーペンが落ちた。
「腱鞘炎になりそうです」
「うっ……うわ――!!」
  頭を抱えつつ、彼は自分のシャーペンを投げた。
  視界の中で攻撃されれば避けられる。サッと顔をずらせば鼻先を掠めていった。
「書いてってば! おまえとじゃれてる時間はないんだってば! そうじゃなきゃ家のカギよこせー!」
「家主は僕ですよ。ああ、あと数行かけば完成だと思うんですけど……。腕が痺れてきました。ちょっと頑張りすぎたかもしれません」
「そりゃ二時間もかけて日誌ちまちま書いてたら疲れるだろーがってそういう問題じゃねー! 書いてよ! がんばれあと少し!」
「ふ……。明日にしましょうかね」
「おおおまえは明日まで学校にいるつもりか! 書けってば!」
「面白いですよ。先に警備員に捕まったら負け、というルールではどうですか」
  実にいい加減なことを言っている。自覚しつつ、骸は最後の数行を書いた。日誌というのを真面目に書いたのは初めての経験だ。上半身だけ綱吉に向き直らせて、骸は片腕の肘を窓枠に引っかけた。
「お待たせしました。できましたよ」
「よっし!」
  彼は嬉しげに両手を拳にする。
  にっこりと笑って、骸は片手で窓を開けた。
「じゃ。あとは、僕のかわいい綱吉が惨めたらしく探してくるだけですね」
  語尾にハートマークなんて無駄につけてみたりする。綱吉が青くなる。ぽい、と、ゴミでも捨てるように日誌を投げ捨てた。三階なので、まあ、グラウンドか花壇のどっちかに落ちるだろう。
  無言でバタバタと教室を飛び出していく背中。それを見送りつつ、骸は退屈そうにイスの背もたれに体重を預けた。実際は、愉快でくつくつと声を噛み殺して笑っているのだが。
  オッドアイは時計を見上げる。五時四十分。走れば、まあ、六時には間に合う。
(僕の人生、くだらないな)思いながらも窓の外に視線を落とす。細い人影があっちに行ったりこっちに行ったりしていた。沢田綱吉をからかうのは面白かった。だが、骸は綱吉が戻ってくる頃には空虚な気持ちになっていた。ふと冷静に戻ってみて、本当にくだらないことで遊んでいるもんだなと自嘲したりするのだ。
「バカみたいですよ」
「お、おまえなぁ……っ」
  暗い怒りを含んだ眼差しを向けてくる。
  彼は自分に対して言ったと思っているようだった。骸は訂正する気がしなかった。
「じゃあ、提出しに行きましょうか。僕はそろそろお腹が空いたんで外食しますが。君はどうしますか」
「オレは」呟いて、ハッと時計を見る。五時五十分。間に合わない。
「あああっ! オープニングトークが面白いのに!」
「そうそう。とことん言い忘れてましたけど、実は録画予約しといてあげました」
  予定を立てられるなら、それくらいの根回しは簡単だ。
  綱吉は唖然とした。その腕を取って骸はさっさと教室を後にした。校舎を出るころ、校門をすり抜けながら、骸は綱吉が泣いてるのに気がついた。
「そこで泣くんですか。目標が達成できて嬉しいですけど、君の泣きツボはよくわかりませんね」
「オレはおまえの性格がよくわかんないよバカやろお……」
  頭を撫でてみて、慰めの真似事をしてみる。これがやりたかった。
「理解してもらおうって、僕が思ってないから、君にはわけがわからないんじゃないんですかね?」
  適当にいってみて、意外と真実に近いかもしれないと思い直す。失敗だったか。骸は、黙り込んで踵を返した。イタリアンレストランの予約を入れてある。綱吉に言う気はないが。
  一番星はまだ空にある。予約を無視して、夜景の見える店に行くのもいいかもしれない。この街にそんな洒落た店などないことは知っていた。チラリと、様子を窺うと綱吉はもはや泣いてはいなかった。ただ酷く疲れた様子で頭を掻いたりしている。
「……帰りますか?」
 しばらく黙った後で、綱吉は首を振った。
「いい。なんかもう……美味しいものでも食べて気分入れ替える」
「そうですか」
  骸としては、まあ、この同居生活はうまくいっているつもりだ。





おわり

 






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