わづら


 聞いてない、と、笹川京子に詰め寄るわけにはいかなかった。
 それでも綱吉は理不尽な思いに駆られる。ダブルデートだよ、と、天使のように軽やかな物言いが彼女特有の茶目っ気だとはわかっていたが、しかし、こんな落とし穴は予想できるものでない。
「恋愛映画ですか。構いませんよ、僕は。クフ」
  ポーカーフェイスのような微笑を浮かべて、六道骸が顎に人差し指の第二関節を当てる。きみたちは? とでもいうように、オッドアイが振り返る。
 京子はクローム髑髏の横に並ぶと、楽しげに映画の看板を見上げた。
  冒険ものにも興味があるようだ。しかし恋愛映画は今週いっぱいで終わってしまう。髑髏が指摘すると、彼女は難しそうな顔をして唸りだした。
 コロコロ表情が変わる、それがまた綱吉の好きなところだ。
「女の子っていうのは、まさに黄色い声を持っていますよね」
  クローム髑髏と腕組みしながらも骸はどこか他人顔をしていた。
 後ろでぽつんと京子の帰りを待つ。その寂しさがあったので綱吉は頷いた。
「そこも、可愛くていいじゃないか」
「ほう。……女にモテませんね、沢田綱吉」
  骸は口角をにやっとさせた。
「そういうのは女に煩わされた経験が無いからいえるんですよ。彼女らの煩いこと煩いこと。ピーチクパーチク、集団で喚き出したら殴りでもしないと止まりませんし、一人でもヘタに贔屓しようものなら、陰険なイジメに贔屓された本人も天狗の鼻を伸ばすわ……。やれやれ、ですよ。僕は君が羨ましいですね」
「あ、そおっっ!!」
  精一杯のイヤミを込めて綱吉がうなる。
  骸は白けた顔でオッドアイを窄めた。
「つまりませんね、君」
「おまえを楽しませるつもりでデートに来たんじゃない。ってか何でおまえがいるの?!」
「珍しく映画はスキかと聞かれたものでね。聞き返せば、笹川京子と一緒で、笹川京子が沢田綱吉を連れてくるとか。ダブルデートなんでしょう?」
「おまっ……。乗ンなよそんな誘いに!」
  綱吉が肩を怒らせ人差し指を突きつける。
  そこで、髑髏が腕に力を込めた。引っぱられた骸は素直に恋愛映画の看板を見上げる。決まりましたか、と、呟く声には心底からどうでもよさそうだった。口角にはやはり作り物めいた微笑。だが、作り物めいている分、完璧だ。通りがかる婦女子がちらちらと振り返っている。
 結局、顔がよければ……、思いつつ、綱吉は京子に並んだ。
「じゃあ、オレ払ってくる」
「え? なんで?」
「な、なんで、って……」
(こんなときは男が払うもんだろ?!)
  京子はにこにことして告げる。
「いいのよー。気を使わないで! 自分の分は自分で払えるもん」
  スキップするほど軽やかな足取りで京子が券売機へと向かう。綱吉は、一瞬、呆気に取られた。中途半端に背中に向けて腕が伸びたりする。実際、おこづかいだけで生計を立てる中学生にはありがたい申し出だった。
  そうした微妙な機微を読んだように、スッと骸が前に出た。
「君の分も払ってあげましょうか?」爽やかな笑顔だ。からかっている。
「けっこうだ!」 さすがに腹にきて、綱吉がドス声をあげた。
「京子ちゃん! やっぱりオレが――」
「えっへっへ〜。もう、払っちゃった」
  ハートマークをつけるほどの甘さが語尾を彩る。
  それだけでふにゃふにゃとして綱吉は口を噤んだ。六道骸は当然のように髑髏の分を支払う。
「ありがとう。骸さま」
「いいえぇ。これぞ男の勤めですからね。でしょう?」
「そこでどーしてオレに振る?!」
  横並びになりながら綱吉が眉尻をあげる。
  日曜日の映画館、それも恋愛ものとあって場内はカップルでいっぱいだった。骸はきょろきょろした末に、空いている席へと髑髏を座らせる。
「かわいい僕のクローム。ここでいいですか?」
「はいっ。骸さまが選んでくれるなら、何でも」
  頬を赤くして、髑髏が喉をつまらせる。綱吉の目にも本気で嬉しそうに見えた。思わず、ちらり、と京子を振り返る。綱吉は京子が好きだ。だが親しくなってから半年、進展はひとつもない。六道骸戦やリング戦を通して、確実に、少しづつ関係が変わっているようには思うのだが……。
「京子ちゃん。ジュース買ってくるよ」
「あ、いいね。待って……」
  髑髏の隣に腰を降ろしたばかりだ。
 カバンを漁りかけた京子を止めて、綱吉はにこりとした。引き攣っていないかが心配だ。赤面していないかも不安だ。どくどくと心臓が脈打って、たった一言なのに手に汗を握った。
「さ、さっきはダメだったけどさ。でも今度はオレが」
(オレだって男らしいとこ見せたいんだ!)
  ささっと返事を待たぬうちに踵を返す。背後から、
「ツナ君……」と、驚いたような声がした。綱吉は内心でガッツポーズを取る。これだ、こうしたものが、
「男らしさ、とかいうなら鼻で笑っちゃいますけどね」
「ぶっ!!」
「僕も自分の分とクロームの分を」
  しれっとした顔で骸が横に並ぶ。綱吉は仇を見る目で彼を見上げた。
「オレ、おまえらの邪魔しないから。何ならもっと離れたところに座ろうか?!」
「見たところ、笹川京子が進んでクロームの隣に座りましたけど……。君に決定権があるよーには見えませんね。それに、これは要するに笹川京子とウチのクロームのデートですよ」
  意外と一番真実に近い――、ところを、ぬけぬけと骸が指摘する。
 言葉につまったのは、同じことを薄々感じていたからだ。
  飲食売り場に並びながら骸は天井を仰ぎ見る。薄目を開けてそうすると、その横顔はモデルのように端正だった。綱吉はこれで五十人は詐欺ったんだろうと思う。
「なんだよ。でも京子ちゃん、オレを誘ってくれたんだからな……」
「これを機に仲を進展、なんて思ってるなら、甘い甘い。友人といっしょに居るときの女の子ほど手強いものはありませんよ。攻めるなら一人のときを選ばないと」
「へえ〜」思わず、ふんふんと聞き入っていると、列の前が開けた。
  骸もしたり顔で人差し指を立てる。
「ちょっとビックリさせるような行動を起こすのが、オススメですね。……オレンジジュース四つ、お願いします。それで、強引にことを運ぶくらいで丁度いいってことです」
「強引って……。そんなこと出来るならさぁ……」
 リボーンが現れる前に京子と友人になれていただろう。ふう、と、肩を落とす綱吉。その肩に骸が手を置いた。自らの胸元に引き寄せるように、ぎゅうっと力を入れる。
「まあ、落ち込まずに。元気をだしてください」
  差し出されたドリンクに、綱吉がはっとする。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「…………ん?」
「と、まあ、こんなふうに口説くんですね、人間というのは」
  至極どうでもよさそうに、表面的なセリフを呟きながら六道骸はドリンクホルダーを片手にする。ようやく綱吉が正気に戻った。
「あああ?! なに注文してんの?! オレと京子ちゃんの分まで!!」
「クフフ。男らしいでしょう」
  にやにやとして骸が歯を見せる。
  いやな男だ。綱吉は決意を新たにして骸と距離を取る。
(油断ならないっ。何考えてんのかわかんねー!!)くすくすとするだけで、再び骸が綱吉の肩を叩いた。早く戻ろう、と、その意味はわかるが。釈然としない。
 開始間際に館内に戻った二人を少女たちが迎えた。
「ツナ君、ありがとうね!」
「あ、ああ、でも骸が奢ってくれたんだけど……。オレの分まで」
「そうなの? 六道クン、ありがとう!」
「どういたしまして」にこりと骸が歯を見せる。
  綱吉は仏頂面でうめいた。
「オレの分も、ありがとな……」
「どういたしまして」その両目が意地悪く瞬いたのを綱吉は見逃さなかった。
(こいつってヤツは!)リング戦やクローム髑髏のことを通して、本気で仲間を仲間と思えない冷血漢ではないことはわかった。だが、やはり、性格は根っから悪役だ。以前、人をオモチャだと発言したのは六道骸だったが、彼の中ではそれもまた真実なのだろう。複雑だ。複雑な分、やはり性格も意地悪く複雑なのだ。
  決め付けて、綱吉は着席した。ひとまずオレンジジュースは冷えている。
  ビー。銀幕が開く。京子が息を飲む音がして、綱吉は隣同士に座っているのだと意識した。少し、手足が熱くなる。上映中、ちらちらと覗けば、銀幕の映る少女の瞳は煌めいて美しかった。
  そろそろ本気で赤面すると自覚して綱吉は目を反らす。
  ところで、上映中もずっと腕を組み合っている六道骸とクローム髑髏はなかなかのバカップルではないかとも思った。一時間が過ぎ、二時間が過ぎる。最後に思った。
(あ、悲恋なんだ、これ……)残り10分は、死した恋人への追憶で埋まる。
 幕がとじる。綱吉は京子に遠慮してすぐには振り返らなかった。
「クローム、悲しいんですか?」
「うん……。でも、いいお話だった」
「うん、だよねえ! あんな風に想われるのってすごいよ」
  ハンカチ片手に京子が熱弁する。ようやく、視線を彼女に向けた。
「死んじゃった女の子が、かわいそうだったけど……」
「うん……。そうだよねえ……」またも京子が目尻にハンカチを当てる。
  慌てて綱吉はあさってを見た。が、その直前に、クローム髑髏が静かに骸を見上げるのに気が付いた。不意に彼女には臓器が無いのだと思い出した。
(この映画……。髑髏ちゃんがいちばん見たがったのかな)
 直感的に感じて、綱吉は天井を見上げた。だからどうだ、というワケではないが。
「おまえって、髑髏ちゃんと付き合ってるの?」映画館を出て、男子二人、テラスに残されてからの第一声はそうなった。揃ってトイレに発った少女たちの後姿はまだ見えている。
  一瞬だけ髑髏の背中を見つめる。オッドアイに感情らしきものはない。ただ、自然にまかせて見つめていた。キャミソールにジーンズを合わせた格好が、肌が、陽射に反射して眩しくなるだろう。
「いいえ。彼女は僕のものではありますが」
「おまえさ、それでいいの? どう見たって髑髏ちゃんおまえが好きじゃん」
「クロームが僕を、ですか。そうでしょうね。千種も犬も僕のことが好きですしね」
「んなっ……。じ、次元が違うだろ?!」
「同じですよ」
  最初から結論を出した顔をしている。
 その、何でもわかったように振る舞うのが癪に障る。綱吉は身を乗り出した。自分が口をだす領域じゃないとか、彼ら二人とも既に納得しているのではないかとか、そうしたことは思い浮かびもしなかった。
「今度、処刑人に捕まったらおまえ能力完全に封じられるかもしれないんだぞ。そしたら、髑髏ちゃんが真っ先にやられる。もちろんそうさせたくないけど――。でも、可能性はあるじゃないか」
「それはそうでしょうが、しかし、好きだの何だのとは無関係ですよ」
  骸は冷静だった。目前にはコーヒーカップが置かれている。黒い水面には太陽が移り、白く、丸い円を作っていた。それに目を落として綱吉は出すぎたマネをしたと知る。
「そんな……、まあ……、当人同士の考えが大事だけどさ」
「君は自分の恋路がぜんぜんダメなくせに僕のことに口を突っ込むんですね」
  怒るとか、厭きれるとか、そうした意味合いはちっとも篭っていなかった。骸はただ淡々としていた。視線も、外には向いていたが、そこではないどこかを見ていて定まっていない。
「同じだっていいましたね……。僕の手駒が僕を愛するのは当たり前のことですよ。キングを愛さない歩兵がいますか? 愛しているからこそ、歩兵はキングの為に働ける」
「手ごまって。言い方が酷いぞーっ」
「森を見て木を見ない」
「はっ?!」
「君のことです」
  カップを取り上げて、骸はにこりとした。
  女の子に向けるようなものと同種のものだ。うげっとする綱吉に構わず骸はくすくすとしてコーヒーで唇を濡らす。赤らんだ表面に、黒い液体が纏わりつく。不意に、自らの唇を拭いたい衝動を感じて綱吉は視線を飛ばした。目の前にあったカフェオレを掴んで、口をつける。
「…………」オッドアイが盗み見るでもするように細くなる。
(あ、)しまった、と、綱吉は思う。わかってしまった。先ほど、つい、今、感じた衝動と同じものを骸が感じているのだ。しかし彼は唇は拭わなかった。カップを下ろして腰をあげる。
  僅かに触れた。触れた末にぺろりと舐めてから去る。
 相手の舌先によって拭われたと、理解するのに数秒を要した。綱吉は腕を震わせながらカップを下ろす。酷く混乱していたし、汚らわしいことをされたという自覚もあった。
  なんてことをしてくれたんだ。骸は素知らぬ顔で再びカップに口をつける。
「ただいまー。うん、あら? どうかした?」
「あ……。い、いや。何でも」
  震える腕を隠す為、綱吉は手を引っ込めた。
  円卓に少女二人が戻る。京子ちゃん、と、呟かずにはおれなかった。
「なに?」
(オレが好きだっていって)
  途方もない願いだとはわかっていた。だけど、それくらいしか、たった今の出来事を忘れる手法がない。綱吉は愕然とするのを抑えるのに必死になった。骸のことはもう見られなかった。


  夕日が街にかかる。クローム髑髏は自ら骸の腕を解いて、京子に歩み寄った。楽しげに予定を話し合う、何度も見かけて何度も微笑ましいと思った光景だ。だが、綱吉はなかば確信的に計画なのだろうかと感じていた。
  後退りしかけたが、その前に骸が綱吉の手首を掴んだ。彼は俯き、くらい光を称えたままでうめく。
「ダブルデートなんでしょう? 歩兵はキングを愛さなければ離れていきますよ? 君は、見ていない……」そこにある意味を知るのは既に恐ろしくなっていた。綱吉も俯く。
「キングは獲れます。僕ですからね」
  だが骸は許さない。決意の末に、言った。
「悪いけど男とキスするとか、ほんと、ありえなかったから……」
「じゃあもう一度しましょうか」
「…………」困った、と、綱吉は思う。
「これもいいませんでしたっけ? 伏線は張れるだけ張ってからにしようと思ってはいたんですが。僕は口説き落とすのも得意なんですよ」
(ああ、そりゃ、そうだろうな)
  骸はにこりとする。京子と話を終えた髑髏が再びその腕にくっついた。
「それじゃあ! 今日は楽しかった。またね、キョーコ!」
「どくろちゃーん、また明日!」
「それでは、また、機会があれば」
「……おつかれさん。じゃーね」綱吉は緩く手を振った。
  ああいう、押しの塊みたいなタイプは流されそうになるので苦手だ。遠ざかっていく背中に、
(二度とオレの前にくるなー!!!)と叫びたい気持ちを堪えて、綱吉は京子の手を握るか否かを考えはじめる。無論、握る前に彼女はさっさと歩き出してしまったが。
「オレはおまえのこと好きじゃないし」ぼそり、と、言い訳のようにうめく。
  意識する、というのは不思議なことで、六道骸をどういう人間だと思っていたのか少しも思い出せなくなっていた。まるで新しい人に出会うようだった。




おわり




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