夢がみみず
夢の中で水を見る。昔から、いい気がしなかった。
映画やドラマで小さい子どもが水に絡んだ夢を見る。それってオネショの為の演出だ。だからスキじゃなかった。自分がオネショをして朝になって泣いて母親にも言えなくて自分でどーにかしようとして、でも、どーにもならなくて、結局見つかって大泣きするような子どもだったから。
(昔からマヌケな上に馬鹿だったけどさ)見上げれば、波紋が見える。
白い波紋だ。揺らめいて、キラキラとしている。だからここは水中だとわかる。上から差し込む灯りは、太陽だろうか、それとも全く違うものなのだろうか。パジャマのままで浮いていた。
「……まさかな……」
中学生だ。昔みたいに、オネショの前兆だなんてことはないだろうけど。
でもトラウマを刺激されるようで、いい気はしない。イヤな夢だ。さっさと醒めたい。と、そこまで考えたところでクスクス笑う声がした。
「酷いこと考えてるんですね。すいませんね、こんな演出で」
「……骸?」
「おや。わかりますか」
「そりゃあ、まあ」
ぐるりと辺りを見回す。
「どこだ?」
「……君の目の前に……。見えないだけで」
「それは、目の前って言わないんじゃ」
相手はまたクスクスと笑う。六道骸の声を忘れるわけはない。いや、この前の霧のリング戦で気がついたけど、オレは骸の気配が読めるのだ。声なんかなくても、きっと、そこにいるだけでわかる。姿が見えなくても。
「本当に?」疑わしげな声がする。頷いた。っていうか。
「おまえな。夢だからって、人のこころ読むなよ」
「君が無防備でいるのが悪い。読めるもんは読めるんです」
「むちゃくちゃな……」
ふよふよと、水中を漂う。
光の螺旋が、天空にある。いや、水面にある。
水の中で独りきりだ。ふと、心細くなって見えない相手に聞いてみる。
「これ、おまえの夢なのか? クロームさんに聞いたんだけど、おまえ、夢の中を歩けるんだって? オレの夢に顔をだしてるの? それともおまえがこんな夢みせてるの?」
「ひとつだけなら、答えますよ。サービスで」
骸は基本的に自己中心的だなと思う。
「まあ、真実ですが、自己中って悪口ですよね」
ついでに小うるさいかもしれない。
「口を使って会話してください」
「うるさいやつだな」
「頭で会話できるからって口を使わないのは人間として怠惰な行為ですよ」
「理屈っぽい……」額を抱える。だけど、せっかくの夢だ。水中の中でパジャマを波立たせて、髪の毛をふよふよさせながらオレは考える。今、ひとつだけ、六道骸に質問できるなら。
「…………。じゃあ、元気にしてるか?」
「ええ、元気ですよ」
「そう。よかったな」
「そんな質問でいいんですか」
「うん。だって夢だし、どうでもいいかなって。それよりおまえの状態のほうが大事じゃないかな」
すらすらと言葉がでる。相手の姿が見えないせいだろう、テレちゃうようなことも億面なく言える。骸はしばらく黙り込む。
……姿がないので、会話がないと、いなくなったのかと不安になる。
「骸? 骸さーん?!」
「いますよ」
「なんだ……。いつまでいるんだよ」
「いなくなったほうが?」
「そういうつもりはないけど」
骸はまた黙る。
もう、面倒だった。適当にふよふよとしている。
「いつまでいるんだ、と、尋ねましたけど。沢田綱吉くん」
どれくらい経ったころか、骸が唐突にいった。
「それは僕のセリフですよ。いつまでいるんですか? さっきの質問集の中にも混ざってたかもしれませんけどね、まあ。これはリップサービスみたいなもんだ。ここは僕の頭の中。だから、僕の実体が無くて姿がみえない。この水は僕が閉じ込められている檻の水。この光は現実の僕の頭上にあるもの。蛍光灯の、光です。筒上になっている檻の一番上に申し訳程度についている。君は、さっきから当然のよーにブラブラ浮いてますけどね、実際は何なんですか? 僕の妄想ですか? 君は本当に本物の沢田綱吉ですか? 僕の妄想じゃないんですか?」
「え……」思考が止まる。何をいうんだ、六道骸。
「オレは、オレだけど……?」
「それが一番疑わしい」
オレの存在を真っ向から疑ってるというわけか。
今の話を咀嚼してみる。ここは骸の夢ってことだろうか。
「少し違いますけど、その解釈でも通じるでしょうね。君はさっきからヒトの頭んなかでリラックスしすぎです。僕の知る沢田綱吉とも、なんだか違うように思いますし、やっぱり僕の妄想ですか? そんなに君に固執したつもりはなかったんですけど」
「オレもそんなにおまえに入れ込んでるつもりはなかったんだけど……」
夢で、骸の頭の中に飛ぶなんて。そこまでシンクロ率高くないぞ。多分。
「…………」「…………」沈黙。沈黙。ちょっとだけ興味が沸いて来る。
「おまえの知る沢田綱吉って、どんなの?」
「それを素直に言うような人間だと思われてるなら心外ですが……。もうちょっとヒトに対して警戒心を持っているタイプかと」
「ああ。そりゃあ、だっておまえと会うのってバトルしてるときだけだし……。黒曜襲撃事件とリング戦と、おまえ、そんな場面でしか顔出さないんだから、オレが緊張してるの当然じゃん」
「緊張ですか。何だかいつも青い顔してますけど」
「それは怖がってんだよ……」
ぼそぼそとうめく。骸はふむと鼻を鳴らす。
「わかんないですねー。妄想? リアル?」
「オレも段々わかんなくなってきた。これ、誰の夢? 骸。おまえこそ、オレの妄想なんじゃないの」
「ほう。ここにきてその疑惑。ますます訳がわかりませんね」
「あー、もう、寝てるだけなのに何で難しくなってンの!」
頭を抱える。光の乱反射が頭上にある。あの綺麗な灯りが、恐ろしい水牢をただ照らすだけのものなんて信じがたい。でも声はする。骸、と、呼びかけた。
「じゃあこうしない? 次、会った時は」
「会った時は?」
「この夢について確認する。それで、お互いに覚えていたら、この夢は本物だ」
「ほう。……いいですよ。夢の中でお会いしたかと確認させていただきますよ」
現実に顔を会わせたときに、互いに夢の内容について話ができればオッケーだ。この夢は現実。六道骸と夢の中で会話して、くだらないことをだらだら話したのは現実。
「確かにくだらないですねー」
「おまっ。ヒトの思考に!」
「まあ、ごゆっくりしていってください。なにももてなししませんがっていうか、できませんが。もしかしたら僕の妄想かもしれない沢田綱吉くん」
「……じゃあ、適当に浮いてるから。もしかしたらオレの妄想かもしれない骸さん」
沈黙すること数秒。思わず、クスクスとしていたら、見えない相手もクスクスとした。夢で水を見るのは嫌いだけど、まあ、少しは楽しい。だって一人で見てるわけじゃないみたいだから。
ゆめがみみず
六道骸が水牢を出たという報せが入る。処刑人と折り合いがついた、とか、聞いた。骸は日本にやってくる。リングの守護者としての務めがあるからだ。
てっきり、逃げるつもりだと決めていたから不思議だった。
生身で再会する骸は意外とオレに好意的だ。オレも、自分で少し不思議なくらいに好意的だった。そんなに悪い気がしないのはなぜだろう。こいつは悪いヤツだし、獄寺くんとかも半殺しにしてくれたんだけど。
「あー、わかります、わかります! 夢って内容すぐ忘れちゃうんですよねー」
「そうなの。だから夢日記つけはじめてみたんだけどねえ!」
きゃっきゃっ。楽しげに話すハルと京子ちゃんを振り返る。
今日は皆で集まる日だ。オレの部屋に。守護者に友達に、皆がいるからパンク状態だ。
「夢……?」慎重に呟いたのは、六道骸だった。両脇に千種と犬を従えて、部屋の隅に座り込んでいる。不良そのものの風格。オレの部屋にいるのが絶対におかしい人種だ。
「骸さま?」
「いえ。何だか……。僕は……」
「おい、ツナ。ツナ?」
「え?」
リボーンが盆の上を指差している。
ああ、ジュースを配ってる最中だった。最後に骸に持っていく。
「どうも」一言だけで受け取り、しかし、彼のオッドアイはオレを追いかけてくる。
オレも骸を視線で追っていた。交差する。何か言いたい気持ちがあるけど。夢ってとても忘れやすい。メモらないと、忘れてしまう。それが切ないことだと、よくわかる。
「忘れっぽいのかな……」
口の中で呟く。夢を忘れるのはフツーなことで別段おかしくはない。覚えてることの方が珍しい。無性に胸の裏側が痛む。切なくなった。
夢神水
「沢田」
呼び止められて、相手が骸だとわかって口を噤んだ。
「…………」階段を降りてきた彼はオレの目の前で止まる。ジュースのおかわりをパックごと取りに行くために部屋を出たのだが。骸は、どう見ても手伝いに来たようには見えなかった。
「な、なんですか?」
少し頬が引き攣る。あまり話したことがない上、どっちかというと骸本人には怖いイメージしかないから気まずかった。骸も声をかけたはいいものの、その先を考えあぐねているようだった。オッドアイが、オレの肩あたりをウロウロしている。
「いえ……。別に。君が一人になるから」
「…………?!」
一人になるからなんだ! 怖いことを言ってくれる。
後退ると、それを察知して骸は眉間をしわ寄せた。
「手伝いにきてやったんですよ。何ですか、その態度」
「いや、オレ、ひとりでできますから」
「断わるんですか」
「いや、そ、そこまではいってませんけど!」
台所からジュースパックとお菓子とを取り出す。両手で持てるんだけど。でも骸を手ぶらにするわけにもいかず、お菓子の方を手渡す。なんて意味のない荷物持ちだ。
骸はお菓子なんてどうでもよさそうだった。ぼうっと、やはり、オレの肩あたりを見る。
「……僕は、プライド高い方ですが……」
歯切れ悪く、うめく。思わずオッドアイを直視した。同じタイミングでオッドアイもオレを見てくる。
「約束では僕が聞くことになってた。沢田綱吉。以前、夢を見ました?」
「…………」パックを持つ手に力が入る。全身から汗が滲みだすのを感じた。大きく、まばたきをする。もう一度まばたきをしてから、渇いた喉を動かした。まさか、あの夢って本当に。
「見たよ。覚えてる」
「水中で君はひたすらぼけっと浮いていた」
「おまえ、忘れてるのかと思ってた」
「僕も君は忘れてるのかと思ってました」
骸はまじまじとオレを見る。オレもまじまじと骸を見る。
「……面妖な……」やがて、骸が口角をヒクつかせながらうめいた。頷く。
「変なの。あれって骸の力なの?」
「さあ……」
「でも本当におまえだったんだなー。あ、その節はどうも」
「ああ、いえいえ……」
心臓の裏側あたりがムズムズとする。
変な感じだ。よく知ってるけどよく知らない人を目の前にしているというか。照れ臭いというか。骸も同じ気分らしく、どことなく落ち着きが無い。彼はオレの手からジュースパックを奪った。
「これ、持っていけばいいんですよね。先いってますよ」
「あ。ありがとう」
台所から逃げていく背中。
「骸さん……。あの。これから、よろしく」
言わなきゃいけないような気がした。骸に何か、何でもいいから話し掛けたい気分だ。
扉のところで骸が振り返る。彼は照れた様子だった。
「こちらこそ。それじゃ」
「あ、おい。おまえ、煎餅とかって好き? 食べてみる?」
「日本食はあんまり……」
「煎餅って日本食なのかよ。じゃあ、なんかないかな」
ごそごそとしてると、骸が戻ってきた。眉間を皺寄せている。
「僕が好きなのは庶民の家にはないと思いますが。まあ、君が薦めるなら食べますよ」
「あー、なんか、金持ちらしいな、おまえ」
「まあね。って誰に聞いたんですか?」
二人してごそごそすること数分。母さんが買い物から帰ってきた。
「何してるの? 家捜し?」目を丸くする。それで、ようやく、菓子のストックをほとんど全部テーブルに並べていることに気がついた。ちょっとフツーじゃない行動だ。慌てて、お菓子を元の場所に戻す。骸も手伝ってくれた。呆れながらだったが。
「今度、どっかでお茶しましょうか」
台所をでながら骸が言った。ドキリとしたから、わかった。
「なんだかなー……」骸と話したいんだ。何でもいいから。話す時間を稼ぐために意味もなく家捜しするくらいに。それに付き合った骸も、多分、同じ心境と言うことになるが。
「何がすきなんです?」
骸がくすりとする。見透かされている気がした。半ばイヤガラセで言ってみる。
「日本食とか。山本の父さんが作る寿司、うまいよ」
「ええ……。ていうか、それはお茶の意味が違うんですけど」
「……ぷっ。うそうそ。オレは雑食。何でも食べるよ」
「へえ」
階段を昇る。
今までに無かったタイプの友人だ、六道骸。水中の夢を見たとか、よくわからない切っ掛けだけど。オレと骸の関係を思えば、そんなメチャクチャな切っ掛けだからこそ効いてくるのかもしんない。
あの夢がまぼろしじゃなくてよかった。部屋に戻ると、骸はオレの近くに座りなおしてきた。
六道骸、そんなに嫌いな男じゃないな。
おわり
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