0(ぜろ)

 気がついていないワケではなかった。
 プライドとか理性とか状況とか性別とか、そんなものをかなぐり捨てて白状する機会があったならば、そうとう前からの違和感がそれ一つで、すべて説明できるとわかっていた。
  もちろん、プライドとか理性とか状況とか性別とか一欠けの常識とか、今までに起きたこととか、自分の過去とか、どろどろとして凝固してどれほど足掻いても消せないほどに昇華させてしまった世の中への恨みつらみとか、一般的には怨念とか呼べるものとか、そうしたものの塊でもある自分自身の存在意義とか、色々なものを秤にかけては揉み潰して、あるいは違うとうめいて秤から取り除けて、彼は思いつく限りのありとあらゆる抵抗を行ったのだった。
 この世にあるありとあらゆるものは嫌いと言い切る彼だが、それでも、きれいな橙色だと感じるような夕焼けだった。伸びた影が少年の横顔を照らす。呼び出されて、黒曜中から真っ直ぐに沢田家へと向かったのだった。
  玄関にでた彼は、背中を押して塀の影になるところまで六道骸を押していった。
  気まずげで、恥かしげにしていて、そんな彼に物珍しさを感じて骸はされるがままにしていた。
「何ですか。用って。さっさと終わって欲しいんですけど」
「あ。は、はい。……今の生活って、大変ですか?」
「…………」
(人の話を聞いてないんですか)
  皮肉を胸中だけでうめき、骸はにやりとした。
「馴れてます。昔から、三人で生活する場面は多かったですから」
「母さんの煮物、タッパに詰めてもらってるから持って帰ってくださいね」
「はあ……。それはどうも」
  綱吉は、肩をもじもじとさせる。
「あの。オレ、正直……。でも骸さんがこーしてオレたちと一緒にいてくれてることが嬉しくて、でも皆とあんまり仲良くないし……。それで、この前の水曜日って6日だったじゃないですか」
(べつに、君ともそんな仲良くないと思いますけど)
 はあ。またも皮肉を押し込め、適当な相槌をうちつつ、骸は綱吉の背中を覗き込もうとした。
 不自然に、少年の両手が背中を庇っているからだ。綱吉は、警戒したように後退ったが、声音だけは調子を変えることなく、一生懸命になって言葉を続けた。
「もう金曜ですけど。でも、あの、そのなんていうか。あの、ホントは皆でやりたかったんですけど、皆の集まりが悪くて……っていうか、なんかすごい反対されちゃって……、で。オレ一人でもいいかなこのさいとか思ったんですけど、でもなかなかそっちには行けなくて…・・・」
「ああ、それで留守電に。君、最後まで名乗らないから、ヤクザか黒曜生かどこかの誰かからの決闘の呼び出しかと思いましたよ」
  ますます気まずげに、綱吉が骸を見上げる。決めかねているようだった。
「そ、それは……、次から最初に名乗るよ。 もしかして迷惑でした?」
「……そういうわけじゃ、ないですけど……」
  歯切れの悪い口ぶりでうめき、骸は、ゆっくりと視線を落とした。
  芝生に二つ分の影が並んでいる。長く引き伸ばされていて、綱吉との身長差が強く意識できた。と、骸は、綱吉が背後に何を隠しているかを推し量ることができていた。綱吉の影が、腰の後ろに四角い箱を隠しているのだ。
「で、用件は?」
「その、……。骸さん、今って生活に困ってないんですね」
「僕にそれを渡すために、呼び出したんでしょう? ください」
 えっ。どうしてわかったの、綱吉の瞳が物語る。
  骸は無言で右手を突きつけた。おずおずとしながら、綱吉が乗せたのは長方形の箱だ。三十センチほどの高さがある。赤と緑のストライプが鮮やかな包装紙の上を、真っ白いリボンが幾重にも重なって包み込む。デパートが示すような、典型的なプレゼントの見本に見えて、骸は綱吉を見下ろした。弁明を求める眼差しだった。
「え、えーと、目覚まし時計なんですけど。でも、生活に困ってないんですね……」
 残念がる理由も、生活に困っているからといって目覚まし時計を渡す理由も骸にはわからなかった。受け取ったからには、たぶん自分のものなんだろうと胸元まで引き寄せたが、だからといってどうしていいかわかるわけがない。
「……僕に、どう言って欲しいんですか?」
  沈黙の末に、骸が呟く。
  綱吉は歯を見せてはにかんだ。
「ははは、そんな。難しく考えないで欲しいんです。ほら、2006年の6月9日って、末尾の数字を拾えば6・9・6になって、ムクロって当て字になるじゃないですか。骸さんおめでとうってことです」
 骸の口角が引き攣る。もはや思考がおいつかなかった。
「???」
「誕生日わかんなかったし――。骸さん、皆で遊ぼうってときでも滅多に来ないし、なんていうか、その、えっと、これからもよろしくってコトです。そう言える機会が、欲しくて」
 ずっと言えずにいたから、と、綱吉が締めくくるようにうめいた。
 その瞳には安堵がある。それに気がついて、逆にショックを受けたのは骸だった。
「こんなもの、わざわざ用意したんですか……。僕にそれだけ言うために」
 憎憎しげな響きがあった。ぎょっとして綱吉が顔をあげた。怒るとは思ってもいなかったらしく、呆気にとられて口を開けている。
「……君のそういう偽善っぽいとこが嫌いなんだ。好きじゃない」
  咄嗟に、このプレゼントを芝生に叩きつけてやろうかと思いついた。
  胸には箱の角が食い込む。……しばらく経つと、その衝動は消えて、骸は両腕から力を抜いた。か細くうめく声がして視線を下げた。綱吉は、唇を戦慄かせて、信じられないようにプレゼントを見つめていた。
「ご、ごめん……」
 骸が小さく舌打ちをする。
「いちいち傷つかないでくださいよ。そういう意味で言ったんじゃないですから」
「いや、あの……、棄ててもいいから、さ……」
「はあ? それこそ、何でですか」
  厭きれてオッドアイを下げて、しかし、骸は失敗を悟った。綱吉は思いつめたように、一心に四角くなった包み紙を見つめている。溜め息が口をついた。
「ありがとうございます。僕の部屋においておきますよ」
  笑みを作るが、綱吉に通用しなかった。
 後悔と悲しみをごっちゃにした茶色い瞳がある。それは、少なからず骸の心中を痛めつける。
「あのですね。嬉しくないなんて、僕一言もいってないんですけど……」
 プライドとか理性とか状況とか性別とか一欠けの常識とか、今までに起きたこととか、自分の過去とか、どろどろとして凝固してどれほど足掻いても消せないほどに昇華させてしまった世の中への恨みつらみとか、一般的には怨念とか呼べるものとか、そうしたものの塊でもある自分自身の存在意義とか、今日まで考えたことが混ざりながら脳裏を行ったり来たりした。骸が眉間を皺寄せる。
  渦中に叩き落してくれた張本人は、いまだ、恨みがましそうな瞳で骸を見上げていた。
「……待っててください。タッパ、もらってくるから」
「待って、綱吉くん」
  イライラした声音で、骸が告げた。
「君が好きだ。好きな人にプレゼントをもらえて、嬉しくないワケがないでしょう? すごく光栄なことですよ。君がそこまで僕に気を使ってたなんて知りませんでした」
「骸さん?」
 驚いて、綱吉が足を止める。
 丸くなった茶色い瞳に夕焼けが映る。きれいな橙色に染まった。
「初めて会ったときから、やたらと眩しく……そう、眩しく思えてたんですよ。時間が止まった気がした。綱吉くん、まだ僕が喜んでないとでも言うんですか? これは大事にさせていただきますから」
「あ、いや、……あ、ああ、うん。喜んでくれてるんだ? 嬉しいな」
  戸惑ったように瞬きを繰り返した後、綱吉が笑顔で頷く。
  ホッとして骸が肩から力を抜いた。
「母さんの煮物、おいしいよ!」
  小走りになって玄関に戻りながら、綱吉が言う。
  力を抜いたまま、今度は骸が怨みがましげな目つきで綱吉の背中を睨んだ。チ、と、二度目の舌打ちがこぼれる。思ったとおり、ただの友情で割り切られた。
(僕が損するだけじゃないか。冗談じゃない。こんな勝負は馬鹿げてるんだ)
「ハイッ。骸さん、どうぞ! それも入るくらいの袋も貰ってきたから!」
  じろりとして綱吉を睨むが、彼は不思議そうに首を傾げるだけだった。
  骸からの告白に満足しているようだった。にわかに頬を染めているのは、決して夕日だけの赤味ではない。両目でそれを見下ろして、渋々と、綱吉があけた紙袋のなかへプレゼントを入れた。
「綱吉くんの誕生日って、いつなんですか」
「えっ。……聞いてどうすんですか」
「一つしかないでしょう」
  憮然とする骸だが、綱吉はさらにニッコリとした。
 オッドアイがちかちかとした光を灯して、少年を見つめる。
 どうせなら、好きではなくて、愛してるといった方が手っ取り早くて、しかも間違えようがなくてよかったかもしれない。帰り道のあいだ、若干の後悔をしたが、最終的に骸は割り切ることとした。わざわざ、苦痛を伴ってまで告白を繰り返す気にならなかった。
 持ち帰ったプレゼントを見て、犬が素直に爆笑した。綱吉の発想がキテレツだと指摘するのは千種だった。
(僕もそう思いますけど……。ま、受け取った手前、言わないでいてあげますよ)
  彼らが借りたのは2LDKのマンションだった。骸の財力がなせるワザだ。
 千種と犬が同室なのは、大して意味が無いが、文句がないのでそのままにしていた。目覚まし時計はシンプルな作りだった。
  丸い球体に四足がついていて、球体の真ん中に時計盤が貼り付いている。
「アイツ、センスがちょっと幼稚なんじゃねーれすか」
  素直に感想をもらすのは犬だ。
  ソファーに座り込んだまま、骸は電光の近くまで時計を持ち上げてみた。眩しかった。クスリとして踵を返す――、それから、リビングに張ったカレンダーを見て、気がついたことがあったが、誰にも言わないままで部屋に引っ込んだ。骸は赤いマジックを片手に握った。
「ま、そっちがそうくるなら、僕も似たような趣向返しをしてあげましょうか」
  今回のことは、不意打ちだった。墓場に入るまで戦い続ける――、もとい抗いつづけるんだろうなぁ、なんて思ってた問題があっさりと片付いたのは不意打ちだからこそだった。
  きゅっ。カレンダーの、27日を丸印で囲んだ。
(問題は、何を贈るかですが。もう……僕の右目でもあげますか)
  クスクスとしながら右目を覆う。自分ながら、グロテスクで面白い趣向返しだと感じた。適当なことでも言ってキスでもして押し倒せばコチラの勝ちだと骸は思う。人格なんて、いちど破綻してしまえばどこまでも壊れることができる、もうぜんぶどうでもいいから綱吉くんだけ見てよう、と、思ったところで骸は思考を手放した。
 風呂がわいたと、千種が呼びにくるまで、骸は天井を見上げていた。
「生きてるあいだに、生まれ変わることもできるもんですね」
「は?」「僕の話です――」
(僕と彼の、はなしです)
 秘め事のように胸中で囁いて、骸はにこりとした。
 気味が悪いものでも見たように、ずざざっと音をたてて千種が後退ったが、骸はもうどうでもよかったので、気にせずに風呂の支度を始めた。



おわり

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06.09.06







(ホントは9日ですが根性でウソ表記!)